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最後の魔法  作者: 駄犬
17/28

16 凛

 とても長く感じられた大学生活が終わって、わたしは晴れて社会人になった。

 結局、在学中に仕事にしたいことが見つからなくて、直感的に興味が持てそうな職に応募したところ、とあるIT企業のマーケティング部に入ることができた。

 一応、わたしは経済学部だったので、大学の勉強と繋がらなくはない。マーケティングに関して学んだ授業の知識を切り貼りして、ネットで調べて、詳しそうな友達とかにも聞いて、何とか面接を切り抜けることに成功したわけだ。

 マーケティングなんて難しそうだから、自分にそんなことが本当にできるのか少し不安はあったけれど、入ってみたら仕事は大学の勉強の先にはなくて、大学時代に覚えた人とのやり取りの延長線上にあった。

 とにかく人と仲良くなるのが大事だし、知らない企業や相手にも提案を持ちかけることができるかどうかが、鍵みたいなところはあった。もちろん、どんなマーケティングをするかっていうのは大事だけど、それも勉強というよりかは、人とのやり取りで身に付けていくところのほうが大きかった。

 仕事は大学時代ほど上手くはいかなくて、時には泣くようなこともあったけど(もちろん、人前じゃなくて陰でこっそりと)、ぎこちなく滑り出して、3年目の今はそれなりに板につくようになっている。

 その間に魔法はエンターテインメントとして一大ブームになっていた。桜子の活躍ももちろんだけど、玲が描いた魔法使いを題材にした漫画が有名な漫画雑誌に掲載されて大ヒットし、魔法使いのイメージアップに繋がったのだ。玲は大学院に進学していたけど、あっさり辞めて、今では漫画家になっている。東大卒の漫画家としてテレビに出ることもあったし、学歴は無駄にはなっていない。人生はわからないものだ。

 玲のマンガのモデルになっていたことが明かされて、さらに桜子の人気は過熱し、今は世界中を飛び回って魔法のライブを開催していて、もうすっかり手の届かない人になっている。

 それでも誕生日には、お互いにLINEでメッセージを送り合い、住所が変われば必ず連絡するようにしていた。

 それだけがわたしたちの細い線を繋いでいる。

 でも会社の人には、桜子と繋がりがあることは言っていない。

 もし知られたら、「そのコネを使えば良いのに」と言われることはわかっていて、でもそんな風に桜子を利用するようなことはしたくなかったからだ。


 一馬君との付き合いは続いていた。あっちは結構な大企業で働いている。毎日寝る前にLINEでやり取りをして、週末に一回顔を合わせていた。

 何が良いかって言うと、会っているときにふたりとも無言になっても気にならないことかもしれない。一緒にいても喋らなくても済むという関係はとても楽で、自然でいられた。

 そしたら、付き合って5年目の日、連れていかれた結構高そうなレストランでプロボーズされた。


「結婚して欲しいんだ」と。


 ちょっとかしこまった感じがしていたから予想はしていたけど、映画やドラマみたいに指輪は出てこなかった。


「指輪は?」


「この後、一緒に買いに行こう。だって、君の指のサイズを知らないし、君が好きなものを買ったほうが良いだろう? 予算は伝統に則って給料三か月分まで出すよ」


「そんなに高いのは要らないよ」


 わたしは笑って、プロボーズを受けた。

 一馬君の給料3ヶ月となると結構な額になってしまうから、そんな大金を結婚前に使うのはもったいない。結局、生まれて初めてジュエリーショップに足を踏み入れて、10万円を超えるくらいのシンプルな指輪を買ってもらった。

 でも、結婚はこれで終わりではない。やらなきゃいけないことがいっぱいある。特に結婚式をどうしようかと頭を悩ませていたら、新型コロナウィルスが世界中を席巻して、それどころじゃなくなってしまった。

 正直、わたしも一馬君も式をあげるのを面倒くさいタイプの人間だったので、これ幸いとばかりに身内だけで手早く済ませてしまった。桜子からは久しぶりに通話が来て、「おめでとう」と言ってもらえた。

 お互いの職場へのアクセスの良い京王線沿線に2LDKの部屋を借り、ふたりとも一人暮らしをしたことがなかったから、ままごとのように結婚生活が始まった。

 掃除洗濯料理とか、ふたりともやってこなかったものだから、家事を巡ってギクシャクしたり、仲良くできたりで、それなりに上手くやっていたと思う。

 30までは子供は良いかな? なんて考えていたら、1年くらいでできてしまって、今度は出産と仕事の引き継ぎで慌ただしくなった。

 幸いと言うか今時と言うべきか、会社は産休制度がちゃんとしていて、2年は休みが取れた。とは言っても、そんなに休んだから自分の仕事がどうなってしまうのか不安だった。

 一馬君は自分も産休を取ってくれた上で、


「辞めても大丈夫だよ。僕だけの稼ぎでもやっていけると思うから。もちろん、仕事を続けても応援する」


 と心強いことを言ってくれた。

 ネットで都市伝説的に見かける、何もしない旦那さんみたいな人じゃなくて本当に良かった。

 とはいえ、せっかく仕事に慣れてきたのだから、できるだけ早く職場に戻りたかった。幸い、わたしのお母さんも一馬君のお義母さんも協力的で、思っていたほど出産は大変じゃなかったけど、やっぱり大変なことには変わりなかった。

 生まれてきたのは女の子。凛桜りおと名付けた。

 4月生まれということもあったけど、わたしと桜子の名前から取って付けたのだ。

 もうそこまで親しい間柄というわけでもなかったのだけれど、わたしはそうしないといけない気がした。マタニティハイというヤツだったのかもしれない。

 もちろん、一馬君には前もって相談した。


「凛桜って名前にしたいんだけど良いかな? もし、一馬君に付けたい名前があるなら、そっちでもいいけど……」


 ふたりの子どもなのに、わたしの都合だけで名をつけてしまうのは申し訳ないという気持ちはあったので、駄目だと言われれば、すぐに引っ込めるつもりでいた。


「いいんじゃない? 綺麗な名前だと思うし、桜子さんは君の親友だからね」


「それは昔の話だよ。もう親友って呼べるほどじゃないと思うけど……」


「いや、親友だと思うよ。君の話を聞いていればわかる。きっと桜子さんだって、君のことをそう思っているさ」


 一馬君は優しい笑顔でそう言ってくれた。ああそうだ。この人はそういう人だった。いつも、ふわっとわたしを包み込んでくれるような存在で、だから一緒になりたいと思ったのだと。


 凛桜が生まれた後、桜子には画像付きで報告した。


『桜子とわたしの名前から、凛桜って名付けたよ』と。


 そしたら、


『おめでとう、そして、ありがとう』


 というメッセージが、嬉しそうなクマのスタンプと一緒に送られてきた。

 その頃には桜子は海外にいたから、さすがに駆けつけるようなことはなかったけれど、わたしもそこまでは望んでいなかった。来てしまったら、かえって恐縮してしまう。

 あとはもう毎日が戦争のような忙しさだった。

 夜泣きする凛桜をわたしと一馬君で交代であやしたり、すり潰した離乳食を一生懸命食べさせたり、毎日公園に連れていっては全力で走り回る凛桜を追いかけまわしたりと、出産したときよりも出産した後のほうがよっぽど大変だった。

 だけどお母さんからは、


「あんたのほうがひどかったわよ。家でも外でも暴れていたからね。もう幼稚園の頃からガキ大将みたいになってたし、そのうち、他の子に怪我させるんじゃないかと冷や冷やしたものよ。あ、小学校では呼び出しを受けたことがあったからね。男の子にドロップキックをしたとかで。あのときは頭を抱えたものよ」


 とか言われて、今になって母に平謝りした。

 一方、一馬君のほうは今と変わらず大人しい子だったみたいで、向こうの御両親はしみじみした様子で、


「元気な子ね。一馬は大人しくて楽だったけど、その分、よその活発な子を見て、『うちの子は大丈夫かしら?』って心配したものよ。無いものねだりってやつね」


 と、自分の息子と全然タイプの違う孫を可愛がってくれた。

 それと産休の間に、一馬君は浦安に中古だけどマンションを購入した。

 実家の近くにできていた新しめのマンションで、駅からは少し遠いけど勝手知ったる地元である。


「子供を育てるには良い環境だよ。実績もあるしね」


 一馬君はわたしを見ながら、そんなことを言ってくれた。何て出来た人だろう。わたしにはそんなことはとても言えない。

 結局、わたしが東京都民でいられたのは2年ほどで、すぐに千葉県民に戻ってしまったわけだ。いや、家を買っちゃったのだから、この先もずっと千葉県民なのだろう。

 何の問題もない。この街は良いところだ。小さい頃は何もかも新しくて周囲は荒野のようだったけど、今はすっかり開発が終わって成熟した感もある。

 実家が近いおかげで、凛桜をお母さんに預けやすくなったし、保育園もすぐに見つかった。なので、わたしは1年くらいで会社への復帰を決めた。

 京葉線は風が吹いただけで遅延してしまうのが困ったものだけど、東京へのアクセスは悪くないから、通勤もそんなに不便ではない。

 会社では無理のない復帰プログラムが組まれていて、最初は時短勤務から始まり、意外とスムーズに職場復帰ができた。

 子供ができて、家も買って、近くに親もいて、良い仕事もあって、理解のある夫がいて、幸せな人生だった。

 これで文句を言ったら罰が当たるものだと、わたしは思っていた。

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