第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第15話 再現
彼女の存在は知っていた。
家族を惨殺されたとかで、あたかも悲劇のヒロインのような、うざったい顔をして入隊してきたことを覚えている。
適合者とは聞いていたが、鉄剣も鉄槍も使えず、骨董品のような大太刀を持ち込み、ウーシア兵器として特例的に改造させたことでも師団の中で話題になっていた。
元貴族というだけでも気に食わないのに、その不幸と手を繋いで仲良く歩くような態度が何よりもこちらを苛つかせた。
師団の中でも、特に第三騎兵師団は脛に傷を持つものや、似たような境遇の者、極貧の生まれの者も多い。それでも彼らは、己の才覚と可能性を信じて日々を生きているというに、その新兵はいつまでも過去に囚われているようだった。
こいつはいつか、決定的に私の脚を引っ張る、そういう予感があった。
どちらかと言えば、彼女の妹の方が、非適合者でありながら優秀であった。
「ファズ中尉、この子たちの面倒を見て欲しいんだけど」
嫌な予感に反してユト・クーニアにそう言われ、何度か任務を同行した。それでも印象に残ったのは妹の方で、クーニアの言う通り、確かに動きは洗練されていた。
「お前はなんで軍に入ったんだ。義務なのは姉の方だけだろう」
そんなことを聞いたと記憶している。
余計な質問だというのは分かっていたが、妹の方には何か、彼女の思慮を覗いてみたいと思うような、そういう深い魅力があった。
入隊の義務があるのは適合者のみだ。妹の方は、それこそ貴族の淑女として生きていくこともできただろう。
「平和な、誰も死なない、そんな世界にしたいんです」
幼い顔でそう言ったが、しかし、嘘は明白であった。
「それを本気で言って、自分の命を晒す人間に私は今まで会ったことがねぇ」
「そう、、、ですか?」
「ああ、金か、地位か、名誉か、顕示欲、、、あとは、恨みだ。それぐらいしか命と交換できるものはねぇんだ、案外な。そう考えると、命ってのはまぁまぁくだらねぇ通貨だ」
そう言うと、ノランは人差し指を立てて、
「ファズ中尉、大事なものが1個抜けてます」
得意げにそう言った。
中尉に対しても恐れのない彼女の対応を、少しばかり気に入ってしまった。
「は?そうか?」
「愛です。愛ですよ、中尉」
「かっ、やっぱりくだらねぇ交換じゃねぇか」
釣られて笑いながらそう答えたが、ノラン・イミノルはかえって深刻さを増したように、
「ファズ中尉の言う通りです。平和、なんて嘘です」
ノランの顔が、感情を手放して、思い沈む。
そう、この顔が見たかったんだ。
表情に惹きつけられる、そんな人間は案外少ない。
「だろうな。分かるぜ、誰かをぶっころしてぇ、って目をしてる、お前は」
「誰にも、バレたことないんですけどね。私、ちょっと抜けてるとこあるので」
「だろうな。私はそういう目には敏感なんだ。お前みたいな奴がうじゃうじゃいる巣窟で育ったからな」
ファズ中尉は、ノラン・イミノルの綺麗な黒髪を力強く撫でる。
自然と、そうしたいと思ったのだ。
これは自分として、かなり珍しいことだと、振り返ればそう思う。
何か子分のようなものができた、そんな感じだった。
「なぁ、罪悪感なんて捨てろよ。殺してぇほど誰かを憎むってことは、何も悪いことじゃねぇ」
「そうでしょうか、自分はまだその人を殺していないのに、もうすでに罪人にでもなったように感じます」
「コツがいるんだよ、恨みには」
「コツ?」
「あぁ、四六時中誰かを恨んでいるとな、そのうち、そいつを許したくなってくることがある。それは、早くこんな状態から抜け出したいっていう、心の弱さと叫びだ。だからな、忘れるんだよ」
それが簡単にできないからこそ、恨みは恨みだということは知っている。
だが、一方で、恨みを無事晴らすことができる人間は、総じてその強い感情を飼いならすことができる奴のみだ。
「忘れる」
「そうすると、恨みの火は弱まるが、決して消えはしなくなる。燃やすな、秘めるんだ、熾火のようにな」
だが、彼女の恨みの火は、再度その炎を高くすることはなく、雪の中で小さく消えていった。
「エチカ、ノランはどう死んだ」
怒鳴りかけたが、出てきたのはそんな言葉だった。
思ったよりも、低く、小さな声になった。
死者を前にすると、自分が頬の赤い子供に戻ったように感じてならない。
死者は絶対だ。こちらが何を言おうが、響くことはない。
それは子供にとって、大人の沈黙が恐ろしいのと同じことだ。
「彼女は立派だった。誰よりも」
エチカもまた、自分の矮小さを噛み締めるようだった。
「そうか。あいつはお前に憧れていた。震えて隠れてればよかったのにな、命令、聞かなかったんだろ。舞い上がったんだろうなぁ」
その言葉に、エチカは何も反応しなかった。
「馬鹿だよな。命令を聞かない兵、それも非適合者なんて、クソほどの役にも立たない。だからこうして簡単に死ぬ」
ファズは雪の積もった地面を最初は弱く、それから強く、強く叩いた。
まるでさっさと起きてこいと、そう言わんばかりに。
「彼女は、役に立った。間違いなく」
「いや、、、クソだよ、、、クソったれで、馬鹿だ、、、大馬鹿だ」
ファズ中尉は、ノラン・イミノルの墓の前で、膝の間に顔を埋める。
部下が死ぬことなど、日常茶飯事だ。
それが戦場であろうと、訓練であろうと、慣れたものだ。
だが、彼女の目が変わる様を、自分は近くで見ていたのだ、ずっと。
「あいつ、最近楽しそうだったんだよ、、、前と違ってさ、、、本当は、本当はさ、そうなって欲しいって、ずっと思ってたんだよ。それは、きっと、お前の、エチカのおかげなんだろうな」
「彼女と会ったのは、あの時が初めてだった。ファズ中尉、きっとそれは君のおかげだ」
「いいや、違うさ。希望を見たんだよ、お前に。あの日から一歩も進んでないと思っていた自分が、その後に積み上げてきたものを、お前が認めてくれたんだ。それはどれだけの希望だったんだろうな」
家族を殺された恨み、その恨みを燃料として生きてきた日々。
それは彼女にとって、決して喜ばしい成長ではなかっただろう。いつか来るその時のために、日々刃を研ぐような、そんな非生産的な毎日だと、そう思っていたに違いない。あるいは、そう差し向けたのは、自分かもしれない。
ただ、その成長を純粋に褒めてくれる部外者の存在が嬉しかったんだ。
嘘で言った平和、その嘘を本当にする力が、自分に備わってきたんだという希望。
それをエチカが与えたのだ。
もしかしたら、彼女は本当に恨みを忘れられたのかもしれない。一瞬でも。
「エチカ、お前のことは一生許さねぇ。何がクランツェルの英雄だ、1人の部下も守れないで」
「すまない」
「くそったれが、、、、、馬鹿だ、本当に。あいつは自分の命を、いったいどんなくだらねぇものと引き換えたんだ、ほんと、くそったれだ」
そう言って、ファズはノランの墓から去った。
自分に託されたのは、彼女が消しかけた恨みの炎だけだった。
それ以外は、別の人間が背負ってくれると思った。
そんな中で、モチャ・ファズ中尉は覚醒者へと至った。
それは本人にも予期しなかった飛躍だった。
1年前、帝国の最東北の国境、タクトフォンの急進保守派との抗争の中、突如として軍の統率が乱れた。自軍適合者の暴走がその原因だと知ったのはあとになってのことだった。
後方の味方の瓦解と、前方からの敵の進軍に、非適合者の歩兵、それから適合者の騎兵も次々に戦場で死んでいった。
覚醒の遠い足音が聞こえたのは、その時だった。
そして覚醒の最中、鋭敏になった感覚が捉えたのは、1人の圧倒的な力の存在だった。敵を屠るよりも、その存在の威圧感が気になって仕方がなかった。
「ああ、そうか、、、、、、」
▲▽
「そうか、そこにいたんだよな、お前は」
クランが戦闘の形跡を追うと、そこにいたのはモチャ・ファズ中尉と、キュイゼル・フリンス、それから倒れたミンク・クヘルス二等兵だった。
ガラスで天井を覆われた、巨大なプール施設。
その中空で、ファズ中尉とキュイゼル・フリンスが拳と刃を向け合っていた。
ファズ中尉は、クランの方を一瞥して何事かを言った後、再度キュイゼルの方に向き直る。クランは急いでミンク・クヘルス二等兵の元に向かった。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、大したことはない。二人を止めようとして、こうだ。情けないったらありゃしないね、女の子同士の喧嘩すら仲裁できないとは、ここに極まれり、だ」
「止めようと?」
「あぁ、、、この船は何かがおかしい。そして、どうなんだろうかねぇ、私も」
クヘルス二等兵はそこまで言って、せき込んでしまった。
私も、とは何だろう。
だが、そもそもそれ以上何かを言うような様子はなかった。
「ウーシアの波長がさっきからおかしい。そんな芸当、お前のような奴じゃないとできないんだよ、キュイゼル・フリンス」
「ですから、何のことか分からないと、そう言っているんです。今回の件も、タクトフォンの件も」
「しらばっくれるのも大概にしろよ、お前ら、適合者を集めて何をしようとしてる?」
「適合者を集める?本当になんのことか、、、検討もつかないんです」
そこで業を煮やしたようにモチャ・ファズ中尉が動いた。
転移によってキュイゼルの頭の上に現れたと思いきや、見上げたその顔を殴打する。
ウーシアのぶつかりが高い音となって空間に響き、キュイゼルは真下のプールに吹っ飛んだ。
高い水柱が上がる。
その水のヴェールが重力に従って落ち始めると、今度は水中から転移したキュイゼルが下りる幕の内で構えていたようにそこにいた。そして、短剣を三本、指に挟んで、祈るように目を瞑る。
軍楽隊の彼女が戦線に立つことはそう多くない。
それでも、少尉としての彼女の実力を知らぬ者はいない。
彼女の祈りが、静謐に空間を支配する。
『____入祭____』
そう歌うような甘美な声が響くと、辺りの時が止まったようだった。
「ちっ!!動けねぇ!!てめぇ何を、、、」
ファズ中尉が暴れるような様子を見せるが、その場から動かない。
キュイゼル・フリンスは、手に挟んだ三本の短剣を空中高くに放る。
そして両手を合わせて再度歌った。
『_____________キリエ_________』
すると、三本の短剣が十、二十、三十、、、と増え、ついには数えることができなくなったとき、その鉄の雨が重力の糸に引かれ、ファズ中尉の頭上に降った。
「ファズ中尉!!」
「くっ、、、、、、、、、!!」
その雨が降り止むと、ふらりとしながらファズ中尉が空中から落ちかける。
短剣が3本、彼女の両の肩あたりと左腕に刺さっていた。
なんとかこらえた中尉は、
「、、、ちっ、、、手加減してんじゃ、、、ねぇよ。子守歌でも歌って満足か?」
「加減しなければ死んでしまいます」
「あぁ?なめてんのかお前」
「なめていません。ただ、誤解を解きたいだけなんです」
キュイゼル・フリンスは、本当に神にでも懺悔するように、そう告げた。
クランは彼女の善悪を判断しかねていた。
夢かもしれない前回では、彼女はクランと一緒に逃げた。
だが、あの同盟の鉄球の攻撃、なぜあの攻撃は彼女だけを襲わなかったのか、その疑問がずっと残っている。
同盟の仲間なのか、それと何か、彼女を生かす理由があるのか。
その時、クランが抱えていたクヘルス二等兵の老体が、急に若返ったように、軽やかな力で立ち上がった。
「クヘルスおじさん?」
「誤解を解く?誤解じゃないですよね、キュイゼル・フリンス」
声は間違いなくクヘルスから出ていた。
「あ?なんだよ、クヘルス爺。あんたはそこで寝てな」
モチャ・ファズ中尉が肩を抑えながらそう言う。
それでも、クヘルス二等兵はしゃべり続ける。
「誤解じゃないですよ。キュイゼル・フリンスは大罪人だ、ここでも、それからこれからも」
「何を、、、?」
キュイゼル・フリンスもクヘルス二等兵の口振りに困惑する。
「まさか、クヘルス爺、あんたも_____」
ファズ中尉が口を開いた瞬間、
「ぐっ、、ゲ、、、、、、、、、、、、、」
中尉の顔が真っ二つに横に割れて、その後に体が無残にも切り刻まれた。
その動きを、クランはまったく追えなかった。
中尉はそのまま、バラバラの残骸となってプールの中へと落ちていき、朱色がぱっと広がる。
「何が、、、中尉?、、、、、、ファズ中尉!!」
混乱するクランは、しかし、己の内臓が呻くのを感じた。
これは、なんだ。
クヘルスおじさんが裏切った。
自分のそばに立っていたクヘルス。それが今はプールの水面の上、ファズ中尉の血を迎え受けるようにそこに居た。
それは間違いない。
だが、いや、それだけじゃない、違う、違う、全然違う。
これは、怒りだ。そして、計り知れないほどの恐れ。
どうしようもない怒りが、制御できない怖れが、臓腑から無限にこみ上げてくる。
寒くもないのに、歯がかちかちと鳴るのを止められない。
これは。
これは。
_____そうか、これは、あの日の続きなんだ。
それを理解した途端、クランは蹲った。
胃の中のものを全て吐き出しても、嗚咽が、体の震えが止まらない。
そして、傷を負った腹部が、黄金に輝くのを見た。それから、傷が開いたのか血がいっきに噴き出す。
ああ、終わってなかったんだ。あれは。
ノランが、きっと私を恨んでこの船に連れてきたんだ。
あの日の雪は、まだ、止んではいなかった。
血が抜けて体温が下がっていく。歯が鳴る。
そこにはまさに、あの日のように、震えて縮こまっている私がいた。
痛い、痛い、怖い、逃げたい、私のせいじゃない___。
ノランが死んだのも、ファズ中尉も、お母様も、お父様も、、、私のせいじゃない。
私はなりたくて適合者になったわけでも、それを隠そうとしたわけでもない。
上手くウーシアを扱えないのも、怖くて足が動かないのも、違う。
ゼンブ、ゼンブ、ワタシのせいじゃない。
弱い私の、、、、、、、、、、弱くて、ちっぽけな、、、、、、、。
ゼンブ、ゼンブ、ゼンブ。
______ワタシノセイダ。
「ハハ、、、ハハ、、、、、、、ハハハハハハハッ」
クヘルス二等兵が近づいてくる。
心停止したような、ウーシアの平穏。
ああ、ノラン、あなたはよく、こんなのに立ち向かえたね、、、。
お姉ちゃんには、絶対に、無理だよ。あなたのようには、、、だから、、、許して、弱い私を、、、。
ユルシ_______。
_______________。
_____________________。




