離島先生
残り271日!95日目!
「あーもしもし?」
かったるそうに布団から少しだけ体を出し電話に出る男の顔は髭が整えられておらず、シワが付きまくりヨレヨレのタンクトップシャツを着た姿は男のだらしなさを露わにしていた。
「おーたっちゃん! 元気してる?」
電話越しから伝わるテンションの高い声に寝起きの男は驚いて携帯電話を耳から離すが、「たっちゃん」と呼ばれた事と聞き覚えのある声に布団を跳ね上げる。
「マーシーか!」
今度は男が声を張り上げてしまう。
「なんでそんな驚いているんだよ。俺の連絡先登録してないのか?」
「寝ぼけていたからよく見てなかったんだよ」
男は座り直すとモノでごちゃつくテーブルの上から、その中に置いてあった煙草の箱に手を伸ばす。
「流石だねぇー仕事もしてないから連絡相手が誰か分からずに電話に出れちゃうんだ」
「うるへぇよ」と煙草を咥えた口で悪態を吐き、男はカチカチと箱に入っていたライターで煙草に火をつける。
スー、フーと煙を吐き出してから男は尋ねる。
「それで久しぶりに連絡してきて俺に何の用だよ?」
「暇してるかなって思って」
「お前、付き合い立ての恋人じゃねえんだから、ひやかしか?」
男が咥える煙草のさきがチリチリと燃える。
「冷やかしじゃないよ、新しく仕事見つけたのかと思ったんだって」
男は煙草先で伸びた灰を灰皿に慣れた手つきで落とし
「恋人の次はかーちゃんかよ。何だよもしかしてお袋から仕事がどうなったかの確認でも頼まれたか?」
「おばさんも流石にそんな事を僕に頼まないよ、そうじゃなくて、単純に僕から暇そうなたっちゃんに耳寄りな情報を持ってきたんだ」
「島に戻って漁師はやんねぇぞ。なんの為に島から出て大学行ったと思って。仕事辞めたからって継ぐ気はねえよ」
プハーと一段と煙の量が多い息を吐く。
「知ってるよ。でも戻って来て欲しいって言うのは実はそうなんだ。たっちゃん確か大学で小学校の教員資格も取ってたよね?」
「ん? あぁ一応な。結局、教師にならないでサラリーマンになったけど」
サラリーマンになって、そして辞めたけど、と男は思いながら短くなった煙草の火を擦り消す。
「おい、まさか島で小学校の先生になれって言うんじゃねえだろうな」
「流石たっちゃん! ご明察!」
芝居がかった明るい声に男は頭が痛くなる。カチカチと火を付ける訳でもなくライターの火打ちの音を鳴らす。
「あのな、資格取ったのだって大学の頃だぞ? もう10年も前だぞ? そんな奴が急に先生になんてなれないだろ。それに川原先生はどうしたんだよ。もしかして……体調崩したのか?」
嫌な予感がし心配そうな声を男は出す。
「いや、先生は今でも元気過ぎるくらいだよ」
「じゃあ何で……」
「何でって、君が大学で資格を取ったのが10年前なら小学生時代は20年以上前になるんだよ? 僕らが生徒だった時に今の僕らよりも一、二回りくらい上の歳だった川原先生が今いくつになると思ってるんだよ」
言われてみればそうだと男は思う。
「なんか川原先生って永遠に先生してると思ってたわ」
「まぁ気持ちは分かるけどね」
「俺達が歳取っただけ先生も歳を取っているんだから当然なんだろうけど」
取ってきた歳を数えるように男は過去を振り返りながら、また煙草を一本口に咥えて火をつけ、煙を吐き出す。
「でも、だからって俺じゃなくてもいいだろ。俺だぞ?」
衣類やゴミでグチャグチャになった部屋を見る。とても聖職につける人間の部屋ではないと男は思う。
「そう言ってる癖に大学に行って島も出て行って就職もしたじゃん。僕はたっちゃんだから出来ると思ってるんだよ」
「いやそうは言ってもだな……」
と男は自信なさげにもごもごと口ごもる。それを機と見たのか
「たっちゃん、本当は教師になりたかったんでしょ? だから教員資格を取ったんじゃないの? 昔から子供好きだったし、面倒みだってよかったし」
「それはーー」
男にとってそれは図星であったらしく固まった手に持った煙草の先で伸びきった灰が勝手に零れ落ちていく。
「別にすぐに決めてとは言わないよ。川原先生も今すぐ辞める訳じゃないだろうから。それに一度島に帰って来てよ。今の話関係なく、僕も久しぶりにたっちゃんに会いたいし。そのついでに、小学校も一緒に見学しにいこうよ。たっちゃんも久しぶりに川原先生に会いたいでしょ?」
「それはそうかもな」
『帰省か……』と男は思う。大学に在学中の時も就職した後も前の仕事を辞めた後も島を出ていった息子に向ける親の視線を感じたくないがため、親や友人と連絡は多少取っていたが、帰省した事は気が進まず一度もなかった。
「でしょ? コッチに帰る日が決まったらまた連絡してよ、僕の方で時間を合わせるからさ」
「あぁ、分かったよ」
「じゃあ、お願いするね。それじゃあ、悪いけど今日はこれで、また連絡してね」
「おー」と男が返事すると「じゃあ、またね」と言って電話が切られる。
ほとんど吸わず完全に燃え尽きてしまった煙草を灰皿に放り投げる。寝起きである事を思い出したかのように男は大きな背伸びをした。
そして少しの緊張のあとに脱力と共に
「帰省か……」
と今度は声に出して言う。男の頭の中では、もうほとんど過去となってしまった島の情景が思い出された。
「こんな分教場だったか俺達の小学校って?」
「20年前から何も変わってないよ」
石の階段を登る男は息が絶え絶えとなり顔に疲労の色が現れていた。それに対して男と一緒にいる眼鏡の男、マーシーと呼ばれたその男はケロッとしている。
「同い年なのに何だこの差は……昔は体力でお前に負けた事なかったのに」
「煙草で肺がやられてるんでしょ。これを機に禁煙したらどう?」
「喫煙者を舐めるな。そんな簡単に辞められたら依存症なんてねぇんだよ……」
ぜぇぜぇと息を切らせながらもしっかりと受け答えをする男。もう20年くらい前とは言え毎日のように通っていた通学路だ。これ程キツイ道のりであったかは体力の衰えのせいで体が覚えておらずとも、もうすぐ学校に着くという記憶は覚えていた。
もうひと踏ん張りと踏み越えた最後の階段の先に校舎らしき建物が見えた。
「あれ」
男の記憶通りの場所に校舎はあるのだが、もっとボロボロな建物を想像していた男は意外と綺麗な、というか、男が在学していた時よりもずっと綺麗になっていた。
「驚いたろ、数年前に十人もいない生徒の為に市が建て替えてくれたんだよ。まぁ、人数が少ない分だけ建物も小さいから他の学校よりかなり小規模で済んだんだけど」
通っていた時と同じ古い木造建築を想像していた男だったが目の前の光景は意外な事態であった。
「この町のどこよりも綺麗な建物なんじゃないか?」
「そうかもね」
男の思い出の中の校舎でさえボロボロで崩れそうだったので建て替えたのは正解の様な気がした。あれから20年程度、逆に今まで何もしなかった事がおかしかったのだろう。
「お」
とマーシーが眼鏡をくいっと持ち上げて小学校の玄関の方を指した。騒がしい声が玄関付近から漏れ出ている事は男にも聞こえてきた。
「出てくるよ、生徒達が」
「ひゃほーい」と叫んでいそうなくらい、手を万歳にしながらテンション高く飛び出してきたのが坊主頭の少年であった。その次にボールを手に持った男の子、その横を勢いよく掛けて坊主頭に追いつこうとする三つ編みの少女がいた。
一応、教員資格を取った男の目には三人とも同じくらいの歳だろう予測は出来た。違っても一つさくらいだろうかと思っていると、さらに後ろから、最初に飛び出してきた子達よりも少し小柄な男の子が靴のかかとをしゃがんで合わせていると、横からおさげの少女がその男の子に手を差し伸べて立たせようとしている。
中~高学年だろうかと男は考え、最初の三人は高学年で多分、後ろの二人は中学年後半だろうと予想を立てる。
そしてその更に後ろから男性の大人が姿を現すのが見えた。
「川原先生だ」
面影がある。というか面影を探さなければ川原先生だと分からないくらい男の記憶よりも先生は老けていた。
「先生老けたな」
「当たり前だろ」
と二人でやり取りしていると、川原先生が二人に気付き目が合う。
「ほらいくぞ」
とマーシーに背中を叩かれ男は川原先生の元へと歩いて向かう。
学校の敷地に大人が二人入って来た事に気付いた子供達が訝し気な視線を送るが一人が笑顔ではしゃぎはじめた。
「うわ! マーシーだ!」
最初に飛び出した元気な坊主頭の少年だった。それに反応した他の生徒達もマーシーを取り囲むように近づいて来る。
「今日は何しに来たの?」「遊ぼマーシー!」「サッカーしよ!」「なぁマーシー! マーシー!」
と、何故か小学生全員にマーシーは懐かれており、男はその様子に疑問の表情を浮かべてマーシーを見
る。
「何度か教員の件で訪ねてたら懐かれちゃって……」
照れたように言うマーシーは子供達に好かれて満更でもなさそうである。
「おじさんは?」
おじさんと言われること自体にそこまでショックはないのだが、同じ歳のマーシーが『マーシー』とお兄さんのように慕われて呼ばれているのに、自分がおじさんと呼ばれるのが男には少々ショックであった。
「彼は僕の友達だよ、ちょっと川原先生に用事があるから通してね」
扱いにも慣れているのか、柔らかい口調で子供達をなだめて道を開けて貰うマーシー。
不満そうにするがマーシーの体から全員離れ再びサッカーをしようとボールを蹴り始める生徒達。ただ、その前にやはり男の事が気になるのか、何人かは好奇心が抑えられずに男の顔をじっくり眺めてからサッカーへと加わった。
「こんにちは真島君、そしてお久しぶりですね倉科君」
子供を振り切って近くまで到着した二人に川原先生が柔らかな微笑みを浮かべ挨拶をする。「こんにちは先生」と二人で挨拶してから男が前に出る。
「お久しぶりです、川原先生。お変わりなく元気そうで」
と男が軽く会釈をしながら今度は個人的な挨拶をすると、川原先生が急に顔をキュッとしかめたかと思うと、「ふっ、ふふっ」と言ったかと思えば
「アハハッ!」
と豪快に笑い始めた。そうだ、この人かなり笑い上戸だったと記憶の中の川原先生を思い出す男。しかし何故これほど笑われているのかまで分からない。
「せ、先生?」
「いや、すみません。あの倉科君が敬語なんて使っているものですからついおかしくて」
敬語使うだけで笑われる小学生とはどんな人間なのだろうか。自分と他人の視点ではかなり感じ方に差異が生まれるだろうが、確かに敬語を使うようなお利口さんではなかった。ただここまで笑われる程なのかと思わなくもなかった。
「というか、もう20年近く前なのに覚えてくれていたんですね」
またも敬語を使う男をみて「ふふ」と笑みを噛み締めながら
「ウチの生徒数は少ないですし一人一人の交流も深いですしね。倉科君の事もよく覚えていますよ。歴代でも屈指のやんちゃ坊主でした」
「いやいや、そこまでじゃなかったでしょ」
「謙遜しなくていいですよ倉科君。もう建て替えたので消えてしまいましたが、アナタが校内で打ち上げた花火の焦げた跡は私が生徒にするお気に入りの話の一つです」
「そう言えばそんな事してたよね、たっちゃん」
「お前は『僕は止めたんです』って言って見守るタイプだったよな……」
友達がいがない奴だと思う一方、小学生時代に迷惑を掛けていた事を「ホントにすみませんでした」と素直に謝る男。そんな男の態度に川原先生はもう笑わなかった。
「本当に大人になったんですね、長い間みないうちに、立派な大人になったんですね」
「いや、どうなんでしょうかね……」
昔の師に褒められる事は嬉しかったが、自分の現状を考えると素直に喜べなかった。
「立派な大人ではない気がしますね」
「そんな事はないと思いますよ……アナタは昔から――」
「マーシー! 一人足りないからチームに入ってよ!」
と、川原先生の声を遮る大きな声がボールで遊んでいた小学生達の方から届く。
「真島君どうですかね。私は倉科君と話をするんで行って来てくれませんか?」
「分かりました先生」
物分かりよくマーシーは子供達の輪の中へと入っていく。どちらのチームにマーシーを入れるかで争っているらしく、ちょっとした言い合いになっている。
「子供に人気だなアイツ、もう代わりの先生はアイツでいいんじゃないですか?」
小学生たちに囲まれたマーシーに視線を向けて、ついポロリと男から零れる。
「真島君には役所の仕事がありますからね」
そう真面目に返事されると言う事がなくなる男は黙ってしまう。そして少しの間があってから
「倉科君はお仕事を辞めたらしいですね。どうしてなんですか?」
川原先生の直球な物言いに少し面食らうが男はその様子に懐かしさも感じながら質問に答える。
「どうしても何も嫌になったんですよ、何もかも。人の手柄を取る上司とか、目の敵にしてくる同期とか、つまらない仕事とか、合わない空気とか、なんかもう全部嫌になったんですよ。情けない話ですよね」
苦い島外での思い出に自嘲の笑みを浮かべて男は答える。
「私は情けないとは思いませんけどね。嫌な事があれば逃げるべきだと私がよく言っていましたからね」
それは男も覚えていた。その教えが頭によぎったからこそ、仕事を辞める最後の決断が出来たくらいだと思っている。しかし
「俺が情けないのは辞めた事じゃなくて、結局島の外で上手く生きていけなかった事です」
「……アナタが島を出た理由って漁師の仕事を継ぎたくなかったからでしたね。口癖でしたもんね『俺は漁師にならねえ、島から出るんだ』というのが」
島の外に憧れが生まれるのと同時に親の仕事を継いで漁師になるような島内で決められた将来に進む事が若い頃の男には耐えられず、親と衝突しながらもその意思を曲げずに島外の大学の試験に通過し入学を決めた。
「島の外に憧れていたのに蓋を開ければ上手くいかない事ばかりで、大学に在学している時からもう一杯一杯で、就職したらもっとシンドクて」
昔の恩師の前の為か男は自分の口が軽くなっている事に気付く。こんな情けない事情は親友のマーシーにも吐露した事がなかった。
「それは辛かったですね……」
川原先生は優しく慰めの言葉を男に投げかける。
「でも私は倉科君が十分に立派だと思います。なにも恥じる事はないです」
「そんな事――」
「昔からアナタの口癖は『俺は島を出る』でした」
男の否定を遮って川原先生は同じ事を話す。
「そして酷くやんちゃで、残念ながら頭はあまり良くありませんでした」
急に小学生時代の頃を悪く言われて男は何とも言えない顔をする。事実ではあるがあくまで小学生時代の話であると。
「正直、私は心配でした。島の外へ出てアナタが上手く生きて行けるのかどうか」
心配通り実際に上手く行かなかった自分の事をどう思っているんだと男は思っていたが話は少し方向を変えていく。
「杞憂でした。アナタは大人に成るにつれて口癖を現実にする為に努力を重ねて成長していきました。私が教えていた時はあれほど勉強が嫌いだったのに、大学に合格するくらい勉強をしました。合格を聞いた時は私も胸を撫でおろしたのをよく覚えています」
卒業後もそこまで気に掛けていたとは男にも驚きであった。
「でも結局、現に今は仕事を辞めています。情けない人間なのは変わりないですよ」
「何を言っているんですか。島内の人との繋がりが強い生活から一人で外へ出て大学も含めて10年以上も生活していたんです。これが立派じゃないと誰が言えますか」
力強い川原先生の言い切りに男は先生の顔を思わず見つめてしまう。シワが多くなり白髪も増えたが、20年前と同じ恩師の姿をそこに感じる。
「何十年もここで教師をしている先生に言われてもって感じですけどね」
と、おどけた口調で男は言う。しかし、男が纏った自嘲の雰囲気は少しだけ薄くなっていた。
「私は好きでやってますからね」
好きでやっている言葉に男は少し引っ掛かる。
「そう言えばなんですが、倉科君はどうして教職免許を取ったのですか?」
ここでその話を持って来るのかと男は思う。いや、少なからずマーシーの入れ知恵もあるだろうから、このタイミングで聞いてくるのも当然であるように男は考える。
この手の質問は職場などでもよく聞かれていた。その時は「公務員は安定するから」と味気のない答えを常に返していた。しかし、この場でそんな建前を言うのは間違いだと男は感じる。
「子供が好きだったのと俺みたいに何かに迷っている子の助けになりたいと思っていたからです」
小学教諭の免許を取った理由までは男は答えない。それを目の前の人間に言うのは少し照れ臭い事であった。
「それなのに何故ならなかったです?」
当然の疑問であるように思えた。
「あまり良い求人がなかったのもありますけど、単純に自信がなかったんです。子供に何かを教える自信が。島を出て挫折しそうな自分が何か教える資格があるのかって」
結局、別に内定を貰ったそこそこ大きな会社に男は入社したが結果は今の通り。
「ありますよ倉科君には。子供達の教師になる資格が絶対にあります」
また強い言い切りの言葉であった。
「なりたい自分を目指し挫折しそうでも歯を食いしばって生きたアナタに資格がない訳ないじゃないですか。その経験は私にだって子供達に教える事が出来ないんですから。人生の苦労を知る努力家なアナタは最高の教師になれると私が保証します」
憧れの恩師からの太鼓判に男は顔を綻ばせる。本当は少し泣きそうになっていたのだが、それは何とか隠すようにした。
「俺に出来ますかね?」
「出来ますよ。もしウチの学校で教師をしてくれるなら私もサポートをします。島内だけじゃなく島外の事も子供達に教えて可能性を広げて欲しいと思っています」
どうですかと言う川原先生の優しい表情に男は頷き決意を決めるのだった。
「今日から副担任として働く倉科達也さんです」
まだ経験が浅いため副担任として母校に就任し、紹介された男は前に出る。その顔の髭は綺麗に剃られ、ボサボサであった髪も整えられていた。
「倉科です。生まれはこの島でこの小学校でも皆さんと同じく勉強をしていました。高校を卒業して10年くらいは外で生活をしていました。もし島の外で興味がある事があれば聞いてください」
と、自己紹介をした男の目には力が宿る。
男の新たな人生がここから始まるのだった。
今回は「分教所」「就任」「通過」の三つの単語から書きました!




