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第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第37話 実直

蜂は、暖かくなれば優しいものから羽を溶かす。

強い毒を持ったものは、暑さが厳しくなった折に、我が物顔で現れる。


戦争も同じだ。


「社長、らしくねぇな。ついに凡庸がこびりついたか?」


クイネルラップ・ファラメンドゥールは煙草を唇で扱きながらそう言った。

ソファにどかりと尻を沈めて脚を組みながら、蒼い髪を流す。

そして、細い針のようなもので子牛の腸を焼いたもの(ケルツァッラ)を刺し、口に運ぶ。それからレモンを直接口内に絞る。


「何が??ねぇ、何が?クイネル」


猫のように四つん這いのまま近づいてくるのは、ヒィラ・ジュティ。

銀の鎖が、唇と耳に開いたピアス穴を繋げて、ゆらゆらと揺れている。


「馬鹿は黙ってろ」


「馬鹿ってひどくにゃいっ!?」


クイネルラップはもう1つ、ケルツァッラを刺し、ヒィラの口に差し出す。

彼女はそれを餌のように唇で外して食べる。


「フェーズが移ったんだ。世に出るぞ、これから俺たちは」


細身に、皺のひどいワイシャツを羽織った男が言う。


「かっっくぃぃぃぃぃ!シャッチョ、かっけぇす!」


ヒィラが口をもぐもぐしながら、拍手する。


「だろ?やっぱかっこいいよな、俺」


「やばいっす、すげぇ大物感あります」


「満を持しちゃう?俺たち、満を持しちゃう?」


「じしちゃう!じしちゃう!」


二人が手を繋ぎながら、小さく飛び跳ねている。

だが、その二人の間に、先ほどまでクイネルラップが持っていた細い針が浮かぶ。


「それ以上騒ぐと、次は目玉に指すぞ」


「こっわぁ、クイネル、生理なの?ナッツでも食べる?」

「ひぃぃぃぃぃ、や、やめろよ、従業員一号!」


「やめて欲しいのはこっちだ。本当に奴らが持ってきた仕事、受けるのか?」


クイネルラップは煙草の火をもみ消して、再度新しいものに火を着ける。


「ああ、もちろんだ。我ら鷦鷯しょうりょう印刷会社は、この帝国に反旗を翻す」


社長と呼ばれた細身の男は、その薄暗いバーのような部屋で、高らかに頭上を指差す。


「仕事の後は?」


「モッペル経済国に逃亡し、拠点を移す」


「トルネオは何て言ってる?」


「どうせやるならド派手に、だとよ」


「ちっ、男どもときたら、、、」


クイネルラップは煙を天井に向かって吐く。

煙は不規則に揺れて、空中で広がっていく。

自分たちが行おうとしていることは、この煙と同じだ。

予測のできない、複雑な広がり。

その火元になろうとしている。


「でもさ、クイネル。そうじゃなきゃ、意味ないよ」


ヒィラが丸い瞳をこちらに向けて言う。


「具体的に話せよ」


「だって、真っ当に生きるのが退屈だから、この会社をやってるんでしょ?」


「ちっ、、、」


「お、従業員4号、痛烈な正論だな。1号が悔しそうな顔しているぞ、シャッターチャンスだ!」


「あいっ!シャッチョ!」


ヒィラの持つカメラのフラッシュが焚かれ、クイネルラップが机を蹴り上げる。


「社長、この案件、死人が出るぞ、それでもやるのか?」


クイネルラップの鋭い視線を受けて、社長の男は、


「死人?馬鹿言うなよ、帝国軍だろうが、同盟だろうが、俺たちにかかれば手綱の先の馬でしかねぇ。俺たちは、王だ。でけぇ奴らの背中に乗って、最後に先頭に踊りでる」


社長はその青やら赤に輝く瞳で、クイネルラップの動きを制する。

その威圧。


「やっば、やっぱ俺、かっけぇよな!カリスマが大盛りてんこもりじゃん」


「シャッチョ、やばいっす!一生付いていきます!」


「ったく、、、祭りは楽しむもんで、主催するもんじゃねぇってのによ」


クイネルラップは最後に煙草を強く吸う。

煙が肺に収まって、また鼻から出る。

疑念は蔓延する。

祭りは静寂にいずれ凝固する。

その先に何が残るのか。

それを見に行こう。


鷦鷯しょうりょう印刷会社。

王冠がトレードマークの、レガロ帝国臣民なら一度は読んだことがある、非合法のタブロイド誌を発行する会社。

その幹部社員たちが、祭りの前に杯を合わせる。


▲▽


『レガロ帝国臣民の皆様、ごきげんよう。私はリュメーラス・ハイゼンヴァウム。民主神聖同盟の共同代表、そして大地の党・党首でございます』


享楽放送が途端、映像を変える。

そんなことは放送開始以来、一度もなかった。

夜の営業が始まった「鼠の猫追い」の店内が、一瞬静まりかえる。

ローアもまた、配膳に忙しい体を止め、亜麻色の長い髪が背中におさまる。


「国民皆放送かしら?」


ローアの疑念はしかし、すぐに否定される。

どこか豪奢なパーティルームのような場所で話す、錫杖のようなものを持った、肌の異様に白い女性。

その髪も白く、まるで幽霊のような存在感のない人。

だが、次の瞬間に映像が切り替わる。


「な、、、なに、、、これ?本当?」


切り替わった映像には、大きな客船が、本来あるべきではない山らしき場所に錨を下ろしている。


『ここは仰嵐山脈。乗客の皆様には、残念ながら人質となっていただいております』


その言葉に、客達が騒めく。


「大地の党って、少数野党のか?」

「今は議席持ってないはずだ」

「確かあのリュメーラスとかいう女、ジシュア旧派の神官で、国家反逆罪で指名手配されてた奴だぞ」

「さすがに捏造映像だろ」

「だよな、だって船があんなところに」

「でもよ、どうやって第一放送会社を乗っ取るんだ?」


ローアは体の震えを抑えるので手一杯で、そんな客達の言葉に、いつものように冗談でも挟む余裕はなかった。

第二次クランツェル独立戦争。

そのときの恐怖、地獄がまた記憶に蘇る。


『民主神聖同盟が求めるのは2つ。レガロ帝国における第一観測者の引き渡し。それから第三代皇帝ザイル・ミリア・ヴィンセンラードの退位、つまりは帝政の終焉。これらを清土祭が行われる二日後の正午までに完了しなければ、乗客達は皆殺しにします。そして、この仰嵐山脈から帝都まで、西征を行います』


そんなことできるはずがない。

皆がいっせいにそう思ったに違いない。

乗客たちが本当にそこにいるとして、それでもって帝国が動くはずがない。

ましてや皇帝の退位なんてありえない。

それに、西征といったが、レガロ帝国軍がそれを許すはずもない。


「面白いこと言うな、このねぇちゃん」

「第一観測者ってなんだ?」

「皇帝の退位?飛躍しすぎだろ」

「何時間で捕まるか、賭けでもするか?」


酒が入った客達は、提供された新しい娯楽でも楽しむような雰囲気だった。

でも、違う、とローアは直感する。

これは、普通じゃない。


『皆さん、おかしいと思いませんか?ウーシア技術はこれだけ発達したのに、臣民のだれもその恩恵に預かっていない。長距離転移技術も軍だけのもの。世界中そうです。これらの技術がもし、民間に広がれば、皆さんの生活はもっと豊かになります。それを、帝国も、諸外国も、特権として隠蔽している』


その言葉は確かに事実だ。

だが、すでに手にしていたものを奪われるのであれば、臣民も怒るだろうが、ウーシア技術なるものは、一度も一般の手に渡ったことがない。未知の恩恵を訴えられたところで、効果は薄い。


『私たち民主神聖同盟は、皇帝退位後、ウーシア技術を広く民間に普及させ、新たな技術発展的な国家を創造します。そして、帝政の終焉と、民主主義的国家が樹立されます』


「なんだ、毎度のことじゃないか」

「聞き飽きたぜ」

「どうせ民主主義国家になろうが、ウーシア技術は特権のままだろ?持つ人間が変わるだけだ」

「ハルム人の味方ってだけで反吐が出る」


冷笑的な雰囲気が蔓延する。

だが、いずれこの冷笑が、活気に変わる。

昼下がりの、下世話な会話が醸成するそれとは違う、本物の活気に。

ローアはこめかみから汗が流れるのもそのままに映像を見続ける。


『人は皆、平等です。貴族や大企業の私益を肥やすために存在する訳ではありません。己の意志で、己の人生を生きるべきであり、誰にもそれを阻害する権利はありません。現に、皆さんの頭上に座る皇帝もそうです。彼もまた、自由に生きている』


目を瞑りながら演説していたその女性が、そこで瞳を開く。

そして、臣民一人一人に語りかけるように、


『ザイル・ミリア・ヴィンセンラード皇帝には、愛する人がいます。そして、その人は、、、』


皇帝は未婚だ。

噂話すらない。

そろそろどこか手頃な貴族からもらうのだろうと、そう言われている。

だが、彼女の口から出た名前は、臣民を、特に愛国心の強い者を動揺させるには十分だった。


____アリタン系ハルム人の象徴、ヌオラ・ヴァル・フォラリスの娘を


「なっ!!」

「嘘だろ」

「おいおい、嘘にしてもやりすぎだ」

「でも確かに、皇帝があの年齢で結婚してないのは、、、、」

「それが本当だとしたら、やばいぞ」

「よりにもよってハルム人かよ」

「しかもあのヌオラの娘って、、、」

「本当にいるのかよ、そんな奴」


アリタン系ハルム人は、フォラリス神聖国を形成する民族。

民族同化大戦時、少数民族の代表として激しく帝国と交戦した民族だ。

レガーリャ人が信仰するジシュア様を殺害したとされる、弟のフォラリスを神と崇めている。

その宗教的遺恨だけじゃない。

ハルム人は常に、自分たちの国家を樹立することが最大の願いだった。

そのために、諸外国の力を借りて帝国に訴えることも多かった。

帝国に住み、その恩恵を享受しながら、帝国内に国家を作ろうとする。

レガーリャ人が彼らを疎ましく思うのも道理ではあった。

そして、民族同化大戦で彼らは念願の自分たちの国を手に入れた。


____帝国の領地を奪う形で。


加えて、何よりも恐ろしいのは、そのヌオラという王女のためなら命も惜しまない彼らの狂乱ぶりだった。長い歴史の中で、帝国内、また諸外国に散り散りになった彼らは、その物理的距離を埋めるように、ヌオラ王女への精神的依存が民族の紐帯、自己同一性の要だった。


『おかしいですね。臣民にはレガーリャ人同士の婚姻を強制しながら、自分は帝国の敵である王女を愛する。皇帝が最も、平等的人権を理解していらっしゃるのです。さぁ、どうします?皇帝を責めますか?それとも自分たちも自由を求めますか?』


そして、決定的な映像が流れる。

その映像の端には、王冠のマークがあった。

鷦鷯しょうりょう印刷会社。

帝国の厳しい監視を掻い潜り、ルポ誌を発行し続ける犯罪者集団。

普段は覚醒者の戦闘映像や、その私生活の暴露だったり、帝国の真偽不確かな陰謀説や裏情報を臣民に流している。

ただその取材力から、並外れた適合者、覚醒者が所属しているのではないか、と言われている。


『メルゼ、もうすぐだ。もうすぐ、僕はこの忌々しい玉座から解放される。そうすれば、僕らは自由だ』


『いけません、、、それでは、、、また新たな禍根となります。私がフォラリスの名前を背負う限り、、、どうか、早く、私を殺してください』


『そんなこと、できるはずがない。本当にもうすぐなんだ』


『自由になど、なれません。誰も、私たちを許さない。レガーリャ人はハルム人を恨み、逆もまた。それを解決するのは、私たちの関係ではありません。もっと、いつか、違う形のはずです。私たちでは、叶わぬことです。だから、早く、殺して、ザイル様』


その盗撮と思しき映像。

確かにそこに写っているのは皇帝と、見知らぬ女性。


『愛は素晴らしいものでしょう?だから、立ち上がりましょう。皆さん。大丈夫です。新たにできる国家は、皆さんのものです。帝国でも、神聖国でもない。民族も宗教の垣根もない、新たな国家観による次世代の国になります。民族同化大戦を古いものとし、新たな世界を創造するのです!!!』


そして、映像はそこで途切れる。

ローアは貧血を起こしたように近くの席に崩れるように座った。


(また、始まる、、、戦争が____)


ローアの頭の中に、エチカの顔が浮かぶ。


(私を地獄から救ってくれた人、、、でも、、、ここにはいない、怖い)


理想を掲げる人は嫌いだ。

それは犠牲を是とするから。

目下、流れる時間だけを気にしている人も嫌だ。

希望を胸に足下ばかり見て、すぐに何かにぶつかってしまうから。

だから、過去を見る人が良い。

混乱と実直。

忌まわしい過去を繰り返さないように、悩みながら堅実に最善を選び、小さな幸せをもたらしてくれるから。


「エチカ・ミーニア、エチカ・ミーニア、エチカ、、、」


ローラはその名前を繰り返し呟き、激しい鼓動をなんとか抑えようとした。

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