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第0章 地下牢獄騒擾事件 第12話 舞台

空に一対の鉄馬がある。


ミラリロ・バッケニア上等兵は、終始優位に立って戦闘の主導権を握っていた。が、アイリスからの報告があってから、その攻撃は一層苛烈なものとなり、ゴント・シベランカーは鉄馬に凭れかかるようにしてなんとか墜落を免れていた。


「失態ですわ。アイリス・ライゼンバッハがあそこまで使えないなんて」


「そうでもない。どちらにせよ、君たちは分断されていたさ。悔やむなら、私たちがこの場にいる、そのこと自体を反省しなければならない」


「それもそうね。他国の軍事状況ばかりに血眼になって、内憂を見過ごすなんて。皇帝陛下も軍上層部も、お高い靴を履いているくせに足元が疎かなんだから。でも、さて、誰なんでしょうね。監獄長を裏切らせた、ピカピカの靴を履いて踊っている奴は」


ミラリロもまた、息があがり、瑠璃色の髪は汗に濡れて頬に泳いでいた。ウーシアの運用も徐々に遅くなって、反応が鈍くなっている。

だが、もっと状況が悪いのはアイリスの方だった。


(あれは相性が悪すぎますわね、エチカ少尉をどうにかした後、合流する必要が)


「ミラリロ、、、確か上等兵だって言ったな」


「ええそうよ」


「何歳になる」


その問いに、ミラリロは呆けた顔をした。そして恥ずかしそうに蟀谷(こめかみ)のあたりを指で掻く。


「二十歳」


「俺の娘とあまり変わらないな」


「そう。同情するわね」


「どちらに?」


「難しいわ。娘も可哀想だけど、あなたも十分可哀想だわ」


ミラリロは男の額の皺を見るようにして答える。同情を誘うというよりは、死を覚悟した辞世の言葉ということだろう。疲弊はしていてもミラリロに敗北の影はない。  

次の一連の攻防で勝敗は決する。それは確定された予測であった。


「そうか。ミラリロ、君は恵まれているのか?」


「いいえ。と言ったらあなたは立腹するのかしら。でもね、答えはいつでもいいえよ」


返答に窮する男の表情を見る間もなく、ミラリロは鉄馬の翼を羽ばたかせる。ゴントは「拒絶(レクザーティオ)」に備え体表の神経を粟立たせるが、どういうことか、ミラリロの端正な顔は彼の右上にふっと現われた。二振りの鉄剣、そのどちらも自分の体には向けられていない。


――ただの転移!


そうして視線を持ち上げたゴントに、ミラリロは彼に初めてみせる冷酷な瞳で応える。臓腑が抜け落ち、代わりに冷気を詰め込まれたような畏怖。


「_____旅路の果てに、さようなら」


次の瞬間、鉄馬を残してミラリロの小さな体が消える。


(来る!)


と、脳が叫んでも、ゴントの視覚は鉄馬にくくり付けられたように反応しない。

短剣と鉄槍が、彼の臓腑の中で落ち合うかのように両の脇腹に刺さる。

 

「うぉおおおおおっ!!」

 

全力で拒絶に精神を燃やしながら、ミラリロの行方を探る。

だが、


「もう遅いわ」


ミラリロはゴントの鉄馬の下に潜り込み、これまで一度も使わなかった長い太刀を突き上げ、鉄馬ごと男の体を串刺しにしていた。

臀部から腹にかけて突き刺さる太刀は、その瞬間に転移が成立した残りの二振りとともに、カンっとゴントの腹の中でかち合って鳴った。


「間に合わなかった、か」


ミラリロは鉄馬の腹を掴んでぶら下がり、逆上がりするように反動をつけて体を持ち上げる。そしてその勢いのままゴントの巨体を足で突きのけ、鉄馬を乗っ取った。

主を失って落下を始めるミラリロの鉄馬。それを追うかのようにして墜落する男の、すぐに小さくなる影を見ながら、ミラリロは髪を梳く。

まだ日差しは強く、天を見上げることも叶わない。


(これで少しは痩せたかしら。さっさとエチカを助けて、帝都のお店、早く予約しないと)


死の泥濘となった地面が迫り、事切れるまでの間、ゴント・シベランカーの頭を過ったのは娘のことだった。彼女はもう新しい家族と共に、幸福を享受していることだろう。そんなところに思いもよらない自分の訃報が届いたら、いったいどんな顔をさせてしまうことだろうか。

精彩を放ったミラリロの剣戟、それは彼女の髪の青い残像となって脳裡にこびりつく。


(結局私は、革命などどうでも良かったのだろうか、、、?)


民族同化大戦で母国は無くなり、それから不況に煽られ、職を失ったものなどいくらでもいる。その中で、どうして自分は民主神聖同盟などに入る運命となったのか。思想があった。信念もあった。それは憤怒の燃料となって猛然と燃え上がった。

しかしそれは、この最後の時にどうしても言葉とならない。その怒りは自分のものではなかったのか?自分とは、自分の感情とは、、、どこにある?

娘の顔が、幻影となってそこに見える。その脇には白髪交じりの男が立って奇妙な表情を浮かべている。微笑んでいるのか、涙を流しているのか、霞むゴントの瞳には分からない。

手を伸ばして届くはずもなく、男は地面に叩きつけられる前に、()()の声を聞いた。


「よく頑張りました。ゴント・シベランカー。モナが上手くやるまで、少し休んでいて頂戴ね」


▲▽


「ヘンリク・マルラント中佐。これはどういうことですか」


通信機器は耳から引きちぎられた。そのまま手錠をされ、ウーシア適合者を確保するための目隠しがされたまま、エチカは言う。


(一か八か、試みるか、、、?)


目を隠されてしまえば、転移は命がけとなる。無暗に移動した先で、身体が壁を挟んで真っ二つになることだってある。ゆえにアイリスの存在は稀有なのだ。


「それは貴様に向けられたこの銃のことか」


「そんな些末なことは聞きません」


「さすがは()()のエチカ・ミーニア少尉といった落ち着きだな。噂は本当なのか?」


「ええ。自分でも分かりませんが、致命的な攻撃であればあるほど、その刃は弾かれる。俺はそこにいるエンテラールの仕業だと思っています」


「ほう。私はてっきりアイリス・ライゼンバッハだと思っていたが」


『主。残念ながら私ではありません。幽霊は実存する物体への干渉は不可能です。ウーシアを介した情報転送の送受信のみ。蜃気楼のようなもの。幽霊というのはウーシアへの過剰適合によって肉体が崩壊した者に見られるただの死後現象であるとされています』


「この調子です。だから理由は分からない。それに、この場所での反逆者はあなたではない、俺の方です。そうでしょう?だからこの状況は正しい」


「それでは何を聞きたい?」


暗闇の中で、エチカは先ほど自分が見た光景を思い返す。

それは監獄と呼ぶには明らかにお粗末なものだった。


「ここにいる囚人は、無期労働を中心とする重い罪人です。主な犯罪の内容は、国家反逆的諸行為」


「そうだ」


「ただ、居住区を抜けてここに来るまでに見たモノはこうです。家具、食卓、酒、肉、遊具、楽器、ホール、店、病棟、書店、それから子供。まるで街と言うしかない」


背の高い重機やアクトゥールたちばかりに目を奪われていたが、地に立ち、辺りを見回せばおよそ牢獄とは思えない風景がそこにあった。


「いや、ここは確かに牢獄だ」


「頑なに地下という冠詞を外さないのは、そこが牢獄だということですか?地上は違うと」


そのエチカの言葉に、マルラント中佐は力なく笑った。

それはあたかも、子どもが知ったかぶりをしたのを微笑ましく諫めるような笑いだった。


「何でもかんでも、そこに意図や裏があると疑うのは良い癖とは言えないな。それが例え大きな暗躍の最中に巻き込まれていたとしても。いや、そうであればあるほど、だな。まぁ若さゆえだが」


「じゃぁ地下には」


「何もないな。すでにほとんど埋め立てられており、一部は備蓄のための倉庫だ。地下という名前をそのままにしたのは、まさに政治上のくだらない意地の張り合いだ。皇帝の権威の傘の中で、議員どもが話合うことなどそれくらいしかないということだ。ただのボール遊びだよ、少尉」


「それでは一体、ここにいる人たちは」


エチカの問いに、マルラント中佐が何かを言い出す雰囲気を感じたときだった。

何者かが、監獄長室に駆けて入ってきた音がする。


「、、、君は、誰だ?」


中佐の周りにいた数名の兵士が銃を構える音がする。

薄っすらとしたウーシアの波長を感じるが、それはそこにいるのがミラリロやアイリスではないことを示している。軍の適合者の生き残りだろうか。


「ハイト・コレード一等兵です」


「そうか。それで何の用だ」

「体を全て出して伏せろ!!!」


ただの兵士か、とエチカは次に起こることに身構える。

彼はこのまま射殺される。

何かの報告に来たのかもしれないが、運の無い。

その不運な一等兵は、しかし何も言葉を発することがなかった。緊張が、視界を奪われたエチカの体にも届く。

突然飛び込んできた、不可思議な光景に固まってしまったのか?

そう思った瞬間、エチカは自分の思い違いを理解した。


『ハイト・コレード一等兵です』


その声は、端から震えていなかったか?

ただ報告に来たにしては、あまりに意を決した声音だった。

戦場において、それから兵士にとって、声というものは、普通の人間よりも敏感に聞くものだ。

死への恐れ、銃声、転移後の衣擦れ、風、怒号。 

だから、その直感は、信じるに値するものだ。


「早く体を全て出して伏せろ!!撃つぞ!!」


___いや、違うだろ、エチカ・ミーニア。

___さっき感じたウーシアの波長は何だ!

 

ハイト一等兵が、ゆっくりと地に伏せる靴と服の音がする。

その一連の動作の中で、唐突に大きな声が2つ重なった。


「左30度、5パッスス!!!」

『主。左30度、約5パッスス』


その声に弾かれるようにして、部屋の外に薄く感じるウーシアの波長を捕らえ、己の文脈に書き換える。そして、2人に指示された場所に転移させる。

見えてはない。ただ鍛錬と実践の中でしみ込んだ距離感覚は正確だった。


「ぐっ!」


と、マルラント中佐の堪えたようなうめき声がし、その瞬間エチカの体は何者かに引き摺られた。

そして遅れたように銃声が連続で轟く。


「射撃は、生憎得意なんですよ、上官たち!褒めてもらったばかりですからねェ!」


その言葉は本当だったらしく、ハイトが銃で射撃しながらエチカを監獄長室から出し、管理棟の廊下から階段に移ったようだった。

ハイトがエチカの目隠しを取り、手錠の方に取り掛かる。


「これ外れないんですか少尉!!脚を中心に狙って撃ちましたけど、追ってくるかもしれないです!」


「銃で撃て」


「いや撃てってどこを」


「射撃、得意なんだろ?」


エチカは自分よりは年上だが、まだ若い兵卒に笑いかける。

ハイトの生唾を飲む音が聞こえたように感じた後、存外、間髪なく銃声が轟いた。


「躊躇いがないな」


「躊躇ったら死ぬってことをさっき知ったばかりなのでね!アガっちゃってますよ僕は!今ならなんだってできますからねぇ!」


「そのようだな」


エチカは興奮する兵卒を見ながら、彼が持ってきた鉄槍を握る。

駐在軍の適合者の死体、そこから拝借してきたのだろう。

エチカはそれを持ち、先ほどの監獄長室に颯爽と戻ろうとする。


「え?逃げないんですか?」

 

「君が持ってきてくれたこれがあれば問題ないだろう?」


「ああ、そりゃそうだ!その威力はもう十分見ましたからね!僕も行きますよ、どうせ生き残ったって殺されるだけなんだから!」


エチカはその言葉にはたとして、


「一等兵、そうだ。ここはいったいなんなんだ」


「それは守秘義務、、、もなにもないですよね!ここはですね、、、」


あまりにも出来過ぎたタイミングだった。

その言葉の先を遮られるのは2回目だ。


「本当はこんな役割、ごめんなんですよ。知っている者と知らぬ者。その服従関係をいたずらに誇示することほど、しらけることはありませんからね。今回ばかりにしましょうね。こういうことは」


階段の上層から顔を出した女。

その顔は炎のベールで秘匿されていた。


「ああ、先ほどはありがとうございました!!おかげさまで少尉を救出しましたよ!!タイミングも完璧でした!」


「あら、そんなに興奮して。ええ、初めての戦場で生き残った兵士はみんなそうなりますわ。早く次の戦いがあるといいですわね。そうじゃないと二度と立てなくなりますから」


「僕に次がありますかねぇ!?少佐さん!」


ハイトが少佐と呼ぶその女は、確かにレガロ帝国の軍服を着て、少佐の階級を示していた。


「ハイト・コレード一等兵、残念ながらこの女性は少佐ではない」


「え?だってこの人が鉄槍もくれたし、今いきなさい、って教えてくれたんですよ?」


「一等兵はここ以外に配属されたことは?」


「いえ!ありません!」


「良いことを教えてあげよう。ウーシア適合者は顔も知らぬほどいるが、覚醒者となればそんなことはない。1度は名も聞いたことがあるし、顔も見たことがある。君だってそうだろう?」


「もちろん知ってますよ!万籟(ばんらい)のイサラ・ザクトーフに、諒恕(りょうじょ)のゼファオール・ジャーニン、そして聖女のルラ・コースフェルトに至ってはCMポスターまで持ってますからね!」


「君は優しい軍人が好きなようだな。それで、この少佐とやらは知っているか?」


ハイト・コレード一等兵が答える前に、その女の炎が揺らいだ。


「先ほども言いましたけど、私、そういうの嫌いなんですの。人生は限られた紙幅なんですから。それから恥ずかしいですわ。必要のない茶番をした私が」


「ああ、そうか。じゃぁ端的にいこう。こいつはおそらく敵だ」


「それでは一体、何で、、、」


ハイト一等兵がエチカの持つ鉄槍に目を向ける。


「舞台があるのよ、私たちが入念に準備した。台詞はいつだって、順番通りに聴衆に届けなければなりませんわ」


「ならその舞台からお前が降りろ」


エチカが鉄槍に命令を下す。

転移は成立する。

その確かな感覚と、目の前の光景には大きな隔絶があった。

女の胸を貫いた槍は、ただ炎の坩堝に投げ込まれただけで、カタンと落ちて階段を転げ落ち、消失してエチカの下に戻る。

そして次の瞬間、エチカの体は巻き上がる炎に抱擁されていた。

まるでそれこそ、歌劇のクライマックスのようだった。

呼吸ができない。

酸素が断絶され、意識が徐々に遠のく。


「舞台はもうすぐせり上がりますわ。きっと特等席で見ましょう。さぁ、参りましょうね」


その言葉を最後に、エチカの意識は簡単に燃え尽きた。

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