第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第11話 啓示
海上警備隊監視船。
警告の赤色灯で染められた船内を出て、ユト・クーニア上級大尉は甲板に出た。
聖ジェファールズ豪華客船は遠く、ただし鮮明と目に映っている。
海上の潮風が、頬に傷を作るように強く通り過ぎる。
クーニアは乱れる髪を手で押さえ、眦を決して仁王立った。
それはまさに海から生まれ、海に戻った王女のような風格だった。
「ユト・クーニア上級大尉、報告します」
艦内放送でスラン第三深官の落ち着いた声が届く。
「現在、この海域の船舶は全て退避の指令が出ております。そのため、刻下接近中の船影にも通信を試みていますが、反応がありません。___お力をお借りすることになり恐縮ですが、戦闘のご準備を」
「承知した」
ユトは手に持つグレイブのような槍を了承の意味で掲げる。
彼女の背中を守るように、警備隊の者たちが物陰の配置につき、甲板に向け銃口を向ける気配がする。
船から船に転移で乗り込むには、なるべく近づき開けた甲板に降り立つしか方法がない。
波に揺れる船が、時刻を緩慢にする。
今度は緊張を僅かに孕んだドレッチ船長の声がした。
「_____来ます。ユト様のご尊顔は絶対死守のことと、各自肝に銘じてください。ユト様、決して無理をされずに、、、特にユト様の戦果を拝見いたしますと、少々短絡的な特攻の気が見受けられますゆえ、、、それもまた普段の冷静なご様子との相違が良いのですが___」
「はっ!誰に言っている」
粘つくようなドレッチ船長の放送の最中、ユト・クーニアは意識を澄ませる。
人格を入れ替えるような、心の表裏をひっくり返す。
あるいは、己の本質を曝け出すだけだ。
ああ、この接敵の瞬間の高揚。
特に待ち受けるというこの時は至高だ。
いつ、自分の心臓を敵のウーシア兵器が貫くか。
その一秒先の死が、日常との断絶が、何よりの幸福だ。
「__高質量の物質の転移を確認っ!!場所は、、、、上空です!!」
スラン第三深官の声で、ユト・クーニアは上に顔を向ける。
晴天の空に、二対の巨大な影。
「落下してきますっ!!」
砲台が落下物に照準を合わせる。
だが、間に合わない。
その二対の物質は、大木ほどもある十字架のように見えた。
質量の大きさと落下速度からして、あれをこのタイミングでどうにかできるとは思えない。
クーニアは深呼吸をする。
そして声を張り上げた。
まるで出航の合図をするかのような威勢。
「____振り落とされないように、掴まりなさい!」
彼女の言葉が各船員に届くか否か、警備船は大きく左に沈み込むように傾き、海水が甲板に勢いよく流れ込む。
乗組員の体感としては、ほとんど直角に近いような傾斜。
各自必死に手近のものを掴んで耐え忍ぶ。
まるでスライドするように左に沈みこんだ警備船の右脇に、二対の巨大な十字架が爆発音のようなけたたましい音を立て、水柱を高くする。
警備船は再度大きく揺れつつ、海水の雨が皆の頭を濡らす。
それから小さなゆりかごのように、左右に揺れつつ、徐々に並行を取り戻した。
「_____失敗した___ごめんなさい」
少女のような声が、クーニアの耳をくすぐる。
甲板の船首、そこに1人の少女が鉄馬のような物に乗ってこちらを見ている。
そして、二対の巨大な十字架が、彼女に従うように、左右の背後高くに滝のように水を流しながら浮かぶ。
「まるで神様の啓示のようね」
それぞれの十字架の質量は計り知れない。
建造物のようなその大きさのウーシア兵器を自由に転移できるとすれば、それは脅威以外の何物でもない。
その驚愕は、しかし、相手も同様であった。
「お姉さん、、、さっき何をしたの、、、?」
「あなたがモナとかいう女?」
「ううん、違うよ。モナのお姉ちゃんは、今、ミラリロお姉ちゃんと仲良しなの。だからちょっと、寂しいけど、頑張るの」
海水浴にでも来たような純粋無垢な声。
浅葱色のセミロングの髪は、どこかミラリロを想起させる。
クーニアは、彼女がモナ・ザレファユフセラではないと知り、僅かに臓腑が軽くなる。
「そう。では、民主神聖同盟の人間ということね」
「違うよ、お姉ちゃん。よく間違われるけど、違うの。スゥはカンパニアのスゥ」
____カンパニア。
アルファリア・レオンが組織した非営利活動法人。
本来は辺境で医療行為を行う団体たが、ユミトルドの件でそれは隠れ蓑であることが明らかとなった。おそらく民主神聖同盟内の一派閥とするのが、現状の見立て。
「しゃべり過ぎだ、リリィ・スゥヴェラ。準備を」
短髪で華奢な男が、リリィの頭を撫で、それから感情の読めない顔をして甲板の上をこちらに歩いてくる。
クーニアはグレイブの刃先をその男に向ける。
___スゥヴェラ。どこかで聞いたファミリーネームだと、クーニアは記憶を辿るが思い出せない。
「相談、いい?」
短髪、ほとんど丸刈りに近いその男は、身にぴったりとした黒いスーツを着、高い鼻を外に向けるようにして、あたかもなんでもないことのように言った。
「いきなりあんなものを落としといて、相談ね」
「悪かった。あれはそう、交渉材料みたいなものだ」
クーニアは、ウーシアの波長が不可視に渦巻くのを感じる。
リリィ・スゥヴェラの白いワンピースがこちらの警戒を促すように揺れる。
重く、地面に轍を作りながら進むような、その運用。
あの十字架が、また転移しようとしている。
だが___。
そういうことか。
「あの子の転移は、時間がかかる。そうでしょう」
「ああ、そうだ」
「それで、要求は?」
「ここから立ち去る」
「それはできない。あなたたちを追い払ったら、すぐにあの客船へ向かう」
ここにいるのは、モナ・ザレファユフセラでも、アルファリア・レオンでもない。
だが、ミラリロを攫っていった連中であることに変わりはない。
ユト・クーニアは、途端、叫ぶ。
「全速前進しろっ!!」
その声に真っ先に反応したのは、操舵室のドレッチ船長だった。
「承知!!あれから逃げろということですね、、、あぁ、ユト様の威厳に満ちた大きな声、、、これもまた__」
「できる限り速度を落とさずに蛇行します。船員は振り落とされないように。そして全力でクーニア上級大尉のフォローを」
スランの指示を待って、船員から快活な返事が届く。
▲▽
銃声が、五月雨のように響く。
そのどれもが、リリィ・スゥヴェラに向けられた喝采だが、全て転移され彼女の体には届かない。
ユト・クーニアは感心する。
全ての船員が指示なくスゥヴェラを狙う、その理解度。
ここの船員には適合者はいないが、それゆえに適合者との闘いを熟知しているようだ。その証左に、見回しても一人も姿が見えず、そして絶えず時を見て場所を移動している。
これでは、射撃位置を推測しての転移攻撃すら成功率は低い。むしろ自分が無防備になる危険がある。
ノラン・イミノルも、それを高い次元でできる兵士だった。
彼女の姉を見ていると、苛立つ自分を抑えられない。
己はいつも、大事なときに、大事な場所にいない。
ノランが死ぬときも、ユミトルドも、そしてテミナル島のときも。
そこにいれば、自分は戦える。
戦えたはずだ。
それを証明しなければならない。
そうでなければ居場所は、自分の居場所はどこにもない。
___戦うことこそ、私の命の本能だ
_____生まれた時から、この血潮には闘争が熾っている
ウーシア、この未知数の青の力が、私を狂わす。
それがいつからか、いや、ずっと、体に心地いい。
『_____見えているだろう、君には。人とは違う世界が。』
『_____ほら。出番だよ。君の世界を、僕に見せてくれ。』
これは義憤だ。
テミナル島の人間、その生き残りがいたという事実。
そして、それを隠蔽していた帝国と、虐殺した民主神聖同盟。
ミヤハ・トルニアの最後。
____そうなんだ、見える。私には見えているよ。闘争の歴史そのもののウーシアの奔流が。
義憤?
誰も死なせたくない、死なせたやつをこらしめたい。
守りたい、壊したい。
あれ、、、私は、なんのために?
ウーシアの波が、自分をどこか懐かしい場所に連れていく。
そこでは、自分で泳いでいるのか、流されているのか、分からない。
ただ、脳が酩酊するような多幸感が、己の体を侵食するのを感じた。
今はただ、その感覚に、片方の手を放して、飛び込む。
「お前、相談なんてさァ、甘っちょろいこと言ってんじゃネぇよ」
ユト・クーニアの瞼が一度落ちる。
そして次に開いたときには、赤い瞳が胡乱となって、鈍く輝いた。
速度を増した警備船に、嵐のように風が吹く。
その風は、どこか彼女を1人避けるように渦巻く。
彼女の声の発し方、態度が急変したことに、船内の全ての者が気づいた。
「こっちはサ、お前ラをぶっ殺したくてしょうがネェんだよ。ユミトルドでは気持ち良かったんだろ?たくさん人を殺してさ」
生まれたときから知っていた。
この荒れ狂う、焦燥のような、戦いを求める心の向きを。
戦わなければならないという、怯えにも似た闘争心。
ああ、なんで私は、このただの一任務にすぎない戦闘に、こうも競い立っているのだろう。
「なんだ、、、これは、、、」
カンパニアの男が、揺れる甲板で頭上を仰ぐ。
そこには大量の水が球状を成して膨らみ続けている。
海から空に雨が逆流するように、水滴が集まり続ける。
「大事なのはソッチじゃねぇんだよナぁああ!!」
その咆哮と同時に、恐ろしいほどの熱気が、男の体を襲った。
ユト・クーニアの持つグレイブ、その刃が松明のように、いや、そんな生易しいものではない劫火を纏っている。
「______燃えロ___________」
ユト・クーニアが刃を振るうと、予測とは裏腹にその炎が消える。
それはほんの一瞬の静寂。
だが、次の瞬間、恐ろしいほどの爆発が、男とリリィ・スゥヴェラを包む。
「____________________ぐっ!!!!」
火炎の柱が、雲を突き抜けるほど高く上がる。
それは一つではなく、見渡す海域全てが赤く染まるような、地獄の光景。
海面が燃えているような、そんな錯覚。
赤く色を変えた海の中、炎のヴェールの向こうで、ユトの声がこだまするように鳴る。
「よく逃げタ、だけど、終わりダよ、お前ラ」
ユトは幽霊のような能面の顔で、ゆっくりと警備船の方を振り返りながら言う。
操舵室の上、船の最上部に転移で逃げた二人。
すでに覚醒に至ったのではないかと思うような、大規模なウーシアの運用と、人格の変容。
「かッ、、、ハッ、、、、、、ぐぅ、、、、!」
「い、、、、痛い、、、痛いよ、、、お兄ちゃんっ!!」
彼らの体は、しかし熱傷を負ったのではなかった。
氷柱のような氷の塊で全身をあちこち貫かれている。
そして、いつのまにか上空に浮かび上がっていた二対の十字架も、大量の氷で覆われ、そのまま走り続ける警備船からは外れて自重で海に墜落した。
「___ユト様がやったぞ!今のうちに捕獲せよ!」
ドレッチ船長の声が響く。
ユト・クーニアは取り巻く熱気にあてられたように、息を荒くし、目を細めて膝をつく。
警備船内が慌ただしくなるなか、ニスカエルマだけが、落ち着きの中でひとり呟く。
「見せてくれてありがとう。やっぱり君も理解しているんだね。この世界の外を」




