第1章 聖ジェファールズ豪華客船事件 第5話 乗船
「これはこれは、ホーバス新聞社とは」
壮年と中年の狭間のような男が、人好きのする笑顔を向けてくる。
七三に分けたような髪に、小さな口からげっ歯類のように少し出た歯、眉が太く、肌は少し日に焼けている。
「取材で来ておりまして、皆様のお邪魔にならないようにいたしますので」
「まぁまぁ、そう腰を引かずに。皆、同じ船の上ですよ、生きるも死ぬも運命を共に。ははは」
「それはまた、いやはや」
聞けば、畜産関係の企業の二代目社長という。
いかにも二世らしい軽薄な口の回し方だと、モチャ・ファズ中尉は寡婦の被るベールの裏で目を細めた。
話の相手をしているのは、記者に扮した第二十一班の男性兵士だ。軍に入る前は企業に勤めていたこともあるらしく、それで抜擢した。ファズはクラン・イミノルとともに彼の横に立ちながら、およそ兵士とは思えない愛想笑いの上手さに、少しばかり関心した。
「でもあれでしょう、ここで聞いたことは、あまり書けないことも多いのでは?」
「といいますと?」
「なるほど、天下のホーバス社でも掴んでないこともあるのか」
「無論ですよ、私たちはあなた様のような交友関係の広い方からお話を聞いて、それで初めて記事にできるんですから」
「そうかそうか!ほら、この客船、実は帝国とモッペル経済国との民間レベルでの完全国交回復を目論んでるみたいですよ、ああ、これも書かないでくれるかな?」
ニタニタと笑う男には、虚栄心以外の感情は見られなかった。
モッペル経済国は帝国の最南東に位置し、西側は帝国に、東側は仰嵐山脈の向こう、大新民族帝国とも接している。南は分霊海であり、空からみれば大陸を縦断する仰嵐山脈の流した涙のような平野の広がる半島である。
領土は小さいが、自由主義経済による発達した文化・文明を持っており、特段どこの宗教・民族の派閥にも属していない。いわば経済こそが唯一の国家の支柱であるような国だ。
「それはどうでしょうね。帝国はモッペル経済国を警戒していますから」
「かなりの人数、モッペルに難民として流出しているからなぁ。それも貧民ばかりではない、私もそうしたいものだ」
「ご冗談を」
「いやいや、せっかく育てた食肉を、安い公定価格で買いたたかれてるんだこちらは。冗談と思うかね?」
「はぁ、、、私の胸にしまっておきます」
「それがいい、それがいいな!ははは。それで胸やけでもしたら薬をやろう」
二世社長は記者の肩をばんばんと叩きながら、ウェルカムパーティーへと戻っていく。
そうして社交とも言えぬ交流を終えると、にわかに明かりが落ち、会場が静かになる。
ファズとイミノルもパーティー会場の奥、一段高くなったステージの方を見る。
暗闇の中から、細く、それでいてしなやかな声が、会場の空気をさざめかす。
まるで中を舞う埃が陽にきらめくように、「些末なものこそ美しくあれ」、というような慈愛に満ちた歌。
照明がゆっくりと光を膨らませ、1人の影を明らかにしていく。
その瞳を隠した歌姫の声は、わずかにウーシアの波長を含んで、観衆の心を捉える。
「あれは、、、」
質素なカクテルドレスに身を包んだ女性。
そのドレスの色と同じ、桃色の短い髪がふわりと浮き上がる。
歓声が、静かに、それでいて確かに広がっていく。
クランが、その者の名をファズ中尉にだけ届くような声で呟く。
「___萎凋の歌姫、キュイゼル・フリンス」
▲▽
「それでもう1度聞くが、船の中でのことは何も覚えていないんだな?」
エチカの問いに、クランは申し訳なさそうに頷く。
警備船からの信号は、何事もなく豪華客船へと届いた。
皆は船の簡易転送室に集まって、目の前の薄く棚引く波濤を見る。
海上の船へは、陸地から離れれば離れるほど直接の転移による乗り込みは不可能となる。が、こう接近すれば船舶間での転移は成立する。
その現象についてはいまだ解明されていないが、転移において陸地と海上では性質が異なると今は考えられている。
「何か、歌のようなものを聞いたのは覚えています。でも、どこか夢のようで」
その言葉に反応したのは、「憂虞の鳴器」のニスカエルマ・トーラーだった。
「それはうちの隊長と同じで、何か精神に届くウーシア運用かな」
「それは、、、分かりません、、、」
エチカはニスカエルマを訝しく眺める。
その視線を受けて、彼もまたエチカに微笑む。
お前はどう思う、そう問いかけているようだった。
「クランの記憶がないのは、乗船直後に襲撃されたか、それこそ精神的な何か干渉を受けた、そう考えるのが妥当だ」
「うんうん、そうだね。ということは」
エチカはニスカエルマの見透かしたような頷きを鬱陶しく思いながら、
「一気に全員が転移するのは危険だ。二組に分かれる」
組み分けはこうだった。
第一陣に、エチカ、クラン、クヘルス。
第二陣に、クーニア、ニスカエルマ。
第二陣に最大戦力を残す。
それがエチカの判断であった。
「エンテラール」
「はい、主」
エチカの問いかけに、ずっとそこにいたかのように幻視の翼が広がる。
金糸の髪が流れ出た血液のように重くゆらめく。
「俺に何かあったら、通信を頼む」
「主。あの船は危険です」
感情の見えない幽霊は、心配の声を出してもそうは聞こえない。
「珍しいな」
「予感、めいたものです」
「幽霊に予感なんてあるのか?」
「差別的な発言として記憶しておきます」
「その時は、お前がなんとかしてくれ」
「何ともできないから今お伝えしているのです」
「それでも、行かない訳にはいかないだろう」
「そうですね。余計を言いました」
エンテラールはそこでまた姿を隠した。
彼女がここまで意見を具申してくることは珍しい。本当に慎重を要するということだ。エチカの頬に緊張の糸が張る。
それからエチカはジャルジャ中将に小型通信機器を通じて連絡する。
「今から乗り込みます」
「おう。通信状態は良好だ。今回はアイリス嬢のサポートもないから、気をつけろよ」
「承知」
エチカは鞘に納められた大太刀を握るクランの、その震える手を見た。
「あぁ、いやだねぇ、転移した途端ぐさり、なんて。祈る暇ぐらい欲しいことだ」
クヘルス二等兵はそう弱弱しく呟きながら、それでいて真っ先に転移装置に足を踏み入れた。
エチカ、クランも慌てたようにその後を追う。
歌が、まるで海鳥でもいざなうように小さく聞こえたような気がした。




