アイリス謀反騒動~ニキ・サラムーン一等兵の長い1日~
ユミトルド地下牢獄の件が一応の終結をみたばかりだというのに、エチカは多忙を極めているらしかった。
(、、、、、、、、起床5分前)
私、アイリス・ライゼンバッハは自室のベッドにキャミソール一枚を着て寝そべっていた。今日の予定は何一つない。
近いうち、このレガロ帝国第二営舎を出て、皇帝直隷第二十一班所属となるが、その準備もまだ何もしていない。
本当は荷造りだのなんだのしなくてはいけないのだろうが、生憎、デッドラインぎりぎりにならないと何事もしたくない性分なのだから、あえてそれに抗うこともしない。
視覚の転移。
それは私に与えられた才能と責務。
だからこそ、誰よりも強くならなければならない。
いや、強くなるのが、自分の望みだということを知ったばかりだ。
だから、これはあくまでトレーニングの一環なのだ。
そして、彼の直属の兵士としての職務ですらある。
正当性は常にこちら側にある。
いつでも軍法会議に出席する準備はできている。
(あいつ、意外に寝相悪いんだよね)
瞳に浮かぶような円環、その先でエチカは布団を抱きかかえるように寝ている。
こうしてみると、やはり同年代の少年らしい。
(あ、アラート)
起床の時間になったのか、エチカの部屋の目覚ましのアラートが鳴る。
軍の呼び出しであれば、音が鳴った瞬間に飛び起きるはずの彼も、自分で設定したものであればそうはいかない。
寝相も悪いが、朝もそんなに強くないのだ。
(___消した)
エチカはアラートを消して、どうやら二度寝に入るようだった。
「、、、せっかく私が見守っているんだから、さっさと起きなさいよ。エンテラール、頼んだ」
私の思いが通じたのか、エンテラールが何事かを主人に言っているように見える。
(ああ、なんかの拍子に聴覚の転移も可能にならないかな?)
あくまで来る戦いのための希望である。
「お、起きた」
エチカがゆっくりと起き上がり、洗面台の方に向かう。
主人の姿を見送るエンテラールが、わずかに頭上を振り返る。
(え、、、目、合ってる?これ、目合ってる?)
おそらくウーシアの波長でも察したのだろうが、彼女はどこか溜息でも吐いたように見えた。普段、感情の見えない彼女にしては珍しい所作だ。
(頼む、黙っててよ、、、)
視界をリビングから浴室へと移動させる。
無論、私も倫理観というものは持ち合わせている。
ただ、ユミトルドから戻ってきたエチカの様子が、あきらかにおかしいのだ。
それは、故郷の人を失ったとか、ミラリロお姉さまのこととかもある。
自分だってそう明るく振舞える状況ではない。
だが、日常は続き、任務も続く。
ここでぐだぐだと寝込むようでは兵士失格だ。
エチカもまた、班の運営についての準備を慌ただしく進めている。
その中で、理解のできない行動があったがために、私はこんなことをしているのだ。
決して思春期特有の好奇心ではない。
シャワーの湯気で、視界が朧だ。
どうにか見える角度はないかとあちこち転移を繰り返してた時、
「痛っったああああああああああああああああああああああ!」
突然、目に果物の汁をぶっかけられてような痛みと痺れが襲う。
第一反発?いや、、、なんだこれは、、、転移の失敗、、、?
いまだかつて経験したことのない事象と痛みに、ベッドの上でごろんごろんと転がり、
「あだっ!!」
ついにはベッドから墜落してしまった。
その際に鼻を強打したのか、それとも興奮ゆえか、鼻から血がぽたぽたと垂れてくる。
「、、、、、、いったいなんなの?」
ティッシュを鼻にあてながら、懲りずに再度視覚を浴室に投げる。が、結果は同じだった。
「うぅ、、、ぐそっ、、、、、、イダイ、、、、私が未熟だって言うの?」
転移には精神の統制が必要だ。
きっとそういうことなのだろうと、私は痛みから回復するまでに20分は要してから、不可解な事象にそう結論づけた。
「ああ、なんか一気にやる気なくなってきた、、、今日はもういい、、、香水でも買いに行こう。たっかい奴」
最後にもう1度だけ、とエチカの部屋を覗くと、
(あれは、、、何の情報、、、兵士のリストか、、、それから、写真映像、、、プライべートの?、、、、、、んんんっ!?)
エチカが映写している情報端末、そのリストの写真が彼の操作によって拡大される。
まず飛び込んできたのはその文字列。
おそらく写真を保存しているアルバム名。
fLancharn=papynospayperD
___帝国軍近衛騎士団、第二編隊長。
___フランシャルン・パピノスペイパード。
写真には、花壇を前に並ぶ二人。
微妙に距離が空いていて、両者とも顔が固い。
女の方は、花で編んだような豪奢なドレス。エチカの方はモーニングのよう。
私が気になったのは、その微妙な二人の距離感。
まだ顔でもくっつけて写真を撮っていたなら、憤慨しながらもスルーできただろう。
それはなんというか、唯一といってもいい上官なのだからしっかりして欲しいという、そういう純粋な部下としての思いだ。
だが、その照れや羞恥によって生まれたと思しき空間が、異常に気に食わない。
そしてだ。
その写真を見ながら、バスローブ姿のエチカは何やら苦悶しているようにも見える。
いつものように鼻をつまみ、顔を左右に揺らしている。
ああ、合点がいった。
近頃の怪しい動きはそういうことだったのか。
私は、高級な香水の購入を諦めて、今日は一日エチカを尾行することに決めた。
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「で、このニキ・サラムーン様を呼び出した、と」
「、、、、、、、。」
「おい、聞いてやがります?」
「、、、、、、。」
「おーい、先輩。呼び出しておいてそれはないぞぉ」
「、、、、、、。」
「覗き魔部隊所属むっつりスケベ班・友達なし野暮変態特務そうちょぅー?」
「友達はいます」
「え、そこなの?否定するところ」
ニキ・サラムーンは毛足の長い犬のような、段の入った髪を揺らしながら、床にあぐらをかいて座っている。手にはチップスと炭酸果実ジュースを持って、両の瞳の涙ほくろをせわしなく上下させて笑っている。
「友達はいるよ」
「どこに」
「、、、、、、」
「え、何、告白?やめてよ先輩、重い重い」
私は恥ずかしくなって、1個下の第二騎兵師団の後輩をベッドの上から足で蹴とばす。
「ちょっと!ジュースこぼれたらどうすんの!?__あ、先輩の部屋だからいいか」
「そんなことを気にするなら、テーブルで食べてよ」
「いや、だって先輩が視覚の転移共有するから近くに居ろって言ったんじゃん」
そうなのだ。
多少重労働ではあるが、私が転移で見た景色を、ニキの体に触れて彼女にも見せる。自分の視覚をまず外に転移させる。そしてそこから送られてきた視覚情報をさらに流す。もちろん、第一反発も第二反発も受ける。いくら相手が合わせてくれるといっても、それは過酷を極める所業だ。
「これ、あんまやりたくないって言ってなかったっけ?」
「今は仕方ない。緊急を要する」
「先輩、これが緊急だと本気で思ってるなら、きっとユミトルドで洗脳でも受けたんだよ、可哀そうに。それとも転移のときに脳まるごと置き忘れてきた?」
ニキのデリカシーのない指摘も、彼女の良い一面と思って受け流す。
「ちなみにだけど、私、訓練サボってきてんだからね?あなたにしかお願いできない任務なの、とか言って。もしばれたら、私、間違いなくクビなんですけど」
「普段の行いが悪いからでしょ」
「確かにすぎて何も言い返せないところが、ニキ様のかわいいところなんだよなぁ、、、で、今これどういう状況?」
ニキが僅かにぼんやりしながら空中を眺めるようにする。
「エチカが兎渡通りをうろうろ歩いているとこ」
「ほんとにどういう状況?しょーもなっ!もういいから、大好きですって言いにいけよこのまま、あぁ?!」
「、、、、、、?どういうこと?」
「あ、すみません。何でもないです、ほんと」
「訳わかんないこと言ってないで、早く尾行してきて」
私がそう言うと、ニキはきょとんとした顔で、転移された映像ではなく、こちらをじっと見て、
「、、、、、?どういうこと?」
「どういうことって、尾行してきて」
「ははっ、、、、、なんで?」
「音声聞きたいから、通信で逐一教えて」
「__なんで?」
「それがあなたの役目だから」
「、、、、、、はははっ、じょーだん」
「早く」
ニキの手から、つまみかけたチップスがぽろりと落ちる。
そして、ゆっくりと立ち上がり、服に落ちた食べかすをぱらぱらと払う。
「ごちそうさまでした、、、、、、行ってきます、、、、、、」
「はい。行ってらっしゃい」
ニキはとぼとぼと部屋の出口の方に向かい、ゆっくり扉を閉める。
廊下からは、
「なんだよぉ友達じゃねぇのかよぉーーー!これただの後輩パシリだろうがぁああああ!」
慌ただしく駆けていく足音を聞く余裕もなく、私は花屋の前で不審者になっているエチカの姿を見る。
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「どうかされましたか?」
花屋の店員が、エチカ少尉、いやもう少佐なんだった__に声をかける。
「あ、いや、、、えっと、、、」
珍しく応答がまごつく少佐。
私は少佐の視界に入らないように、店内の端を歩く。
『ニキ・サラムーン一等兵、やる気がないのは結構だが、そういうときにどういう行動を取るかが、その人間の評価を決めるんだ。君はもったいないことをしているという自覚はあるか?』
ほとんど年の変わらない少年からそんなことを言われ、イラついたり、なんだこいつ、ってならないのが私の素晴らしいところだ。
『かっけぇすね!』
そう私が素直に答えると、奇妙な生き物でも見るような目で見られたのを覚えている。
その少佐が、いつもの仏頂面を崩して、困惑している。
「あ、、、ア、、、聞こえますか、クソ野郎」
「聞こえる。絶対にばれないようにね」
「最悪バレてもいいんじゃないですか?ご一緒しますか?って私なら言えますけど」
長い沈黙。
あの覗き魔、いっちょ前に迷ってやがる。
「お願い」
「お願いします、ニキ・サラムーン様、でしょうが」
「お願いします、ニキ・サラムーン様」
「即答かよ、どんだけ尾行したいんだよ、覗き魔の鏡かあんたは」
大きめの咳払いが、耳につけた小型通信機器から聞こえる。
さっさと実行しろと、そういうことですよね。わかってますよ。
「エチカしょーさ!お久しぶりです!」
私は努めて明るく、たまたま発見したという感を出して彼の肩を叩く。
「っ!びっくりした、、、、、、。ああ、ニキ・サラムーン一等兵か。今は教練の時間だったと思うが?」
終わった。
すっかり忘れていた。自分が教練をサボってここにいることに。
そして、なぜ私のスケジュールを把握しているのか、恐怖ですらある。なんだこいつ。
「えっとぉ、、、そのぉ、、、あのぉ、、、、あ!ジャル、、、ジャルジャ師団長が、お前は今は英気を養っておいた方がいいぞ、近くその偉大な力を借りるかもしれないからな、はっはっはっ!って言ってたので、臨時休養日です」
自分でもあり得ない理由だと言った後に後悔した。
師団長クラスが私程度の人間に個別的に声をかけることなどありえない。
かろうじて、ジャルジャ師団長の人柄的に可能性があるぐらいだ。
これはまずい、まずいぞ、と思った矢先、
「なるほど、、、そうか、、、師団長がそう判断したならいいんだ、、、」
耐えた!なんかわからないけど耐えた!
エチカ少佐はどこかずっと心ここにあらずといった感じだった。
案外この尾行、成功するかもしれないと、内心ほくそ笑む。
こうなったらもうとことん楽しんでやろうと、私は思った。
「それで、少佐。何かお悩みのようですが?」
「ああ、そうなんだ」
「私で手伝えることがあれば、どんと任せてください」
「でも、せっかくの休養日なんだろう?」
「これは思し召しですよ、きっと。エチカ少佐をお助けせよと。むしろ任せてほしい!」
神の思し召しとは、口が裂けても言えなかった。どちらかというと、悪魔の思し召しである。それも大変身近な悪魔の。
「そうか、珍しいな、サラムーン一等兵がそんなに意気込んでいるのは」
「いやぁ、いつもやる気まんまんですよ私は。あり過ぎて逆に無いように見えているだけです」
「意味が分からないが、、、」
「とにかく!何の用途の、誰にあげるものなんですか?」
先ほどまでの開き直りはどこへやら、私は面倒くさくなってそう単刀直入に聞いた。
「あぁ、、、えっと、、、その、、、女性に上げる花なんだが、、、」
「ぬぁああああああ!」
「ど、どうした?」
小型通信機器から、耳に不快な金切り音が聞こえて声をあげてしまった。
おそらくテーブルから何かに爪を立てたらしい。
邪魔するのだけは違うと思う、私は。
お願いしたならせめて静かにしていて欲しい。
私は、エチカ少佐にばれないように、通信機器の音量を最大限下げる。
「い、いやぁ、女性にお花なんて、すごく素敵だなぁって。大事な人なんですか?」
「まぁ、、、そうなるな、、、」
(ぎーぎーぎーぎーぎーぎー)
「えぇ!少佐にそんな風に言われるなんて、本当に素晴らしい方なんでしょうね。どんな人なんですか?」
「、、、とても、、、綺麗な人だ、、、だから迷ってしまって、、、どれも彼女に比べれば見劣りするような気がして」
(ぎーぎーぎーぎーぎーぎーぎーぎー)
「少佐が真剣に選んだものなら、きっとその方も喜ばれると思いますよ。それともその人は、花に優劣をつけ、選んでくれた人の気持ちを踏みにじるような、そんな方なんですか?」
「それはないな、うん、そうだな。そんなことは決してしない、心の清らかな人だ。ありがとう、サラムーン一等兵」
(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ヤる)
「少佐、ちょっと待っててくださいね、通信が!緊急事態が!」
私はあわてて店を出る。
お昼に差し掛かり、人通りが増える。
兎渡通りは帝国一の、貴族やら高所得者向けの店舗が並ぶストリートだ。
あちこちのウーシア技術を用いた商業掲示板に、次から次へとコマーシャルが流れる。そこには、私も知っている人が、普段見たことのない恰好で映っていたりもする。
私は人通りから隠れるようにして、耳に手をあてる。
「絶対ヤらないでくださいよ!っていうかヤるってなんですかヤるって!」
「スパイだ」
「違います」
「美人局だ」
「違います」
「洗脳だ」
「違います。美しい恋です」
(ぎーぎーぎーぎーぎーぎーぎーぎー)
「あとそれもやめてください。口で言ってますよね?恥ずかしくないんですか?」
「おい、エチカが多分花を予約して、またどっかに行く!追えっ!犬!」
「ついにかっこよく犬とか言い出したよ。少佐にバラしてもいんですよ、私。悪いの絶対こっちなんですから」
すると、私の先輩がやれやれといった感じで浅く息を吐き、衝撃的な文字を羅列した。
「______ナイデイシリーズ、サマーコレクション、N082イノセンティア」
「なっ!!!!!!」
私は膝から崩れ落ちそうになる。
いや、もうほとんど崩れ落ちている。
「う、、、うそ、、、うそ、、、ですよね、、、そんな、、、い、、、色は、、、色はっっ!?」
「_________ピンク____________」
「よっしゃぁあああああああああ犬走りまぁああああああああす!!」
私は悪魔の囁きに勝てるはずもなかった。
この身を地獄に落とす準備はできた。
だって、そのネックレスはきっと、地獄の業火でも燃えずに残るから。
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「ねぇ、ねぇ、ニキちゃんにも似合うの探してあげるよ、ほら、そんな遠慮しないで、ねぇ?エチカ少佐」
「は、、、、はぃぃぃ、恐縮ですぅ、、、、、、」
終わった。
今日で私は何度終わるのだろうかと思うが、これは完全に息の根が終わっている。
どんな貴重なネックレスだって、着ける首がなければ意味をなさない。
私の首は、いつまでこの胴体と体を繋げていてくれるだろうか。
「社長。やっぱり今後は若い子も積極的に押し出していくべきだと思うの。ニキちゃんはスポンサーまだついてなかったよね?」
「いやはや、ご冗談を。コースフェルト様も十分にお若い、、、ああ!!今のはコースフェルト様のご提案が冗談という意味ではなくてですね、さすがコースフェルト様だなと、私のような老いぼれの無能なんかには思いつかない名案でございます。ぜひ正式にオファーを」
絶対に嘘だ。嘘というか、多分この社長、耳になんの音も入ってない。
そんなに太った体形でもないのに、さっきから汗が恐ろしいほど噴き出している。
そして卑下がすさまじい。
「ね、そうしましょうよ、ニキちゃん」
ぜっっっったいに嫌だ。
スポンサーなんて帝国軍に利益があるだけで、兵士にはそれほどの見返りもない。
それに、こんな恐ろしい女と一緒に仕事なんていくら命があっても足りない。
「わ、、、わたしでは、、、まだお力になれないので、も、もっと成果をあげてから、そのときぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
やばい。
あまりの恐怖のせいで、首を飛ばされる前に口が勝手に寿命を迎えた。
震えすぎて壊れた通信機器みたいな音が出てしまった。
ここは帝国最高級とされるドレスブランド。
我が第二騎兵師団のルラ・コースフェルト大尉、そのスポンサーの会社が運営している。
エチカ少佐に追いついて、あーだこーだと理由をつけてついてきたらこれだ。
私はされるがまま、いろいろな布地をあてがわれた。
「あ、そうだった。まだまだニキちゃんをかわいがりたいけど、今日はここまでにして、少佐はあの方へのプレゼントでしたね」
「いろいろ悩んだんだが、結局お世話になることになって申し訳ない」
ようやく関心が私から移ってくれてよかった。
まだ首あるよね、私。
「さすがにドレスではないんですよね?」
「うん、コサージュにしようと思ったんだ。なんか最近ここのが人気だと聞いてね」
「ええ、そうなの。生花ではなくて、リボンで模したものなんだけど、最近は華美なものより、落ち着いてシンプルなデザインが流行で。社長、お願いできるかしら」
「もちもちもちろんですとももももももももも」
ああダメだ。社長の口ももう活動を停止してしまったようだ。
汗をかきすぎて、軽い脱水症状になってしまっている。
細身で髭を蓄えた、まさに紳士然としていた最初の姿は見る影もない。
「ありがとう。こちら、実はあの方のために専用で作ってもらったの」
「そんな、頼んでもなかったのに」
「もし少佐に頼られなかったら押しかけてお渡しする予定でした。私も彼女にはお世話になったことがあるので」
「うん、すごく、、、良い、、、」
そのコサージュを見るエチカ少佐の顔は、まさにそれを着けた女性の姿を思い浮かべているとしか思えなかった。
コースフェルト大尉も、私も、そんな十六歳の等身大の可愛らしさに、少しばかり微笑まずにはいられない。
ああ、よかった。
大尉が現れてからというものの、うちの覗き魔はお祓いにでもあったのか、
(くっ、、、、、、、、、、うっ、、、、、、、、、、かっ、、、、、、、、、、、、)
という呼吸困難に陥っているような音しか聞こえてこない。
「緑と白を基調としているのは、セリの花をモチーフにしているからで、ジシュア様の妻、シャセール様の表花でもあります」
「シャセール様か、それはぴったりだ」
(ええええええええええええええええええええええええええええ)
私の内心の動揺と同じく、あのルラ・コースフェルトですら頬を赤く染めている。
あのルラ・コースフェルトが、だ
あまりの動揺にあの恐ろしい大尉を敬称を付けずにそう呼んでしまうほど、それはものすごい一言だった。
シャセール様がぴったりなんて、口が裂けても言えない。
だが、女の子が言われたい言葉、殿堂入り10回目のようなセリフだ。
私はあまり勉強が好きではなく、かつ熱心なジシュア新派の教徒でもないので詳細は全くわからないが、もうとにかくそういうイメージとして定着している。
基本的には、皇帝の妻、皇后の性格や容姿について修飾するときにしか出さない、出してはいけないその名前。ましてや一般市民を褒めるシチュエーションで使うことなどあってはならない。
だが、エチカ少佐は、ぴったりだと言いのけた。
もはや不敬罪で処罰されてもおかしくない。
「ま、満足いただけたようで、、、な、、、何より、、より、、、です?」
ああ、ついにはコースフェルト大尉まで呂律が回ってない。
その場の全ての意識を遠のかせて、エチカ少佐は満足したように店を出た。
私は義理で社長から名刺をもらったりなんだりして、エチカ少佐より少し遅れて後を追おうとしたときだった。
羞恥心なのかなんなのか、乙女の心の動揺から立ち直ったらしいコースフェルト大尉がにこやかに、しかし逃げる隙のない洗練された動きで私の右耳に近づいて、
「こんなところでも弱虫さんなんだね」
そう言った。
私はとっさに首を片手で守って数歩後ろによろめいた。
(、、、、、、ルラ・コースフェルト、、、いつか見てなさい、、、、)
そんな弱者の遠吠えが聞こえたような気がした。
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時刻は正午を過ぎようとしていた。
私はもう、体力がほとんど残されていてなかった。
今日のお礼にとのことで、ピアノが演奏されている喫茶店に案内してくれた。
私はなぜか痛み出した喉のため、少佐がごちそうしてくれたアイスジンジャーティーを飲みながら、
「、、、、、、エチカ少佐、今日はありがとうございました」
私はもう、いつもよりも数段丁寧な言葉でそう言っていた。
「いやいや、こちらこそ付き合ってくれてありがとう。助かったよ」
「むしろお邪魔だったのでは?」
「本当に助かったよ。ここ何日か、この通りを一人で歩いていたんだけど、なんか視線が痛くてね」
「まぁ、あんな事件のすぐ後ですしね」
好奇の目には、いろいろな種類があっただろう。それはお察しする。
「当日になっちゃったけど、プレゼントも決まったし、よかった」
「本当に。では、私はこれで失礼いたします、少佐」
もうこれ以上関わったら命がいくつあっても足りない。
次はどんな猛獣が出てくるか分からないのだ。
エチカ少佐は顔が広い。
きっと、ルラ・コースフェルト以上の化け物が背後に潜んでいるに違いないのだ。
ここまですれば、先輩もさすがにもう認めてくれるだろう。
そしてネックレスは何がなんでも貰う。
そう意を決して席を立つが、
「ああすまないが、もしこの後予定なければ、このまま一緒に来て欲しい」
「、、、なんでそうなる?なりますか?」
「君ももう師団長から聞いているかもしれないが、正式にね。それから、1人で行くのも失礼だろうから、護衛というか部下がいた方が良いんだ。本当はアイリスに頼もうとしていたんだけど、例の一件の後で負傷もしているし、ずっと部屋から出ていないみたいだからね」
え、正式になんだろう。プロポーズだろうか。
もしかしてこれまでのも全部私に?
いや、ない。
私が普段、たまに無駄に絡んでいるだけで、そもそもエチカ少佐とは同じ師団にいるだけであまり関係がない。
そもそもだ。
これまでは常に少佐の周辺にはミラリロ・バッケニアがいた。
私は彼女とはあまり馬が合わない。
彼女の繊細さと、私の大雑把さが嚙み合うはずもないのだ。
ただ、一度だけ手合わせをしたとき、
『あなた、つまらないわね。器だけ大きくて絢爛で、でも盛られているのは少しばかりの犬の餌、、、そんな感じね』
その講評を聞いて大爆笑したアイリスが、その時からたまに私のことを犬と呼びはじめた。珍しく真剣に悩んだというのに。だから、ミラリロ・バッケニアのことは苦手だ。
いや、思考が脱線してしまった。
とにかく、私にはエチカ少佐との実際的な関係はない。プライベートも、任務でも。
そこに師団長だの、正式だの言われても何事か分からない。
そしてちなみに、アイリスはめちゃくちゃ元気です、少佐。
杞憂です。
負傷の跡なんてどこにも見当たらないです。
(まさか、、、、、そういうこと、、、、、、、?)
ちょっとだけ嬉しそうに一人合点するアイリス。
何かわかったなら早く教えてほしいが、
(行きますって言いなさい、行きますって、早く)
ただそれだけを執拗に訴えてきていた。
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私はてっきり帝都から転移し、第二騎兵師団の営舎があるバードック州に戻るのかと思っていたがそうではないらしかった。
そのままたどり着いたのは、帝国の中心も中心だった。
「近衛騎士団の宿舎?」
「今日は待機日だと聞いていたからな」
いや、誰の何が?
と聞きそうになったが、有無を言わさずエチカ少佐は進んで行く。
第二営舎とは違い、建物までの道のりは庭園が続いている。
ここに無骨な兵士が住んでいるとは到底思えない。
きらびやかなドレスを纏った淑女が、犬や猫と追いかけっこでもしているのを爺やか何かが見守っていそうである。
建物の形も、幾何学的な第一、二営舎と異なり、趣のある巨大な城だ。
「陸軍第二騎兵師団少佐、エチカ・ミーニアです。フランシャルン・パピノスペイパード大尉を呼び出し願いたい」
おそらく女性兵士の宿舎の入り口と思われるところで、エチカ少佐は警備にあたっている兵士にそう告げた。
「きゃっ!!________失礼いたしました。すぐにお伝えいたします」
きゃって言ったよ。きゃっって。
なんなら、少し飛びあがったようにも見える。
これだから近衛騎士は嫌なんだ、と思うが、それは平民もド平民の家庭から入隊した私の僻みだ。嫌だね、地位もお金もないと、心まで貧しくなっちまって。せめて元気だけは負けないようにしよう。
そう思って襟を正した私は、何やら騒がしくなった営舎を見上げる。
あちこちの古びた窓から、女性たちがこちらを見下ろしている。
警備の者は通信機器で個人を呼び出したに違いないだろうが、それがこうも伝播するとは。恐るべし女の園である。
第二営舎では男性も女性もフロアが違うだけで建物自体は一緒だ。
ここではおそらく、外から見れば一つの城だが、中ではきちんと分かれているのだろう。
玄関先が騒がしくなり、
「___頑張ってください」
「応援しています」
「どうか、ご達者に」
そんな別れの言葉と浮足立った黄色い声が入り混じる。
陰になったその先から、1人の女性が徐々に日を浴びて露になる。
「_____これは」
そこに居たのは、まさに概念となったシャセール様の、その伝説のような存在だった。
真珠のような、どこまでも透明で輝く肌。
海を映したような青い瞳。
それから白よりも透明に近い髪の色。
赤い唇は、それが血だとは思わせない、宝石を砕いて散りばめたような深く魅惑的な煌めき。
アイリスほど背は高くないが、小さい顔と長い首が、そうとは見せない造形の妙。
そして何より、その微笑みはこの世の全ての罪を前にしても永遠に変わらないと思わせる力強さ。
____存在の位が違う。
平民とか貴族とか、そんな些末な差ではない。
きっと、彼女の前ではどんな花もたじろいで咲くことができない。
この世界のために贈られた花束。
そういう存在だった。
「エチカ少佐、まずは昇進、、、、、、、いえ、そうではありませんね、エチカ。今日という1日、かけがえのない大切な日を私と会うために使ってくれて、ありがとう。そちらの方も感謝いたします。お名前をお伺いしても?」
それが自分にかけられた言葉だと、私は気づけなかった。
この世に、この世界に話しかけているような、そんな言葉として咀嚼できない優しい旋律の響き。
「こちらは第二騎兵師団所属、ニキ・サラムーン一等兵です、大尉。同行させてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。初めまして、サラムーン様。エチカも、今日はお休みですから、いつもみたいにフランとお呼びください」
「分かりました、フラン」
「ええ、それでは車を用意させていますから、それで向かいましょう」
あれ、ここでなんかするのではないのか、と私は恍惚からなんとか逃れて二人の後ろを歩く。私は小声で、助けを求めるように、
「先輩、もうなんだか訳がわからないです。あれ誰です?見たことない人なんですけど?」
「、、、、、、、、、これはどっちだ、、、、、どっちなんだ、、、、、、、、」
「ちょっと聞いてます?あれ誰なんです?」
「、、、、、どっち、、、、、、、、、、あぁ、ごめん。その人との関係は実は私もよく知らない。かなり位、つまり貴族としての方の地位が高い人だから、彼女とエチカが会うときは覗きを禁止されている」
「誰に対しても禁止であれよ、甘いな、少佐」
「とにかく、近衛騎士団の第二編隊の隊長だということはどこの情報にも載っている。表に出てくる第一編隊と違って、第二は内裏の警備が主だから顔を知っている者こそ少ないが。でもファミリーネームで分かるだろ」
「ファミリーネームって、パピノスなんちゃら?パピノス、、、パピノス、、、パピノスペイパード?まっさかー、、、、、、冗談きついですよ、、ははっ、、、、、まさかですよね?そんな訳」
「本当だ。先代の皇后の姉の家系で、辿ればジシュア様にも行きつく数少ない最古の貴族のうちの一つ。先代の皇帝は姉の方を求めたらしいが、それを断るだけの力のある家だ。噂では、長女を引き渡すほどの価値のある男とは思えないとかなんとか言って断ったらしい」
「そんな無茶苦茶な、、、え、、、、、、ウソですよね、ということは、、、」
「ああ、今からお前はその家に行くことになるんだろう」
なるんだろうって。まさか予想していたのか。
そんな死地にかわいい後輩を送り込もうと?
「い、いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああだああああああああああああああああああああああああ!死にたくないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
突然叫び出した私を不振がって、すでに遠く離れてしまった二人が振り向く。
そんなのいくら命があっても足りない。
ほら出てきたよ。
ルラ・コースフェルト以上の、違った意味でヤバイ奴が。
=====================================
「さぁ、思う存分食べてくれ」
私の記憶は、車に乗ったところから断絶していた。
なんとか形だけは保って挨拶したのを覚えているが、今自分が帝都のどのあたりにいるのかも分からない。
とにかく、近衛騎士団の営舎がみすぼらしく見えるほどの庭園を抜けて、なんやかんやと席に座らされた。
「ここでは普段のことは忘れて、ぜひ楽しんで過ごして欲しい」
おそらく現パピノスペイパードの当主と思しき男がそう言った。
言葉の通り、彼はまだ一度もユミトルドの話題を出していない。
普段の任務の話なども含めて一切。
その辺の配慮はさすが大貴族といったところだ。
私は料理の味も分からず、ただひたすらに出てきたものを食した。
テーブルマナーも適合者の教練では受けたことがあるが、そんなのは記憶の外だ。
フランシャルンという女性の所作をとにかくまねてやりすごしていたのだが、時より、にこり、と目を合わせてされると、意識がまた彼岸に飛んでいきそうになる。
娘のこの世ならざる美貌に比べて、現当主はそれほど美男というようには見えなかった。
むしろ貴族にしては体格がかっちりしているようにも見える。話の流れから、彼が婿養子であることが、なんとなく推測されてはいたが。
(頼む、エチカ少佐、さっさと用件を済ませて帰らせてほしい!切に!尾行したことは謝るから!)
最後のデザートを食べ終え、給仕の者が食器を下げる。
それと入れ違うように運ばれてきたお紅茶を飲みながら、エチカ少佐の口をずっと見ていた。
話し出してくれ、早く、何事かを。
そうでないと、これ以上私は息が持ちそうにない。
だって、私が食事中にできた受け答えはこんなもんだ。
『ご実家は何をされていっしゃるのかな?』
『父は田舎で漁師をしながら、労働者のための小さな料理店を営んでおります』
『ほう、どのあたりかな?』
『ノバスラン州のシンセア港の近くです』
『ノバスランならすぐ隣だね、トサリ川は超えるんだったかな?』
『ええそうです。半島の先に』
『ぜひ一度ご馳走に伺いたいな』
『ええ、もちろん!それでしたら新鮮なお魚をお送りすることもできますよ』
『なんと、それはぜひともお願いしたいな。まさか今夜だけのリップサービスではあるまいな?』
『もちろんです。不肖ニキ・サラムーン、噓だけはつきませんから』
わたし派手にやっちゃってるぅ!
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
私のせいで、料理店どころか、一族郎党皆殺しだよ。
お父さんの釣った魚はいつも美味しいよ。
でもね、ここで出てくるような魚はきっと、金とか銀とか食べて育ったそういう魚なんだよきっと。野生の魚じゃないよ、きっと。
だから、ごめんね、みんな。
私のせいで家族の未来を奪ったことをこうして嘆いていても、まだ神はこれでも罰に値しないと考えているらしい。
妙に落ち着いた高齢の使用人が当主の脇にすっと立ち、何事かを伝える。
「そうかそうか、それはいい夜になるな」
こっちは全然いい夜じゃないよ!もう悪夢のような夜だよ!
と、僅かな余裕でそんなことを思念していると、当主はずらりと並ぶ家の者たちにそれぞれ指示を出して部屋を出ていく。
「サラムーン一等兵」
「はい、エチカ少佐」
「いいか、扉が開いたら、とにかく椅子を降りて膝をつけ」
「________え?それはど__________」
疑問を口にする前に、扉が開く。
師団において命令は絶対だ。
頭で思案する前に、体が事前に聞いた指示をトレースするように勝手に動く。
私は、何者が入ってきたかも分からず膝をつき頭を下げる。
「ああ、よしてくれ。突然訪れたのは朕のわがままなのだから。顔を上げなさい」
「「「はっ」」」」
(_________あぁ、ついにだよついに、お出ましなさったよ、大化物が)
第三代レガロ帝国皇帝・ザイル・ミリア・ヴィンセンラード。
今日の締めくくりには最適じゃないか。
____家なき公爵、されど大公。
いくら不勉強な私でも、噂話ぐらいは耳に入ってくる。
それはパピノスペイパード公爵家を貶すときによく使われる言葉だ。
この家は、公爵家でありながら領地がない。
直轄領の帝都に城があることがその証左だ。
だが、その権力は大公と言って差し支えない、まさに皇族に近しい存在。
そもそも帝都内に皇族以外が城を構えることを許されている時点で破格だ。
パピノスペイパード家は、もともと古くから諸外国との繋がりが深いらしい。領地がなくとも、今の帝国体制下で縮小した海外との貿易、その窓口を寡占していると聞く。
ある意味豪商としての側面もありつつ、高潔な血も流れている存在。
ゆえに、ふらりと皇帝が訪れてきても不思議ではないのだ。
「エチカ・ミーニア少佐、あの件はもう伝えたのかい?」
皇帝陛下はそこが自分の席だといわんばかりに、長テーブルの短辺に座ってそう問いかける。
私はまだ一度も皇帝の顔を見てない。
(これはさすがにごめんなさい、ニキ。予想外だった。言葉を発さず、置物になりなさい。何があっても、絶対に動いちゃダメ)
本当に申し訳なさそうな声で謝罪を受ける。
こんな事態、誰も予想なんてできやしない。
私だってこの件に関しては先輩を攻めようとは思わない。
おそらく城の外にも、すでに中にも、近衛騎士団の者たちがわんさか居るのだろう。隠す気のないウーシアの波長が、反吐が出そうなほどこの部屋に渦巻いている。
「いえ、丁度これからお伝えしようかと」
「そうか。なら良いタイミングで来たのだな」
皇帝はどうやらコーヒーでも飲んでいるらしい。
毒見もなく飲むのが、公爵への信頼の示し方なのだろう。
それともすでに終えているのか。
皇帝閣下はそれ以上、もう話す気はないらしい。
そして陛下の着席とともに、もう1人新しい人物がさらりと席に増えている。
おそらく当主の母、フランシャルンの祖母だろう。齢は八十前後といったところか。彼女の妹がすでに崩御された現皇帝の母だ。
皇帝はかなり遅くに生まれた子どもだから分かりづらいが、パピノスペイパード公爵と皇帝は年の離れたいとこということになる。女系でなければ、文句なく公爵ではなく大公だっただろう。
その祖母は、フランシャルンからこの世ならざる雰囲気を消したような人だった。
造形は確かにフランシャルンと似通ったところがある。だが、確かに人間だ。妖精じみてはいない。そして何より、強い兵士に感じるような、気圧されるような覇気がある。
この場を収めているのは、皇帝ではなく彼女ではないかと思うほど、目を瞑って眠ったようなその老婆に皆の意識が向いているのが分かる。
エチカ少佐が、珍しく唾を飲むような仕草をして、ようやく口を開く。
「それでは本日のご訪問の用件を」
「うむ、エチカ少佐の願いなら、母からも全て叶えるようにせよ、と申しつけられておりますゆえ」
エチカ少佐はいったい何を言うのか。
まさか、そんな、まさかだよね、、、ありえない、、、なんてこともないのか?
エチカ少佐も養子とはいえ貴族だ。それも皇帝陛下親派の筆頭。
なら、この食事会はもう、そういう。
「この度の願いは、その例に当てはまらないかと。ですから、こうして参ったのです」
「そうか。それでは改めて聞こう、何を我が公爵家に求める?」
エチカ少佐は、皇帝陛下、公爵閣下、それから公爵の母を順に見て、最後にフランシャルン・パピノスペイパードを見た。
彼女は、その輝きを放つ笑顔を少しだけ崩してから目を瞑った。
一瞬だけ、その美貌にまるで不釣り合いな、いたずらをする子供のような顔をした気がしたのは、私の勘違いだろうか。
エチカ少佐が、再度唾を飲み、僅かに震えた声で宣言するように言った。
________フランシャルン嬢の命を、私に預けては頂けないでしょうか
言ったーーーーーーーーーーー!
求婚だーーーーーーーーーーー!
きたーーーーーーーーーーーー!
って、あれ?
求婚か?
預けるってこういうとき言うのか?
貴族的な言い回しか?
「_____そうか。私は構わんが、フランシャルンはどうだ?」
「この命尽きるまで、エチカ・ミーニア様に全てを捧げると、そう誓います」
「お母様は____」
「_____好きに連れてってやってくださいな、エチカ坊や」
なんかトントン拍子で合意が取れているが、腑に落ちない。
私はなぜここにいる?
格を落とさないためとはいえ、この場は部下ではなく、なんか、違う適任が居ると思う。貴族じゃないから知らないが。
これはおそらく違うのだ、何か、、、。
と、1人困惑していたときだった。
「_________________アア、モウドウトデモナレ」
やばい!忘れてた!
先輩、これは違う、多分勘違いだ!
そう伝えたいが、生憎、皇帝陛下の御前、先輩にも何があっても動くなと言われた。
だが、まずい。
頼む頼む頼む。
これは違う、違うんだ___________________ッ!!!
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後にこの事件は「アイリス・ライゼンバッハ謀反事件」として、娯楽の少ない近衛騎士団で与太話、あるいは彼女の狂気を示す例として膾炙した。
「アイリス先輩、皇帝陛下の御前です!!落ち着いて!!」
突如として部屋に転移してきたアイリス・ライゼンバッハ。
「本当にエチカにふさわしい女か、私が見定めてヤルっ!!」
その憤怒に満ちた鬼将軍を、近衛騎士団よりも命をかけて止めたニキ・サラムーン一等兵。
「陛下、これは違うんです!暗殺とか、そういうんじゃないんですよぉ!信じてください!!アイリス先輩は、友達のいない覗き魔クソ野郎ですが、悪い人ではないんですぅうううううう」
「ほう、突然朕の前に転移してきて、暗殺ではないと。これはあれかな、パピノスペイパード公爵家も一噛みしているのかな?ああ、家の取り潰しは免れないね」
皇帝陛下の冗談は、ニキ・サラムーンの耳には死刑宣告にしか聞こえなかった。
「言葉を発さず置物になりなさい。何があっても絶対に動いちゃダメって、なんか先輩風吹かせてたじゃないですかぁ!自分が一番バリバリ動いてますよ!」
「ケッコンなんてユルサナイ、、、、、ワタシがミトメルまでは、、、ミトメテモズットミテルカラナ、イツナンドキデモ」
「怖い怖い怖い!それが本当にできちゃうのが怖い!って、これは結婚の話じゃないんですってば!!!」
ニキ・サラムーンが、拳をアイリスの脳天に落としたことで、事態は一応の沈着を見せた。無我夢中だったニキがようやくまわりを見回すと、そこには恐ろしい人数の近衛騎兵たちが、ウーシア兵器を自分たちに向けて取り囲んでいた。
そんな中、
「ふふっ、、、、、、、ふふっ、、、、、、、、、、、、ふふふっ、、、、、」
1人、フランシャルンだけが笑っていた。
誰もが、彼女が普段見せないくしゃりとした顔をしているのに見蕩れ、一幕が下りた。
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「はぁ、要するに、その新設部隊に、私やアイリス先輩、それからフランシャルン様が配属される、と?」
「そうだ、それ以外に何がある?」
皇帝陛下は、私とアイリスの肩をぽんと叩き、「頑張り給え、期待しているよ」と一兵士には破格の激励をしたあと、アイリスへの怒りを再燃させはじめた近衛騎士団を引き連れて帰っていった。
私の方には、どこか感謝的な視線を感じたのは勘違いだろうか。
皇帝陛下が公爵家の城を出る間際、
『ああ、最高に楽しい夜になったよ』
そうお話になられてたのをとにかく今は信じて、無罪になることを願うしかない。
ちなみにアイリス先輩はエチカ少佐に、
『今回の件は度が過ぎる。反省しなさい』
と言われ、1人営舎へと転移して帰っていった。
その背中の哀愁は、筆舌に尽くしがたかった。
ただ、エチカ少佐のお叱りはもっともなので同情はしないが。
「じゃぁ、日中選んでいたのは?」
「ああ、そうだった。フラン、これを君に」
エチカ少佐が、公爵家の使用人に預けていた土産を目配せで持ってこさせる。
「まぁ、お花!___嬉しい。私、お花が一番大好きなんです。大切に飾らせていただきます。こちらは、、、開けても?」
「ああ、もちろん」
「これは!綺麗なコサージュ、、、ルラ様のところのですね、分かります。同僚たちが良く憧れて話しているのを聞いていました。こんな素晴らしいものをいただけるなんて」
その喜んだ姿に、エチカ少佐ははにかむ。
まぁ、確かに、ここだけ見れば、アイリス先輩が勘違いしたのも責められやしないかもしれない。そもそも、エチカ少佐の言葉まわしがいけない気がしてきた。
夜も深まって、私はようやく解放を迎えつつあった。
玄関ホールで、私は再度、エチカ少佐とともにアイリス先輩の不届きを詫びた。
「いや、たまにはああいう、緊張感も悪くない、人生の彩りだよ」
公爵閣下の懐の広さには恐れ入った。
もう尊敬し始めている自分がいる。
「それでは、失礼いたします」
エチカ少佐がそう言って、私も頭を下げたときだった。
「全くの勘違いではないからねぇ、アイリスの嬢ちゃんにもそう気になさるなと言っておくれ」
その言葉は、公爵閣下の母君のものだった。
そして、衝撃の一言。
「だって二人は婚約してるからね、いいじゃないか、常に命を狙われていた方が、はかどって」
はかどるって何!?
何が!?
「やめてください、おばあ様、はしたない」
フランシャルン様も頬こそ赤らめていないが、はしたないって何?
命を狙われるとはかどるはしたないことってなに!?
これは絶対にアイリス先輩には伝えないでおこうと思った。
少なくとも今は。
余談ではあるが、結局この日、近衛騎士団営舎経由で第二営舎に戻ったとき、
「あ、ニキ・サラムーン一等兵」
「もうなんですか、へとへとなんですよこっちはもう、、、ベッドで寝かせてくれぇ、もう誰も、閣下とか陛下とか入ってこない部屋で」
「今日、教練サボったな」
「げ、、、、、、、、嘘でしょ?嘘ですよね?」
「ジャルジャ師団長が先走って新設部隊の件を伝えて休みにしたのかと思ったけど、違うんだよね?」
「やめてやめて、無理無理無理ムリ!!」
「訓練場、走ってきてね」
「いやぁあああああああああああああああああああああああ!絶対にネックレスだけは貰ってやるううううううううううううううううううううううううううううううう!」
今日何度目か分からない絶叫が、月に向かって轟く。
本当はフランシャルン様のように素敵な男性から貰いたかったそれは、ある意味でよく働いた犬へのご褒美とも思えて悲しくなってくるが、貰えるものは貰いたい。
だって、今日は数多の犠牲を払って、私は頑張った。
頑張ったのだ。
私、ニキ・サラムーンにとってこの長い長い1日は、どこか久方ぶりの達成感を伴って、こうして終わりを告げた。