第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第25話 舞踊
海上を割った音なき、光なき雷は、悪魔が笑ったようないびつな静寂をもたらした。そして、ユト・クーニアとアルファリア・レオンの間に、小さな、それはあまりにも小さな種火のような炎が揺らめいている。ともするとそれは、いま咲いたばかりの幼い薔薇のようにも見える。
「暖炉の炎を囲んで、それはそれは楽しく、いつまでも語る口で夜を朝に繋いだことはあるかしら?」
クーニアは己の万能感に亀裂が入るのを確かに聞いた。
本来は外に感知するはずのウーシアが、この体内に充溢してあふれ出んとしていたのに、その湧出が止まる。
覚醒の高揚が、突如浮力を失ったように墜落し始める。
目が、その小さな薔薇から離れない。
「不思議なものよね。誰も炎を知らないのに、それは知っている。誰もが暖かい記憶の中にそれを持っている。それなら、その炎はいったいどこにあるのか、それともないのか。その炎は本物ではないのか、それとも本物より本当らしいのか」
クーニアの胸にも小さな炎が宿る。
その非力さとか弱さに反比例して、すべての力がその炎を維持するために食い尽くされていく。
闘争に猛っていた心が、どこかにある安寧を求めて体を横たえるような心地。
『愚かな人間だ、、、あまりにも、、、、』
頭上を回転しつつ浮遊する三体の怪獣の、その骸が軋む。
悔しがるようにも、賞賛するようにも聞こえたその声に、アルファリアは慈悲にも似た微笑みを向け、
「人間が、愚かなのよ。だからこうして世界を飲み込むこともできるの」
その解答を聞いてなのか、怪獣どもの骨がぎしぎしと連帯を失って形を崩す。
まるで死した鯨が海中に沈むように、その巨大な白骨がばらばらに分断され、降りそそぐ。
雪よりも固く、巨大なそれが解体されていく。
海が、その遺体を喜んで受け入れるように飛沫を高く上げた。
「、、、、、、馬鹿な、、、、、、」
冷静さを取り戻したようなクーニアの驚愕。
その右腕が生き返ったように徐々に肉を取り戻し、炎と氷の羽もいつの間にか消え去った。
覚醒は、その本領を露にする前に力を霧散させたらしかった。
相手の覚醒を醒ますことができる能力、それがこのアルファリアにはあった。
それは脅威とか驚愕以上に、新たな世界の提案だった。
いずれにせよ、未だかつて、誰も経験のしたことのない状況であったことは間違いない。
「少しお話をしましょう、ユト・クーニア上級大尉。まだ時間は少しだけあるらしいから」
炎の仮面を失ったアルファリアは、本当に道端で世間話でも始めるような様子にしか見えなかった。
「時間?それはそっちの都合でしょう」
「あら、あなたまだまともに動けないでしょう。それなら少しだけ付き合ってくれてもいいんじゃないかしら」
確かに、クーニアは覚醒の余波なのか、己の体に指令を出す機能が麻痺しているようだった。アルファリアとアクトゥールの二人を相手にするのは今は無理だ。それにニスカエルマの協力もまた、おそらく望むことはできない。
「沈黙は肯定と捉えていいのよね、クーニア上級大尉。私が聞きたいのは1つだけ。あなたはいったい、何に憑かれているのかしら?」
余りに文脈を外れた質問に、クーニアは流れる汗を拭いながら困惑した。
「憑かれている?」
「ええ、そう、憑かれている」
クーニアにはその質問の意図が分からなかった。
覚醒のことを言っているのか、それとも己の過去のことか。
「私は、何にも憑かれてなどいない」
「あら、それは傲慢だわ。そんな人、この世に1人も居ないもの」
「ならお前もなのか?」
その問い返しは、決して話を理解したから出たものではなく、ただ楔としての機能しか果たしていない。
「ええ、そうよ。例えば、民主神聖同盟。彼らは皇帝を、体制を憎み、帝国を憎んでいる。でも、彼らは皇帝がいったいどんな人物なのか、テレビジョンの映像で以外まるで知らない。そして、帝国が仮に崩壊した後の世界のことも当然知らない。それなのに命をそこに賭そうとしている。これはすごくおかしなことだわ」
「何が言いたいのかさっぱりだ」
「そう投げやりにならず、もう少し付き合って頂戴。革命を起こす者は常に饒舌であるべきでしょう?」
クーニアは諦めたように少しだけ肩を上げて、先をどうぞ、と勧める。
「ありがとう大尉。要するにね、知らないことを燃料に、知らないところに行こうとする。それはまるで幽霊に取りつかれている人間と同じような行動じゃないかしら?」
「それはそうだ。人間は勘違いでしか前に進めない」
「あら、さすが上級大尉、慧眼ね。そう、私たちはいつまで経っても、彷徨う幽霊に取り憑かれている。そして、その勘違いこそが、幽霊を生み出し、また私たちを連れまわす。帝国が滅んでもそこに望んだような幸福な世界はないかもしれない、死んだ者は生き返らず、故郷は遠いまま。憎むべきでないかもしれない人を憎み、愛するべきでない人を愛する。まるでダンスでも踊るように、くるくると同じところを回っている。そして、こうではない、こうあるべきではない、これは違う、こんなはずではない、とまるで理想の神について語るように、そううわ言を言い続ける。だから幽霊と神様は一心同体なの。ここにないもの、全ての物より最上のもの、ここでないどこか、より素晴らしい物、勘違いを前提にさらなる勘違いを続けて、今いる場所すら分からない亡霊となったそれは、いつまでも人が辿りつかない神という存在の近似値ということ」
「なんだ、そんなことか。お前は皆の空しいダンスを音楽でも止めて現実に戻すことができるとでも言いたいのか?私の覚醒を止めたように」
アルファリアは、そのクーニアの返答に拍手を与える。
全く同じ意見だ、と賛同するように。
だが、
「いいえ、違うわ。その輪に入らない、冷笑に徹した存在が憎らしいだけ。神の近似値ではなく、神そのものだと、この果てしない勘違いを終わらせようとする、ひどくつまらない人間が憎くて憎くて仕方がないの」
クーニアはその言葉の帰結を知っていた。
エチカと関係がある者。
そして、目の前の敵たちの標的であり、最終目的である存在。
「第一観測者のことか」
「ええ、そう。私たちは必ずそこに至る。その障壁となるならば、全てを蹴ちらして」
その意志の籠った言葉を合図に、アルファリアの話を静かに聞いていたアクトゥールのウーシア運用が静かに場に満ちる。
クーニアは辟易とする。
帝国側の自分たちがその存在の鱗片すら知らない者。
そしてそれは自分たちの古い知人だと言う。
意図の見えない冗長な会話ほど、人を退屈にさせるものはないというのに。
「は!私には、お前らも随分、その観測者とやらに劣らず傲慢に見えるがな」
「それは、、、痛いところを突きますね」
アクトゥールが転移を実行する前に、クーニアはなんとか痺れる体に鞭を打ち、海水を引き上げ壁を作る。
アクトゥールからは瞬間、クーニアの姿が消える。
「手伝ってくれるなんて、殊勝なことはないんだよな?」
クーニアは少し離れた警備船に居るニスカエルマに通信で問うが、
「まさかですよ。アクトゥールという青年がどれだけできるか、今後のために見てみたいんです。相手が大尉なら、どうにもできないとは思いますが」
「お前、いい根性してるな」
「伊達に皇帝の懐刀を務めてないですからね」
クーニアは頼りにならないニスカエルマとの通信を切って、戦闘に集中する。
アクトゥールという男の厄介なのは、相手の転移を強制的に止めることができることだ。その干渉は、唯一無二と言っていい才能だろう。
いや、帝国にも1人だけ同様の力を持つものがいるが、彼女が特別なのであって、その才能が稀有なことは間違いがない。
海水がまた幕を下ろすように海に戻っていく。
クーニアの姿がアクトゥールにも見える、その瞬間、彼女は手に持つグレイブを彼の腹に転移させる。
だが、それは拒絶するまでもなく、二人の間に突如として姿を現し、またクーニアの手に戻る。
「そんな力、ユミトルドでは持ってなかったな」
「ああ、そうだ」
アルファリアは動く気配がない。先ほどのクーニアの覚醒を止めた力の反動なのか、ただの傍観なのかは分からないが、今はありがたい。
そしてアクトゥールのその能力、見るからにまだ使いこなせていないことは明白であった。
クーニアは再度、告げる。
「_________燃えろ」
炎と氷の競演を海上という舞台に展開する。
氷の氷柱がアクトゥールを襲い、それを躱した先には膨大なエネルギーを内包した爆発と炎が襲う。彼はとめどないその自然の連撃を、なんとか躱し続ける。
「やっぱり化け物か」
「なぜ避ける?この炎も氷も、ウーシアの運用によるものだ。止めることなど容易いだろう?」
「知ってて!」
自然物である炎自体を転移させることはできない。
たが、事物ではなくウーシアの運用の方に干渉するアクトゥールの能力は効かすことができる。
それでも、アクトゥールはそれをしない。
「そうだ。力をみせるまでもなく、だからお前はここで堕ちる」
クーニアは中空に静止して、グレイブの刃を見つめるように顔の前に持つ。
そして、
「___閉じて爆ぜろ__」
その言葉に従順に、アクトゥールを中心として氷の壁が六面を埋める。
そして、その氷の正方形は即席の爆弾となり内部の爆発によって破裂した。
氷の破片が飛び散り、火炎が呼吸を求めるように猛烈に辺りに広がる。
「___逃げたところで!」
クーニアは爆発の瞬間に、その内部からアクトゥールが転移したのを感じた。
だが、それは無視覚下での転移。
転移後のウーシア運用は乱れるのが必然。
「終わりだ」
クーニアはアクトゥールの姿を認め、転移で接近し刺突する。
それは彼の能力を警戒しての万全の策であった。
その刃は確かにアクトゥールの腹に深く刺さった。
だが、
「そう、、、来ると、、、思ってました。確実に仕留めるためには、転移ではなく直接だ、と、、、」
腹から血を流しながら、アクトゥールはグレイブを持つクーニアの手を握る。
その瞬間、クーニアは己のウーシアの波長がひどく乱れるのを感じた。
第二反発___ではない!
「な、、、転移が、、、」
「確かに、この能力はまだ限定的だ。連続しての使用は難しい。だが、こうして直接触れている限り、あなたはここから逃げることができない」
「くそっ、、、!離せ!!!」
クーニアはグレイブを前後に揺するが、びくともしない。
ウーシアの運用ができず、宙に浮いていることもままらない。
必然、アクトゥールの腹に刺さったグレイブにぶら下がるような恰好になる。
(まずい、このままでは拒絶も、転移で逃げることもできない、、、)
その無防備な体に、アクトゥールの長剣が転移される___。
「ふざけ____」
クーニアが足をばたつかせ、藻掻いたときだった。
鼓膜を握ったような大きな爆発音が突然、響く。
アクトゥールはクーニアを連れたまま、転移でその何かを避けた。
音が出た方を見れば、それは警備船の大砲であった。
「いつまで持ちますかね!その体で!」
ドレッチ船長の咆哮が、クーニアの通信機器から聞こえる。
確かに、アクトゥールの体からは依然、血が流れ続けている。
もうそう長く集中を維持できるような状態ではない。
それを理解した大砲の唸りが連続する。
「味方もろともか!」
アクトゥールの驚嘆を無視するように、
「撃て撃て撃て撃て!!転移の隙を与えるな!!」
と、ドレッチ船長の指示が飛ぶ。
その度に繰り返される転移での回避。
その回避の最中でクーニアは意識を集中させる。
そして、丁度十発目だった。
アクトゥールの手の力が弱まり、グレイブが彼の腹から抜けた。
「よし____」
その安堵は、クーニアのものだったのか、ドレッチのものだったのか。
アクトゥールの腹から血が噴き出るのと同時に、彼女の胸を長剣が貫いていた。
その瞬間を待っていたのはクーニアだけではなかったのだ。
アクトゥールもまた、砲弾の嵐の中、その隙間を待っていた。
手が離れたからといって、すぐに拒絶の体制を整えることはできなかった。
長剣は間違いなく、クーニアの胸に深く刺さる。
それは確かに致命的なものだと、彼女はすぐに察した。
「___エチカ、、、すまない、、、」
そんな言葉がなぜ出たのか、クーニアには分からなかった。
自分と同じように海に落ちていくアクトゥールを見ながら、クーニアは瞳を閉じる。
海に落ちるのは慣れている。
自分は必要のない存在だ。
だから、自分で居場所を作るしかなかった。
そのためには戦うしかない。
闘うしか、、、ない。
それは死に場所を整え続けるような無駄な行為だと、分かっていても。
クーニアは固い海の反発を感じる前に、意識が途絶えた。




