第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第6話 歌姫
そのあまりの平穏さに、クラン・イミノルは絶句した。
「ああ、これは陸軍のお歴々、びっくりしましたよ」
そこにいたのは船長らしき六十代くらいの男だった。
エチカ少佐が聞くには、もともとは海上警備隊に属していて、定年後に客船を運営する会社に雇われたものだという。
「特に運航に問題はございませんが、、、」
船長はクランが腰に佩いた太刀に目を落としながら言う。
「できれば武器は、、、まぁいいでしょう」
エチカやクヘルスは鉄槍を海上警備隊の船に置いたままだった。
有事になればそこから転移させる。クランだけはその転移による武器の回収に不安があったために、こうして持ってきたのだった。
「うちの者が一人、連絡が取れなくなった。それに1人、負傷して戻ってきている」
エチカはクランの方を見ずにそう言った。
「戻る?どうやってです?」
「おそらく陸を離れてすぐのことだ。それでぎりぎり転移で離脱できたんだろう」
「はぁ、、、特に報告は受けておりませんが、、、それにこの船は今しがた出航したばかりですが?」
船長の言葉は、俄かには信じがたかった。
クランが負傷して戻って、それから第三騎兵師団の営舎、パミドール海上警備隊基地港、警備船での移動。
現状の位置からしても、ゆうに2時間は経過している。
船旅を主にしている人々の時間間隔は、陸の感覚とは違うのだろうか。
クランが思ったことは、エチカも同じようで、
「、、、とにかくパミドール海上警備隊基地港に戻って欲しい」
エチカの言葉に、操舵室が一瞬静寂になる。
「それは、、、」
「皇帝直隷の部隊も、我々とは別に動いている」
そのエチカの言葉が決定打となって、船は進路を戻した。
▲▽
「いったいどういうことだ?」
エチカの軍服を見て、メインのパーティフロアにいる人々が一斉に耳打ちをしだす。
その声は、一つ一つは小さくとも、大きなうねりとなって喧噪となる。
誰が最初に話かけるか、皆が様子を窺ってけん制している最中、1人の男がエチカに近づいてきて、
「これはこれは、エチカ少佐ではないですか!?」
ワイングラスを片手に、にたにたと笑う男。
「ユミトルド地下牢獄の件では、大変ご活躍されたようで」
「いや、そうでもない」
「民主神聖同盟のやつらが、何か茶々をいれているようですが、あんな奴らの言うことを信じる者は1人もおりませんよ」
「ああ、そうだといいな」
「それで、どうして少佐がここに?確か軍関係者は1人以外、誰も乗船しないと聞いておりましたが」
1人。
その言葉にエチカがわずかに反応する。
それに、軽薄な男が持つワイングラス、その赤い湖面がわずかに揺れている。
「大したことではない。ちょっと散歩みたいなものだ。それで、あなたは?」
「私は、パミドール州で小さな畜産関係の会社を経営している者です」
その時、会場の明かりが静かに落ち、ウェルカムパーティの司会のアナウンスが告げる。
「それでは、聖ジェファールズ豪華客船の船出を祝して、帝国一の歌姫に登場していただきましょう」
▲▽
必要最低限の調度品しかない、それでいて1人で使用するにはあまりに広い控室。
その簡素な鳥籠には不釣り合いなカナリアが、存在を隠すように部屋の隅で椅子に座っていた。
「、、、、、、キュイゼル」
「エチカ様」
帝国陸軍軍楽隊のキュイゼル・フリンスは、一瞬頬を柔らかくしたあと、すぐにそれを隠した。
「元気か?」
「はい。おじ様たちはお変わりなく?」
「ああ、最近は隠居気味で草いじりをしているよ」
クランから見て、その桃色の髪の女性は、まさしく貴族の淑女の見本のようだった。エチカを認めて、優雅に立ち、一礼をする、その全てが何万回も繰り返された末の洗練さを持ち合わせていた。
クヘルス二等兵すら、わずかに背筋を伸ばして、「これは、、、」と感服しているようだった。
「、、、何か、あったのですね?」
「ああ、ここにいるクランがこの船で何者かに襲われた。そしてモチャ・ファズ中尉と連絡が取れない」
「軍関係者は私だけと聞いておりましたが、、、」
「ちょっと訳あって潜入してたんだ」
「そうですか、、、残念ながら、私は中尉を見かけておりません」
「寡婦の恰好をしていたのだが」
「いえ、そのような人もまだ、、、」
キュイゼル・フリンスは申し訳なさそうに頭を下げる。
「お役に立てず、申し訳ございません。エチカ様」
「様を付けるのはやめてくれ。姉弟みたいなものだろう。何度も言っている」
「そういう訳には、、、」
「せめて少佐と呼んでほしい」
「わかりました、エチカ少佐。それでは、久々にお茶でもご一緒することはできないのですね」
「ああ、残念ながら。ただ、今回の件が解決したら、少し時間を欲しい」
そのエチカの言葉に、キュイゼルは今度こそ、隠せない微笑みを見せた。
「ええ、、、もちろんです」
顔なじみらしい二人の応答の隙を見て、クヘルス二等兵が乾いた唇を割る。
「麗しい歌姫様?すみませんが1つ聞きたいことがございまして」
「あなた様は?」
「私は第三騎兵師団所属、ミンク・クヘルス二等兵でございます。お見知りおきを。先ほどは美しい歌を聞かせていただいて、良い冥土の土産となりました。あれは聖ジェファールズを讃える歌ですな?」
冥土の土産という冗談に、キュイゼルは少し困った顔をしつつ、
「ええ、リロの地を追われたジシュア様が真善海で嵐に見舞われたとき、操舵手であったジェファールズは声を聴きます。その声は、ジシュア様の内なる神聖が伝えたものとされています。いわく、水流は落葉を回し、逃れること能わず。しかして冀望する、死して沈まんと。されど、それこそ人の罪なり。死は跳躍にして、回帰にあらず。その声を聴き、聖ジェファールズが祈念すると、いわゆる葉船はいつのまにか嵐を抜け、ユイセル大陸を遠く眺めたといわれています」
「そして、嵐を抜けた船には、ジェファールズ様の姿はなかった」
「ええ、そうです。詳しいですね」
「一応ジシュア新派の信徒ですからな。それで聞きたいのはそれではなく」
「ええ」
クヘルス二等兵はそこで水筒に入った酒を煽る。
あたかもこれから聞くことは大したことではないのだ、というように。
「この客船、出航してからどれくらい経ったかな?」
キュイゼル・フリンスは、その美しい相貌の上にわずかに疑問の影を落として、
___正確には分かりませんが、まだ1時間も経っていないと思いますよ
その時、控室の扉が強く開け放たれる。
「おい!!キュイゼル・フリンス!!お前何を、、、ってクラン?お前勝手にどこに行ってた、、、それにエチカ少佐まで、、、なんでいんの?」
連絡が取れずにいたモチャ・ファズ中尉が、そこにいた。
▲▽
ガラスで天井を覆われたプールは煌めいて、まるで本物の海のように白い兎があちこちに飛び交うようだった。
乗船客のほとんどは、まだウェルカムパーティの熱狂の中だ。
「キュイゼル・フリンス。歌えない歌姫が、ここで何をしてんだ?あ?」
「ファズ中尉、、、」
寡婦の衣装を脱いだファズの手には、隠して持ち込んだ小振りの短刀が握られている。クランもまた、上官に習って刃を向ける。
「この船、何を企んでいる?」
「私はただ、軍の指令で、、、」
「じゃぁ軍はどこから要請を受けた?」
「この船を製造した会社からだと、聞いています」
「それはおかしな話だなぁ。歌を歌うだけなら誰でもいいはずだ。わざわざ怪しい密談をするのに軍関係者を入れる訳ねぇ。見てみろ、お前1人だ。それにウーシア能力者ときた。そんなリスクを負う必要があるか?ねぇよ、ねぇ、まったくねぇんだよ、クソ女」
「私が、何かを企んでいるということですか?」
「ああ、そうだよ、そう言ってんだ。大罪人」
大罪人という言葉は、目の前の歌姫と相反する言葉のようにクランは思えた。
彼女は軍内外に関わらず人気があり、どこのチャリティー活動にも精力的に顔を出すことで有名だ。
そのクランの疑問を受け取ったのか、
「こいつはな、タクトフォンの急進保守派との小競り合いのとき、私の部下をうん百人殺したんだ」
丁度1年前。
その抗争にはクランも後衛として参加していた。
本来であれば最前線で戦うべきだったが、妹を失って1年、まともに転移もできずにいた自分は、無力感に苛まれながら歯噛みしていたのを覚えている。
想定よりも激化した争いとなり、終結するころには多くの兵士が亡くなったということだけは知っていた。
ファズ中尉の言葉に、クランは驚愕を隠すことができなかった。
その動揺が致命となった。
「おいっっ!!!!!!!クラン!!!!!!!!!!!!!!」
クランの顔に血しぶきがかかる。
「え、、、?」
それは同行していた、記者に扮した男性兵士のものだった。
「クソったれがっ!動けクラン!!」
クランは訳もわからず転移を試みる。
が、とにかく前方へ、と念じた瞬間、身体が痺れる。
「第一、、、反発、、、っ」
「死ぬならノランに詫びてから死ねっ!」
ファズ中尉が向かってくる。
ほとんど体当たりに近い接近。
中尉の顔が目の前に来る。
また私は、何もできずに守られるのか。
そんなのは嫌だと思いつつ、身体は痺れて動かない。
敵のウーシア適合度が高いのか、それとも自分の運用技術が地に落ちたのか、それすら分からない。
(ファズ中尉、私は、、、)
その言葉をすでに受け取ったとでも言うように、ファズ中尉の顔は、なぜか笑っていた。
膨大なウーシアの波長の波が、収束していくのを感じる。
「_____ぶち飛べ______っ!」
ファズ中尉の拳がみぞおちに深くめり込む瞬間、クランは転移のざわめきを感じながら見、聞いた。
ファズ中尉の向こうで短刀を握るキュイゼル・フリンス。
その姿が瞬きの間に消える。
それから、
「、、、、、、絶望は、超えてこそ価値があんだよ、馬鹿が」
ファズ中尉の声が耳に届いた瞬間、転移が成立する感覚と、臓物に刃が刺さる不快が、同時にクランを襲った。




