柔らかな手
残り278日!86日目!
ババの手は柔らかかった。
足も腕も肉が落ちてほとんど骨と皮だけの姿になっても、その手を握るとそんな硬そうな見た目とは裏腹にとても柔らかく温かかった。
「思い出せんなぁ……」
細く掠れた声で手を握る私の顔をほとんど開いていない瞼の下から確認したババは顔の表情を少しだけしかめてそう言った。
「思い出せん……」
再びそう言った。
「そっかそっか、まぁ思い出せないよね」
と私は苦笑して返した。もう何度もババに会いに来たがババの息子、つまり私の父の顔ですら思い出す事までに数瞬いるくらいに思い出せないでいるくらいである。孫である私の顔を思い出すのはもっと難しいはずである。
ババが入院したと聞いた時、私はあまり心配していなかった。冷たいかもしれないが、歳なのでそういう事もあるだろうくらいにしか思っていなかった。
そんなある日に見舞いに行くと言われ、入院後に初めて会ったババは記憶のババの姿とは違い酷くやつれた顔をしており、こんな顔だったっけと思う程であった。
初めはその変貌ぶりにドキリとし動揺した。その隣で父が「娘が来たぞ? 誰か分かるか?」と聞いた時にババは私の顔を見て「誰だったかな」と頭が痛いように顔をしかめた。
忘れられてしまったかと、ほんの少しショックだったがお婆ちゃん子だった訳でもない私が覚えられていないのも仕方ないと思った。
ただ耳の悪いババに気を遣い大きな声で私の名前を教えると、ババは思い出したように「アンタの娘やったか」と先程父に言われた事を繰り返し父に問い返していた。
それでも入院したての時は、声もハッキリしており、目もパッチリ開いて、耳が遠くて声が聞こえないながらも会話をする事が出来た。
少し弱ってベッドから動けなくなって私の事を忘れてしまってはいるが、雰囲気はいつものババと変わらないように思えた。父が一生懸命ババに話しかけるが耳が遠い為に「何を言ってるんか分からん」と一蹴する姿は入院前と同じ光景であった。
それからも頻度は高くないがお見舞いに行く度に私の事を忘れるババ。それでも、息子の娘という事は話していると思い出せるようで、偶に急に私の名前を驚いたような顔をして呼ぶ事があった。そういう時は少し嬉しかった。
私はお見舞いに行き、ババと別れる時は手を握ってから別れる様にしていた。初めてお見舞いした時、ババに帰る事を告げると、それに対してババは別れの挨拶をするように軽く手を振ったのだろうが、あまり動きがないババの手を見てなぜか私はハイタッチだと思ってその手に自分の手を合わせたのだった。
こんな風に今までババの手に触れた事は記憶上ではなかったが、非常に柔らかな手をしていた。ババは私が合わせた手を軽く握った。すると嬉しそうにババは笑ったのだった。それは本当に嬉しそうに。
あまりに嬉しそうな表情をするものだから帰ると言ったのにそれから数分間、握られたままでいてしまった。
それから帰る時になると手を上げるババの手に合わせてから帰るようになった。私では特にババにして上げられる事がない為、手を触れさせる事が嬉しいと思ってくれているのならやるべきだと思った。
それに私も心地良かった。ババの手を握ると言うのは少し恥ずかしい気持ちにはさせたが、柔らかい手に触れる事と握った時に笑顔になるババが可愛らしかった。
ただ、今日は違った。間が空いてしまい久しぶりに会ったババは、表情の筋肉や瞼はほとんど動いておらず、起きた後も、開いているか分からないくらいの薄目でコチラを見るのだった。
入院した時も、やつれていると感じたが、あれからまだ人間の肉は薄くなると言う事に私は驚いた。というより、ショックを受けたのかもしれない。
最近、母に「久しぶりにアンタもババに会いに行かないとね」と言われていたが、その声の調子は重たく、それだけでババの体調が悪化しているのだと想像が出来た。
その後に母が「もしかしたら、もう……」と小さな声で言って口を閉ざしたのを私は聞いた。その後に続くであろう言葉は考えなかった。
だから、今日お見舞いに行くのにもそれなりに覚悟をしてきたつもりだった。きっと前に見た時よりも元気がなくなっているのだろうと思い病室に入ったのだが、それでもババの姿を見た時にショックを受けてしまった。
掠れた声で一生懸命に私が誰か思い出そうとするババの声に、いつもはクイズ形式のようにヒントを出しながら思い出して貰おうとしていたのだが、今日はすぐに自分の名前を明かした。
聞いた名前を含むように呟くがその表情に変化はない。ピンときているのかいないのかも私にはハッキリ分からない。含んだように思えただけで、すでにババの頭の中に残っていない可能性も大いにありえる気がした。
私はバイバイを言う前にババの手を取っていた。
あまり動かないババの表情が少し動いた気がしたが、その動きから喜んでいるのか判断が出来ない。ただ以前と同じように手を掴むと握り返してくれた。
手の平の柔らかく温かな感触は変わらなかった。
「思い出せん……」
とまた掠れた声をババが漏らす。「大丈夫だよ」と言おうとしたが、何も言えなかった。代わりにババが私の手を軽く握った気がしたので、私も優しく握り返した。
柔らかさと温かさがババにも伝わるうように、優しく、握り返した。
今回は祖母のお見舞いに行ったので書かせて貰いました。




