第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第36話 次幕
【指輪なんていらない】
【冬枯れ、裸根】
【それと初霜のしゃりりだけがわたしの心】
【凍って千切れた指を、わたしにください】
【それを抱いて、いつまでも眠るの】
【雪は凡て、そして無口で無用】
【骨身に染みて、あなたの指を抱き続ける】
【誓いは凍って、痕はなし】
【この身が暖かいのは、あなたとわたしの心が摩れ合うから】
【見ないで】
【話さないで】
【愛さないで】
【ただその両脚で大地に立つように、わたしを踏みつけて____】
その女性の声は悄然として聞こえた。
フリンスの青い防壁の中で、双子は背を向け合いながら太刀を握る。
だが、その剣はまるで生まれることを拒むように暴れ続ける。
それを抑えるので精いっぱいかのように、フリンスには見えた。
覚醒の音色が、最後の時を待つ。
だがその一歩が、遠い。
「______________くっ!!!」
『もうちょっと_______なのにっ!!』
太刀は鞘から離れることを拒む。
その間にも、防壁の外は千の亡霊たちが犇めき合い、互いを食い合いながら襲い掛かっている。
「覚醒___だと?まさか、、、あの時の、、、、」
フィーモアの驚愕。
それでも、まだその覚醒には至っていない。
それはフリンスの目から見て明らかだった。
徐々に、ウーシアの濃度が下がっていく。
そして、その神々しい光が、徐々に去って行く。
「なんだ、やはりお前には無理なんだ、クラン。弱く、誰も助けられない!ただの馬鹿でお人好しな貴族の娘!!」
フィーモアが再度、タクトを振るう。
亡霊たちの動きがさらに苛烈に、そして狂暴になっていく。
「何が_____足りないのっ!!私は____」
クランの叫び。
だが、その口を手で優しく抑える者がいた。
『貴族の娘が、そう大きな声を上げるものではありません』
大人の、落ち着いた声。
色素の薄い髪が、妖艶に棚引く。
『あなたたちは、お母さんがたった1つだけ守って欲しいことを、どうしてできないんですか?』
柔らかな、窘めるようでいて、それでも溢れる愛を隠せない。
『ノランも、どうしてあの時、お姉ちゃんを連れて戻ってきたの?そしてクラン、あなたも結局、軍人になったのね』
双子は、その声が耳に届いたときから、あふれる涙を止めることができない。
だから、見えたのはその髪の色だけ。
自分たちとは違う、鮮やかな色。
『あなたたちにはただ、安全なところで幸せになって欲しかった。それだけのことすら、私には成し遂げられなかった。他の人なんてどうでも良い。あなたたちが幸せに生きてくれれば、他には何もいらなかったのに』
クランの背中の古傷が痛む。
痛みつつ、徐々に消えていくのを感じる。
それは母が、その背を撫でててくれているから。
『でも、、、そうね、、、どんなに言っても聞かないんでしょう、あなたたたちは。私はね、1つだけ後悔しているの』
死んだ母の後悔。
それを聞くのは、少しだけ躊躇われた。
ただ、
『そんな馬鹿なあなたたちを、その勇気を、その優しさを、誇ることができずにあなたたちのところから去ってしまったこと』
母の涙。
手の暖かさ。
それを、生きているうちに感じたかった。
馬鹿なのは、お母様、あなたのほうだ。
本当に、馬鹿だ。
『私の、かわいい、そして小さな英雄さんたち。間違っていたお母さんを許してね。あなたたちは、たくさんの人を助けることができる。これまでも、これからも。お母さんは、ずっと誇りに見ています。だからもう少しだけ、力を抜きなさい。勇気は、怯える心の隠れ蓑ではないのよ。クラン、ノラン、勝ちなさい。まずはあなたたちのために、そして、その後に、あなたたちの大切な人を守りなさい』
フリンスは、再度高まるウーシア濃度に驚愕した。
亡霊たちも、動きを止める。
静謐とは真逆の、おどろおどろしい、憎しみと悔恨に満ちた濃密なウーシアの波。
重力が累乗していく圧力。
(化け物だ、、、これは、、、亡霊なんて、、、相手にならないくらい、、、)
クランとノランの声が、重なる。
「ありがとうお母様___」
『行ってきます』
その二人の声が、ホールに一閃の刃となって通る。
___________アキエース。
▲▽
地面が沈む。
その増し続ける重力に耐えかねたように、船が悲鳴を上げる。
限界を超えたウーシアが、青い霜柱のように地面を割る。
「お、、、、、おい、、、どうなってるっ!!リュメーラスっっ!!」
フィーモアが腰をつきながら、何者かの名前を呼ぶが、
_____神渡り、罅割れ
それは一瞬のことだった。
クランが前方に、そしてノランが後方に駆ける。
お互い逆方向への疾走。
だがそれも瞬きの間。
ひゅっという小さな音だけを置き去りに、二人の姿はもうそこにない。
木枯らしが過ぎた。
ただそれだけだった。
だが、その風は世界を一瞬で変えた。
「後はお前だけだ、フィーモア」
ホールの中心に、錆びて輝きを失った大太刀を握るクラン。
だが、その剣にもはや愛する鞘はない。
そして、クランの髪は、母のような鮮やかな金の輝きを纏っていた。
「俺だけ?___馬鹿な、、、まさか、、、、」
千の亡霊は、まるで時間が巻き戻ったかのように、人間の形となってうず高く重なり合っていた。意識は戻っていないようだったが、すでに亡霊でないことは明白だった。
「何を、、、それは本当に覚醒なのか、、、馬鹿な、、、そんなこと、、、」
クランはその輝く髪をかき上げ、それから太刀をフィーモアに向ける。
そのクランの緑の瞳から、まるで春の芽吹きのように、細い枝が生え、白い花が咲いている。輝く星の光に似た、白い花。それはクラン自体を養分にしたように、どんどんと目から咲き誇る。
「____言葉なんかいらない。謝罪も、、、ただ、、、死ね」
クランの姿が再度消える。
そして、次の瞬間にはフィーモアの体が分断されると、フリンスが予感したときだった。
「____予想外の存在。でも、計画は止まらない」
ひどくか細い女性の声。
だが、
「止め、、、た?」
不可視のクランの攻撃。
だが、その刃はフィーモアに届くことなく、女が持つ錫杖のようなもので遮られていた。
その女は、灰色の髪を腰まで長くして、細い目にその瞳の色は見えない。
だが、その力が尋常ではないことが、誰の目にも分かった。
「フィーモアも、バイマイも、よくやりました。第一観測者の視線はもう届いていません。さぁ、行きましょう。帝国を破壊しに、この航海の終着点へ」
女がそう言うと、クランもフリンスも眩暈のようなものを感じた。
「____転移!?」
フリンスは体に馴染のあるその間隔に驚愕した。
これはまるで、転移装置から転移するときのような感覚。
そしてそれは、
「___この船ごと!!?」
ゆっくりと、身体が白濁の中に包まれていく。
意識が途切れる。
クランもまた、そこに至ってようやく思い至る。
彼ら、彼女らの目的。
「そうか___最初からそれを___」
その言葉を継ぐことなく、彼らの船は洋上から跡形もなく消えた。
▲▽
地響きが鳴りやむ。
「これは一体、地震でしょうか?」
そう天井を見上げて呟いたのは、フランシャルン・パピノスペイパード。
「ふ、、、不吉すぎませんか、、、、、?」
体を小さくして答えるのは、イサラ・ザクトーフ。
どちらも皇帝直隷第二十一班の大尉だ。
二人はパミドール州にある第二十一班の転移座標地、普段はファズ中尉たちの拠点となっている廃屋のような一軒家の中にいた。
他に二十人ほどの一般兵が二階も含めてあちこちで自身の装備を整えている。
「ジャルジャ中将、戻ってきませんね」
「、、、、、掴まっちゃっとか?まさか、、、まさか、、、ですよね?」
そんな二人の会話を遮るように、1人の兵士が飛び込んでくる。
「た、、、大変です!大尉っ!!」
そう呼ばれて、二人とも振り返る。
「ど、、、、どうしたの?ハルマン曹長」
ペアを組むイサラが、慌てた様子のエリオル・ハルマン曹長にそう声をかける。
ハルマンは、その短く切り揃えた髪を跳ねさせたまま、衝撃的なことを言った。
「ぎょ、、、、仰嵐山脈が、、、山脈に、、、、ふ、、、船がっっ!!!」
その光景は異様だった。
拠点は山脈の麓近くにあった。
仰嵐山脈の中腹の辺りから、煙が高く昇っている。
ここからでは、そこに船があるかなんて見えない。
「まさか、、、そんな、、、ね?」
イサラが震える声でそう言うが、
「いえ、本当よ。どっかから、、、まぁ海の上しかないでしょうけど、転移したきた」
そう答えたのは、いつの間にか近くにいたアイリス・ライゼンバッハだった。
そして、彼女がイサラとフランシャルンの体に触れる。
「客船ですね、確かに」
「本当、、、、、、に?」
二人の大尉は茫然と山脈の方を見る。
____局面が変わる。
それは潮の満ち引きと同じように、隠れていたものを、世界に表わす。
★余談
クラン・イミノルのアキエース(ドロラ・アデスト)は、
【The Chainsmokers & Coldplay 】"Something just like this”




