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第0章 地下牢獄騒擾事件 第14話 魚群

炎の(かいな)に抱かれながら、エチカは地獄を見ていた。

いや、地獄と比喩する権利は今の自分にないことを、さっき知ったばかりだ。

意識が戻ったのか、強制的に目を覚まされたのかは分からないが、高台から見下ろす景色、その意味はすでに女から聞かされていた。


「黒い、魚、、、」


「あれは鯘魚(アザレウオ)。モナちゃんが始めたようね」


人間を一飲みにしてしまうほどの巨大な魚が、監獄内にほとんど無限と言っていいほど湧出していた。その魚の体表は常に融解しつつ再生するように波を打っており、腐って落ちた体の一部は泥沼のようになっている。鋭利で不気味な歯が、人間の骨を咀嚼する音がバリバリとこの高所にも届く。

エチカは事態がすでに自分の若い両の手から零れ落ちているのを感じていた。

目の前の女と、モナ・ザレファユフセラ。

二人の覚醒者を前にして、立つ膝はもうない。

民主神聖同盟は、ウーシアの理解において帝国のそれをすでに超えている。

覚醒という現象は、観察以上の域を出ていない、科学でも実践においても未到達の領域。

それを半ば意図的に起こすことができる時点で、彼女たちは全てを掌握していると言っていい。


「エチカ・ミーニア少尉。やっぱりあなたは物語の外にいるのね。羨ましいですわ」


煉獄の炎に顔を焼かれながら、無聊(ぶりょう)を慰めるために看板の文字でも読み上げたように言う。

 

「物語の、外」


「ええ、人生とは個々人の描く物語、なんて安い言葉は言いたくありませんわ。この世は、誰か少数の強い人間の書く話の中にあるのです。そしてその話は、意味も比喩も暗喩も寓意も対比も予感も予測も道筋も表題も意義も論理も構造も真理もない、本当にただのお話なんですわ」


「反体制ということか」


「体制?そんな矮小な存在ではないわ」


女は炎を操り、エチカと自分に襲い掛かろうとする、黒く、爛れた魚を払う。

大きく開いた赤黒い口と、鋸のような歯、垂れる涎が一瞬で蒸発した。

その魚には敵も味方も区別はないようだった。


「エチカ少尉。あなたはここに来て、いったい何をしたかしら。軍の指示に従って隊を引き連れ、レクタニア・ハニーハートに無駄に脅され、訳も分からないまま味方に捕まり、今、ここにいる。命を賭しているのは、あそこ、あなたの部下だけ」


エチカはその炎を不思議に見ていた。

まるで熱がないのに、黒い魚の群れは次々に消失していく。

恐ろしさも、拒絶するような感もない、むしろ心の根底から暖かみを感じる炎。

この女が何者なのか、さらに分からなくなる。

エチカは自分の背後で倒れたままのハイト・コレード一等兵を見る。

生きているのか、死んでいるのかも判然としない。

一緒に連れてきたということは、無事なのかもしれない。

女が言うことは真実だった。

確かに自分は一等兵の彼よりも、ここで何をも成していない。


「目の前で醜く魚の餌になるテミナル島の住人たち。でも、あなたの心には、悲しみも、怒りも、絶望もない。あなたの大切な人もいるかもしれないのに」


記憶がない。

ゆえに、それに付随すべき感情も当然起こらない。

エチカの背後に浮遊するエンテラールはいつものごとく、感情のない顔のまま、同じく悲惨の鍋底となった監獄をじっと見ていた。彼女がエチカに付き従うようになったのは、テミナル島の惨劇の時だったと、ミラリロに聞いた。彼女が元は何者だったのか、それはエチカも、エンテラールもすでに失ってしまった記憶だ。

ほとんど自ら話をしない彼女は、今、何を感じているのだろうか。彼女もテミナル島の関係者だとするならば、エチカと同じく、感ずるべき悲しみや怒りから置き去りにされているのだろうか。


「エチカ少尉の頭には、ただ、任務の失敗だけが頭にある。結局、あなたは私たちの物語の外、関わることができない読み手というところかしら」


「それなら、なぜ俺に構う?」


「構う?、、、、、ははっ、はははっははははははははははっはははははははっはは!!」


女は、大人に理解できない幼児の行動を見て笑うように、憚りなく大声だった。まるで魚の群れを指揮するように、両手を広げて、彼女は言う。


「ははっ、本当にそうね。だって仕方がないでしょう。私たちの物語、その登場人物の1人は神様だったんだもの」


「神?フォラリス教のか?」


「いいえ、そんな眉唾ではなくてよ。本当の神様!彼女はこの物語の登場人物であるにも関わらず、超越して紙の向こう、読み手のことを認識できてしまった。そして気に入ってしまったのね。だから巻き込んだ。それなら、あなたがここで何もできないのは必然でしょう?落ち込むことはないわ。何も役割の与えられてない、ただの傍観者なのだから」


女の感情はその時、初めて憎しみに満ちたように深く、重いものとなってエチカを見た。


▲▽


_____アキエース(マネ・ウト・エス)


その神の啓示のごとき響きを持った言葉が脳裏に響いた瞬間、アイリスは全力で退避した。

サバランティオ・レイトルドール曹長のいる居住区外壁付近。

そこにもすでに黒い巨体の魚が犇めいていた。


「い、、、、いやぁ!!!!痛い痛い痛い痛い痛いイダイイダ、、、、」

「何だコレェ、脚が、脚がぁぁぁあああ」

「死にだぐないっ、、あんなの、、あんなので、、、、、」


人間が逃げ惑う。

居住区から外、作業区域へと至る道と反乱で空いた穴には人が殺到し、それもまた魚どもの恰好の的となった。魚が地面ごと削り取るように、人間たちを大きな口で掬ってはその胃の中へ押し込む。


「_____驟雨(しゅうう)無展鏡(むてんきょう)


転移したばかりで思考する余地もなく、アイリスは魚の群れに対峙する。

彼女の痩身の剣が、次々に魚の躯体に刺さり、核を失ったように溶ける。

たが、血だまりのように溶けたそれから、さらに新たな魚が生まれ出でる。


「キリがない、なんて呟くことは意味がないって思ってたけど、言いたくもなるね、こんな状況じゃ」 


アイリスは視覚の転移数を最大にし、監獄内各地の映像を捕らえる。

そして、手当たり次第に剣を魚の身体へと突き刺していく。

一斉掃射と圧制、たった一人の兵士の成すこととは思えないその荒業は、アイリスの本分とするところだったが、いかんせん再生が厄介だった。

期待の眼差しで鉄馬に乗ったまま茫然とするミラリロを見るが、


「無理もない、、、か」


アイリスには、己に覚醒の遠い足音が聞こえる予感がない。

何かが足りないのだ。

探らなければいけない。なぜ、モナ・ザレファユフセラは己のタイミングで覚醒へと至ったのか。

だが、ここは戦場であって、勇者の物語の一幕ではない。

ミラリロならもしくは、とも思ったが、それも危機に瀕した際の生存本能が見せる虚ろの期待だ。

アイリスは、骨が砕け、人が叫ぶ地獄の中で、一人の動かぬ天使と化して剣の雨を降らす。それは恵みをもたらす慈雨とはならず、むしろ増え続ける魚にとっての僥倖のように見えた。

魚の1体1体は大した耐久力はなかった。

捉えられるのは、無垢の一般人だけ。

その油断が、広げ過ぎた転移範囲の隙をついた形で現れた。


「、、、、、、、、、、、、、、、ぐふっ、、、っっっっっ!」


どこから現れたのか、アイリスは現実の目で自分の腹部を見下ろす。

そこには三又に分かれた(もり)のような大きく無骨な槍が刺さっていた。


「魚がいるんだもの、それを捕らえる荒者(あらもの)だっているに決まってるじゃん」


どこかで、モナが笑う声が聞こえる。

アイリスは転移で距離を取ろうとしたが、うまくウーシアの波長を捕らえられない。痛みで脳が充足していく。監獄内に張り巡らせていた視覚も途切れた。

槍が引き抜かれ、また振りかぶる雰囲気が背後からする。


動け、動け、動け!!


そう念じても、それは動力へとは繋がらない。

囚人を救おうとしたことがあだになったのか。

生き証人は1人でも多くいた方が良い、そう思っての行動だったが、間違いだったのかもしれない。

ミラリロの慟哭が、どうにも自分の判断を狂わせてしまった。


追撃の槍が自分の背中の表面に食い込むのを感じて目をつぶったとき、ふと、その圧力が消えた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


再び開いたアイリスの瞳には、長い髪を1つにまとめた若い男が映った。


「、、、がっ、、ぐっ、、、、、、あんたは、、、、、エチカの、、、、、、?」


「サバランティオ・レイトルドールです。お会いできて光栄です、アイリス・ライゼンバッハ特務曹長。鉄馬に乗ったままのご挨拶、失礼いたしました」


サバランティオは鉄槍を宙に浮かべながら、硬い表情でなんとか笑おうとしていたが、すぐに恐怖に塗りつぶされた。

目の前には、隆々とした黒い影の大男が、三又の槍を雄々しく担いで立っていた。

そして、1人、2人、3人と徐々に人数が増えていく。同じような槍を持つ者もいれば、長剣、弓、斧、さまざまである。


「あいつら、黒い魚みたいに弱いってことありませんよね?」


「、、、、、、ウーシアの、、、波長を感じない?曹長。あれは、、、、、、ウーシア適合者と同等と見て良い、、、、、、」


アイリスは腹部を抑えながら、喘ぐように答える。


「生憎、ここまでの実践は初めてなので」


「、、、、、、そうか、それは、、、なんとも、、、ご機嫌だね。、、、、、抜き打ち教示訓練と行こう」


「腹に穴の空いた教官についていくぐらいはできますよ」


「、、、、、、誰が」


アイリスは腹部から流れる血もそのままに、まだ崩れずに残っている外壁に消える。それが合図となって、サバランティオ曹長の鉄槍が影の男の1人を穿つ。


「そのまま!そのままだ!!」


サバランティオ曹長が叫び、それに呼応したようにアイリスの剣が二振り、同じ男に突き刺さる。転移の成立まで、1秒、2秒。

だが、曹長の握った拳もあえなく、それは弾かれた。

他の影が、曹長の方へと駆け出してくる。


「拒絶に特化したウーシア運用か」


アイリスは転移しつつ逃げる曹長の補助をしながら、周囲の魚を蹴散らしていく。影の男が出てきたからと言って、それらが消えてくれた訳ではない。

それにミラリロだ。

いまだ動く様子もなく、戦場の最中で茫然としている。

1人の影がミラリロの方に標的を変える。

アイリスは十の剣で以て、その影を地に縫い留めるのがやっとだった。


「ぐぅっ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」


サバランティオ曹長の転移は、やはり未熟であった。逃げ切ることができず、斧の一振りが転移の間隙を突いて、曹長の太ももの肉を掠め取る。

この間にも、監獄の人間の被害は広がる。もう予断は許されなかった。


____優先順位はなんだ?


アイリスは援護射撃を続けながら、道を探る。

もともとの指令は、民主神聖同盟の輩を殺害すること。

それはもう不可能だ。

モナ・ザレファユフセラに近づくことも難しいが、近づいたとて現状、敵う算段がない。彼女は今、ほとんど人間の形を脱している。体は無限に腐り続け、死へ漸近しつつも、その力を増しているように見えた。漆黒の羽に、おどろおどろしい血の王冠、それから耳や鼻、目、脚や腕が、身体のいたるところから無数に、無秩序に表れてはまた体内に消えて行く循環。それはモナの身体という沼の中で幾百人という死体が安息地を求めて藻掻いているようだった。

それに、仮にモナを打倒したとして、炎の女も同様に危険視すべきだった。

ならばエチカの救出はどうだ。

それも、1つ目の目的がとん挫している現状、同様に不可。

ならば、、、。

ただ、それでいいのか。

分からない。

しかし、今この場で、自分の判断と人間性を変えることなどできない。

今はこの考えに従うしかない。


「サバランティオ曹長!ミラリロお姉様を連れて撤退する!私が道を作るから、営舎への転移座標までっ!!」


「くっ、、、、承知っ!」


サバランティオ曹長はその時、乱戦の中で失念していた。

ミラリロが撃退した、民主神聖同盟の首謀者。

彼は、何も口に出さず、大人しく捕縛されたままだった。

そのため、サバランティオは反乱に加担していない囚人たちの監視に意識を向けていた。

その時だ。

突如として現れた魚の群れ。

あの男を近くにいた駐在軍に任せて、アイリスの補助へと急いだ。

その判断が間違っているとは思えない。その男はもう立ち上がれる状況ではなかった。

だが、その男が今、目の前に、退路を塞ぐように立っていた。

まるで亡霊のように、ただそこにいるだけ。

アイリスは腹部の痛みに顔を顰めながら、気丈に問いかける。


「あなたたち、何て言ったっけ?」


「アクトゥール・アウリウス」

「ゴント・シベランカーだ」


アイリス・ライゼンバッハは、アクトゥールの赤い瞳を探る。

二人揃ったとして、アイリスには及ばない。

だが、今はモナの領域の内。魚と影がいる。

撃退ではなく、退避。

それぐらいはやってのけないといけない。

その覚悟と使命感は、しかし、二人の不可思議な行動でぐらつく。

青く輝く、宗教用の儀式で用いるような装飾の多い短剣を、二人は手に持っていた。

薄いウーシアの被膜のようなものを感じる。

あれが武器なのかとアイリスが訝ったとき、


____その短剣は2つの心臓を止めた。


「なっ、、、!?」


アイリスは驚愕する。

アクトゥールとゴントは、アイリスのことなど意に介さず、己の心臓にその短剣を突き刺していた。

ただ、彼らは空に浮いたまま、墜落することなく、そこにいる。

天に召されたように、その短剣でもって空にぶら下がっているかのように。


「なんだ、、、これは、、、?」


突如としてウーシアの青い波が、魚も影も、沖まで払っていく。

武器を構えることもできないその洪水の中、次の瞬間、アイリスの身体が外壁の上から地に向かって落ちていた。

どこを切られたのか、身体のどこが欠損したかもわからないまま、意識だけは途切れさせず、墜落しながらその声を聞いた。


「こいつは貰っていく」


アクトゥールのその言葉と、彼に抱えられたミラリロ。

なぜミラリロお姉様を、という疑問は、もう投げかける相手もいなかった。

アイリスの片翼は折れ、地にどさりと落ちた。

挿絵(By みてみん)


AI画像

アイリス・ライゼンバッハ


★余談

覚醒には、テーマ曲というか、描くにあたりイメージのようなものがあります。

もちろん、曲の印象を損なったり、余計な情報だったりするので、スルーされる方はスルーで。

モナ・ザレファユフセラのアキエース(マネ・ウト・エス)は、

【Sigur Rós】"Hoppípolla"

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