第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第33話 崇高
ナリサ・イモーレットは、深く、深く深呼吸する。
ファズに言われたように、背後に隠れてしまった心に平穏を求める。
そうすると、先ほどまでの自分が、いかに恐ろしいことをしていたかに気づく。
第六感で感じるウーシアの波長。
それに乗るようにした転移。
そして奴の力。
ナリサは落ち着きを取り戻すとともに、体の痛みも自覚する。
(痛い痛い痛い痛い____怖い____)
恐怖が、遅れて火を灯す。
自分は何てことをしていたのだろう。
一瞬の間に視点が変わる。
奴の正面にいた自分が、いつの間にか背後にいる。
そして奴のナイフが肉を裁って体に入ってくる感覚。
それが、適合者の戦い。
今の私には分かる。
ファズ中尉が転移する、その予兆。
(言わないと、伝えないと、奴は____!)
「、、、お姉さん!!そいつは!!」
ナリサの声が届くかいなか、奴がナイフをゆっくりと縦に振る。
そして、
「________皮肉な王の現れ」
体温を感じない虫のような唇が割れて、言葉が垂れる。
すると、ファズの体が不格好に、中空にふと現れた。
それは潜水の最中に、急に水が抜かれたような、そんな格好。
だが、彼女の顔に驚きはない。
「_______叫ばなくても大丈夫だ、分かっていたさ」
ファズはそのまま間断なく2回目の転移に入る。
そして奴の懐に深く入って屈み、その拳は硬く握られていた。
「お、、、お前っ!!」
「運が悪かったな、私はお前の天敵だ」
ファズの拳が同盟の少年の腹を抉る。
それは単純な殴打。
「_______ぐあぁ!!」
少年はその幼い体躯に見合った吹き飛び方をした。
「転移での攻撃などしない。相手があのキュイゼル・フリンスなら冷静さを欠くような愚かもあるかもしれないが、お前が相手なら違う。ただ殴り続ける、それだけだ」
ナリサは心肝から凍えるように震えた。
ファズの怒りが、こちらにも伝わってくる。
これが、帝国陸軍の、本当の適合者の威圧。
「時間を戻すという荒技。それに僕とやらの発生。お前がキュイゼルのようにウーシアに干渉できることは自明だろう。自白したようなものだ」
ファズは再度駆ける。
だが、その脚に狙いすましたようにナイフが刺さる。
(______拒絶、、、は、できねぇだろうな)
ファズの目線の先、殴打され吹き飛ばされた奴は再びナイフを掲げていた。
それがウーシアへの干渉の合図だ。
つまり、拒絶しようとする波長すら、止められる。
脚に痛みの電撃が奔るが、動きを止める訳にはいかない。
拒絶できないとすれば、奴のナイフが心臓やら頭に転移した時点でこちらの敗北となる。
「悪くない訓練だ」
ファズは駆けながらにやりと嗤う。
「雑魚がっ!!」
少年がやたら滅多にナイフを転移させるが、照準が合わない。
ウーシアを乱されないように、ほんの一瞬の転移だけを絡めたファズの疾走。
「なぁ、どこ見てる?」
少年がナイフを掲げる余裕もなく、ファズはすぐ側に立って、顔をまた思い切り殴打した。足蹴にされた小石のように体が飛ぶ。
「_________くそっ、くそっ、くそっ!!」
少年は殴られた顔を押さえながら唾を吐くように言う。
「小物らしくていいね、お前」
「ジシュアの愚民ごときに、、、俺が、、、」
「おいおいおい、自分が敵わないと思ったら、今度は民族だの宗教か?主語がでかくてだっせぇなぁ。なぁ、時間を戻すトリックもなんとなく分かるぜ。死によるウーシア濃度の高まり、それを配分するんだろう?雲の位置と同じだ。過去のある一時点でのウーシア濃度の勾配、空隙、それを忠実に再現するんだ。そうすれば見かけ上は時間が戻ったみたいに見える。錯覚さ。よく婆さんが言ってたよ、雲の位置を観察していれば、いつ雨が降るか分かるって。手練れのウーシア兵士も同じだ。過去体験したウーシアの波長と濃度の勾配であれば、敵の次の転移位置が分かる。それは過去に戻ることに近い行為だ。ウーシア濃度の勾配を寸分違わず再現して、その確率的にあり得ない現象でもって、人を、時間を、世界の方を騙す。まぁ、ウーシアというものが、その全てより優先される主体だとは、知らなかったがな。教えてくれてありがとうよ」
ファズの分析に、少年は苦虫を噛み潰したような表情になる。
それは完璧な推論だった。
そして、おそらく、その結論に導いたのは、彼女の想像を絶する量の戦闘経験だ。そこに条件が加われば、演繹的にその結論に到る。
それはあたかも、日がな1日机に坐して研究者が導いた理論が、市井の従事者にとってははるか昔からなんでもない、既知の常識だったような捻れの現象。
「分かったからと言って、なんになる。それに、もう時間は戻らない。死は十分に蓄積された」
「へぇ、良いこと聞いたぜ。なら、あとは単純にお前らをぶっ飛ばせば済むってことか」
「そうは問屋が卸さないよ」
少年が立ち上がると、彼の姿が瞬間、歪む。
そして、ファズに殴打された打撲跡が消えていた。
まるで、何事もなかったように、綺麗な顔で。
「、、、自分だけ時間を戻したのか?」
「ああ、その程度なら歌がなくてもできるんでね。再開といこうよ、兵隊のお姉さん」
「僕は殴りがいがあって良いサンドバックですよって自己紹介か?悲しくなるなぁ、おい」
▲▽
再び動き出したファズの転移が中断される。
そして姿を現したところに拒絶不可なナイフが転移される。
それは必達の攻撃。
だが、それを予測したファズの動きは人知を超えていた。
明らかに心臓や頭部を狙ったナイフの転移がズレる。
あちこちから血を流しながらも、手負いの獣は突進を止めない。
そして、じりじりと少年の方に近づき、その拳が炸裂する。
「10度も転移すれば、お前の懐だ」
ファズの言う通りだ。
いくらその転移を一時停止させようと、時間は前方向にしか進まない。
そうであるなら、いつかは追いつくのだ。
少年も転移を交えて逃げようとするが、ファズの行動を阻害することに意識を集中させなければいけないというハンデが、それは本来ハンデではないが、距離を縮めさせる。
「_______単純なウーシア運用、、、特筆すべきは第二反発を超えた殴打だけ、それなのに、、、」
「単純?お前、ウーシアのことを何も分かってないな」
「なに?俺は、、、」
「いや、分かってないね。私の本来のスタイルは、殴打にみせかけた、他者の強制転移。それは第二反発を超えて相手に触れ、対象のウーシアの文脈を自己の物に置き換え、転移させる。なぜ頭部や胸部の拒絶が簡単なのか、それぐらいは分かるだろう?それは、そこが最も代替不可能な自己である、という強い認識があるからだ。だから領域を回復しやすい。何が言いたいかってな、人間をまるごと勝手に転移させるなんて所業は、それ以上の自己意識を破壊するような難易度なんだよ」
ファズの言葉。
ナリサにもその異常性は分かった。
少年が持っているウーシア兵器、そのナイフを横取りすることは直感的に可能だと知っている。だが、人そのもの、そのウーシア運用を奪い取ることは、想像することもできない。
それは、他人が読んでいる本を、読んでいる本人にもバレないように徐々に、本来とは違った結末に向けて書き換えるような、そういう緻密な文脈の理解と、人の思念を読み取ってそれに沿わせるような改変。戦闘技術とは趣を異にする知的な能力。
「それは自慢か?」
「いいやぁ、私はさ、お前みたいな奴が一番嫌いなんだよ。人知を超えた、自分が矮小な存在に感じるような事象に出会った時、それは戦争でも、死でも、何か大地の振動だの、海の広大さでも、なんでもいいんだけどよ、そういうものに相対したとき、人間ってやつは、興奮して、それを美しいと思う心の動きがある。お前は第一観測者だの、時間の可塑性だの、他者の死だの、そういう抗い難いものに心を動かされ、崇拝している節がある。でもな、その崇高な存在に対する心の動きはな、その高揚は、抑え付けなければならないものなんだよ。そのために必要なのはな、強い自我だ。地に足をつけ次の一歩を踏み出すための強い自我。お前にはそれがない。だから、負けるんだって、そう言いたかったんだ」
ファズの論じたことは、ナリサにむけて言ったのかもしれなかった。
非現実的で、地獄のようなこの状況に、血に、死に、圧倒的な存在に、少なからず、私は興奮を感じた。
それは避けがたい人間の性なのかもしれない。
それでも、現実的な一歩を歩むこと、その難しさをこれからなすために必要なものが何か、彼女は教えてくれている。
「荒々しい戦い方に見合わず、ひどく理知的なんだね、お姉さんは」
「はっ!うちの小さくて頼りない隊長の受け売りさ。人間は戦争を求める。それは合理的で利己的な理由があるからではなく、根源的には美的な感覚がそうさせるんだってな。髭も生えない年齢のくせに、老人のようだろ?だから、私は戦いに高揚しない、神に祈らない、美しいと思わない。徹底的に、利己的な衝動で相手をぶん殴る」
「その衝動は?」
「何度も言わせんな、、、あぁ、そういえばお前には言ってなかったな。寝付きが悪いんだよ、子どもが死ぬとな」
ファズの短い髪が跳ねる。
転移の中断は起きない。
だが、
「なら、これならどうだい?」
少年は、手近で小さくなっていた子どもの1人を摘み上げる。
まるで猛獣に与える肉のように。
そしてその泣き喚く餌には、食べやすいようにナイフを添えて。
「、、、いいぜ、いよいよ同盟らしくなってきたじゃねぇか、お前。名前は?」
「バイマイ・メントーラ。フォラリス神聖国・第7志聖区長」
「それは体験入隊の肩書じゃねぇよな?」
「正真正銘だよ、モチャ・ファズ中尉」
二人は互いに次の一手を待つように、睨み合う。




