第0章 地下牢獄騒擾事件 プロローグ
「グローリャ酒、もう一杯!」
「鴨肉のモランソース煮込みをくれ!」
酔いに任せて大きくなった声が、昼時分の膨張したような空間に響く。
「民主神聖同盟の奴ら、やってくれるなぁ」
「ったく、いつまでユミトルドの件を引っ張るんだ?ヴィンセンラード皇帝の地位はそれでも揺らがないさ、いや、揺らぐべきではないと言うべきか」
「首相が腰抜けだからな、、、いいよもう、そんな新聞なんざ。釣った魚を包んでご近所にあげるときにしか役に立たないんだから、せっかくの飯がまずくなる」
活気というのは、まさに昼下がりの食事処にこそ相応しい。
少しの希望と、倦んだ日常が醸成するそれ以外は、およそ好ましい結果を齎すことがない。
政治的活気、経済的活気、そして戦争による活気。
そのどれもが欺瞞と屈折、そして退廃を内包して膨れ上がり、破裂の時を待つ。そして飛び散った膿は容易には流れ落とせず、染みとなって人に、国に巣食う。
太陽の日差しが、その店のテラス席にいる客たちの口を順々に暖める。
「そんなことないわ。新聞だって、誰かが頑張って書いたものなんだから、ね、そうですよね」
それこそ降り注ぐ日差しのように暖かな、慈愛に満ちた声が少年と思しき一人の影に向けられる。
「あ、ああ、、、ただ、事実は貨幣よりも価値がある。誰も自分のお金を他人に渡そうとしないだろう。そういうことだ」
その少年は、なんとも場に「ちぐはぐ」な存在だった。背丈は低く、黒い太陽のような双眸も若さに瑞々しく、雲間に輝く。それでいて恰好といえば、白いシャツに黒のウェストコート。シンプルな仕立てながら、生地の上質さは陽の返し方で分かる。まるで上流階級の父親の服を盗み、遊びに出たいたずらな子供のよう。それでいて服のサイズは子供の背丈にぴったりときている____。
それまで気にしないように気にしていた客たちの視線がにわかに集まる。
「あら、私、自分の仕事に誇りがない人は嫌いだわ。それになんて安い言葉」
「いや、、、あぁ、、、そうだな、、、生活のためだ、誇りなんてない」
「ふーん、やっぱりあなた、違うんだね」
給仕の少女が、黄金色の瞳をなお輝かせて、跳ねるように耳元に近づいてそう呟いた。どこか見定めるような、からかいつつ叱るような、そんな声が少しばかり異様な少年の胸を高鳴らせた。
「ローア!その人はもしや新聞会社の人なのか?あまり見ない顔だ」
赤ら顔の客が、アルコールに潰れて皺枯れた声で叫ぶ。
ローアと呼ばれた少女は、亜麻色の長い髪を尾のように振って、長いスカートを摘まみ、1人の少年を恭しく紹介するように掌を天に向けて差し出す。劇的なその所作も、彼女の器量がそれを許す。
「ええ、この方は最近ラキア湖のほとりにできた、ホーバス新聞社の支社の方です」
「ああ、そういば出来たって言ってたな。ホーバスなんて帝国傘下の大企業じゃないか。若いのに凄いな、苦労したろう」
「ええ、、、まぁ」
「うん?____お前さん、どこかで見たような気が」
「取り立てて特徴のない顔なので、よく言われますよ」
「そうか、、、それはすまんな。新聞社といっても文章の執筆やらは寡婦の女どもの仕事だろう、ということは新米の記者なのか?」
「そうです」
「なら、今度うちの店を紹介してくれよ、最高級の革製品をお届けする店なんだ」
「あら、さっき新聞なんて、って言ってなかったかしら?」
「多少の誇張は事実の内だろう?」
「お前の店の革製品なんざ、それこそ包み紙程度にしか使えないさ」
怪しい少年の身分も開示され、安堵したような笑い声が伝播する。
その中心で喝采を受ける踊り子のように、ローアは全身に漲る陽の力を隠さず、テーブルからテーブルへと渡っていく。
「_____みんな調子が良いんだから」
最後にローアは、砂浴でもするように丁度空いていたエチカのテーブルの向かいに座った。冷やかすような口笛がどこからか鳴るが、ローアはそれをしっしと手で追い払う。
「私ね、あなたは兵隊さんだと思うの、違う?」
「そんなまさか、違うよ」
「あっ!!でも殺さないでね、誰にも言わないから」
「なんで殺す必要があるんだ。違うと言っている」
ローアが、ナイフを持つエチカの手をぎゅっと握る。
あのローアが積極的だぞ、店員が1人減っちまうなぁ、という酒に酔って大きな声が、また場を一段、盛り上げたようだった。
少年にとってその握られた手は、まさに殺さないでというような懇願の力にも感じれば、真実を証明したい誓いの強さにも感じられた。
「私、分かるの。人にはね、3つの目があって、1つは夢想や野心を未来に描く目、2つ目は諦念と希望に満ちたそこにある目、最後はね、混乱と実直の過去の目。あなたは3つ目ね」
「案外、いや、田舎の少女らしい理念的な意見だ」
「都会を知った男の子には、遊ぶには丁度手頃な女でしょう?純朴は、ときには洗練さよりも、、、ね?今日の夜、空けときましょうか?それとも自分から誘う女はお嫌かしら?」
ローアが、握った少年の手をさするように指を動かす。
綺麗な、まっすぐな指の揃い方だった。
「君みたいなのは、こういった誘いを断るのが正解だろう?」
「女の子のお人形遊びには付き合うのが紳士よ。面白くない。誰だって本気の恋なんてしたくないもの」
「君を好きになってしまった人には同情するよ、それで、過去の目だからなんだって言うんだ」
「ああ、そういえばそうね。そういう目をした人はね、だいたい兵隊さんなの。外したことないのよ」
ローアは本当に忘れていたというように、少年の皿に乗った、付け合わせのビーンズ煮込みを指で摘まんで口に運びながら、悪戯な笑顔を見せた。
一通り食事を終えた少年は、再度忙しそうにするローアを呼び止め、チップを渡した。
「あら、手切れ金?それとも口封じかしら」
「違うと言ってるのに、君もしつこいな」
「心外ね。じゃぁ答え合わせしてあげる」
ローアは自分より背丈の低い少年の周りをぐるりと回って背後に立ち、服の仕立て屋のように彼の両の肩をさっと払って、耳元に唇を付ける。
その媚態は、いたずらの風を纏って少年の耳をくすぐった。
「私、多分、あなたに会ったことがあるの、エチカ・ミーニア少尉。それにね、輸入食品店のおば様が、聖女のルラ・コースフェルトに似た人を見たって。寡婦の被るベール、もっと濃い色にしないとダメ。あれ、結構透けて見えるから」
そう言って、もう話は終わりというように少年____エチカ・ミーニアの背中をとんと叩いた。
「私を殺すなら、どうか、あなたが直接来てくださいね」
「目の話は嘘ということか」
「いいえ、嘘じゃないわ。それがなければ気づかなかったもの。私は好きな目よ」
「殺す、殺さないも、所詮お遊びだよ」
「それはそうよ。本気だったらこの世なんてたまらないもの」
エチカはその返答に満足したように、ローアから離れ、人波とは逆に歩き出す。
▲▽
「戻ったよ」
対岸が見えない広い湖畔のほとり、そこに点々と群れて立つコテージのような建物、その1つの玄関をエチカはくぐる。
すると、待ち受けていたかのように、少しだけ怒りを孕んだ声がする。
「あら、エチカ少佐。困ります」
「何がだ」
「お昼は待機のみんなでって言ったじゃないですか」
「いや、みんなで食べたんだろう?」
「リテラチャーの再教育が必要ですか、少佐」
「意地悪を言わないでくれ、コースフェルト大尉」
「ちゃんとお昼は食べましたか?」
「食べたよ、、、何だ?何か不満か?」
「いっ!いえ、、、あの、、、なんでも、ないです。良いお食事だったようで____」
コースフェルト大尉は何やらエチカの顔のあたりをじっと見ていたが、すぐに視線を逸らした。彼女はエチカの背後に付き従いながら、金貨を引き延ばしたような、輝きながら波打つベージュの髪を手慣れた仕草で1つに結んだ。
二人が談話室に足を踏み入れると、食後の紅茶を飲んでいたらしい皆が慌てつつ一斉に席から立つ。
コースフェルト大尉もエチカの元を離れ、自分の席の前で直立した。
「定刻により、皇帝直隷第二十一班、日次任務報告を開始する」
▲▽
_____。
_____。
_____。
エチカの号令の後、数名から現況の詳細報告があった。
いずれもあまり進捗らしい進捗はない。
その後、最早恒例となりつつあるが、自ら発言のない者をエチカは名指しする。
「イサラ・ザクトーフ大尉」
「え?は、、、はいっ!!!タクトフォンとの国境においては特に異常あり、、、あり、、、ありましぇん!引き続きエリオル・ハルマン曹長と同盟異分子の監視に努めますっっ!!!」
「いや、、、報告ありがとう。そうではなくて、それは何だ」
「こ、、、この子はジャージャルです、ワンちゃんです、、、」
イサラ・ザクトーフは自分の脇で健気に座る茶色の大型犬を撫でながらそう言った。
「ジャージャルは名前か、ジャルジャ中将から取ったのか」
「はいぃ、、、中将に似ていたので、、、。ちゃんと名前を頂く許可は取りました!」
「そういう問題では、、、。まぁ良い。ただ会議の時は外に繋いでおけ」
「でも、、、可哀そうです、仲間外れは、、、。この子、吠えないので、、、」
ザクトーフ大尉はほとんど涙目になりながら、エチカに訴えかける。
今にもこちらに駆け寄って命乞いでもするかのような弱弱しさだった。
自分の話をしているなどと露程にも気づいていないそのジャージャルという大型犬が、風に揺らぐ草花のように緩慢に尻尾を揺らす。
「、、、そうか、分かった。ちゃんと躾けるように。次、モチャ・ファズ中尉」
「なにぃ?」
「何ではない。会議中にお菓子を食べるな」
「へいへい。仕事はちゃんとやってますよ。ちゃんとやってるので報告なんてありませぇん」
「イミノル伍長は何か言ってないか?」
「クランちゃん?少佐、好きだねぇ。自分の言うこと聞く部下だけ可愛がるタイプだ。私が報告に行きますって駄々捏ねてたから、クローゼットに詰めてきた」
「今すぐ転移して解放してやれ」
「お、いいの?ラッキー、じゃまた」
ファズ中尉はエチカへの嫌悪を隠さないまま、菓子の残りを口に詰め込み、汚れた手を軍服で払いながら、談話室から颯爽と出て行った。
「後は、、、、、、ユト・クーニア上級大尉」
エチカは最後に、自分が部屋に入ってきたときからずっと睨みつけるようだったその少女に声をかける。
名を呼ばれることを予期していたのか、「はっ!」と鼻で笑って、
「報告があるのは少佐の方でしょ」
と、棘のある言い方だった。
「俺か?、、、そうだな。皆、外に出るときは注意してくれ。寡婦用のベールだが、近づくと顔が見えてしまうらしい。特にコースフェルト大尉はすでに噂になってるぞ」
「私ですか!?そうですか、、、もっと濃い色のものにします」
コースフェルト大尉は崩れた化粧でも確認するように、自分の頬をぺちぺちと触りながら、周囲の者たちを見る。
「そうじゃなくて、その耳にべったりと付けてる口紅はなんだって言ってんの。私たちには偉そうに言っといて、自分は女遊びに忙しいみたいね」
エチカは、はっとして自分の耳に触れる。
手には確かに橙色の口紅が付いていた。
ふとコースフェルト大尉の方を見ると、彼女は少しばかり頬を赤くして目を伏せた。
「会議の時に済まない。以後、気を付ける」
「まぁ別に良いんだけどさ。派手にやらかした癖に、飛び級で昇進して、それで浮かれてこのザマじゃ、ミラリロが浮かばれないって言ってんの!」
「済まない」
「上官がへらへら頭下げるなよ、、、」
クーニア大尉は最後にそう小さく呟いて部屋を出た。
会議はそのままお開きとならざるを得なかった。
▲▽
エチカは外に出て、穏やかな湖畔を見ながら立つ。
その横にコースフェルト大尉がそっと近づいた。
「少佐、申し訳ございません」
「何がだ」
「私、気づいていたんですけど、、、」
「いいよ、大尉のせいじゃない。確かに気が緩んでいた」
そのまま二人で遠く、見えぬ対岸を見るようにして沈黙する。
「俺たちの任務は、影で広がりつつある民主神聖同盟の勢力を抑え、帝国から排除することだ。それが達成できれば良い」
「少佐、お言葉ですが、それは本当なんでしょうか」
「本当とは?」
「それであるなら、皇帝直隷なんて、大層な立場は必要ありません。仮に潜入的に任務をこなさなくてはいけないとしても、です」
「そうだとしても、俺たちには与り知らないところだ」
「いえ、、、どうしても、それじゃいけないと思うんです。私たちは、多分、己で考え、対立しながらも、団結して事にあたらないと、いずれ大変なことになると、そう思えてならないんです。私たちは皆、問題児ばかりですが、少佐なら、今ではなく、先で、それが出来ると思うんです」
「賢い君から見れば、俺は考えのない、帝国の駒のように見えているのだろうな。俺もつくづくそう思うよ。それに、君は問題児ではないだろう、巻き込まれただけだ」
「いえ、私も、自分で選択した結果です。少佐は、やはり、自分を取り戻す必要があると思うんです。駒から人になるために」
コースフェルト大尉は、首を振りながら否定し、それからゆっくりと湖面に近づいて、その水面を撫でる。
彼女の言葉は、重く、エチカの心に沈んでいった。
____小さな波が広がっていく。
「エチカ少佐、、、国とは、臣民とは一体何なんだろうと、私は思うことがあります。この湖の水は、ここに留まっているから、その間はラキアという名前が与えられています。ならば、この大地の窪みこそが、国家そのものなのでしょうか。それとも中に留まった水の集合が、そうなのでしょうか。私には、それが分からないんです。私たちは、必死に、命を懸けて、この湖が決壊しないように従軍しています。でも、地に流れ出て、他の川や海と繋がってもまだ、臣民としての私たちは、その名は残るのでしょうか、、、何かが、変わるんでしょうか」
どこかで魚が跳ねたのだろう。凪いだ水面に別の波紋が広がる。
エチカは水辺に近づいて、大尉の隣にしゃがみ込む。
水底に足を取られずに、自分たちは対岸までたどり着けるのか、その目下の不安すら、まだ自分の所有物ではない気がして、エチカは鏡のような湖に己の瞳を写し見た。
※グローリャ酒
レガロ帝国で広く愛飲されている発泡果実酒。不動資産省管轄・国家農畜安定機構による名称使用制限品目の内の1つであり、温暖な平地で栽培されるグロリルという特産果実から作られる。主に平民が食事の際に嗜み、貴族が飲むことは稀だが、隠れてワードロープで飲む慣習が広まり、そのことから「爽やかなる薫物」とも呼ばれている。
※モランソース
レガロ帝国中部、モランテリア州の郷土料理に頻繁に使われるソース。グローリャ酒醸造後に出た大量のグロリルの滓(「メルダ」と呼ばれる)と、果実酢、香辛料、香草等を混ぜて煮込んだ、甘酸っぱいソース。主に肉料理に使用される。中部の平民が良く食すが、醸造者とのパイプがなければメルダを手に入れられないため、貴重でもある。
※ホーバス新聞会社
レガロ帝国傘下の新聞会社。営利企業ではあるが、帝国官僚の天下り先になっている。寡占企業であり、他にはタブロイド紙のようなものしか僅かに流通していない。
帝国御三家企業の内の一角であり、他には「第一放送会社」、「ロイヤー運網企業群」がある。御三家は互いに役員の出向を通じて密に関連している。




