第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第31話 始点
『_______一顰の契りを、生涯一人、愛するレーク・クヘルスに捧げる』
もし魂というものに口唇があったら、きっとこういう音色で話すのだろうと、エチカは思った。
記憶にある、何度も繰り返した言葉のような摩耗は感じられない。今、この瞬間に初めて空気を振るわせた清潔な声音。
「主。これは__」
エンテラールが呼び寄せられたように姿を現す。
だが、その次の言葉を、エチカは許さなかった。
「野暮だよ、きっとそれは」
「いえ、主。これではまた主が活躍する場を奪われてしまいましたね、とそう言いたかっただけです」
「またとは何だ」
「誇らしかったクランツェルの英雄の姿が直近、どこにも見当たらないのは、勘違いでしょうか?」
エンテラールはその二人、まさに比翼連理と言うほかない、その姿を見ながらだった。変わらず、その感情は分からないまま。
「誇らしかったのか?初耳だ」
「幽霊は、他人の威を借りるしかない存在ですから」
「手厳しいと思ったら、今度は卑下か」
エチカが中空に浮遊する、その金糸の髪をくゆらした女性を見上げる。
彼女もまた、エチカの顔をじっと見返す。
「不思議なんだ。この客船に乗船したときには、何か訴えかけるような声が響いていた。でも、今はそれが消えた。それで分かったんだよ」
「なにがでしょう、主」
エチカは鉄槍を握って、プールの海面を見る。
クヘルスと、突然現れた黒髪の女性。
その二人に相対した亡霊が、瞬間、消える。
「俺の頭の中は、こうしてみると、いつも靄が掛かったようだったということにだ。その声は、本当はいつも響いていた。でもあまりにも状態化していて、聞こえないようになっていた」
神々しいウーシアの波長と衝撃が再来する。
まるで青い恒星が静かに爆散したような衝撃。
それはアルピエが亡霊化したときと同じだった
だが、二度目はエチカもその波長と風圧をいなす。
「___そして、思い出せそうなんだ、、、何か、、、その靄の先を、、、」
エチカは青い暴風に顔を顰めたあと、三体に増えた亡霊に意識を向ける。
それはもはや、亡霊というよりも死霊という言葉のほうが近かった。
いくら敵とはいえ、兵士の最後がこれでは救いがない。
信念を燃やし、命を懸けた道の先が、その最も人間らしい生き方をした彼らが、その終末に人の道を外れてはいけないはずだ。
エチカは自らのウーシア波長が、川の上流のそれのように澄んで、一筋に収れんしているのを感じる。
ああ、そうだ、、、クランツェルのときも、そうだったではないか。
「安心しろ、エンテラール。活躍する場は、ちゃんと用意されているらしい」
▲▽
「ガ____ギィ____」
もはやその亡霊の三体は、その体格以外に見分けがつかなかった。
クヘルス__ミンクの方が先に動く。
アルピエの背後を取り、その頭に鉄槍を届かせる。
が、またさらにミンクの後ろをレゾヴァードが位置取った。
____速い。
転移直後、攻撃に意識を向けたミンクにそれは躱せないはずだった。
「___させません」
レークがプールサイドに立ったまま、ミンクを抱くようにその両手を伸ばす。
と、完全に背後を取られたミンクの姿がふっと消えた。
「助かるよ、レーク」
「だから、戦場は止めてと言っているのです」
消えたミンクは、レークのすぐ傍にまた立っていた。
「___グ、、ゲぇ____アアアアアアアア!?」
確実に捕らえたはずの敵を見失ったレゾヴァードの咆哮。
その体には鉄剣が二本、確かに刺さっていた。
エチカはそれを見て、追撃を仕掛ける。
「__なるほど。他者の転移と、二人分の視覚、それが君たちの力か」
「アイリス・ライゼンバッハの真似事ですよ、少佐」
エチカはレゾヴァードを落としにかかる。
だが、瞬間、鉄球の転移を体内に感じた。それも拒絶する間がほとんどない促成度で。
___死線が迫る。
レゾヴァードも己の傷などないもののように、そのこん棒を振るい、アルピエも片手剣の転移準備に入るのが見えた。ついに、亡霊としての存在が定着したのか、ウーシア兵器も使用できるようになったらしい。
それでも、エチカにはそれがどうしても、罠かと思うほど緩慢に見えてしかたなかった。
極度にウーシアに適合したその促成度、濃度。それを持った敵に相対して、ようやく、普段の自分がいかに力を出し切れていなかったが分かる。
鉄球を全て拒絶して、転移に入る。
「____連続転移」
三体の亡霊の間を残像を残して流星が奔る。
誰もがその美しい軌跡に見惚れるほかなかった。
「______第一反発か」
エチカは上空高くに上がる。
その鉄槍をレゾヴァードに叩き込もうと念じるが、手は震えて成立しない。
促成度の高さにはついていける。だが、その適合度の高さは非常に厄介だった。
これでは、仮に第一反発を超えたとしても、拒絶されるだけだ。
「少佐、少々暴れますので、タイミングを」
ミンクがそう言って、三体の亡霊に向かう。
二本の鉄剣と鉄槍の乱舞が亡霊たちを襲う。
それも、レークの外からの操縦もある。
ほとんど連続転移と変わらない速度での移動と、三振りのウーシア兵器の転移。
だが、いずれも拒絶される。
「ミンク!!!」
レークが叫ぶ。
二体の亡霊がミンクを囲うように現れる。
レークがミンクを遠隔で転移させようとしたときだった。
もう1体の亡霊がレークを横なぎにしようと側だった。
ミンクの声にならない悲鳴が聞こえる。
だが、レークは吹き飛ばされず、代わりに激しい雷光が落ちる。
「______我慢くらべだ」
エチカとアルピエの短剣がつばぜり合う、その間に青い稲妻が奔流する。
圧倒的な第二反発の光。
甲高い音が鼓膜を削るようになり渡る。
「ギッ________ガァァァァァァァァァァ!?」
どちらも吹き飛ばず、その場に留まる。
精神が圧搾されていくような感覚。
だが、勝敗は亡霊の方に傾く。
エチカはプールの外壁に叩きつけられる。
「______がハァっ!!!」
そして追撃は止まない。
ミンクもまた、エチカをフォローするように応戦するが、最終的にはクイス・クイリアムスでの敗北を喫する。
手がない。
その転移速度についていけたとしても、直接物理攻撃は第二反発に、転移での殺傷は拒絶や第一反発でそもそも成立しない。
エチカは二度、壁に叩きつけられ、体中の骨が砕けていた。
一般的な兵であればそれで戦闘はもう不可能だが、彼の体を動かすのは骨と筋肉だけではない。ウーシアの転移において、体の万全は必要ない。
だが、もう鉄槍を振るうことはできなかった。
あれは、亡霊は、ウーシア兵士としての理想、完成形だ。
それに比べれば、覚醒というのは亜流の成長だ。
「レークっ!!」
ミンク・クヘルス二等兵がその愛するレークに襲いかかる亡霊との間に立つ。
それは先ほどのエチカと同様に。
第二反発が起こる。
そうエチカが思ったときだった。
ミンクの体がそこから消え、レークがレゾヴァードのこん棒で吹き飛ばされる。
(やはり、幽霊ではないのか、、、実体がある)
エチカがそんな確信を得るのと同時に、
「レーク、なぜ、、、」
「だって、ミンクに傷ついて欲しくないから」
レーク・クヘルスは、自らの能力で己を庇うミンクを追い払ったのだ。
その結果、吹き飛ばされ、吐血している。
ミンクの新たな力と、エチカの力をもってしても、あまりにも分が悪い。
そして、敵は待ってなどくれない。
レークが戦闘不能となれば、厄介なのはエチカだと言わんばかりに、3体が同時にエチカを襲う。
エチカもなんとか痛む体を抑えて連続転移で躱すが、
「_____付いてこれるのか!?」
通常は絶対に追いつくことができない連続転移。
だが、彼らの促成度は、もうほとんどそれに近い。
潜水時間に限界があるように、エチカの転移が成立した瞬間、方々からの打撃と、鉄球の転移がエチカの体に無数の穴を開ける。
_____堕ちる。
それは先ほどの亡霊たちのように、エチカはプールの中に沈んでいく。
血が吹き上がる。
その己の体から湧きでる赤い色に、エチカは見覚えがあった。
どこで、、、いや、、、血なんかいくらでも見てきた。
だが、違う。
水と混ざり合わず、重く撓んで広がる血。
流れて行かない。
いくら洗っても、洗っても、、、。
洗っても???
『大丈夫だ、、、大丈夫、、、お兄ちゃんが、、、お前を守るから、一生』
『ミヤ、、センダイ、、、ムショ、、、ダイダンセイ、、、イタイ、、、ハッコツ、、、ジサツ、、、、』
『お前っ!!妹から離れろ!!ぶっ殺してやる!!』
『違うのお兄ちゃん!!これは、、、』
『あなたの罪を、一緒に背負っていきます。どこまでも、たとえ、そうたとえ、生まれ変わったとしても、、、未来永劫、一緒に背負うから。だから、また、歌ってよ、お願いだから』
『どうして!!どうして私のお兄ちゃんを!!絶対に許さない、、、どこまでも、どこまでも、あんたを追いかけ続ける!!この手で、この手で殺すまで!!』
ビル群。
それは帝国のとも、例えばそう、モッペル経済国のとも違う。
どこか懐かしい、ビルの輝き。
それから、営舎のものよりも小さな、小さな部屋と台所。
シンクに流れ続ける水の音。
これは、どこだろう。
悲しみの香水が吹き付けられた記憶。
そのあまりの匂いの強さに、頭がくらむ。
だが、分かる。
これは、自分の確かな記憶だと。
そう、、、妹、、、妹がいた。
でも、このエチカ・ミーニアには、そんな存在はいなかった。
守りたかった。
その小さな存在を。それだけが、人生の全てだったように感じる。
『・・・君はさ、きっと、私が一番良いと思ってるだけなんだよ。それは良いだけなんだ、それが悲しいけど、嬉しくもあるんです。だから、いつか、その罪を背負ったまま、まっすぐ私のことを、今度は見て欲しいなって』
綺麗な女性だ。
彼女はその美しい見た目を自分で汚すように、煙草を吸いながらそう言った。
彼女に縋るような思いが、心に湧き上がる。
どうして、うまくできなかったんだろう。何が、間違っていたんだろう。
俺は、いつから、おかしくなっていたんだろう。
そんな後悔の念が、流れ落とせない血と混じって体に絡まる。
そうか。
どこか、忘れ去った記憶の以前、自分にはこんなに強い気持ちが、行動の立脚地となる大地のような感情が、確かにあったのだ。
妹を守りたい。
その美しい女性を幸せにしたかった。
ただそれだけを抱えて、日々を生きていた。
なんだ、自分にもあったんじゃないか、そんな日々が。
それは幸せなのか、不幸なのか、分からないけれど、確かに人生に意味を見出していた。
本物の大地ではないかもしれない、それでも夢遊するような今とは違う。
誰かを守りたい。
その気持ちは、罪だ。
そのために、また誰かを傷つけないと、守れないから。
ただ、その罪を背負うだけ。
背負う、、、だけ、、、。
________solmisation
エチカのウーシアの文脈が、流れ出た血と混ざって赤く輝く。
それは赤いウーシア。
この世界のどこにもない、エチカだけの波長。
青が世界を創る力なら、赤は世界を復古するもの。
「なんだ、この輝きは」
ミンクはレークを介抱しながら、太陽が溶けたようなおどろおどろしい光を見る。
亡霊たちも、プールの底から目が離せないように、その暗い陽光から目が離せない。
そして、その見惚れが致命的なものだと、誰も気づかなかった。
_____亡霊たちは、蒸発するようにそこから消えた。
戦いの栄光も、死の悲劇もなく、あまりに呆気なく。
これまでの戦いを全て無意味に帰すようなその所業に、ミンクは怒りすら湧くように感じるその圧倒的な力。
残ったのは、赤く輝く鉄槍をぶら下げた、エチカ・ミーニア少佐の偉容。
「ようやくだ、、、ようやく始められるよ、俺の話を」
その声は、幼い少佐から出たものとは思えないほど、大人びて聞こえた。




