第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第17話 存在
聖ジェファールズ豪華客船。
乗客は約二千五百人。乗組員を合わせれば四千人近くになる。
バー、カジノ、レストラン、まさに1つの町が箱に積まれて海洋を移動する。
「おい!どうした!?」
エチカ・ミーニアは周囲の乗客に気づかれないように、隣に立っていたはずの部下の体を支える。
パーティフロアは、今まさに出航の余熱を維持しながら、これからの航海に期待を寄せるように落ち着きがない。
「血、、、?まさか傷が、、、」
クラン・イミノル伍長の背中と腹のあたりに手を添えたが、その時、軍服に染み出すようにぬめりとした感触があった。
「ゴメンナサイ、、、ゴメンナサイ、、、私のせいだ、、、私の、、、みんな死ぬ、アレが来る、、、アレが、、、無理だ、、、何が本当かも、、、、、あああああああああああああ」
「本当にどうした?お前のせいじゃない、大丈夫だ、しっかりしろ」
周囲の人間の視線が集まる。
先ほどまで、この船に転移してきたときは何も異常がなかった。
何が起きた?
単に傷口が開いただけだろうか。
それにしてもこの出血量はまずい。
加えて目がうつろだが、それが失血によるものなのかも判然としない。
「いやぁ、こんなところでエチカ少佐に会えるなんて、僥倖ですなぁ」
タイミング悪く、1人の男が目ざとく声をかけてくる。
まずい、騒ぎにでもなれば、大手を振ってファズ中尉を探すのに支障が出るかもしれない。
そんな危惧を抱いたときだった。
「これはこれは、お姿を見ただけで分かりますよ、ひとかどの人物でないと。私はホーバス新聞社の記者でございまして、、、」
「おお、記者の方も乗船されていたのですな!」
「ええ、帝国の経済を支える成功者の方々のお話をぜひ聞きたいと」
「成功者なんて、そんな大層なものですよ!ははは、冗談ですよ冗談」
「おや、自信がおありですな、これはぜひ最初にお話しを聞かないと、ははは」
「私が一番ですかな?それは恐れ多い」
二人は談笑しながら、エチカたちから離れていく。
記者と名乗った男がこちらを振り向いて目線を強くした。
(助かったよ、ビノス)
エチカもその記者、皇帝直隷第二十一班の兵士、ビノス・ゴーテキ曹長に視線を返す。
彼がこうして普通に活動しているということは、どこかにファズ中尉もいるのだろうか。
とにかく今はクランを医務室に連れていく必要がある。
エチカはクヘルス二等兵を呼びつけ、乗組員に案内させるよう頼んだ。
▲▽
「一体、どういうことだ?」
ファズ中尉が、応急処置を経てベッドに眠ったクランを見下ろしながらだった。
クランの治療の間、ビノスと連絡を取り、ファズ中尉も呼んだのだ。
彼女はクランと違って、見た限りどこにも負傷を負ってなかった。
拍子抜けもいいところだ。
「私がクランを庇って負傷?そんな馬鹿な」
「でも、現にクランはこうして負傷している」
「そもそも私もまだ乗船したばかりだぞ?さっきまでそれこそクランも一緒だった。それでどうやって庇うっていうんだよ」
「なんだって?それは本当か?」
「嘘はついてねぇ、だから訳わかんねぇんだ」
エチカはファズ中尉と睨み合うようにしていたが、どちらも相手の顔など見えていなかった。あまりにも不可解な状況に、思考が追いつかない。
だが、その時、声を上げたのはクヘルス二等兵だった。
「お二人方、落ち着きなさい。若い者の癖に頭が固いな」
クヘルス二等兵はパーティ会場で受け取ったと思われるグラスの酒を煽りながら、
「ここは無限に酒があっていいな、いつまでも乗っていたいものだ」
と、呑気だった。
「どういうことだ、クヘルス爺」
ファズ中尉がいきり立ってクヘルスに詰め寄る。
「基準を設けなくてはいけないということだ、そんなことも分からんのか?」
クヘルスは口から零れた酒を拭って、ただし耄碌しているとは思えない、はっきりとした目で二人を見た。
「認識に相違があるなら、どちらかが正しい、あるいは、どちらも正しいとするならば、その整合性を取るものが間にある、このどちらかだろう?ファズ中尉は、乗船したばかりで誰にも襲われていないと言う。我々は、イミノル伍長から話を聞いて、それから飛んで来た。さて、どっちが夢を見ているのかな?それとも、どちらも正気なのか。まぁ、イミノル伍長が我々をだましている、という線もあるがな」
クヘルス二等兵の話は、確かに頷くべき内容であった。
エチカはそこで、1つの点をどうしても訴求しなければならなかった。
「ファズ中尉、あなたは今、乗船してすぐだと言った」
「ああ、1時間と経ってない」
「だが、私たちがこの船に警備船で追いついたとき、どう考えても客船の速度では1時間でたどり着かない座標に、この船はあった」
「な、、、それは本当か?」
「ああ、そうだ」
「ということは、間違っているのは、私、、、いや、この船か?」
基準が、明確になりつつある。
それはここに集まったすべての者が今、共有した。
「船の外と内で時間の流れが違うのか?そんなまさか」
「いや、それだと説明がつかないことがある、クランの負傷と証言だ」
「待て待て、ああ、頭がおかしくなりそうだ、クソっ。これから私が襲われるのか?いや、違う、そうじゃない、、、なんなんだ、ったく!」
ファズ中尉が髪をくしゃくしゃとしながら歯噛みしていると、今度はビノス・ゴーテキ曹長が話を挟む。彼は異色の経歴を持つが、それゆえに頭が働くときがある。先ほどの機転もその一端だ。
「僭越ながら、クヘルス二等兵のご見解の通り、基準をずらさずに考えるべきかと。私たち船の中がおかしいとするならば、いったんイミノル伍長の話を真とすべきです。すると、負傷したはずの中尉がこうして元気であり、なおかつ乗船したばかりだとするなら、帰結は限られます。ファズ中尉の言うように、イミノル伍長がなんらかの形で船の外に出た瞬間に、元の時間軸に戻った、つまり私たちからすれば未来に行った。その結果、これから起こる襲撃が、イミノル伍長の体に体験していない傷として刻まれた。あるいは、、、」
エチカはいつの間にか鼻を弄っていた手を止め、その話を引き継ぐ。
「_____時間が、戻っている。この船の中だけ」
皆が息を飲む。
荒唐無稽だが、それが一番単純で、理解しやすい状況だ。
だが、そんなことは可能なのか?
ウーシアが可能とするのは、空間内の転移だけ。
時間を超えての転移など、事例がない。それに、時間を操れるような覚醒の能力も。
あるいはウーシアとは関係のない現象なのか?
そんな疑問が、それぞれ程度は違えど皆の頭を苦しめていたときだった。
病室の扉の前、その内側にいつの間にか1人の男が立っていた。
まるでその結論に至るのをずっと待っていたかのように。
「暴れるしか能がない馬鹿が何人集まったところで、どうせ何もできないよ」
貴族然とした恰好をした、細身の若い男。
だが、その男の姿を見た途端、ファズ中尉の体が震えた。
「てめぇは!!、、、そうか、、、やっぱり生きてたのか」
「おや、その口振りは気づいていたのかい?」
「私はずっと、探してたんだよ、てめぇのことを。会いたかったさ、心の底から」
「喜ぶね。ここまで熱烈な歓迎は期待していなかったよ、驚きだ」
ファズ中尉の拳が、強く強く握られる。
エチカはいつでもファズ中尉を制しつつ、かの男に対応できるよう心構えをする。
「ああ、そうか。やっぱりあの時、見られてたんだね、あの子に」
「クランの馬鹿は知らねぇが、てめぇは舐めすぎたんだよ」
「そうだねぇ、力の入れようを間違えたよ。クランを騙すのは簡単だったが、ノランの方は、ずっと僕のことを警戒していたからね」
「てめぇがその名前を呼ぶんじゃねぇよ!!フィーモア!!」
ファズ中尉がその名を叫ぶ。
___フィーモア・イミノル。
その男が呼びかけに答えるように、にたりと不気味に笑った。
「まぁまぁ、落ち着きなよ。どうせ君たちはもう少しの命なんだ。ちょっと講義をしてあげようじゃないか。まだ時間があって、暇でしょうがないんだよ。こちらは」
エチカはフィーモアという人物に覚えがあるような気がした。
と、姿を消していたエンテラールが脳裏に語りかけた。
「主。フィーモアとは、フィーモア・イミノルのことかと推測されます。イミノル家の虐殺事件で、1人だけ死体が見つからなかったとされている人物です」
そうだ。
フィーモア・イミノル。クランの兄だ。
ノランの情報について調べたときに、その事件の記事を読んだのだ。
「エチカ少佐。才能ある君に1つ、聞きたいことがある」
その男が、こちらに話しかける。
みんな死ぬという言葉も聞き捨てならないが、ここは相手に合わせることにした。
何より、こちらが持つ情報が今は少なすぎる。
「何だ?」
「君はウーシアについて、どう思う?」
唐突な質問に虚を突かれたが、エチカは答える。
「ウーシアが何かについては、まだ誰も分かっていない」
「おいおい、事実なんてつまらないよ。ちゃんと質問を聞いてくれ。どう思うかって聞いているんだよ」
ファズ中尉がもう我慢ならないという感じに見え、エチカは彼女の前に一歩出た。
それで察してくれたのか、中尉は男を睨みつつ、エチカに任せる姿勢を見せた。
「適合者としての感覚で言うならば、見えない海に世界が満たされている、そんな感じだ」
「普通だね、それはどの適合者も言うことだ。じゃぁ転移は何だろう?楽しい楽しい海水浴か?」
ウーシア、転移、それがどんな現象なのか、適合者は薄っすらと気づいている。
それを聞かせろということだろう。
「転移の際、おそらく適合者はウーシアに還元されている。例えを引き継ぐなら、体が水になって、また体となって再構築される」
転移の成立を中止し、二段の跳躍を行う技がある。
それは連続転移と呼ばれ、一部の適合者のみが使える妙技。
あの技を行使する際、最もその感覚を体感させられる。
「いい答えだ。さすがというしかないね。君の技は特等席で見せてもらったよ」
見せた?いつどこで、、、?
だが、それもこの質問に答えていけば分かる、それは確からしい推測のように思えた。
「僕は不思議でならないよ、そこまで分かっているのに、なぜ疑問を持たないのかって。どこまで君たちは愚かなんだろう、目の前の利益、人より優れた才能があればそれで満足か?それが何かを知ろうともせずに。まるで猿が硬貨を掲げて喜んでいるようなものだ」
「お前たちのような厄介事を起こす奴がいなければ、そういう思索にふける時間もあるだろう」
「はは、責任を転嫁しないでくれよ。時間があったところで君たちは考えない。なぜなら君たちはそれを取り上げられているからね。そして、一部の賢者は摘み取られ、囲われている」
「もういい、先に進め」
「ほら、そうやってすぐ答えを求める。政治制度は人の思考の癖にまで影響を及ぼすんだよ、こうやって。まぁいいさ、啓蒙だよ、これは。それで、ウーシアに還元されると言ったが、だとしたら、ウーシアとは何かという疑問について、形が見えてくるだろう?」
エチカは黙らざるを得なかった。
確かに、自分の体がウーシアと一体になる感覚はいつも感じている。
そして、ウーシアには文脈のようなものがある。
これは自分の、あれは他の人の、というように、色が分けられているような。
温度の違う海流が混ざるように、それは反発しつつ、ゆるやかに交わっていく。
「だんまりかい?つまらないな。普段どれだけ物を考えていないかが分かるよ。だからアルファリアなんかの手で転がされるんだ。いいかい、ウーシアはね、この素晴らしい力は、、、」
男は世界の秘密を開示するように、厳かな、自信に満ちた声でこう言った。
___ウーシアは、「存在を存在させる存在、だよ」
その答えは、あまりに形而上的で、俄かには理解しがたいものだった。




