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第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第41話 最愛

アイリス、フランシャルン、その他数名の班員を見送ったとき、すでに陽は落ちた後だった。

渺渺びょうびょうとした夜空と山脈が、1滴の濃い墨汁を指で薄く延ばしたように見え、誰もがその景色に肌寒さを感じずにはいられなかった。

再び拠点に戻ったとき、先ほどはだんまりを決め込んでいた、イサラ・ザクトーフ大尉がケネート・パタヤルの背中に声をかけた。


「大臣、、、あなたは1つ、嘘をつきました、、、か?」


パタヤルは振り向く。

橙を含んだ電灯の下、童顔と評される彼女の顔は、めずらしく石膏で固めたように張りつめていた。その時ばかりは年相応の、三十代の経験と理性が彼女の顔を化粧していた。


「いえ、、、嘘というか、、、全ては話していない、、、そうですよね?」


パタヤルもまた、その痛烈な彼女の顔に硬直したように不動になる。

元第一騎兵師団所属。

イサラ・ザクトーフ。

連続転移オブシストという、転移を成立前に中断し、再度別の座標への転移を上書きする妙技を開発した帝国の秀才。

だが、陸軍内での彼女の評価は、その実績に比べれば十分に高いとはいえない。

_____敗北病。

彼女の性格はそう揶揄されていると聞く。

常に勝利よりも敗北に対する思慮が上回り、任務の途中撤退件数が多い。

仄聞するところによれば、陸軍上層部よりも同じ隊員からの不評を買っているらしいが、彼女に関して言えば、新兵が塹壕の中で膝を抱えて震えているようなのとは、少しばかり違う。

彼女は常に、敗北への道筋を詳らかにすることによってのみ、残された勝利への道に歩を進めることを行動の指針にしているのだ。

パタヤルは、彼女が口を開いたこと、それは彼女の中で、何か決定的な結論が出たことを意味すると悟った。彼は、無言でもって彼女に安心と、話す余裕を与える。


「_____みんな、ウーシアの真実ばかりに目が向いていました。確かに、適合者としてはそれが正しいです。だから、聞き流してしまった」


ジャルジャ中将も長い夜に向けて体力をつけるためか、パンのようなものを口に咥えながら、イサラの肩をそっと叩く。


____話せ。


その意図に、イサラも頷いて、


「帝国は_____適合者を意図的に生み出すことができる、、、そう、、、ですよね?」


「根拠は?」


パタヤルは、ほとんど白旗を上げるように、ジャルジャに煙草を要求した。

それを受け取り、火をつけ、煙を吐く。

まるで彼の中にあった、彼を大臣たらしめる機密事項が燃焼して口から抜け出ていくようだった。その後に残ったのは、ただ人好きのする萎びた初老の男。

だが、電灯の下で影絵のように浮かぶ、彼の身体を支える大小の骨が、まだ明々白々とそこに存在し、軋んでいるのを感じる。


「初代の第一観測者さんは、テミナル島に逃げた、ということでした。それでも、ウーシア技術はその間、発展し続けていたと思います、、、ということは、第一観測者に代わる存在を、帝国は発見、もしくは生み出した、と考えるべきでは、、、ない、、、でしょうか?」


「そうだ。帝国歴三十二年、今から五十年ほど前だが、ウーシアを発見したレブラン教授が亡命した。その前年には、第一観測者であるシャーリスも亡命している。だが、その時には帝国はもう_____いわば、第二観測者の発現に成功していた」


「ちょっと待て、五十年前だと?」


と、ジャルジャが声を上げる。


「そう。世界的にウーシア技術が広まり始めたのもその頃だ。レブラン教授がその引き金になったのは間違いない。彼は最初アランス連邦国に逃げた」


「そうか、、、それで、、、」


「まぁ、それはいい。ザクトーフ大尉の質問に答えるとするならば、その通りだ、ということになる。適合者は意図的に生み出すことができる」


「適合者は、、、ですか、、、?」


「詳しいことは分からないが、観測者というのは特別な存在だ。その発現には偶然性も必要だ、ということらしい。だが、適合者はそうではない。完全に意図的に生み出すことができる」


「その要件は、、、なんですか?」


イサラの問いから、一拍空いて、パタヤルは答えた。


「死_____だ。人間の死、それも複数の人間の死が、適合者を生む」


▲▽


針葉樹の木々。

それは天に向かって燃え上がる炎の、その白骨のように見えた。

肋骨、鎖骨、四肢の骨。

肉体である火炎を失い、この大地に残された遺体。

その頭蓋骨のような裸根に座しながら、二人の少女が異様の客船を隠れ見る。


「パピノスペイパード大尉」


アイリスが声をかける。


「パピー大尉でいいですよ、長いですから」


「それは、、、」


「ふふっ、そんなに従順ではないでしょう、あなた」


「分かりました、パピー大尉」


アイリス・ライゼンバッハは妙な緊張感に包まれていた。

それはこれから突入する客船が透視不可であること、また敵の強大さによるものではない。

隣りに座る、鉄兜に全身を包んだ貴族の女のせいだった。

妙な繋がりで彼女の家に誘われることは増えたが、その言葉数の少なさから、まだその天女のような上官の性格は知り得ていない。

歩兵たちが客船の周りを簡略的に探索する間、二人には時間があった。


「パピー大尉はなぜ軍に?」


その質問には意味がない。


「適合者ですから」


「ですが、大尉の地位なら_____」


「地位で守れるものは限られています。ですが、個人に帰属した力は、もっと多くのものを守れます」


あなたは守られる側の人間だ____。

そう言いかけたが、アイリスは止めた。


「何を、守りたいんですか?」


アイリスがそう聞いたとき、彼女は悠然と鉄兜を外した。

ガラスのように光を反射する髪がまろびでる。

その様に女性であっても見蕩れてしまったアイリスだったが、彼女の次の行動に驚愕しないわけにはいかなかった。

パピー大尉は、二人に付き従う1人の歩兵に少しだけ眉毛を下げるようにして合図した。と、彼女の手に握らされたのは葉巻だった。

ガスオイルのライターをジッと付け、葉巻の先端を燃やし、それを口に咥える。


「大尉、、、お吸いになられるんです、、、か?ですが、それだと居場所が、、、」


「居場所?そんなもの教えてあげればいいの」


宝石のような歯を見せ、太い葉巻を咥えるその顔は、笑っているように見えた。


「____どうしたの?はしたない?」


「い、いえ。そのようなことは」


「女が、公爵の娘が、その美貌で、、、そんなところかしら?」


「ま、まぁ、そう思われてもいたしかたないかと」


「ふふっ、いつもの調子が出てきたのね?」


パピー大尉が、アイリスの頭を撫でる。

アイリスはもう降参だ、というように、


「あぁ!やりづらいな!意味分かんないんですよ、あなた」


「ふふふ」


「その悟ったような笑い方、止められません?ムカつくから」


「うん、うん。その調子の方がいいよ、ライゼンバッハ特務曹長」


「アイリスで良い」


「じゃぁアイリス。エチカのことは好き?」


「は、はぁ?なんでそうなるわけ?」


「だって、あそこで死ぬかもしれないんだから、そういう覚悟はいつしたって早すぎることはないじゃない。聞いたことない?男に求婚させたければ、まず軍隊に入れろって」


「ほんとに、イメージと違うことあんま言うなよ、、、戦闘前にこっちで混乱するんだけど」


「好きよね?あなたは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それでも帝国はあなたに戦いを求めた。その孤独の中で、手を差し伸ばしたのが、彼だから」


煙混じりの大尉の言葉に、とっさにアイリスは痩剣を手に握る。

そこには、地上の太陽のような美しい顔が、冷たい目でこちらを見下ろしていた。

まるで、その葉巻の火でもってこの森林の葉を燃やし尽くしたような、そういう圧倒的な凝縮した悪が彼女の瞳にもゆらいでいた。


「_____おい、、、お前、、、()()()()()()()、、、?」


「誰でもできる推論です。第一観測者の条件として、視覚の転移があるのは明白。観測者にとってはただの副産物なんでしょうけれど。だとするならば、あなたはその観測者を帝国の手で人為的に生み出そうとした、その失敗作。そう考えるのが普通。だって、第一観測者は逃亡した。もちろん追跡はしていたのでしょううけど、帝国の性格からして、その代替品を作ろうとするのは必至。あなたはその事実に、さっき気づいた」


フランシャルンは葉巻の燃え滓を木の幹でねじ切って、地面に落ちたそれを踏みつけた。


「____私が生まれたとき、親族は1人もいなかった。後から受けた説明では、私は生まれたときから適合度が高く、出産に立ち会った者を過剰適合の暴走で殺してしまった、と聞いている。だけど、、、違う、、、違った、、、帝国はっ!!!お母さんを、、、実験台にしたんだ!ハルム人の女のようにっっ!」


ウーシアの波長が漏れ出る。

アイリスの周りに十二本の痩剣が創出され、彼女を守護するように回る。


「間違いないと思うけど。それで、、、どうするの?その肩旗を外して寝返る?それならここであなたを殺すしかないけど」


「_____真実を話させる。それまでは、従う、それまでは、だ」


「そう。でも話したいのはそんなことじゃないの、エチカは好き?それだけ」


「そんなこと、、、だって?_____はぁ、、、お前、ルラ・コースフェルトと仲良いだろ?」


「話を逸らすのが好きなの?仲は良いわね。馬が合うと言ってもいいでしょう」


「だろうな、どっちも性格が終わってる」


「ふふふっ。女の子は、恋をすればするほど、性格が悪くなるものですよ?だから、あなたはまだお子様ということね」


「だとしたらお前はどうなんだよ。ただの許嫁だろ?あんまりエチカと絡んでいるところも見ない。たまに会食でもするだけだ」


「アイリス、そのことに苛立っていたんでしょう?自分は劇的な出会いで恋に落ちたのに、大した理由もない女に取られるのが嫌だから」


「言葉が足りない。顔だけのいけすかない奴に取られるのが、だ」


フランシャルンは葉巻を噛み締めるようにして、より破顔する。

堕天使のようなその悪辣な笑みは、きっと自分にしか見せない表情なのだろうと、アイリスは唾を飲み込む。


「なぜ私が葉巻を吸うか教えてあげる。香水なんて、高級なものだろうが、廉価なものだろうが、どんな女だって身に纏ってる。でも、この匂いは私だけ。そして、私にはこの顔と声がある。私はね、、、彼の五感の全てを支配したいの。視覚、嗅覚、聴覚、それから味覚と触覚、、、全部、、、全部、、、全部、私だけで埋め尽くしたい、それだけ。だからね、申し訳ないけれど、客船に乗り込んでも、私はあなたを助けない。死んでくれた方が都合が良いんだもん、分かるよね?」


「おいおいおい、、、勘弁してくれよ、、、私が言うのもなんだけどさ、、、そこまでの男か、あいつは?そんなお熱あげる要素あるかよ、、、」


「ふふふ、それは事態が進めばおのずと分かるようになりますよ、おのずから、ね。さぁ、行きましょう。みんなが戻ってきました」


フランシャルンは鉄兜をかぶり直す。

妖光のような彼女が纏う雰囲気は遮断され、残されたのは静寂のみ。


「ミラリロお姉様といい、ルラといい、お前もかよ。なんでこんな奴ばっかりなんだ、、、世界情勢より意味分かんねぇよ、、、」


アイリスはしかし、当初感じていた妙な緊張感はなくなっていた。

自分の母のことも、今は少しだけ脇に置くことができた。


「同盟より頭のイカれた奴が隣にいるのは、安心なのか、なんなのか」


アイリスは転移の準備に入る。

もうそこは帝国とは別の領域だった。


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