第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第35話 太刀
「私はノランを__」
『お姉ちゃんは私を__』
ああ、そうだ。
ファズ中尉のようにかっこよく、二人であいつをぶん殴ろう。
そして、二人まとめて褒めてもらおう。
__いいね?
__うん!!
「私はノランを__」
『お姉ちゃんは私を__』
「『___くそったれなお前から必死に守ったんだ!!このやろうがっ!!』」
その宣言は戦闘開始の狼煙となって、パーティ会場に木霊した。
森が、矮小な小鳥一匹の声でさざめくように、ウーシアが細かく震える。
「ウーシアもまともに扱えないくせに、威勢だけはいいんだね、クラン」
フィーモアが指揮するように腕を上げる。
と、床に重なっていた千をゆうに超える、二千近い乗客たちがその頭を持ち上げる。
いや、その半分、だ。
全員じゃない。一部の乗客たちはまだ床に寝転がったままだ。
だが、残りの半数はまるで蜜が詰まって重力に負けた果実が、もう一度収穫のときを待つように、主である太陽に向かう。
____亡霊の軍勢。
もし仮に一般兵士の千人を1人で打倒できれば、その標準環境踏破数値からして、師団のエース級。
ただ、目の前の無尽の軍勢は、その1人1人が高度にウーシアに適合した存在。
1対1ですら敵うかどうか分からない。
それでも、もはやクランに怯えはない。
「____入祭____」
キュイゼル・フリンスの先制の祈りが耳に届く。
それはウーシア運用の阻害。
だが、
「_________止まらない!?」
フリンスが新聞社の二人を庇うように立ちながら、驚愕の声を上げる。
「いえ、確実に効いています」
クランは己の大太刀に触れながら、時を待つ。
それはまるで、迫る大波の波濤を睨む小舟。
今まさに飲み込まれんとしながらすでに退路はない。
いやむしろそれに向かう孤影。
「「「「_______ガッ__アアアアアッ」」」」
千の怒号がクランを潰す。
黒い壁となった亡霊が大きな1つの口となって襲う。
「___行くよ、ノラン___フリンス少尉はサポートと二人を」
「分かったわ_____地には善意の人に平和あれ__グローリアっっっ!!____」
その願いは、この世界の神ではない者に捧げられる。
深き青のヴェールがクランを、そしてフリンスたちを包む。
そして次の瞬間、クランの姿が残像となる___。
▲▽
クランは未だその鞘から抜くことができない大太刀を振り回す。
津波となった亡霊たちは、互いに第二反発を起こし合って、ばちばちとはじけ飛びながら迫る。雷が無限に落ち、積乱雲と化した軍勢の頭上にクランは転移した。
大太刀を振り被り、転移に対応してきた数体の亡霊を横凪ぎにする。
「____フリンス少尉___」
フリンス少尉の祈りは、クランの膂力を増させるような効果もあるらしかった。
それだけじゃない、第二反発も起きない。
まるで、薄い皮膜に覆われたように自分の文脈が守られている。
クランは立ち止まることなく、転移と殴打を繰り返す。
各個撃破___それがクランの勝利する唯一の道だ。
亡霊たちは常に集団となって、クランの転移先を追ってくる。その恐れ知らずの先頭を叩く。
まだ彼らはウーシアを制御できていない。
そして、記憶にある彼らの動きよりも緩慢だ。
それはフリンス少尉の力。
いや、それもあるが、もしやまだ万全な状態ではないのかもしれない。
歌が___止まっている。
子どもたちの声が、聞こえない。
ファズ中尉が成功したんだ、きっと。
その数を減らせているのかは分からない。
叩いた亡霊も、その顔をひしゃげさせながらまた大きなうねりの中に戻る。
それでも、折れない。
折れては、いけない。
「あぁ、やはり適合者ではない亡霊は頭が足りないな__」
フィーモアの言葉を、クランは空中で横目に聞いた。
そして、彼の指が弾かれ、ぱちんと音が鳴る。
「_________くっ____!!!」
途端、亡霊たちは四方に散開して、それから上下左右、全ての方角からクランに迫る。
視界が、埋め尽くされる。
「____逃げ____」
間に合わない。
まるで磁力に吸い寄せられる砂鉄のように、フリンス少尉が付与した防壁も食い破り、襲い掛かる。
クランはいつかの時と同じように、肩の、脹脛の、腕の肉を食いちぎられながら、その嵐をなんとか抜ける。
「どうしてそう、無駄なことをする?」
フィーモアが軍勢の奥で、ホールの床に這いつくばったクランにそう問いかける。
「クラン___君は何のために戦っている?何のために命を懸ける?本当の君は、暖かい書斎で日がな1日読書に耽ることが好きな、大人ぶって、少し傲慢な貴族の娘、そういう人間だろう?らしくないよ」
「___ぐっ___分かった__ような、、、ことを、、、言うな、、、、」
クランは使い物にならなくなった歪の形をした脚をぶら下げ、再度空中に浮く。
「分かっているさ。君のことならなんでも。だって君は私のことが好きだったろう?キスもした仲じゃないか」
「弱かっただけ__私は___本当の愛は、別にあった___」
「違うね、君はお母様と同じ、下品で馬鹿な女だ」
「ふざけたことを言うなよ、今すぐその口、きけなくしてやる」
今なら分かる。
母は、この男をずっと怪しんでいた。
そしておそらく、あの間男は、何か相談を、あるいはこの男を消すために使おうとしていたのかもしれない。ただ、母は裏切られた、あるいは最初から___。
馬鹿な女。
それだけは、そうなのかもしれない。
お母様のせいで、転移が上手く扱えない。
それでも、それは、紛うことなき愛だ。
亡霊がまた、今度は転移も絡めておそろしい速度でクランに迫る。
促成度を上げろ!
フリンス少尉のおかげで第二反発は起きない。
躱して、殴って、躱して、それを繰り返す____。
だが、多勢に無勢、敵は左右にも、背後にも現れ、その度に涎を垂らした口がクランの肉をむさぼる。骨が露になる。
「元気な餌だなぁっ!さっさと喰われてしまえば楽なのに!」
フィーモアが哄笑する。
フィーモア・イミノル。
ノランの、家族の仇。
___待てよ。
___奴は、、、そうかっ!
クランはその発見が頭に浮かぶや否や、すぐさま転移を実行する。
そうだ。
「お前は、、、フィーモアっ!!お前は適合者じゃないっ!!」
その憎たらしい神経質そうな顔が正面。
クランは痛む体を酷使して、大太刀をその顔面に振りかざす。
「___くっ!!」
初めてフィーモアの顔に驚愕が浮かぶ。
だが、それも一瞬。
「なんてね、、、だからどうした、ということだ」
まるでそれを予期していたかのように、亡霊の数百が二人の間に割り込んで転移してくる。
「くそっ____っ!!」
すぐに逃げに転じるクランだったが、すでに遅きに失している。
「__ぐぁああああっ__っ!?」
クランの左腕が、完全に肩口から食いちぎられた。
血が滝のように流れる。
これではもう、全力で太刀を振るえない。
鞘から抜くこともできない。
なんとか転移で逃げ、フリンス少尉の近くにずざり、と転げるように倒れる。
「____私が出ます___」
フリンス少尉が耐えかねたようにそう言うが、
「ぐっ、、、がっ、、はぁ、、、いえ___それでは二人が危ないです、、、まだ、、、やれます、、、」
「でも、、、いえ、これは上官命令です。下がりなさい」
少尉としてのフリンスの圧のある声。
でも、違うんだフリンス少尉。
だって、聞こえない?
子供たちの歌じゃない。
ずっと、ずっと、私に呼び掛ける声。
それは、あの日も、聞こえていた声。
『我らが小さき世の、小さき聖職者の娘よ。なぜその野太刀を赤子のように抱えている?お前に出来ることは、人の高みに登ることではない。いつも、常に、血と狡猾に塗れたこの大地に、全ての人間を引き摺り下ろすことだ。葛藤と絶望と希望を友として。ここで絶望に囚われるものまた良いだろうが、あれはお前に向けられた袖の下だろう?』
____私は聖職者の娘ではない。
『いや、間違いない。娘よ。お前は勘違いをしている。聖職者とは、この世で最も俗な人間のことだ。卑俗に塗れ、大地に根差し、狡猾で、貧弱で、最も欲深い者のことだ。そしてその事実を広く喧伝するための職だ。あれはお前に向けられた袖の下だ』
____袖の下?私は、あれに、あの千の亡霊に、勝てるの?
『勝つ?違うな、全くもって違う。奴らを空に昇らせるな。この地に繋げ、そして互いに罪を与え合うのだ。それこそが、この大地の渇望』
____私に、その力は、、、ない。
『ない?はははは。それはそうだ。娘、お前に力はない。力を持つのはいつも、この肥沃なる大地だ。人間ではない。____リドネスの娘、お前にはそれが分かるだろう?』
大地。
生と死を無限に染み込ませたこの地。
海上においても、それは確かにどこまで続く安息の地。
『簡単なことが、なぜ分からない?いや、リドネスも、あの汚らわしい娘もそうだった。いいか、一人で抜けぬのなら、二人で抜けばいい、ただそれだけのことではないか。元来、太刀とはそういうものだ』
___二人?
___そうなのか、、、これは。
フリンス少尉が青いヴェールでクランを覆う。
その皮膜を食い破ろうと、亡霊たちが視界を埋め尽くす。
「____そう長くは、、、持たない、、、、ですよ、、、」
フリンス少尉が歯を食いしばったように言う。
ただ、心を失ったように、クランには何も見えていなかった。
二人。
私たちはそう、いつも二人だった。
ならば、これも、そうなのかもしれない。
鞘と太刀が、別れがたいのは、いつも一緒だったから。
別れるのが、寂しいから。
だから、その決意は、迷う。
それでも、そう、私の妹は、強い人だった。
『____お姉ちゃん、ごめんね、私のせい、だったんだね』
「違うよ、ノラン。私も、感じてたんだ。いつもノランがいることを」
『でも、、、うん、、、ここでお別れ』
「待ってっ!何か、、、他に、、、」
『最後に、お姉ちゃんと一緒に戦える。それだけで、良いの。ようやく並べるから』
「それは私の、、、」
『あーあ、もしあの時、上手くやってたら、第二騎兵師団に入って、エチカ少佐の下で戦って、それから第二十一班にも。ずるいよ、お姉ちゃん。近くのコテージで寝食ともに~、なんて』
「寝るのも食べるのも別だって!!全然」
『でもずっと近くにいるじゃん、ずるいなぁ』
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、ノラン!いつからそんな色ボケて」
『いいでしょ、女の子なんだから。あ、でも、他の女の人に取られるくらいなら、お姉ちゃんのほうがマシかな?だって、遺伝的には同じな訳だから、お姉ちゃんが選ばれるってことは、私が選ばれたってことと同じでしょ?』
「何バカなこと言ってんの?だから、そんな場合じゃないって」
『そんな場合だよ。だって、最後、なんだから。クヘルスおじさんも言ってたよ、最後の会話が、香辛料と油たっぷりの胃に重たいステーキみたいじゃかなわん!どうせなら砂糖をまぶしたイチゴのようなものにしてくれんか?って、だから』
「最後、、、なんて、、、」
『最後だよ。だって、私には、未練なんてないもん。幽霊にはならない。ここでお姉ちゃんがカッコよく窮地を抜け出して、エチカ少佐と一緒に任務を達成する。それを見届けて、それで、、、、、、おし、、、、、まい、、、、、、。くっ、、、ふっ、、、うぇ、、、』
「泣か、、、ないでよ、、、ノラン、、、うっ、、、、」
まるで幼い二人に戻ったかのように、互いに泣き顔を見られないように背中合わせで。
『もっと一緒にいたかった、お姉ちゃん、、、みんなとも、、、ずっと、、、』
「ノラン、、、」
『でも、、、私は、やっぱり、ファズ中尉は間違ってると思うんだ。この命は、愛に比べたら、安すぎるって、そう思うから。だから、後悔なんて、ないっ!悲しくても、それは絶対に、ないんだからっ!』
その言葉は、裏腹だった。
その叫びの力の中には、後悔がたくさんあるようにクランは思った。いや、分かった。私がノランの立場でもきっとそう思うから。
だからこそ、その決意を、受け取って。
彼女が己の命と引き換えに手に入れた物を、壊されないように。
目を開ければ、そこは地獄。
口を大きく開けた亡霊たちが、今まさに防壁を食い破ろうと犇めき合う。
失った左手が、そこに無いにも関わらずひどく痛む。
「約束するよ、ノラン、もう一度。あなたがくれた命を、無駄にしないって」
『もう一声!エチカ少佐を誰にも渡さないでっ!アイリスさんとか、フランシャルンさんとか、その他もろもろっ!』
「締まらない妹だな、それにこんなに欲深いとは、お姉ちゃん、驚きだよ」
『最後のお願いなんだからいいでしょ!お姉ちゃん』
その「最後」という言葉には、悲しみよりも朗らかさがあった。
クランは大太刀を地に置く。
その柄はクランが、そして鞘はノランが持つ。
「行くよ、ノラン」
『うん!お姉ちゃん!』
フリンス少尉は、確かに二人の影を見た。
クラン・イミノル伍長と、それから彼女にそっくりな兵士。
二人が、互いに背を合わせて、地面に置かれた太刀を持つ。
防御のための防壁は、もう限界に近い。
亀裂が幾筋も入る。
だが、先ほどまでの焦りは、フリンスの心になかった。
(___信じられない、、、ウーシア濃度、、、これは、、、なに?)
亡霊たちも、動きを止める。
その尋常ではなくおどろおどろしい、濃密なウーシアの波。
ゆっくりと、重く地に満ちる。
重力が何倍にもなったかのような圧力がかかる。
(化け物だ、、、これは、、、亡霊なんて、、、相手にならないくらい、、、)
フリンスは汗が滝のように噴き出るのを感じる。
味方のはずなのに、その小さな少女たちが、恐ろしくてたまらない。
そして、これは、、、、。
クランとノランの声が、重なる。
同じようでいて、少しだけ違う、その声。
その声が、ホールに一閃の刃となって通る。
___________アキエース。
覚醒が、いよいよ時を止める。




