第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第18話 濃淡
フォーダウ号、甲板。
カンパニアの猛攻を受け、今にも気を失いそうになっているドレッチ船長は、それでもユトを守るように立つ。
本来は、その立場は逆であってしかるべきだった。
守られるということは、その相手に全てを委ねるということ。
それは、いずれ無下に見捨てられる運命であるということと同義だった。
ただ、その立場の逆転は、クーニアに1つの記憶を呼び起こさせた。
「そうか、お前は、あの時の__」
「ユト様、何をそんなに恐れているのですか?」
ドレッチは、それが真実と疑わない声音でそう言った。
この短い時間の邂逅で、いったい何が分かるのか。
「私は、恐れてなど、、、」
「ユミトルドの件ですか?」
「それは関係ない!」
「もう誰も失いたくない、1人になりたくないと、そう子どものように泣いているのかと思いました。先ほどの戦闘もそうです。ユト様らしくない、思慮にかけたウーシアの大運用」
私が、泣いている?
そんな訳がない。私は、エチカの弱さを、それはミラリロもそうだが、その弱さを嘆いていただけだ。
かつての知人がいくら死に行こうと、関係ない。
弱いから死ぬのだ。そしてそれは自分の責任であり、私が嘆くことではない。
ゆえに、誰もユト・クーニアという人間が精神的に弱っているなどとは、思っていないだろう。
ただ、私が恐れていることがあるとすれば、それは、強者に居場所を奪われるということ、それだけだ。
それは何か、この命の終点が訪れることよりも、私を脅かすものだった。
『駄目よエチカ!外に出ては駄目!絶対駄目!』
『でもシャーリスが連れていかれた!』
『あの子は、、、いいのよ、私はあなたたちが大事!ミラリロ!エチカを止めて!』
『ユト、あなたたちはここにいなさいな。ミラリロがなんとかしますわ』
『なんとかって、なんとかって何よ!いいからここにいなさい!!』
『ユト、あなたは一番優しいものね。だから絶対に、あなたはここから出てはいけないわ』
結局、二人を見送って海岸の洞窟の中に残った私。
それでも、ミヤハに背中を押され、少し経ってからそこを出た。
私がここを守るから大丈夫、と。
失うもののない私が、エチカよりも、ミラリロよりも、先に飛び込むべきなのに、いつも私はこうも遅い。彼らが私を残して死ぬのも嫌だ、だが、ここにいて1人になるのも嫌だ。
そんな天邪鬼が常だった。
海岸の家々も火につつまれ、そこから逃れるように倒れた人々の山。
町に向かって海岸に沿って歩けば、徐々に累々と死体が増えていく。
『そんな、、、なに、、、これ、、、』
地獄は、神が人を罰するために造ったのではなく、人が人を貶めるために造ったもので、それを神は真似たに過ぎないのだ、ということを、その時知った。
『止まれ!!』
ミスタント朝の軍人と思われる男たちが、町へと連なる道で立ち塞がった。
遠くでは炎が漆黒の夜空へと立ち昇る。
夏の暑い日だった。
夜になっても、まだ汗ばむような、そんな日。
意識が朦朧としてきて、ふと下を見ると、火に襲われたのか、渡り鳥が1匹、道の上で命を落としていた。
空に逃げることもできたのに、そうしなかった、愚かな鳥。
かといって、何の役にも立たずに、こうして1人死ぬ。
その命に、意味は、ない。
火に飛び込んで死ぬでもなく、そこから逃げて撃ち落とされるでもない、無価値な。
『___怯えるな』
その時、横たわったその鳥の口が、動いたような気がした。
『海に生まれし子よ、どうして孤独を嫌う?同じ場所に二つの存在は共存しない、それはお前が一番よく知っていることだ。お前と母がそうだったように。孤独は命の宿命だ。形あれば、領土があり、誰もそこには入れない。だからこそ、食い合うことこそが、甘美な、そして唯一の交情だと、知っているだろう?ゆえに闘争こそ、最も始原的な、そしてこの上ない愛だと、受け入れなさい、ユト』
ああ、そうだ。
その声が、その声が、私に父を殺させた。
誰かを守りたいと思う心、それを私はずっと否定してきた。
そんな温情は持ち合わせていないと、言い続けてきた。
なぜなら、それは、他者を押しのけてでも自分の居場所を確保したいという、本能でしかないからだ。
家族も、同僚も、友人も、臣民も、すべては自分のための場所だ
それでも、そのエゴを、私はこの上なく、愛している、求めている。
そして、そのエゴは、誰もが持っているものだ。
ウーシアの叫び声が、この体に戻ってくる。
「ドレッチ船長、あなたの言う通りだ。センチメンタルは止めにしよう」
「え?」
「死んでほしくないなどというのは、いかにも傲慢な感情だ。転移が場所の奪い合いであるのと同じように、命もまた、居場所をかけた争いだ。そしてそれは、本能が許した唯一の自己実現だ。だから、お前の死も、私が先へ連れていく。死にたいように、死ね」
自分の居場所になって欲しい、だから死なないで欲しい、だから私が守る。
そして、闘争によってはそれは確保される。
私はその行為を心の底から肯定している。
でも、それは同時に、守りたい他者の居場所を、自分だけの居場所を奪う行為だ。
「良く分かりませんが、私は最後まで死にませんよ。ファンとしてユト様の活躍を見届ける義務があります」
「勝手に動け、私もそうする」
「ああ、それでこそ私のユト様です」
信頼は、命の、その原始の孤独を、他者を排してでないと存在できない不条理を受けいれてこそ、成立するものだ。
だからこそ、人はそれを美しいと思う。
「このウーシアの肌触り、やはりユト・クーニア、お前は気づいているな?」
カンパニアの男が、スーツを正しながらそう言う。
「ああ、私のそれは、他のそれとは違うからな」
そうだ。
私の感知しているウーシアは、他とは違うことを私は知っていた。
母は、私が生まれて少しして、私を海に捨てた。
記憶はない。
だが、無限の声を聴いたことをこの体が覚えている。
海の中にこだまする、膨大な命の奪い合いの歴史、記憶が、濃密に混じり合い、沈殿し、浮上し、凝って新たな命となる。
それは暖かで居心地が良かった。
だが、漁船の網にかかって奇跡的に救助されたとき、海の外の世界もまた、同じであることを知った。
「ウーシアは、命であり、死だ。人が死ねば、瞬間、その場には空隙が生まれる。そして、その空隙に向かって周囲のウーシアが流れ込み、衝突し、隆起する。そして、周囲から流れ込むということは、他の場所でまた空隙が発生する。その空間を埋めるように、命は生まれる。この繰り返しだ。ウーシアは、命が存在するための枠であり、自分と他者を分ける線分だ」
この世にあるのは、事物や生物ではない。
ウーシアの濃淡があるだけだ。それが物や人のように見えている。
私たちは、白い紙に自由に描かれている存在ではない。
黒い紙を切り抜いて、その何もないところが絵に見えているだけだ。
たまたま空いた空白が、何らかの形に見えているだけ。
「そこまで分かっているのであれば、もう帝国軍に居場所はないのではないか」
「さぁ?ここから先を考えなければ済む話だ。それはお上も気づいているだろう」
転移は、死だ。
あえて自分を一度殺すことで、ウーシアをその空間に流れ込ませ、周囲にウーシアの淡い部分を意図的に作る。
そしてそこに自分を再構築する。
それだけ分かっていれば十分だ。それ以上は知らなくていい。
それが分かれば、この本能を満足させるには事足りる。
「さぁ、もう一度、コロシ合おう。居場所をかけて」
ユト・クーニアは、グレイブを天に掲げる。
その目に、もう恐れはなかった




