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南雲桜子は有名人だ。魔法使いだけど、あまりにも彼女の魔法の動画が綺麗なので、世間ではアーティスト扱いされている。
テレビ番組で『ビューティフル・マジカル・アーティスト』なんてテロップを付けて、彼女を紹介したこともあったくらいだ(何でテレビは、特に民放は絶望的にセンスがないんだろう?)。
実は初めはそんなに南雲桜子のことは好きじゃなかった。魔法使いの家に生まれて、見た目が良くて、出身大学も一流の私立校。生まれたときから恵まれていただけだと思っていた。
だって、そうじゃないか。僕の両親は普通だし、僕の見栄えはお世辞にも良くない。「大学に行きたいなら国立に行ってくれ」と言われるくらい、家にお金もなかった。
要は南雲桜子は親ガチャで当たりを引いて、僕は外れを引いた。ただそれだけだと思いたかった。
それが気にいらなくて、彼女の動画を漁っていたら、魔法を唱えているMVみたいな動画の他に、魔法の修行をしているライブ動画がいっぱいあったわけだ。
魔法の動画に比べると長いし地味だし、再生回数も少ない。
動画の本数を水増しするために投稿しているのかと思って、文句のひとつでも書き込んでやろうかと動画を見始めた。
まず目を惹いたのは、滝行をしているものだった。
芸人が罰ゲームでやっているのを見たことがあるし、大したことはないだろうとスマホでゲームをしながら、タブレットで動画を流し見していた。
白装束をしっかり着込んだ南雲桜子が、両手を合わせて滝に打たれている姿が、視界の端に映っている。
ゲームはアイテム集めの周回プレイで、はっきり言って面白くも無いし、単調な作業だった。30分もすると飽きてきて、ふとタブレットを見たら、まだ南雲桜子が滝に打たれていた。
(こいつ、何でこんなことをやっているんだろう?)
気になって、動画のコメント欄を見始めた。
『長いし、見ててもつまらない』『魔法を使うために、こんな時代錯誤の修行をしなきゃならないの?』『どうせポーズでしょ? 普段からこんなことしてるわけないじゃん』
といった否定的な書き込みが目立つ中、
『滝行は大変だよ?』
と擁護するコメントもあった。
『あの水量なら普通だと立っていられるのは数分程度。それをこんなに長く続けられるのは、相当な鍛錬を積んでいる証拠だよ。いやぁ、すごいねぇ。わたしにはとうてい無理だ』
などと妙に持ち上げていた。リトルウッズという投稿者だった。
そのコメントを見て、滝行を検索してみたら、実際にはかなりの難行を彼女が行っていたことがわかった。あんなに売れている人間がだ。意味がわからない。売名にしても、ちょっと変だ。他のコメントも見ていると、
『魔力を向上させるためにやっているんだよ。かなり古いやり方だけどね』
と魔法に詳しそうな意見もあった。
『本当はさ、こんなに頑張って魔法を高める必要なんてないんだよ。体力と違って魔力は衰えないから、適度な訓練をしていれば60歳くらいで大抵の呪文は使えるようになる。南雲はさ、生き急いでるんだよ。本当はこんな無理する必要なんてないのにさ。見ていて痛々しいくらいだ』
生き急いでる? 何でだろう? 金も知名度もあって、イケメン俳優か、どっかのIT企業の社長と結婚すれば人生イージーモードなのに。
僕は気になって、他の修行動画も見始めた。
今度は山登りだった。アウトドア用のスタイリッシュなウェアを着て、険しい山を登りながら、ぶつぶつと呪文を唱えている。
コメント欄を見ると、
『単に山登りが趣味なんじゃないの?』『山ガールってやつ? あざといね』『修験道の真似してるんじゃない?』
やっぱりネガティブな意見が多い。
わからなくもない。見ていて楽しいものでもないし、どっちかというと辛くなってくるような動画だ。休むことなくひたすら登り続けている。その間、呪文を止めることもない。5分程度のMVみたいな動画では、あんなに綺麗に魔法を使っていた人がだ。
書き込みを見ると、訳知り顔でさっきと同じ人が投稿していた。
『呪文を唱えながら、山を登るのはかなりキツイんだよ。普通に登るよりも全然キツイ。自分の内面と向かい合いながら、身体に負荷をかけているんだから。多分、魔法使いなら見ているだけでもツラくなってくるよ。何で南雲はこんな動画あげてるんだろうね? コンテンツとしては意味無いと思う。止めて欲しいよ。色んな意味で泣きそうになるからさ』
その投稿者の名前はタナカになっていた。タナカはどうやら魔法使いか、それに詳しい人物のようだ。僕は肯定的なコメントを探した。
『多分、南雲は自分がどういう人間か知って欲しいんじゃないかな。決して何でもできるわけじゃなくて、裏ではそれなりの努力をしているってことを』
これを書き込んでいたのはカトウという投稿者だった。カトウは他の動画にも肯定的な意見を書き込んでいる。
「頑張っているって、そりゃ誰だって頑張っているだろうさ」
僕はつい独り言を呟いてしまった。南雲桜子は単に報われる努力をして、それを動画にしているだけだと思いたかった。もう見るのは止めようと思ったけど、何故だか他の動画も確認してしまった。
そこではキャンプファイヤーみたいな炎の前で、彼女は一心不乱に呪文を唱えていた。顔からは汗が大量に噴き出していて、正直あまり良い絵面ではない。何でこんな動画を載せているのだろうと不思議になるくらいに。
またコメント欄をスクロールした。南雲桜子が何のために、こんなことをしているのか知りたくなって。
『見せたい人がいるんだと思う』
そんな書き出しから始まるコメントが目に入った。
『わたしは同じ中学だったから人づてに聞いたことがあるんだけど、南雲さんは必要なこと以外は魔法の修行しかしていないんだって。本当に身を削るように魔法に打ち込んでいるみたい。だから、「せめて修行の風景も残すべきだ」って勧められて、こういう動画も撮るようになったって聞いた。多分、これが本当の南雲さんの姿で、それを見せたかった人がいるんだよ』
SATOという名前の人の書き込みだった。
言わんとしていることはよく理解できなかったけど、確かに修行している動画は何か明確な意志があって投稿しているようにも思えてきた。
「おまえはこの姿を知っておくべきだ!」とでも言うような強い意志が。
もちろん、それは僕じゃない。わかっている。
でも、なんだか動画を見ていたら馬鹿らしくなってきた。
「努力できるのも才能の内だ」って彼女を否定しようとして、そう考える自分がたまらなく嫌で、みっともなくて、本当に自分という人間が馬鹿らしくなってきた。
才能があるから努力するのか、努力するから才能があるのか、結局そんなものはどっちでも良くて、ただ事実として南雲桜子は頑張り続けていて、僕は何もしていない。
手元のスマホを放り投げて、僕は机に向かった。
自分にはこんな荒行はできない。でも少なくとも同じ時間、集中することくらいはできるはずだ。そうでなければ、あまりにも自分がみじめすぎる。
南雲桜子の修行の動画を流しながら、僕は競うように勉強を始めた。
15分も経たないうちに嫌になって、タブレットに目を向けると、南雲桜子はまだ頑張っている。チッと舌打ちをして、僕はまた問題集に向かい合う。それを何度も繰り返して、へとへとになった頃にようやく動画は終わりを迎えた。
これがパフォーマンスだったとしても、動画には区切りがほとんどなくて。少なくとも誤魔化しがないことはわかる。
(魔法使いで美人で頭が良くて、努力までされたらかなわないよ)
なんて思いながらも、次の日もやっぱり修行の動画を見て、同じように勉強した。
それを繰り返すうちに、段々と南雲桜子に親近感が湧いてきて、すっかりファンになってしまったというわけだ。
以前はスルーしていたけど、コメント欄をよく見たら、意外とそういう人間も多くいた。『あなたが頑張っている姿を見ると、自分も頑張れる』みたいな、綺麗ごとを書いている連中が。
興味が無かったから無視していたけど、今はその気持ちが良くわかる。
南雲桜子は無表情に見えて、実は微妙に表情が変化しているのだ。そこには辛さとか苦しさとかが、僕と同じように滲んでいた。彼女は天才なんかじゃなくて、馬鹿みたいに努力し続けて、自分自身を作り上げてきたんだと。
僕は才能という言葉で、勝手に諦めて生きて来た。もちろん、南雲桜子や大谷翔平なんかにはなれないけど、それは僕が努力しない言い訳にはならない。
今日も僕は南雲桜子の修行の動画を流しつつ、自分にできる精一杯のことを続ける。
5分程度の魔法の動画しか見ていない連中は彼女の上っ面しか見ていないのだと、変な優越感を抱きながら。
けれど、やっぱり何で南雲桜子は、こんなにも人並み外れた努力を重ねることができているのだろう?
誰が何でこんな修行の動画を撮り始めたのだろう?
一体、本当は誰に見せたいのだろう?
その答えは検索してもまったく出てこなかった。