蟻地獄
残り282日!84日目!
下の人間は下を見て安心し、上の人間は上を見て焦燥する。
ここでの上下は人間的地位という事なのだろうが、人を見下して安心している人間は結局、安心したいが為に下ばかりを見つめている為、自分がどんどん下に下がって行っている事に気付かないのだろうと思う。
自分より下にいる人間が急転直下でどん底に落ちたと錯覚しているのか、自分も同じ運命を辿って下に落ちて行っているのに、まだ大丈夫だと下を見ながら安心する。
そんな当たり前に気付けないからどんどん下へ下へと蟻地獄に絡めとられたかのように招き入れられ落ちていくのだろう。
そんな事実に僕は17の頃に気付いた。コイツは下ばかり見ているから成長しない、コイツは目標を持って上を向いているから成長する、コイツはどっちでも無さそうだから普通の生活になりそう。と、評価していた。
僕はそれに気付いて尚も下を見る人間だった。周囲の評価をしているのも自分よりも下の人間を見つけて安心したいが為であった。だからこそ、下ばかりを見る人間はダメになると学ぶ事が出来たのだが。
それでも上を向く事は出来なかった。
自分よりも上の世界を見ようとすると、世界を照らす太陽を直視するくらい眩しく、吸い込まれそうな夜空を見るくらい不安にさせられた。
僕には上を見続ける事が出来なかった。アニメが好きで、将来は声優に成りたいと心の中で思っていた時だった。大好きな声優が如何にプロになったのかをとある動画で語っていたのを聞いた時だ。
彼もプロの声優になりたいと思っていたらしく、アニメを見てはそのキャラのマネなどをして、セリフを当てていたそうだった。
僕もそれくらいならしていた。好きな声優のキャラが話すシーンをマネして声を出してみていた。何度かやって録音してみたが、自分の声というのは気持ち悪いものであり、誰かに聞かせる事もなくその録音
は消してしまった事があった。
ファンである彼も同じ事をしていたんだと聞いた時に嬉しくなり、プロである彼と同じ行動をしているという事実が僕にも才能があるかもしれないと身震いさせた。
しかし、話の続きを聞いてそんな気持ちもあせてしまった。
彼は何度も何度も同じシーンを練習し、何作もの作品に声を合わせて練習していたという。
文化祭の日に自分がアフレコしたアニメを上映したこともあり、鑑賞後には歓声が上がる程に盛り上がったと言うエピソードを語った。
僕と彼は全然違っていた。
ただ声をマネしてみて満足していた僕と、声優に成る為に徹底した練習をしてプロになった彼。
少しでも同じ土俵に立てたと思ってしまった事が恥ずかしく、その後は動画を集中してみる事が出来ず内容は覚えていない。
この時から僕はもう自分はプロになれない事を悟ってしまった。
彼が言った事は全てじゃないだろうが、プロっていいなと思っているだけで漠然とアニメを見ている才能も感じない僕が成れる訳がないと思った。
上を向き眺めた光景があまりにも険しい事に気付いてしまったせいで、そこから動けなくなり、そしてついには下を向き始めた。
楽であった。
自分より勉強が出来ない馬鹿な奴らを見て将来を想像するのはとても気持ちが良かった。
それが自分を陥れ下へ向かわせる行為だと気付いた今でも辞める事が出来ない。もう僕は上を目指せる人間ではなくなったのだから、下を見て少しでも心の安寧を得る事で快楽を求めた。
やはり蟻地獄のようなものなのだろう、飲み込まれない様に上を向いて少しでも進まないとズルズルと下へと誘われる感覚がそこにはあった。
下を見ていては登る事は困難で、僕にはとてもそんな器用な事には出来なかったし、だからと言って天辺を目指そうと努力する事も出来なかった。
それに足元さえ見ていれば救われて地の底へ滑り落ちていく事もないと言い聞かせる事も出来た。
偶に上にいた奴が足を滑らせ落ちてくる時があるがその瞬間は滑稽で堪らなかった。他にも、ここが蟻地獄だと分からずに下へともうダッシュしていく人間や誰かの足を引っ張り道連れにしていく様も見られるとかなり落ち着く事が出来た。
ただ自分を一番落ちつかせたのは周囲にも僕と同じような人間が一杯いるという事だった。
上を目指して歩いている奴がいる中、気にせず蟻地獄に飲まれていく人間が周囲には沢山いた。
偶に周りと自分の位置を見比べて焦る様に上がろうとする人間もいたが結局、周りに合わせるくらいにまで上がった先でまた同じように下へと飲み込まれている。
そんな人間ばかりだからか僕もここで落ち着いていられた。
変に動いて足を滑らせない限りは僕もあの地の底で呻く奴らのようにはならない。時々、僕だって周囲に合わせて上へ登ろうとする事だってある。そうしている限り僕は食われる事はない。
でも、最近少しずつ同じ位置にいたはずである周囲の人間が減っている気がする。少し前までは一緒にいたのに、今では少し上を見なければいない事がある。
少し焦って追いつくべきかもと登ろうとするが、まだ自分と似たような場所にいた人間を追い越し自分より下へ追いやると満足して歩を止めてしまう。
そうやって下を見ている内に少しだけ上に居たはずの人間がいつの間にか追いつくのも面倒な程、登っていたりするのだった。
また一人、また一人と上がっていくのを認識するが、同じ位置にいる人間を見て、またはまだ下にいる人間を見ていると、自分の立ち位置は何も変わっていないのだからまだ大丈夫だと安心出来た。
何より落ちている実感があるというのが他の人間よりも僕が特別な点だと思っていた。
少しずつ登っていれば落ちきる事はない、それに落ちきる前に気付く事が出来るし下で食われている馬鹿共のように気付かずに飲み込まれる事もない自負が安心させた。
ポケっとして飲み込まれて行っている奴とは違うと思えた。
ただ最近、周囲の顔ぶれも変わらず冴えない人間ばかりで、下で蟻地獄に飲まれている人間達の怨嗟の声が近くで聞こえる気がした。
ようやく気付いたのが、下へ落ちるスピードが上へと登るスピードよりも速かった事であった。
周囲にいる人間で自分の位置を見比べていた為に下へ落ちている事に気付かなかったのである。途中でいなくなった顔触れは登って行ったのではなく、落ちるスピードに負けなかっただけであった。
それに気付かないマヌケな顔触れがここにいる人間である事に気付けた。
上に登らなければと見上げた先は絶望的な程に高い道のりであり、登ろうとするも足元が深い砂により足を取られ身動きが取りづらくなっていた。
だがここで登らなければ僕も落ちて飲み込まれてしまうと奮起をする。
しかし、上を向いて頑張るのはつらかった。落ちるスピードに合わせるだけで一苦労であった。そして結局、僕はまた下を見て安心していた。
どうせもう間に合わない。
飲み込まれるまで飲み込まれた人間を見下していようと思った。
怨嗟の声はどんどん近づいて来るが恐怖はなかった。
それは片足を突っ込んだ蟻地獄の先にも、まだまだ下の地獄へと続くような光景が見えたからであった。
だから大丈夫であった。僕より下がいるから、まだ、大丈夫であった。
今回は見下す人間を見たので書いてみました!




