第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第14話 名前
「主。この船からの撤退を推奨します」
三人の民主神聖同盟の適合者は、今は二人がエチカの前に立っている。こん棒を握った大男と、盾を捨てた片手剣の女。そして残る1人は致命的は負傷を負いながらも、なんとか後方でこちらの様子を伺っている。
二段の跳躍という無理をしたエチカは、息を整える。
ただ、決着を急がないといけないという焦りが、エチカにはあった。
「なぜだ」
「ウーシアの流れが異様です」
「それはさっきから感じてる」
ウーシアの流れだけではない。
先ほどから、エチカの頭の中には誰のものかも分からない声が徐々に大きくなっている。
『ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ!!』
その声が鮮明になるにつれて、エチカは自分のウーシア運用が乱れ始めているのを感じていた。自分の存在について何か分かるかもしれないという心の落ち着きに反比例するように。
これはいったいなんなんだ。
これまで息をするように、なんら問題なく使用できていた転移。
それが「不可能かもしれない」と思ってしまうような予感がある。
「このウーシアの潮流、似た物を知っています」
エンテラールが浮遊したまま、エチカの耳元に寄る。
「帝国陸軍強襲特選部隊任用資格試験、仰嵐山脈での雪中行軍訓練」
「まさか、、、でも、、、確かに」
そうだ、あの時の、対象のウーシア波長が大きくなり、ついには凍り付いたような感覚。
そして幽霊でも過剰適合でもない、異形の存在。
「あれが、来るのか?」
「分かりません。主。ただ、その可能性は十分にあるかと」
エンテラールの言葉を理解して、エチカ・ミーニアは駆ける。
もし仮にアレが出てくるとしたら、それは危険なんてものじゃない。
エチカは再度、二段の跳躍を試みる。
民主神聖同盟、二人の背後への跳躍、だが、その転移が成立する前に、再度正面に戻り切りつける。そしてここを突破する。
そうして一段目の跳躍を幻視したときだった。
『ドコニイッタ!!!ユルサナイ!!』
今までで一番大きな声が、脳裏にこだまする。
(______まずい!)
まるで干潮のように、ウーシアの海が引いていく。
乗りかけた波が、そこから消える。
二段目の転移はできない。それは、ただ二人の背後にエチカが現れるだけになったということ。
(もう1度、転移を___)
だが、自分が今までどうやってそれを行ってきたのかが、分からない。
何も、感じない。
民主神聖同盟の二人が振り向きざまに手に持ったそれぞれのウーシア兵器を振るう。
(躱せ躱せ躱せ躱せ!!)
そう願っても、その声に呼応するものは1つもない。
適合して以来、感じたことのなかった死の肉薄に、エチカは混乱する。
「主!!」
エンテラールの声が響く。
それが彼女にできる全てであることは、エチカにも分かっていた。
迫り来る鉄の塊を見ながら、彼は遠くさざめく海の音を聞いた。
それは、ここではない、どこか懐かしい音だった。
▲▽
クラン・イミノルはエチカを囮にパーティ会場へと向かう。
そこを経由して、転移の座標が設定されている操舵室に行かなければならない。
鉄球の攻撃で痛む四肢を抱えながら、なんとか会場前の扉までたどり着いた。
「やけに静か、、、」
扉の向こうからは、何の音も聞こえてこない。
パーティはもう終わったのだろうか。
そう思って扉を引いて開けようとするが、さきほどの攻撃で体が思う様に動かないのか、足が滑って尻をついてしまった。
クランは再度立とうとして、とっさに床についた自分の手を見て驚愕した。
「血、、、だ、、、、」
クランは急いで立ち、残る膂力を全て使って扉を開ける。
まず目に飛び込んできたのは暗闇と、ステージを照らす照明が独り、回転しつつ、そこかしこに穴を開けるように円形に、順番に照らしている空間。
でも、そこに登壇者はいない。
それからゆっくりと視線を回す。
「なに、、、、、、これ、、、、、、」
その目に飛び込んできたのは端的に地獄だった。
回る照明がどこを照らしていても、見る限り、死体の山と血の海。
視線を下ろすと、逃げようとしたのか、扉に向かって手を伸ばす豪奢な服を着た者たちが層になって積まれている。
その目は、どれも焦点があっていない。
「みんな、、、死んでる、、、、、、」
クランは軍人らしい精神の強さを発揮して、あるいは多少見慣れているからか、血に靴を濡らしながら、一歩一歩、ゆっくりと死体と死体の間を歩く。間といっても、隙間はほとんどない。ときにその手を、脚を、頭を踏みながらだった。その柔らかい肉を踏む感覚に、みぞおちがぐっと締め付けられ、嗚咽する。
何が、どうなっているのか。
それにクヘルス二等兵は無事なのか。
誰が、こんな、、、。
クランの頭の中に、母の死に際の光景が浮かぶ。
血、死体、残された自分。
そのフラッシュバックで再度吐きそうになる腹を抑えて進んで行く。
だが、数百、数千という死体、暗がりと血で滑りやすくなったフロアを、上手く歩くことができない。
そうして1つの死体に足を取られて、また転んでしまった。
「くっ、、、ごめんなさ、、、、、、、、、、、、、、、」
足がかかったのは、1人の女性の顔だった。
むせ返るような血の生臭さの中で、その女性の顔は比較的綺麗な顔をしているように見えた。
クランがその瞼を閉じてあげようとしたとき、丁度その顔に照明が当たった。
「あ、、、、、、あな、、、、、、、、あなたは、、、、、」
それは見知った顔だった。
「ヘスリ・カルセンさん、、、、、、そんな、、、、、、なんで、、、、ここに、、、」
父の友人、ホーバス新聞社の記者の女性。
クランが軍に入ってからも、たまに顔を出していてくれた人。
「どうして、、、ここに、、、」
クランがまだ、平和に、そして退屈に暮らしていたときを知る、数少ない人。
彼女はずっと、ノランが死んだのは自分のせいではないと、そう慰めてくれていたた。そして、軍での活躍をいつもよろこんでくれていた。
「嫌だ、、、どうして、、、」
クランがヘスリの力ない腕を持ち上げ、その手を握る。
と、何か紙片のようなものが握られていた。
クランは涙が流れるのを堪え、照明が回ってくるのを待つ。
そこにはこう書かれていた。
・・・モッペル経済国と貿易を望む貴族・商人が多い傾向あり。
・・・経済国の関係者も複数いるが、愚痴の域を出ない
・・・軍関係者は、キュイゼル・フリンスのみ。第三騎兵師団はいない様子
・・・子供が見当たらない。なぜ?連れてきていない?だとしたら密談の可能性高い。
・・・フィーモア、それからラホムの姿見当たらず。
「なっ!!!!!!!!!!!!!!」
クランは予想外の名前に驚きを隠せなかった。
フィーモア・イミノル。
それは消息不明の自分の兄の名前だ。
それがなぜここで話題に上がるのか、クランには検討もつかない。
そもそもだ。
ファズ中尉はいつも単独行動が多く、何も教えてくれないことが多い。
今回の客船に乗る計画も、エチカ少佐に相談し、自分には経緯を教えてほしいと言ったが、1つも情報をくれなかった。
それは、きっと、この名前を自分に隠すためだ。
クランは死体の海の中で立ち上がり、ウーシアの波長を探る。
「、、、、、乱れてる、、、、?」
海上だからか、その理由は分からないが、ウーシアが荒波のように、あるいはそれが突然凪ぐように、定まらない。
感覚をさらに研ぎ澄ませると、わずかに転移の波長を感じられる。
それはエチカ少佐のいる位置と、もう1つ。
クランはそこに向けて駆けた。
警備船に戻ること、それ以上に、兄の名前の真実について確かめなければならない。
死の拘泥した匂いを断ち切って、クランはパーティ会場を出た。




