第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第38話 余波
その部屋は濃霧と木々に満たされていた。
まるで朝靄のように、これから始まる1日を永遠と待つような、明るいうら寂しさがある。そこが森林と異なるのは、どこにも陽が差す窓がないことと、人間以外の生き物の鼓動が感じられないこと。
あるいは病室のような、生と死、そのいずれも存在しないような空間ともいえた。
「姫、お夕食の時間です」
その中で、1人の遠慮がちな男の声が微かにする。
「いらないっていってんでしょっ!!」
小鳥の声が玲瓏たる朝日に消えゆくように、その怒号もまた、響くことなく、どこか塊となって地に落ちる。
「ですが、身体に障ります」
「心配したようなこと言わないで、ただの命令でしょ?それに私は、食べなくても死なない、分かってるでしょう!さっさと出てって!」
「どうか、お心を落ち着かせてください」
「ああ、ああっ!!エチカが思い出す、、、全部、、、そうしたら、私のことなんて忘れる、、、そんなあいつならいらない!!意味がない!私を愛して、守ってくれないやつなんてっ!!」
「私が、、、あなたを守ります」
男が、その林の中、豪奢なベッドに横たわる少女の手を握るが、すぐに振り払われる。
そしてそのまま、ぱちりと頬が叩かれた。
男は謝罪の意なのか、膝をついて、頭を垂れる。
だが、少女はその男の頭を何度も足で踏みつけ、蹴った。
「私がっ!!一番っ!!嫌いなのはっ!!その場限りのっ!軽い言葉なんだよっ!!」
「____いえ、、、私は、、、」
「私のことを否定するなっ!!あなたが私を守る?じゃぁユミトルドの件は?さっさとあのアルファリアとかいう女を殺してきてよ!!私を守るんならさぁ!!あいつ、あいつっ!!私の影響が及ばないのをいいことに、エチカの前で島民を皆殺しにしやがった!記憶を戻そうと!!くそがっ!ここは私の、、、私の世界なのにっ!!」
「シャーリス様、落ち着いてください。姫は1人ではありません。私が付いています」
「私は落ち着いてる!お前が私の心を乱すんだ!!どっか行けよ!!それか死ねっ!!」
その叱責を、男は頭を垂れたまま聞く。
「私が死ねば、私の言葉を信じてくださいますか?あなたは1人ではないと、、、」
「信じる?なんでお前なんかの言葉を?いいから死ね、死ねよ早く!!」
「____はい、仰せのままに」
男がどうやって自死しようとしているのか、濃霧の中では見えない。
ただ、
「シャーリス・フォーヴァー。相変わらずだね、君は」
また違う男の声がする。
その声は、膨らむ風船のように優しいようでいて、金属を弾いたときの音のような、硬質な響きもまたあわせ持っていた。
「ザイル、、、お前、、、全部、、、全部知っているからな、私は、、、」
「もちろんそうでしょう。あなたは第一観測者なのだから。それに無理は困ります。助け舟を出しましたね?」
「____エチカの記憶が戻り始めてる」
「それはあなたにとって、喜ばしいことでしょう?彼は、あなたの子、あなたがこの世界に呼び出したんだから。自分のことを、命を懸けて守る存在として。確かに、あなたの言うように、その場限りの言葉というのは信じがたい。だが、彼には実績がある、そうでしょう?彼はすでに、行動で示していた。だから、あなたは彼を生んだ。彼の記憶が戻れば、あなたを助けに来てくれるのではないですか?逆にいえば、彼が記憶を取り戻さない限り、あなたにここで打つ手はない」
「ふざけるなよ、、、違う、、、エチカは、、、アレが思い出すのは、、、」
「いいですか、シャーリス・フォーバー。朕は、あなたの味方だ。私は、エチカ・ミーニアをこの国の王にしたい。それが正当だからです。そうなれば、あなたも自由だ。彼が記憶を取り戻せば、君の味方になるからね」
「そうは、、、そうは、、、ならないんだよ、、、エチカは、、、アレは、、、うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
シャーリスと呼ばれた少女は、頭を抱えて突然に叫びだす。
孤独に泣く獣の王のように、その声はひび割れていく。
「グルウ・ルーケニア。意識を遮断してあげなさい」
「はっ」
「それから君に1つ忠告だ。愛することは、言いなりになることではない」
「ですが、それでは、、、姫は、自分の味方を探していらっしゃいます、、、」
「味方か、敵か、その二つしか人の区別がないのは、年頃の少女にはよくあることだ。それにも関わらず、彼女は己の味方を見下す。エチカ・ミーニアを見下して使役しようとしているように。だから、この女を愛したところで、お前は幸せにはなれない」
「それは、、、それでも、、、」
レガロ帝国、第三代皇帝、ザイル・ミリア・ヴィンセンラードは、静かに眠りについたシャーリスを興味もなさそうに見下ろして、それからゆっくりと部屋を去って行く。
「存外、君のような存在こそ、この結末を変えるのかもしれないな。ははっ、そんなことを言ってみるのもまた、面白いと思うだろう?」
▲▽
「あ〜あ、こりゃ荒れるなぁ」
黒く長い髪を1つに束ねた、タンクトップを荒々しく着た少女が、鉄板の上で肉を細切れにしながらそう言う。
それはレガロ帝国が位置するユイセル大陸とは分霊海を挟んで南、ファー大陸西方のヤイグセン=ファトランティス朝、「フィターヌ国」。
ヤイグセン家とファトランティス家が治めるその国家、ケンジャット川の河口に広がる南方の都市、その夜市だった。
「雨か?そんな感じはしないけど、、、」
同じく黒い髪の少年が、露点から顔を出して空を覗く。
「お前まじかよ、ほんっと、お前ってやつは、、、」
「え、、、なに?すごく馬鹿にされてる感じがする」
「あれだよ、あれ。レガロ帝国で民主神聖同盟がド派手な花火を打ち上げやがった。こっちでもあらゆる奴が動き出すぞ」
少女は少年に、隣の店の店主が見るテレビジョンを示す。
「あぁ、、、そっちか。僕らにとっては追い風だね。世界が変わり始める」
「世界が変わっても、うちらは何にも変わってないんだよ!」
「変わらないなんてことはないさ。最近、僕らの店を目当てに夜市に来る人、増えててるよ?」
「ほんっと、、、ほんっっと、、、ああ!もうっ!!」
「えぇ!なんで怒ってるの!?やめて!香辛料を顔にかけないで!わかってるから!冗談だから!頑張るから、僕!やっちゃうから!やっちゃうからね!」
少女が手掴みにした香辛料を少年に投げかけている、その二人を横目にしていた体格の良い、スキンヘッドの男が、
「王よ、勇むのはいいですが、まずは本日の宿代をなんとかせねばなりません。遠い帝国のことより、目下の衣食住に思いを及ばせてください。あと20皿は売らないと、また全員で同じ部屋です」
その言葉に、少女は両腕をだらりと下げ、絶望の表情。
「ぜったいやだっ!!お前ら汗臭いんだもん」
「それはヤハンも同じ____ぐはぁあああっ!!」
「女中よ、我が王の鼻の穴に唐辛子を詰めるなぞ、許されぬ行為だ」
「女心のわからない失礼な王なんて、こんな扱いでいいのよ」
「違う、仕入れ代が無駄になる」
「あ、そっちね、それはごめん」
「分かればいい。そして焦るな、ヤハン。時期はまだ、我らの方に微笑んでいない」
「あぁ、まずは帝国の動きを見るか」
夜市は続く。
人通りは減ることなく、騒ぐ三人を前に右に左にと行き過ぎる。
▲▽
同刻。
ユイセル大陸から今度は南ではなく西に、新海を渡った先のドゼル大陸。
「とにもかくにも、やってくれたな。民主神聖同盟。レガロ帝国はどうなるか、そして、我が国もどうなるか、だ」
「早速、技術連から抗議が」
「ウーシアの秘密を開示しろと?馬鹿が。そんなことをすれば、国内は一夜にして戦場になるぞ、そんな簡単なことも分からないから、技術の真実に触れられないんだ」
「いかがいたしますか」
「フォラリス神聖国のムマーに最大の抗議を入れろ、ただちに奴らを抑えろとな」
アラン=ヴィシュク連邦国、大席総代のグラミリー・ファンバレンは、短かく刈り揃えた顎髭を撫でる。
世界の覇権を握る国家、その元首たる彼は、ただ落ち着き払って席を立つことをせず、
「いや、待て。民主神聖同盟の背後にいるのは、モッペル経済国だ、、、そうだな、、、ここは帝国に頑張ってもらおうか、、、」
「フォラリス神聖国の樹立を認めたのは我々です。何らかの形で抗議せねば、疑いの目は、、、」
「我々にか?民主神聖同盟とフォラリス神聖国は別物だ。同盟にはレガロ帝国の売国左派の奴らも入ってる。我らはフォラリスの後ろ盾にはなるが、同盟は違う。同盟は親である我々も敵視しているような集団だ。それに、第一観測者の情報など、好んで出すはずもないのは、諸外国もよく分かっているだろう。フォラリス神聖国には、まだ潰れてもらっては困る。いずれ、帝国を滅ぼすときのための、先鋒を努めてもらわねばならないのだからな」
「帝国がフォラリス神聖国に宣戦布告する可能性は?」
「ない。道理がない。今回帝国に牙を向けたのは、大地の党のリュメーラスだ。身内の不祥事でもって、神聖国を責めることはできない。我々の介入を避けるためにそうしたのだとしたら、大したものだ。だが、モッペルは違う。帝国は確実に、モッペル経済国を潰しにかかる。それは非常に、有難い話だ」
ファンバレンは、それから深く思慮に沈む。
目は外だけではなく、中にも向けなければならない。
第一観測者。
古の国家では、とある小石を持っているものを王とするような国もあったらしい。それは正統性による統治だ。
現代では、第一観測者がその小石だ。
ただそれは、正統性ではなく力。
ただ純粋な力、その秘匿が、国家を統べる。
▲▽
「オペリン、お前、どうするつもりだ」
第三騎兵師団、師団長室。
二人の傑物が相対する。
「どうするも何もない、ただ結論を待つ、それだけだ」
「馬鹿な、じゃぁ第三騎兵師団は、、、」
「動かさない」
「そんなことが許されるわけねぇだろうが!」
「許されるんだよ、ジャルジャ。皇帝は、私に何も言ってきていない。レクタニアもだ」
第二騎兵師団、師団長のバルディット・ジャルジャは、怒りに震える拳を下ろす先を見失う。
「そんな馬鹿な、、、なんのために、、、」
「簡単なことだ。この国で、最も過激な改革派が皇帝なんだ」
「嘘だろ、、、皇帝自体が、この国を滅ぼそうとでも?」
「滅ぼすかどうかは知らん。だが、変えようとしている。そのために、膿を全て吐き出すつもりらしい」
「膿、、、お前もか」
「あぁ、そうだ。まずはユミトルド。あれはいずれ、存在するだけで帝国にとって危害を及ぼす集団になりえた。そして次は、私とモッペル経済国なんだろう。まるで子供のために遺産の整理をしているようだ」
「お前が、なんで、、、」
「私は、モッペル経済国への臣民の亡命を止めなかった。そして、奴らの資本を帝国に入れようと考えている。帝国制とそれを支える貴族制度は、このままでは限界が来る。この東方では、くそったれな貴族のせいで、働くほどに貧しくなる。そしてそれは生産性の非効率化を招く」
「まさか、お前、、、それであの客船を、、、」
「ああ、そうだ。これで貴族も、それに従う企業も、一網打尽にできる。そして、全ての権利を一般市民に解放し、そこにモッペルの資本を入れる。そのために、モッペルを経由して、民主神聖同盟の力を借りたんだ」
「皇帝がもし、改革を望むなら、それは___じゃぁ俺らは何でここに、、、」
「甘い、ということなんだろうな。もしくは、私にはその役は重いと見ているのか」
「甘い?」
「一度モッペル経済国の資本を入れれば、帝国がそのまま飲み込まれる可能性も当然、残る。それを認めない、ということだ。別な形で、別の者が成し遂げるべき改革を、俺が下手に手出しをしていることが、気に食わないんだろう」
「じゃあいったい、俺らはどうすりゃいいんだよ!第三騎兵師団は動かない、それでも行方不明扱いにした兵士たちは抵抗してくるんだろ?同士討ちじゃねぇか、そんなの、、、。せめてそいつらを出さないでくれ。そうすれば、俺らはあの客船にいる同盟の奴らだけを潰せばいいんだろ?人質は、、、いや、、、くそっ!とにかく、そうすれば被害は最小限になる」
「もう無理だ。奴らは、そしてラホムは、この日をずっと待っていた。硬直した帝国を変え得るときを」
ジャルジャは怒りに震えながら、師団長としての冷静な思考力を捨てなかった。
いわばこれは、第三騎兵師団とパミドール州を中心にした、帝国東方での市民革命だ。その革命のために、モッペル経済国と、そこに繋がる民主神聖同盟という外の力を借りて、まずは貴族や企業の主要な人間を人質として抹殺しようとしている。
だが、問題を複雑にしているのは、それに対して皇帝も一部、賛同している可能性があることだ。
その理由として、行方不明の適合者の件がある。
そんなこと、本来ありえない。
ありえるとすれば、陸軍の最高権力者であるレクタニア・ハニーハートがそれを見逃している場合だ。そしてそれは、皇帝も同様に。
ならばこの反乱は予期されていたに等しい。
むしろ爆発するときを待って、その爆風で全てを更地にして綺麗にしようという意図があると見るべきだ。
そしてそれを、このオペリンも逆に利用して、堂々と適合者を隠してきた。
皇帝とオペリン、どちらに軍配が上がるかは、第二十一班の動きによる。
ここでこの革命を見逃せば、皇帝の思う形とは別の道筋で帝国は変わる。おそらく、ラホムたちが第三騎兵師団を乗っ取った形にし、オペリンはそのまま西に進軍する。そして大規模な内乱になる。そうなれば、モッペル経済国も表立って参入してくるかもしれない。フォラリス神聖国も西から進軍してくる可能性すらある。
だが、ここでオペリンの思惑を止めれば、あとは同盟とモッペル経済国との戦争になる。
「あぁ、エチカの坊主も、ユミトルドではこんな気持ちだったんだろうよ」
全くふざけてやがる。
人を駒のように扱いやがって。
自分で判断しているはずなのに、それすら道筋が示されているよう。
「オペリン。俺は、帝国のことなんてどうでも良い」
「師団長とは思えない台詞だ」
「お前みたいに、市民のことを思って行動するような愛国心なんてねぇんだよ。愛する妻と娘を守れればそれで良い。だからな、俺は俺の娘たちが死ぬ可能性が最も低い道を選ぶ」
「そうか、迷惑をかけるな」
「本当だ、全く。うちの子たちは優秀なんだ、野良適合者なんか、殺さずに捉えることだってできる」
「甘いな、ジャルジャ」
「お前に言われたくねぇよ。市民のために命まで捨てやがって」
ジャルジャは同僚の、おそらく最後になるその顔をじっと見て、師団長室を出る。
「皇帝の野郎、もし本当に一人の女のためにこんなことしてんなら、マジでぶっ殺してやる」
そう気炎を吐くが、一瞬、妻の顔が頭を過ぎり、通信を入れる。
「___何?また飲み会なの?女はいる?いるなら散華ね」
「あの、放送見てないんですかね?」
「___見たわよ」
「サキタクス、、、俺は、、、」
「いい?女に奢らせるような男はクズよ。いくら浮気でもお金は出しなさい。じゃないと妻である私の器が問われるでしょう?」
「だから浮気じゃなくて___」
「家族よりも他の何かを大事にするなら、それは浮気でしょう。だから、どうせそうなら、男を見せろって言ってるの。分かる?」
「___あぁ、よく分かった」
「じゃ、帰ってきたら散華だから。他所で死なないようにね、じゃ、これからビュッフェだから、またね」
そこで通信は勝手に切られた。
「あぁ、相変わらず良い女だな。あいつのためなら、確かに国をひっくり返すのも無理はない」
ジャルジャは歳を取って硬くなった頬を掻きながら、決意を固める。




