第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第8話 追憶
それは走馬灯というにはあまりに明晰であった。
あるいは記憶と呼ぶにしても、あまりに実感の伴ったものだった。
あたかも己から切断された両の脚を胸に抱えて、その血液の温かさを感じるかのよう。1回きりの死を、より濃密にするために流されたようなその映像に、クランは埋没していく。
▲▽
「クラン様、お夕食の準備が整っております」
慇懃な所作で、老婆が部屋に入って声を掛ける。
懐かしさと、耳を背けたくなるようなその少ししゃがれた声に、涙が誘われる。
その声が聴けるのは、おそらく世界中でもう、クランの思いの中だけだ。
「いま行きます。今日のメニューは何かしら?」
「今日は領地で収穫された作物の検食を兼ねておりますゆえ」
「私の食事は仕事じゃないわ」
「いいえ、クラン様。それもイミノル家の責務でございます」
「こんな田舎で楽しみといったらお食事しかないのに、、、」
クランの困った言い様に、老婆は声なく、手で廊下に誘う。
幼い己の声に、クランはしかし、もう戸惑いはなかった。
「マッシャからもお父様に言って下さる?」
「そうですね、、、クラン様が貴族の矜持を忘れていらっしゃる、とでもお伝えしましょうか?」
「ああ、嫌になるわ、本当にもう。家のことはお兄様がいるっていうのに」
夕食には、父と母、妹のノラン、祖父がすでに席についていた。
それから、父の甥で、養子となった兄。
クランはさっと皆の顔色を窺う。
厳しい顔をしているのは母だった。
「クラン、お爺様を待たせるとは何事ですか」
「お勉強に熱が入ってしまいまして」
その言葉、言い訳に、父が「ほぉ」と感心の声を上げる。
「何の勉強をしていたのかな?」
「、、、民俗経済学を」
クランは怯えつつ、正直に答えた。
それは勝算があったからだ。
「クランは本当に読書が好きだなぁ、今日は誰のを読んでいたんだい?」
祖父が白髪の眉を指で撫でつけながらだった。
日の光で磨かれた褐色の肌が、柔らかくひび割れて笑顔になる。
「帝国大学のムジアラ・カルスネン先生の著書でございます」
「ほう、それでなんと?」
クランが垂らした釣り針に、祖父が思惑通り引っ掛かった。
「お爺様、聞いて下さる?これまでの定説では、ジシュア様の開闢踏破により、この東部地域は既存の民族を啓蒙して農業が発展したとされてきました。しかし、カルスネン先生は、同様の状況であった西南地域と比較して、明らかな違いがあることを指摘しています。どちらの地域も農作物の生育には問題のない地域であるにも関わらず。この東部地域のみ、農業・畜産業の発展が著しいんです」
「ほう、それで?」
クランは己の勝算が確かなものであることを悟って、意気が揚がる。
「そこに民族性が寄与したのではないかと指摘されています。かつてこの地では、仰嵐山脈は神の寝床と信奉する土着の宗教があったことが明らかになっています。しかしながら、主な食肉は山に入り、禽獣を狩らなければ手に入らない。その時には神の寝床を汚すことへの恐れと罪の意識が常にあった。そこに目を付けた聖リドネス様が、農業と畜産を積極的に説かれた、と。実際に、考古学的にもその頃、山脈への立ち入りを禁止する御触れが出ていたそうです。つまり、、、」
席にもつかず、にこやかに聞いていたお爺様に熱弁をふるっていたクランの口が、ふと母の冷たい視線を認めて止まる。
それは意識的に止めたというよりは、身体の方が先に口への指令を遮断したようだった。
胃液が食道の方に込み上げてくるのを、なんとか飲み下す。
「クラン」
「はい、、、お母様」
「お料理が冷めてしまいます」
「、、、はい、申し訳ございません」
「それに、淑女がそう言葉多く話すのはどうかと思いますよ」
母の叱責に、妹のノランが心配そうにクランを見上げる。
ノランの小さな手が、揃えた太腿の上で小さく震えているのを傍目に認める。
それは母を恐れてのことか、クランを心配したような震えなのかは分からない。
「まぁまぁ、いいじゃないか。勉強熱心なことは悪いことじゃない。それにもう、私にもクランが何を話しているのか、全く分からないよ、なぁ、フィーモア」
父が、養子の兄に水を向ける。
「ええ、本当に。クランには驚かされるばかりですよ。僕も負けないようにしないと、この家を追い出されてしまうかもしれません」
眼鏡の位置を直して、クランに対して朗らかに笑むフィーモア。
その笑顔一つで、クランは抱擁されたような安堵を得ることができた。
今のようにクランが母に叱責されたときなどは、いつも兄が後で部屋に来て慰めてくれていた。
きっと今日も来てくれるだろう。
クランには母に睨まれることなぞよりも、それが楽しみでならなかった。
「なんだ、まだそんなことを言っているのか。クランもノランも、いずれこの家を出ていってしまうんだ。イミノル家の長男としてしっかり頼むぞ」
「ええ、そのつもりです。お父様。それにクランもノランも、僕の大事な妹です。どこかに嫁いだとしても、きっと私が守ってみせましょう」
フィーモアが二人の妹の顔を順番に見て、それからまたクランの方を見つめる。
その顔に、クランは照れ臭く視線を外して席についた。
▲▽
クランは、どこか、劇的な調子の己の生活というものに嘲笑を与えることしかできなかった。軍に入隊してからの、いかにも実務的な生活と比べて、なんて地に足のつかない、余分の多い生活だろうか。
これは追憶だ。
しかし、かつての自分は、振り返ってみれば、こうも枠に嵌った田舎の貴族の娘であったことに驚かざるを得なかった。
面白味のない、その言葉一つ取ってすら。
命のやり取りがない、その生活は、あるいは退廃的な高貴さとも言える。
「どうしてそう泣いているんだい、クラン」
フィーモアは、椅子に膝を抱えて座るクランの背中を優しく撫でた。
晩餐のときの期待通り、彼はクランを心配して夜、部屋を訪れた。
「だって、、、お母様が、、、」
クランは過剰に女々しさを盛りつけた弱音を吐く。
そうすれば、お兄様はより強く自分のことを抱いてくれることを知っていたからだ。
「お母様は、クランがイミノル家に恥じない淑女となれるよう、あえて厳しくしているんだよ」
「恥じないですって!?それは、ああいうことをしているお母様が言えることなのっ!?」
クランはフィーモアの手を払うように振り向く。
涙で大きくなった瞳を崩しながら、兄を見上げる。
「ああいうことって?」
「ああいうことはああいうことですっ!口にするだに恐ろしい!」
クランの媚態を含む泣き顔を、フィーモアは正面から受け止める。
弱弱しく傷を痛がるのに、その傷は決して手放したくないと言うような、そういう特有の天邪鬼は、少女であっても女性の武器であることを、クランは知っていた。
「そうか、、、クランは気づいていたんだね」
フィーモアの、さらに丸く、優しくなっていく瞳を見て、我慢していたものが決壊するのを感じた。その我慢は、心の傷に対してなのか、フィーモアへの思いに対してなのか、それを明確に認識していない、知ろうとしないことに、クランのずる賢さがあった。
クランはフィーモアの胸に飛び込んで、
「お兄様も、、、お兄様も気付いていらっしゃたのね、、、私、、、どうしたらいいか、、、分からなくて、、、」
「大丈夫だよ、クラン、、、僕が何とかするから」
「何とかって?あの間男、今夜もこの屋敷に、、、許せない、、、本当に、、、お父様が可哀そうで、可哀そうでならないの、、、」
泣きじゃくるクランを、フィーモアは落ち着くまでずっと抱きかかえていた。
頭を撫でられていると、クランの心のなかに静寂と、それから罪の意識がゆっくりと育ってくる。
髪を梳くように、フィーモアは長い時間、クランの顔を隠すように抱えたままだった。
「泣き止んだかい?クラン」
「ええ、ごめんなさい。お兄様、ご迷惑をおかけして」
「迷惑?そんなこと1つもないよ。クランは大事な妹だ」
フィーモアのその言葉が、罪の芽にさらに水を与える。
女がどういう生物かも知らない年齢で、自然に女を演じられる自分は、いったい誰からそれを学んだのか。
「妹、、、お兄様、、、私も、私もきっとお母様のことを悪く言えない、汚らわしい心を持っているの」
「汚らわしい?そんなことあるはずないよ」
「お母様のようにはなりたくない、、、でも、、、私は、、、お兄様、、、」
クランのうるんだ瞳、その困惑から、フィーモアは何事かを承知した。
フィーモアはもう1度強く、妹のクランの体を強く抱きしめる。
「お兄様、、、」
「クラン、、、」
クランはフィーモアの頬に優しく口づけをした。
それは見せびらかした罪の雛に与えられた生き餌のように、クランの喉を蠢きながら胃の方へと落ちていった。
▲▽
私は、愚かで、どうしようもなく弱い人間だ。
愚かな人間が歩むから、愚かな人生になるのか、それとも日々、愚かな行為を積み重ねるからそうなるのか、クランには判別できない。
あの日も、私はこの上もなく愚かしかった。
イミノル家の祈りを捧げる祭壇、そこに一人、クランは居た。
「聖リドネス様の大太刀、、、」
それはイミノル家に代々伝わる家宝。
農地開拓の際に使用していた、測量のための背の高い木製の棒に旗を付けたそれは、当時「天旗」と呼ばれていたらしい。
クランの背丈よりも優に長いその大太刀は、その天旗を模して聖リドネス様が作らせ、イミノル家の先祖に与えたものだった。
ジシュア様が海を渡ってユイセル大陸の地に降り立ったときの一行、その1人であった女性のリドネス様は、もとは一介の農業従事者であったとされている。
その二人の出会い、リドネス様の「聖拐」はこうだった。
クランは絵本で読んだその場面を思い出す。
遊行していたジシュア様に、あばら家で調理を振る舞うリドネス様。
『あなたの作る物には愛があります』
ジシュア様のお言葉に応えて言うには、
『愛は罪、罪は愛でございます』
『これもそうか?』
『食べることは欲が源泉となります。これは欲を満たすものです。罪が肥沃の大地から力を得て結実したものです。それに愛があると感じられるならば、それは愛と同量の罪のことでございます』
『それでは罪を食べることになる』
『ええ、そうでしょう。そうして我らは体を罪で重くし、この大地に結び付けられているのです。鳥のように空を飛ぶことも、魚のように海を泳ぐことも能わず』
『それで、あなたはどうしたい?』
『いずれ、この身に溜まった罪に耐えきれなくなり、大地に還り、また新たな実を付けることを望みます。それは愛です。ジシュア様』
リドネス様がそう述べると、あばら家の外はいつの間にか暗くなり、驟雨となった。空を飛ぶ鳥たちが、地に降り、木に憩いを求める。草木の匂いが立ち込め、陰るあばら家の中で、リドネス様の瞳が爛々と輝くのをジシュア様は見る。
『私は、罪から逃れて天に昇ろうとは露ほども思いません。己のこの重く扱い難い身体こそ、真に信ずるべきものです』
その言葉に力を見たジシュア様は、リドネス様を海渡に誘う。
それが「聖拐」の場面であった。
クランは大太刀を眺めながら思う。
聖リドネス様は、妻あるジシュア様に懸想していたとされるのが通説だった。
彼女は、そういった罪深い己の性質を知っていて、かようなことを言ったのではないか、そうであるならば、彼女の言葉は奉ずるべき類のものではない。
クランが頭の隅でそんなことを思っていると、図ったかのように、
「クラン、ここで何をしているのですか」
「お母様、、、いいえ、、、何も」
「この部屋にはあれほど入るなと言ったでしょう。どうしてあなたはそう、私の言うことを軽んじるのかしら」
母は言葉の落ち着きとは異なり、ひどく怒っているようだった。
クランは、罪深い母にそう指摘されることが、もう我慢ならなかった。
あるいは、兄という安全地帯を得たことが、反抗する力を与えたとも言っていい。
「家宝を、先祖に祈りを捧げることの、何がいけないのですか?ノランには自由にさせているではないですか」
クランの反論に、母が一瞬だけ瞬きを強くする。
「ノランは良いのです。あの子は私の言うことをきちんと聞く子ですから。ただ、あなたは決してこの部屋に入ってはなりません」
論理が破綻していることに、母自身も気付いていただろうが、有無を言わせないという威圧があった。しかし、母に対する反抗の心は、もうどうにも抑えることができなかった。それは、自分への反抗と同義だった。
「お母様には、、、あなたのような女には、、、指図されたくありません」
「女、、、ですって?クラン」
「聞き間違いではありませんよ。あなたのような人を母なぞと、私はもう呼びません。お父様を裏切り、イミノル家に恥を、そして、私を、ノランを、こうしてだまし続けているっ!」
「、、、騙してなどいません」
「嘘を言わないで!!じゃぁどうして、私の髪はこんなに黒い!あの男、、、あの男が、、、、っ!!」
クランが母の胸元を掴むと、綺麗な金の髪が揺らいだ。
それは無論、クランのものではなく、母のものだった。
母も、父も、祖父も、すでに亡くなった祖母も、家系は全て、陽が地平線に落ちる間際の最後の光のような金色だった。
クランの怒気に、母は少しばかり表情が固まった。
ただ、それ以外の変化、動揺は見られない。
「____クラン。あなたが何を考えているか知りませんが、私はあなたを愛しています。それだけは事実です」
それはまさに、自白とも取れるようなものだった。
「愛してるですって、絶対に、絶対にあなたにはそんなこと言われたくない。あなたは本当に嘘ばかり!!」
そう言って、クランは着ていた弱弱しいワンピースを脱ぎ、地面に叩きつける。
そうして肌着をまくり上げ、背中を母に向ける。
「これを見ても、まだそんな嘘がつけますかっ!?」
クランのまだ幼い肌、その背中には、火傷の跡が無数にあった。
その跡は、白い肌にあまりにも痛々しい。
「躾と言って、お母様が付けたんでしょう!?誰も何も言わないからって、私が気づかないとでも!?」
「、、、、、、」
「私、覚えてる。お母様の、氷のような顔と、気絶してしまいそうなほどの痛み。私はね!あなたの顔を見るたび、この背中が痛むの!あなたが憎くて、憎くて、たまらない!」
痛みのせいなのか、その時の記憶はない。
ただ、やはり母の鬼のような形相だけは忘れられない。
母は、すっと呼吸して、クランに近づき、脱ぎ捨てたワンピースを拾った。
それから、
「クラン。あなたの物言い、それから態度、看過できるものではありません」
ただそれだけを言って、クランは腕を掴まれ、引きずられる。
「、、、許さない、、、許さないっ!!、、、あなただけは!」
クランはそうぶつぶつと呟きながら、屋敷の外、物置小屋に閉じ込められた。
▲▽
どれくらい時間が経っただろうか。
物置小屋の隙間からは、僅かに月の光が差し込んでいた。
この小屋は、いつも母が間男と待ち合わせをしている場所だった。
一刻も早く、この汚らわしい部屋から離れたい、そんなことばかりを思っていた。
「外にでたら、お爺様に言いつけてやる」
それで父が傷ついたとしても、もう構わない。
これ以上、あの女がわが物顔でこの家にいることの方が許せないことだった。
願わくば、ノランが助けに来てくれないか、そんなことを考えていたときだった。
あわただしく、誰かが駆けてくる音が聞こえた。
「ノラン、、、ノランなの?」
「お姉ちゃん!!お姉ちゃんっっっ!!!」
あまりにも慌てたような声色で、ノランが小屋の鍵をがちゃがちゃとまさぐる。
クランが小屋に閉じ込められることなど、そう珍しいことでもないのに、何をそんなに慌てているのか、クランには分からなかった。
ようやく扉が開いたと思ったら、ノランがクランの腕を思い切り引っ張る。
「ちょっと、、、どうしたのよ、クラン、、、痛いっ!」
お母様に引っ張られたときに痣になったのかひどく傷んだ。
いつも何を考えているのか分からないような、温和なノランからは想像できない、何か箍が外れたような、そんな力の強さだった。
「お姉ちゃん、早く!逃げないと、、、逃げよう!!」
「逃げるって、、、いったいどうしたの?別にこんなの、、、それに出ていくのはお母様よ」
ノランは必死に抵抗する姉の腕を引っ張りながら、
「違う、そうじゃないの、、、お父様が、、、お爺様がっ、、、!早く!!」
予期せぬ名前に、クランも訝しがりながら、ノランに従って小屋の外に出る。
二人で脚をもつれさせながら、屋敷へと向かう。
逃げようと言っていったのに、なぜ屋敷に、とクランは思ったが、ノランの必死に抵抗することはできなかった。
「ノラン、、、ちょっと、、、ノラン、、、どういうことなの?」
私の声は、どこか興奮したような妹の耳には届かなかった。
そうして玄関まで辿りつき、ノランが勢いよくホールへと入っていく。
まず目に入ったのは、フィーモアお兄様の姿だった。
そしてお兄様と対峙している男。
それがお母様の間男だと気付いたとき、思いがけず近くにいた母の怒声が響いた。
「ノラン!!!なんで戻ってきたの!!!」
その金切り声に近い音で、ノランは体を硬直させてしまった。
「お姉ちゃんと逃げなさいって言ったでしょう!!」
クランは久方ぶりに、母が自分のことをお姉ちゃんと言うのを聞いた。
母が必死の形相で近づき、妹と自分にばっと襲い掛かるように覆いかぶさる。
「お、、、お母様、、、いったい、、、?」
クランは母に抱きしめられて、その暖かさに驚きながらだった。
なぜか、母の体は氷のように冷たいものだと、そう思いなしていた。
けれど、その時感じたのは、暖かみ以外の何物でもなかった。
「何が、、、どういう、、、」
言葉にならない声を出しながら、クランが母をどけようともがいたその時、
「____がっ、、、、うっ、、、、!!」
何か、生暖かい液体が顔にかかる。
その粘性を伴うそれが、血であることに気づくのに、そう時間は要しなかった。
血しぶきが、母の胸の中だったクランとノランの髪にかかり、ゆっくりと顔に垂れ続ける。
目を開けていられない。
いったい誰の血なのか。
そんなことは考えなくても明白だった。
二人を抱きしめていた母の力が、徐々に弱まる。
なんとか片目を開けると、そこには喉に丸く穴を開けた母が、クランの方を見つめながら絶命していた。
母はそのまま固まったかのように、娘を抱きかかえる形を変えない。
まるで生きたまま彫刻作品にされたかのようだった。
「、、、お、、、、お母様、、、、お母様、、、?」
クランは、母の喉に開いた穴、そこから目を離すことができなかった。
ノランもまた、ほとんど気絶したように口を開いたままだった。
「ど、、、どうして、、、お母様、、、なんで、、、、」
その時、1人の男が近づいてくるのを、その穴から見た。
ゆっくりと、一定のリズムで。
まるでこれから舞踏にでも誘うような優雅さだった。
「フィ、フィーモアお兄様、、、お母様が、、、」
クランは震える自分の声をなんとか抑えようとするが、舌がうまく回らない。
近づいてくるのは、お兄様なのか、それが分からない。
身体が、動かない。
「い、、、嫌、、、、来ないでっ!!!」
生物としての本能が、それが兄であっても、そうでなくても、近づくことを拒んだ。
そこでようやく口を開いたのは、フィーモアお兄様ではなかった。
「国家反逆的諸行為の罪により、イミノル家の者は死罪とする。君たち二人の身柄も帝国軍へと引き渡される」
それは確かに、あの間男の声であった。
「国家、、、反逆、、、?」
「クラン・イミノルがウーシア適合者であるにも関わらず、イミノル家の誰も、それを申告しなかった。そして、彼女を用いた反逆的行為を企てていた。よって死罪とする」
私が、、、適合者、、、?
そんなはずはない。
そんなことは、あり得ない。
一体これは何だ。
何が、どうなっている?
次の瞬間、今度は容赦なく母の額に穴が開いた。
もう母に力はない。
ゆっくりとその体が二人から離れていく。
もうすでに息のない母が、最期に二人に腕を伸ばすように、それからゆっくりと後ろに倒れていった。
男の顔が、母の遠のく体の向こうに見える。
「あああああああああああお母様ぁぁああああああっ!」
絶叫したのは、自分か、ノランか。
もし自分だとするなら、母に対してまだそんな親子の感情が残っていたことに驚く。
記憶はそこまでだった。
____歌が、聞こえる。
それは母の死を弔うものなのか、現実での私の死の方に捧げられたものなのか。
実態を伴った追憶は、そこで途端に映写された映像のように立体感を失っていった。
▲▽
「いやぁ、こんなところでエチカ少佐に会えるなんて、僥倖ですなぁ」
そんな間の抜けた男の声で、意識がはっきりとする。
深い眠りから覚めたような、所在の不安が頭を襲う。
「ユミトルド地下牢獄の件では、大変ご活躍されたようで」
「いや、そうでもない」
聞き覚えのある、幼い少年の言葉。
___エチカ少佐。
妹のノランの思い人。
彼もまた、私は守れなかった。
守れ、、、なかった、、、はずだ。
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、え、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、?」
見渡せば、そこは聖ジェファールズ豪華客船、そのパーティフロア。
目に眩しい光の奔流を認めて、頭がくらくらする。
さらに顔を回すと、クヘルス二等兵の退屈そうな顔がある。
「そんな、、、どうして、、、、私は、、、、」
クランは恐る恐る、頭を下げる。
あの恐ろしい光景が頭をよぎる。
自分の脚を、あたかも道に朽ちた生物の死骸のように見た、あの瞬間。
ただ、そこには当然、確かにフロアに立つ自分の脚があった。
追憶は、まだ続いているのか?
「は、、、、ははっ、、、、、なにが、、、、?」
様子のおかしいクランに気づいたのか、エチカ少佐が小さな声で、
「イミノル伍長?どうした、顔色が悪いぞ」
「い、、、いえ、、、なんでも、、、」
「まさか傷が、、、」
エチカ少佐の顔が近づいたとき、フロアは暗転する。
いつかと同じく、満を持したようなアナウンスを聞く。
歌姫が、その姿を月光の妖精のごとく現す。




