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第0章 地下牢獄騒擾事件 第7話 三人

アクトゥール・アウリウスは、四人の妹を持つ家族の長男であった。このことが彼の人生のごく最初期において与えた影響は計り知れない。


彼の故郷はレガロ帝国が属するユイセル大陸の西端、港町で栄えるクランツェル公国であった。帝国とは主従関係にあるが、国境が接していないこともあり、一定独立した主権を持っていた。

彼が十歳のとき、四人目の妹が生まれ、それと同時にもともと貧しかった家計の綻びが決定的なものとなった。世の中に愚かな大人がいるという、至極当然のことを彼が知ったのは、まさにその赤子が産声を上げた時だったといえる。それは開眼したかのような気付きだった。

家庭が徐々に左前になる。その過程は、毎夜の食卓のさもしさを見ていれば明白であった。まず父が飲むワインが消える。アウリウス家で肉が皿に乗ることはまずなくなり、近所の農家から不良の野菜や芋類を貰って飢えをしのいだ。

アクトゥールと一個下の長女は公国が運営する小学校に通っていたが、それもすぐに退学の運びとなった。都合よく転がっている仕事もなく、裕福な家で家事手伝いのようなことをして小遣いを稼ぎ、家計を支えた。

ある働き先の婦人がアクトゥールに良い退()けた。


「あなたの価値を、活路を教えてあげる。何事も言わず、ただその美しい顔で相手を見上げなさい。そうしていれば、その開けた口に餌を投げて貰えるわ」


妹たちはアクトゥールにとって愛すべき存在だった。が、それと両親の思慮の足りなさは、彼にとって全く結びつかないことだった。


下から二番目の妹が、わずか三歳にして草葉の陰に隠れた。アクトゥールは何日も絶食して妹たちに自分の食事を分け与えていたが、どうやら徒労であったらしい。


「兄さま、いらない」


と、その妹はたどたどしい、覚えたての言葉で言った。その数日後に妹は死んだ。彼女の亡骸の傍から離れず、泣き喚く両親を、アクトゥールは赤い瞳で冷ややかに見ていた。(さげす)む心は失った。愚かであるということは、どうしようもなく他人を徹底的に無関心にさせるらしかった。

愚昧は罪ではないが迷惑である。迷惑な者が排除されて喚くのは当の本人のみである。アクトゥールは是が非でも賢くならなければならない、と常に自分に言い聞かせるようになった。賢くならなければ、後に待っているのは口を開けて餌を待つばかりの日々だ。そんなのは御免であった。


彼の父、ソランド・アウリウスは公国がまだ独立したクランツェル《《王国》》であった時、物流会社に勤め、貨物船の船員をしていた。アクトゥールが生まれる5年ほど前、帝国歴59年に起こった世界民族同化大戦の際にも、食料を輸送する兵站部隊に所属していた。

が、その後、戦後に最大貿易相手国となりつつあった敵国、新海しんかいを挟んだ向こうのアラン=ヴィシュク連邦国が、民族同化大戦で勝利した結果得た債権、それによる余剰資金を一般市民に貸付け、加えてウーシア技術の進展に伴う投資熱により、実質経済と乖離して高騰していた株価の暴落を起こした。抱えていた債券は焦げ付き、銀行の倒産、土地価格の下落が経済を低迷させ、諸外国との貿易も半減、その余波を受けソランドの会社は倒産した。

敗戦国のクランツェル王国に課された賠償金は、数十年には渡るが、貿易による黒字によって無理なく支払えるものだったが、不況となってはその返済計画も紙屑とならざるを得なかった。

ソランドが生きたのは、いわばウーシア第二世代、各国がレガロ帝国に追いつけ追い越せと技術を競い合う激動の時代であり、その後の世界民族同化大戦、恐慌といった世界の潮流に乗るか飲まれるか、彼はその分水嶺を乗り越えられなかった。結果、ソランド個人の没落だけではなく、クランツェル王国もまた、恐慌の余波が小さかったレガロ帝国とさらに近づき、帝国から送られた公爵による統治になった。それはアクトゥールが5歳の頃だった。

その後、再び完全独立を掲げた元国王派が帝国から送られた公爵を暗殺し、帝国との間で第一次クランツェル独立戦争があったが失敗に終わり、また新たな公爵が統治していた。


「俺は悪くない。小金持ちが馬鹿みたいに投資して、失敗しやがるからこうなったんだ。俺のせいじゃない」


酔うとよく、眠りかけたアクトゥールを捕まえてソランドはそう愚痴を零した。アクトゥールは屍のようになった無職の父が見せる、それが唯一の活気だと思い、偶の孝行だと、閉じかけた(まぶた)を押し上げて父の晩酌に付き合ってやった。

ソランドが子供たちを捨てて逃げたのは、アクトゥールが十二になった時だった。元々快活だった母も時待たずして自ら命を絶った。

アクトゥールは、そんな不運を浴びても、身に溢れる高揚を隠せなかった。ようやく自分の手で自分の生を引き寄せられる。その自由の喜びの方が勝った。


「ご尊父様には大変お世話になりました。大恩は報せず、といった野卑(やひ)な者にはなりたくないのです」


そう言った父の元同僚は、ただ愚かだった父よりも悪かった。兄妹を半ば強引に引き取ったかと思えば、妹たちを即座に売り飛ばそうとした。アクトゥールはそのことにまるで驚かなかった。為人(ひととなり)は、邂逅(かいこう)の瞬間の瞳にちらりと宿るのだ。彼は男が体よく誤魔化しにかかる、その直前に裸となった卑しい目を見逃さなかった。


アクトゥールは妹たちが売られる前に、その男の目を盗んで近くの神父に頼った。神父は兄妹を保護し、そのまま関連の児童養護施設に引き渡した。


「もう大丈夫よ。ここでみんなで暮らしましょう」


施設の長はそう言ってアクトゥールの頭を撫でた。その目も、手も、温かく優しさに満ちていた。皺の無くなって張り詰めたアクトゥールの精神でも、その声と感触に母を想起せずにはいられなかった。

アクトゥールはそこで新たな友を得た。彼の名はシュージル・ミラーハイト。目を奪う白銀の髪に薄茶色の瞳を持つ美男子であった。アクトゥールも母譲りの秀麗な容姿であったが、彼には到底及ばなかった。


「アクトゥール、君の肌は褐色だが、野趣(やしゅ)に富んでいて悪くない。むしろ僕のような白い肌は、こうして比べてみると、たいしたことない傷でも目だってどうにも弱弱しいな」


「でもシュージルの氷雪のような髪は僕にない」


「それはそうだ。うん、そうか。こういう時は優劣をつけるべきなんだろうか?……どう思う、アクトゥール」


「僕はそう思うよ。僕より君のほうがやっぱり美しい。僕の審美眼がそううるさく告げてたまらないんだ」


そう言ってアクトゥールが耳を塞ぐジェスチャーをすると、シュージルはくくくっと上品に笑った。


「そうか。君の審美眼はどうやら正しいと言わざるを得ないな。あの子は僕も可憐だと思うからね」


シュージルが指差した先には、いつも養護施設にパンを届けてくれる同い年くらいの少女がいた。亜麻色の髪で肩を隠し、いつも跳ねるようにして歩く彼女に、アクトゥールは密かに淡い思いを抱いていた。そのことを指してシュージルはからかうのだった。


「声をかけてくるが良い。僕はここで見守っている。友よ、幸運を」


シュージルに背を押され、戸惑い騒ぐアクトゥールに、彼女の方が先に気付いて足を向けた。施設の園庭、大木の梢が作る影の中で、三人の少年少女がたどたどしく挨拶を交わした。

それは秋を待つ晩夏の頃であった。


「こんにちわ。私、ローア・ストーラと言います。いつもこうしてみなさんのパンを届けに来ているのですけど、知っていましたか?」


「勿論さ!」


と、勢いよく答えたのはシュージルだった。彼はそのままアクトゥールの横っ腹を肘で突く。

ローアと言う少女は、シュージルの方をしばしの間見つめていた。アクトゥールは高揚していた心が霞むのを感じたが、彼は男の目から見ても美しいのだから仕方ないとも友情ゆえに思った。


「いつもありがとう。感謝している。」


アクトゥールはその言葉がやっとだった。


「代金はきちんと頂戴しているので、私がお礼を頂く訳には参りません」


微笑むローアに、どうしてアクトゥールは視線を逸らすことなど出来ただろうか。失礼に当たるほど彼女の顔を赤い瞳で見つめ、シュージルに足を踏まれなければそのまま気を失ってしまうかと思われた。


「アクトゥールさん、でしたね。とても綺麗な瞳」


「さんなんて付けなくていい。僕にも、アクトゥールにも」


「……分かりました、シュージル。それにアクトゥールも。これで私も友人の仲間入り、ということでよろしくて?」


お道化て、淡い緑のスカートを片手で摘んでみせるローア。その仕草に、アクトゥールの若い恋慕は深く心の底に根を張った。


それから一年が経った頃だった。


三人はよく共に遊び、学んだ。シュージルは出自を必要以上に周囲に対して隠していたが、ある貴族の私生児だと、アクトゥールとローアには教えてくれた。その血統ゆえかどうかは分からないが、彼の学問の成績は優秀だった。それに比べると残りの二人は物足りなかったが、その代わりにアクトゥールは運動が得意だった。時より養護施設の子供にちょっかいを出す輩が出ると、彼は義憤(ぎふん)(もよお)して、あるいはローアに良いところを見せようと仇討(あだうち)に出掛けた。


愚昧も、無能も、邪魔者である。その強迫観念に似た思いが、ローアへの恋心と混じって、彼を勇猛に駆り立てた。勉学に才を発揮するシュージルと、彼には及ばないものの、十分に勤勉で、腕力にも長けたアクトゥール。二人は必然的に親友となり、共に過ごさぬ日は無かった。


「僕らはウーシアへの適合がない」


「そうだね。シュージルは悔しいのかい?」


ある夜空の高い日だった。星を見ようとローアが提案して、施設の庭で三人並んで仰向けになっていた。

星辰が、シュージルの伸ばした手の先で人を蠱惑(こわく)するように瞬く。


「いや、ウーシアなんて、あんなものは石の(つぶて)と何ら変わらない。僕はそんな物を投げては喜ぶ愚者には落ちたくない」


「僕は…………そうだな。君に投げられる礫なら悪くない」


「なら一緒にレガロ帝国を打倒しよう、僕と、アクトゥールで」


アクトゥールはその言葉に驚愕したが、ただ、妙に胸に(はま)った。

シュージルは新聞のニュース等を見るたび、ことある毎に帝国に対して恨みを述べていた。おそらくその隠された出自と関係することには気づいていたが、アクトゥール自体には帝国に恨みはない。第一次クランツェル独立戦争の時もまだ7歳であり、しかも事態は半年で鎮圧されたことから、大人たちの事情としてしか記憶がなく、あちこちで王国の国旗を目にしたことぐらいが変化だった。

だが、成長するにつれ実感する。ウーシアも扱えず、身分もない己は、帝国の勢力図の中では無能で蒙昧(もうまい)な、お荷物な存在だ。このままでは父と同じ運命をたどらざるを得ない。


そうであるなら、、、。


「うん、僕は君に協力するよ、どこまでも」


二人の少年は、ローアを挟んで互いに笑い合った。


「ちょっと。二人とも私を忘れているのね」


と、ローアが二人の顔を交互に見て、それから両手を延ばして少年たちの頭を小突いた。


「いやいや、これは男の心意気というものだ。君にはないだろう?」


「いいえ、シュージル。きちんとあるわ。私はずっとあなた達にパンを持っていくの。ずっと、ずっとね」


「ほら見たことか。なあ、アクトゥール。どうやら女の心意気とは、そこここに生えている雑草と変わらないらしい。星を、月を、太陽を見なよ。届かぬからこそ、こうして人の憧憬を集める。僕らはこれからそれを掴もうと言うんだ」


「二人ともおこちゃまなのね。パンは大事よ。そして一番、難かしいことなんだから。それが分かるまで、二人が私にごめんさいと謝るまで、私はやっぱりパンを届け続けるわ。もう決めたの。」


一人怒って立ち上がるローアの背を、アクトゥールとシュージルは悪戯な微笑みを浮かべて眺めていた。

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