14 凛2
その後、桜子の動画は頻繁ではないけれど、一定の間隔で配信されて人気を博した。
日本語がわからなくても楽しめたから、海外でも反響があったみたいで、すごく狭い範囲で活動していた今までの魔法使いとは確かに違っていた。
まだユーチューバーをどう扱って良いかわからなかったテレビも、見栄えのする魔法使いの桜子は取り上げやすかったみたいで、時々番組で動画を紹介されるようになった。
桜子はSNSも始めて、インフルエンサ―として注目されていった。
フォロワーが百万人を超えてくると、わたしもおいそれと連絡ができない。向こうは有名人で、わたしは大学生兼ファーストフードのアルバイト。何かもう住む世界が違う気がした。
そして、決定的な出来事が起こった。桜子が魔法のライブを行うと発表したのだ。
魔法を人前で披露する会のようなものは今までにもあったみたいだけど、人を限定してひっそりこっそりやるのが一般的で(儀式みたいな?)、アーティストのライブみたいに大々的にやるのは前例がないという。
(チケットを買わなきゃ!)
と思っていたら、桜子から送られてきた。同じ日に、
『見に来てね』
というLINEのメッセージとゆるいクマが手招きしているスタンプも送られてきた。
わたしは音楽は普通に好きだけど、ライブに行くほどではない。しかもひとりでというのは心細いものがあったけど、見に行かないわけがなかった。
ライブ会場の名前は聞いたことがあって、最寄り駅は渋谷だった。長く渋谷に通っているけど、そんな場所があるなんて全然知らなかった。
こんなところもあるんだなーと思いながら坂を上って行ったら意外と近くて、開場時間よりも結構早く着いてしまった。
だけど、既に列ができていたので、後ろに並んでしばらく待っていると、時間よりもちょっと早めに開場した。吸い込まれるように列が会場に吸収されていって、わたしも流れに身を任せて進んでいく。すると、ちょうど真ん中あたりの席に入ることができた。結構いい場所だと思うけど全席立ち見。そういえばライブの映像とかで座っている人なんて見たことが無い。
そのまま立っていると突然真っ暗になって、会場全体が緊張したかのように静まりかえった。「何が始まるんだろう?」とドキドキしていると、唐突にステージの真ん中にスポットライトが差した。
そこには着物を羽織った桜子が立っていた。
背後の巨大なスクリーンにも大写しになっている。でも、わたしはステージの桜子をじっと見ていた。
桜子が呪文を唱え始める。一語一句を綺麗に美しく。わたしはもうそれだけで泣きそうになった。小学校の頃から、ずっと練習していたのを見てきたのだから。
最初は呪文自体を覚えるのが難しくて、発音なんて英語のできない中学生のようにたどたどしいものだった。でも、今は本当に流暢で、流れるように呪文を唱えられるようになっている。
呪文の完成の直前に真っ暗になり、桜子の手の上の桜色の火だけが小さく、でもしっかりと揺らめくのが見えた。
観客が沸騰したように歓声を上げる。わたしも大声で桜子の名を叫んだ。
すると、その火が燃え上がるように大きくなって巨大な蒼い炎が出現した。
これは魔法じゃなくて演出なのはみんな知っている。あの蒼い炎は本物じゃないから熱くはないらしい。魔法はあくまでも導入で使われるだけで、後は派手な演出に入れ替わっていくのだ。
これはそういうショー。
桜子が舞いながら炎を振りかざして、幻想的な雰囲気を作り出していく。さらに炎が光に代わり、その輝きが会場全体を照らした。何かもう映画の1シーンみたいだった。
10分くらいで一幕になっていて、一回区切りがついた後、蒼い衣装に着替えた桜子が現れた。そして、再び呪文の詠唱を始める。
今度は舞台袖から他にも人が出てきて、みんなで合唱するように魔法を唱え始めた。それはさっきの美しいものとは違って、古めかしいけど荘厳で重々しくて、いかにも魔法って感じで圧倒された。
完成した魔法は氷。魔法使いたちの手の先に氷の塊が出現したのだけれど、全員がその氷を上に投げ放った。
合わせて客席の真上に巨大な氷が出現、桜子が指を慣らすとそれが砕け散って、キラキラとわたしたちに降り注いだ。
何が現実で何が魔法なのかわからない。それほど長いライブではなかったけれど、客席は興奮したり、感動したりでとても盛り上がっていた。
ふと、気付くと桜子がわたしを見ていた。
そしてにっこりと笑った、多分。わたしじゃなくてお客さんみんなに微笑んだのかもしれないけれど、でもきっとそうだと思った。
ライブが終わった後、桜子に会いに行こうかどうしようかちょっと迷ったけれど、何もしていないわたしが楽屋に乗り込むなんて、ちょっと図々しい気もしたので、LINEで、
『凄かったよ!』
というメッセージと、興奮して爆発するクマのスタンプを送っておいた。
すぐに桜子からも、
『ありがとう』
というメッセージと共に、頭をぺこぺこ下げているクマのスタンプが送られてきた。
──
記念すべき最初のライブは大成功で、テレビやSNSでも絶賛されていた。その後はすぐに全国ツアーになって、チケットはプレミア化していった。
有名になるにつれて家の近くにファンが現れるようになったりして問題になったので、桜子は東京で一人暮らしをするようになった。
新しい住所も教えてもらったけど、やっぱり桜子のことが遠くに感じてしまって、LINEも段々しなくなっていった。
そういう寂しさはあったけど、大学生活は楽しいものだった。
大学でもバイト先でも友達はたくさんいたし、バイト代でお金もできたので友達同士で旅行に行った。あと、車の免許も取って、お父さんの車でドライブに行ったりもした。毎日が何かしらの予定が入っていて、忙しなく幸せな毎日。そう、わたしは幸せだ。何かが欠けている気もしたけど幸せだった。
そんなある日、高校を卒業した後も細々とやり取りが続いていた玲に会った。
渋谷のバーみたいなお店で差し向かいに座り、ビール片手にフィッシュアンドチップスをつまみながら、高校時代の思い出と互いの近況を語り合うのは思った以上に楽しい。けれど、お酒が結構進んだところで、玲が思いついたように変なことを言い出した。
「良い感じの男の子がいるんだけど、どう?」
要は「男友達を紹介するよ?」っていう、よくある話だ。でも、玲がそんなことを言い出すのは珍しかった。お節介をするような子ではなかったから。
「じゃあ、玲が付き合えば良いじゃない」
そういう気になれなかったし、玲も今は彼氏はいなかったはずだから、人の世話を焼いている場合ではない。
「んーわたし向きじゃないのよね。ただ、話していたら『凛と合いそう』って思ったのよ。直感みたいなものかしら。こう、びびっとね。まあ、別に無理強いするつもりはないわ。本当に何となくそう思っただけだから」
こうもあっさり引かれてしまうと、逆に気になってしまう。
「どんな人?」
つい聞いてしまった。
「普通の人。顔はまあ悪くはないわね。今風って感じじゃないから、髪は染めたりしてないし、ピアスとかそういうのも無し。要は真面目君よ。聞き上手で人当たりも良いわ。お母さんも安心して勧められるタイプ」
「何よ、それ」
思わず吹き出してしまった。
「東大の人?」
「そう。同じゼミ」
東大で玲と同じゼミなら、かなり頭の良い人のはずだ。
「優良物件じゃない。それならもう彼女がいてもおかしくなさそうだけど。何か変なところがあるんじゃない? 実は真面目そうで反社と繋がりがあるとか」
反社は最近よく聞くようになった言葉で、悪い人を意味しているんだけど、今みたいに冗談みたく使われることも多い。
「いや、凛と同じでそういうことに興味がなかったんだって。で、そんなことを言っている間に引っ込みがつかなくなって、今になって興味が出てきたんだけど言い出せなくて、『どうしよう?』って悩んでいるみたい。ちょっとおバカで可愛いしょ?」
「むっ」
その「おバカ」は、わたしにも向けられている気がした。
「だから、似た者同士、まずはLINEとかでやり取りしてみたらどうかと思ってさ。気に入らなかったらブロックすればいいだけでしょ?」
「そんな簡単に……」
「良いじゃない。会ったこともないんだから。後腐れがないでしょ?」
言われてみれば、そんな気がしてきた。
「どう? 登録してみる?」
玲がスマホをいじって、LINEで相手の連絡先を送ってきた。
登録名は篠原一馬。
いかにも真面目そうな名前だ。柔道でもやっていそうな感がある。
「そういうことなら、せっかくだから」
わたしもお酒が入った勢いで、つい登録してしまった。
「じゃあ、篠原君にはわたしから連絡しておくね」
「えっ?」
止める間もなく、玲はメッセージを入力してしまった。
すると、しばらくして、
『何かごめん』
と篠原君からLINEのメッセージが入った。わたしも、
『いや、こっちこそごめんね。何かお酒の勢いで話が進んじゃって』
そうメッセージを送った後に、焦った感じで謝るクマのスタンプを送った。
篠原君も『どういたしまして』と照れるネコのスタンプを返してくる。
「どう? どんな感じ?」
興味深げに玲がわたしのスマホを覗き込んで、
「うーん、色気が無いわね。ふたりとも恋愛経験0って感じがするわ」
と酷いことを言った。
それから何となく篠原君とLINEをするようになった。
彼はぐいぐい来る感じがなくて、距離感がちょうど良い。1ヶ月くらい過ぎた頃には大分やり取りが増えてきた。お互いに写真は送ってなくて顔はわからないまま。
で、あるとき、ちょっとした話のついでに、ふたりとも渋谷駅の近くにいることがわかったので、会おうということになった。わたしはもう会ってみたいと思っていたし、多分、篠原君も会いたいと思っていたのだと思う。
ベタにハチ公前で待っていると、向こうから歩いてくる男の人の姿が見えた。眼鏡をかけて、ひょろっとしていて、ちょっと優しそうな感じの人。柔道はやってそうにない。
でも多分、この人だろうなーと思っていたら、相手も確信をもったように近づいてきて、
「志波さんですか?」
と丁寧に話しかけられた。わたしもわざとらしく丁寧に、
「篠原くんですか?」
と答えた。それがちょっとおかしくて、ふたりしてはにかんだように笑った。
多分、この人だろうなーと直感的に思った。