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第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第10話 再起

逃げるクランの背を見送る余裕はなかった。

エチカは僅かに広い直線の通路まで転移し、鉄槍を再度構える。両側が壁に囲まれていれば、敵の転移位置は前後のどちらか、把握が容易になる。


「エンテラール」


「はい。主」


「おそらくあの盾、視界を塞ぐのに使用するはずだ。転移の方角を教えてくれ」


「、、、承知」


応答に間があったエンテラール。

何事かを伝えようとしているが、


「大丈夫だ、何てことはない。とにかく今はユトが来るまで持ちこたえる」


視界の端で盾を構えた女が動く。

転移先は、予想通りエチカの正面だった。

視界が、盾に覆われて狭まる。

これでは逃げることは可能だが、鉄槍を正確に他二人に転移させることはできない。

それと同時に鉄球が無数に空間に浮く。


___体内への転移ではない。


「前方、8パッスス」


エンテラールの声を信じて飛ぶ。

転移が完了すると、三人を超えて大きく廊下の奥に進んでいた。

先ほどまで自分がいたところには、大男のこん棒が地面を穿っている。


「障害物をばらまいて、転移を阻害する。狭い場所では確かに厄介だ」


戦場では使い古された手法だが、こう室内だと今でも効力を発揮する。

アイリスがいてくれれば、と一瞬弱気に思うが、居ない者のことを考えてもしかたない。

エチカは思考する。

クランが言うには、彼女の夢のような世界で己は何もなせずに死んだように見えたという。

そう、死んだのだ。

理由は分からないが、この船上で自分は無死ではない可能性がある。

油断はできない。しかし、ここでいま何が起きているかを探らなくてはならない。

そういった意味では、ユミトルド地下牢獄の一件と状況が同じである。

なぜ、クランの夢は現実となるのか。

それはクラン・イミノルに何かが起きているのか。

それとも己にも何かが起きているのか。


「エチカ・ミーニア少佐、私はあなたに失望している」


こん棒の男がエチカの方を振り返りつつだった。

潰れた片目が、雄弁に何かを語るようにこちらに向けられる。

口を開いてくれるならば有難い限りと、エチカは鉄槍を下ろす。


「失望?最近はそればっかりだ」


「貴様が奴の好きなようにさせるから、我々は祖師そしの信を失いつつある」


「奴?」


「アルファリア・レオン。あの軽薄な新参の女のせいで、我々はっ!!」


男の怒りが計り知れないほど大きいことは、ウーシアの波長の揺れで感じる。

アルファリア・レオン。

ユミトルド地下牢獄の事件、その首謀者とされる、覚醒を操る者。


『目の前で醜く魚の餌になるテミナル島の住人たち。でも、あなたの心には、悲しみも、怒りも、絶望もない。あなたの大切な人もいるかもしれないのに』


『エチカ少尉の頭には、ただ、任務の失敗だけがある。結局、あなたは私たちの物語の外、関わることができない読み手というところかしら』


『いいえ、そんな眉唾ではなくてよ。本当の神様!彼女はこの物語の登場人物であるにも関わらず、超越して紙の向こう、読み手のことを認識できてしまった。そして気に入ってしまったのね。だから巻き込んだ。それなら、あなたがここで何もできないのは必然でしょう?落ち込むことはないわ。何も役割の与えられてない、ただの傍観者なのだから』


彼女の発言には、理解しがたいことが多い。

ただ、眉唾であると捨て置くこともできないような説得力があった。

自分という存在が、彼らの物語の外にある。それはエチカの深いところで納得させるような力のある言葉だった。


「なんだエチカ少佐、怒っているのか?」


男の声に、エチカははっとする。

どこか、あの女の炎のヴェールの中にいるような、薄ぼんやりとした感覚が僅かに残余する。

息を整え、ウーシアの流れに注意を向ける。

自然と力の入っていた鉄槍を持つ手の力を緩める。


「クランが羨ましいよ。俺は」


「どうした、感傷か?」


「ああ、そうだな。クランの無力感は、きっと、必ず、花開くものだ。でも、俺のそれは違う。気づいたら軍に居て、任務をこなす日々だ。自分がどんな人間で、何をなしたいのか、それも分からない。帝国は俺の故郷でもなく、本当の故郷の人々がああして殺されても何の感慨もない」


弱音のようなものが、口から零れる。

アルファリア・レオンにも、それからユト・クーニアにも、好きなように言われた。


「悲しいな、祈る神もないということか」


「ああ、君たちの文脈で言うなら、そういうことだろう。多少の達成感だけがあった。でも、それも近頃は、虚仮にされてばかりだ」


エチカは目を瞑り、頭を押さえる。

この船に乗船したときからだ。

クランにはあえて伝えなかったが、声が、頭の中に響く声が、どんどんと大きくなる。

その声は、いつも無音で脳裏に流れていたもののようだった。

誰かがそのツマミをおもむろに回し始めたように、刻刻と鮮明になる。



『、、、、、コニ、、、、ッタノ、、、、サナイ、、、、、、ウソ、、、、イヤダ、、、、、アナタノ、、、、、、ワスレ、、、、、、、、、、ゼンブ、、、、、、、、、、、、ヤク、、、、、、、ナサイ、、、、、、、、、、、マデ、、、、、、、、ハヤク、、、、、、、、イヤダイヤダイヤイヤダダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダユルサナイ!!』


感じたことのない他者の憤怒が、己の体を痺れさす。

まるで第一反発にあったような、煩わしくも心地よい負荷だった。

己の本来の人格も、理念も、何も分からない。

ただ、それをぐじぐじと考える暇は与えられていない。

そうであるならば、仮定の立脚地を用意するしかない。


この怒りに狂う声の先に、己は居る。

今はただ、そこに向かうことだけを考えればいい。

そこに全てがあるはずだ。


エチカは鉄槍を構える。

幾度となく、敵を前にしてそうしてきた。

だが、いつもと違う、僅かに充実した気持ちが、脚を運ばせる。


▲▽


盾を持つ手に力を込める。

エチカ・ミーニアのウーシアの波長が、まるで引き波のように脚を絡めとる感覚がした。海底深くに引きずり込まれるような、いくら藻掻いても頼るところが見つからない、そんな深淵。


『エチカ・ミーニア?大したことはないですわ。ああ、あなた怖いのね。そう、でも、見当違い。真に恐れるべきは、あんな矮小な男ではありませんもの』


ユミトルドの件を祖師へ報告し終えたアルファリア・レオンを捕まえて尋ねた。

まるで、これから私たちが決行しようとしていることを理解したように、炎に包まれた彼女の顔は一瞬、蔑笑を浮かばせながら、


『お姉さんが可哀そうなあなたに教えてあげる、、、聖女のルラ・コースフェルト、万朶ばんだのフランシャルン・パピノスペイパード、、、それから、そうね、万が一だけど、暗澹あんたんのシアナ・シアナ。このあたりが居たら、あの幸の薄そうな神官に進言することね。これまでの小細工が全て無駄になりますわって』


歯噛みしながら聞いたその進言。

結局、自分たちの動きをどこからか嗅ぎつけてきたのは、モチャ・ファズ中尉と、クラン・イミノル二名。

クラン・イミノルがなぜこの船から一度脱出することができたのかは分からないが、彼女が連れてきた増援も、アルファリアの警告には含まれていない者たち。

彼女の言葉を信じてしまっている自分が情けないが、それでも安堵したのは確かだった。


だが、


「____アルピエ!!出ろっ!」


名前が呼ばれ、はっとする。

こん棒を振りかざしたレゾヴァードの背後に、エチカ・ミーニアが転移を完了し、鉄槍を伸ばす。

アルピエがレゾヴァードの背を守るように二人の間に転移し、盾を構える。

と同時に、フィオラスが鉄球をエチカ・ミーニアの体内に転移させる。

幾度も訓練に訓練を重ねた連携。


「させないっ!!」


盾で鉄槍を弾き、そのまま片手剣をエチカの首めがけて振る。

瞬間、目の前からエチカの姿が消える。


「上!!」


フィオラスの声と同時に、血が数滴天井から落ちてくる。

上を向く間もなく、アルピエは盾を頭上に掲げた。


「くっ、、、!転移、、、!」


エチカの持っていた鉄槍が、自分の右太腿に刺さる。

視界を遮るのが遅れた。

が、なんとかそれを拒絶し、距離を取る。


エチカ・ミーニアは右腕と左脚から血を流している。フィオラスの転移させた鉄球が皮膚を食い破って転移を成立させたらしい。

今度はレゾヴァードが再度こん棒を振り下ろそうとし、エチカが槍を捧げ持つように受け止めようとした。


「甘い__!」


レゾヴァードはそのまま振り下ろさず、エチカの背後に入れ替わるように転移する。

振りあがったままのこん棒が、エチカの頭を背後から襲わんとそのまま加速する。

フィオラスもアルピエもその好機は逃さない。

鉄球の転移。

それから、アルピエはエチカの正面に転移し、視界を盾で塞ぎつつ、脇から片手剣で刺し穿つ。

剣の先が、エチカの腹にぷすりと刺さる感覚がしたとき、


「ぐ、、、、あっぁ、、、、、、、、、!!!」


第二反発の痺れ。

それを感じた瞬間に、アルピエは遠く廊下の後方の壁に叩きつけられていた。


「がぁあっ!!」


衝撃に体の骨が軋む。

第二反発で吹き飛ばされたと分かるのにそう時間は要しなかった。

エチカの転移はほんの一歩分のみ、先ほどまで自分がいた場所に居た。

レゾヴァードのこん棒が背を掠めたのか、アルピエの剣先によって血が滲む脇腹を手で押さえながら、蹲っている。


「、、、ミラリロの専売特許なんだがな」


エチカがゆっくりと立ち上がる。

その見かけによらない豪胆な戦いぶりに、三人は次の一手を躊躇する。


「主。申し訳ございません。転移先が全て潰されていました」


「いや、大丈夫だ。見えなければ、今みたいにすればいい」


エチカ・ミーニアの判断は正しい。

物体のある場所への転移は危険だが、対人物であれば反発が起こる。

そして押し負けた方が吹き飛ばされ、転移は成立する。

ただ、その荒業は簡単ではない。

強者にしかできない立ち回り。

傷だらけのエチカ・ミーニアを前にしても、何故か、アルピエには彼を打倒するイメージが湧かない。


「いい連携だな、、、こんなに互いが接近しているのに、波長を合わせているのか、反発が起きていない。うちの部隊にはまだない長所だ。だが、肝心は分かった」


そう言った瞬間、血だまりを床に残して彼は消えた。

そして、


「君がそうだ」


エチカ・ミーニアがフィオラスの背後に居る。

鉄槍はその手にない。


「、、、腕!」


フィオラスは自分に言い聞かせるように、鉄槍が貫いた自分の部位を口に出す。

だが、現れかけたその槍はすぐにまた消えた。


「転移の中断___?」


そんな馬鹿な、とアルピエが思ったとき、今度は槍がフィオラスの腹部に刺さる。

彼女の顔には困惑が浮かぶ。

___こんなことはありえない。

一度転移を行使すれば、それは成立するか拒絶されるかの二択だ。

だが、エチカ・ミーニアが今行ったのは、拒絶される前の転移の中止と、再転送。そもそも転移時は物体の所在が曖昧になる。それを再度補足して転送させるなど、理屈が通らない。それはこの世に存在しないものを転移させるに等しく、最早転移ではなく創出と呼ぶべき事象。


「______ぐぁぁああ!!」


フィオラスが腹から血を噴き出して倒れる。

拒絶に重要なのは認識だ。体のどこに、何が転移されようとしているのか、それを認知することが何よりも成功を齎す。

だが、一度かき集めた集中と認知は、そう容易く他の場所に動かすことができない。


(何が大したことないだ、、、化け物だ、こいつも)


フィオラスが十分に動けないとなると、転移の自由度が上がる。

その危うさに警戒心を上げたとき、自分の背後に転移のさざ波を感じる。


(ダメだ、振り向くなっ、、、!)


無意識に反応する体。

訓練された者であればあるほど、ウーシアの波長の変化に過敏になる。

これはバック・バック。

背後にあるのは鉄槍。

次に起こるのは、目の前に現れるエチカ・ミーニアと、その手に戻ってくる槍。

だから振り向いては、、、。

またウーシアが揺れる。

眼前にエチカが現れる。


「________そんな____」


正面にエチカ・ミーニアが現れる、その予感は間違っていなかった。

ただ、それは予感だけを土産のように置いていく。

何が起きたのかは理解した。

だが、その時にはもう背中が己の痛みで暖かくなる。


「自分の体でも、、、できるのか、、、」


それはまさに二段の跳躍と呼ぶべきものだった。

彼は、己の転移もまた、中断することができる。

アルピエが見たのは、転移の予兆が見せた、まさにウーシアの幻影と呼ぶべきもの。

バック・バックと見せかけた、単純な背後からの襲撃。

転移の応酬の中でも、それは本当に瞬間移動と呼ぶべき技術。

アルピアは背中から流れる血をそのままに振り返り、エチカを睨む。


「なぜ、、、なぜ、、、お前らの側に力がある?」


その才能、強さ。

それがあるのはいつも、悪を成す方だ。


「ふざけるな、、、お前らはいつもそうやって、、、」


「民族同化大戦のことを言っているのか?」


エチカ・ミーニアは歴史の教科書でも読み上げるように、そう言った。

もう二十三年も前。

だが、まだ二十三年だ。


「私の母が、父が、どうやって殺されたか、知っているか?」


答えようもない質問をしている。

それでも、この背中の痛みが口を閉ざすことを許さない。


「まだ小さかった私と姉を庇った両親の背中を、お前らは執拗に何度も刺した、何度も、何度も。でも、母は、父は、ずっと痛みに耐えて笑っていた。そして、泣きわめく私たちから二人を剥がして、まず母の前で父を殺した。そしてだ!今度は父を、、、姉を脅して、父に銃を向けさせたんだっ!!父を殺せば、妹は助けてやるとか言って、、、」


アルピアの涙はもう枯れ切って出なかった。

盾を支えになんとか立って、剣をエチカに向ける。


「なんとか生き延びた。あの地獄から。それでも、姉は自殺した、私一人を残して」


フォラリス神聖国で、食べる物にも、住む場所にも困らなくなった。

それでも、いや、それゆえに姉の中で成長していた罪悪感に、私は気づかなかった。

姉は私を守って死んだ。でも、私は姉を、両親を守れなかった。


「私は、お前たちを絶対に許さない」


エチカ・ミーニアの幼い顔を睨む。

なぜ、神は彼に力を与え、自分には与えなかったのか。

その不合理を嘆いても、状況は変わらない。

アルピエは盾を捨て、片手剣を構える。

背中に、優しく手が触れる。

それはレゾヴァードの固く厚い掌だった。


「役目は果たすぞ」


その声に、アルピエは強く頷く。

鉄球が、エチカと自分たちの間に現れる。


「、、、フィオラス、、、」


振り向けば、大量の血を流しつつ、フィオラスが立ち上がっていた。


「行くぞ」


レゾヴァードの声に、アルピエは覚悟を決める。


___神・フォラリスにとこしえの栄光を。

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