夏の外回り
残り288日!78日目!
夏は暑い。そんな当たり前を毎年のようにうんざりと思う。
いい加減、世界中を丁度いい温度にするようなクーラが開発されないだろうか夢想してしまう程に今年の夏は暑い。いや、今年の夏も暑い。
垂れてきた汗を拭っても拭った先から再び汗が流れ出る為、もうタオルもそろそろ絞れるのではないかと思えてくる。
とはいえ、汗をかくのを見越してバスタオルといかないまでも、かなり大きなタオルを持ってきているので、まだまだ吸い取ってくれそうである。
早くクーラのある自分の部屋に帰りたいが、まだまだ仕事は残っている。社用車でもある会社なら車で涼しみながら仕事回りが出来るのだろうが、生憎そんなものはうちの会社にはない。
じゃあタクシー代をどうぞなんて気前のいい事もない。近場の営業回りでほとんど事が足りている為、偶に電車やバスを使う事があっても車をわざわざ必要とする程でもない。
社用車ではないが誰でも使っていいと自転車が置いてあるのだが、面倒臭がって誰も整備していないせいで錆び付いてペダルを一漕ぎしたらパーツが全てボロボロ音を立てて崩れるのではないかと言った様子だ。
そのため、通勤に自転車を使っている人間、あるいは営業に自転車を必要とする人間は皆、家から持ってきた物で外回りをしているのがほとんどであった。
自分もそうしたいのは山々なのだが、どうも自転車で移動と言うのが苦手であった。乗れないと言う訳ではないのだが、長距離乗るとなると、どうもむず痒い気持ちになってくる。
何もしていない時間がどうも嫌らしく、ペダルを漕ぐだけの状況を避けたいのだと自分のことながら考察している。
歩いている時はイヤホンで音楽を聞いたり、最近は聴く読書というのもあり、退屈しないで済む。
自転車でも聞けばいいのではと後輩に言われたが、移動中とはいえ仕事中に自分の不注意で事故ったらどうするんだと軽く叱った事があった。
そいつはヘラヘラして、「気をつければ大丈夫ですよ」と言っていたが、自分も自転車を使えばいい所、わざわざ近い現場を譲って貰っているのでそれ以上は強くは言えなかった。
聞いている本も私のような小説ではなく、実用書が多いようで、「先輩も読んだらどうです?」と言われてしまった。それは暗に「お前仕事出来ないんだから勉強しろよ」と言われているように思えた。多分、被害妄想だろうが。
そんな彼も話では、周囲からは気に入られているらしいので、仕事は出来るみたいであった。普段から聴いている本が役に立っているのかもしれない。
だから私も今度から彼の真似をして実用書を聞こうとは思わない。もうそんな野心は遠の昔に枯れ果ててしまった。
彼はもっと上を目指したいとよく話していた。もっと上とは何に置いて上なのかは分からなかったが、給料とか社会的地位の事だろうか。
彼の事はそれ程好きではないが、若者を応援するのもおじさんの役目だろうから、彼が事故を起こさないように交通安全祈願のお守りでも渡してやろうかと考えている。
嫌そうに顔を歪めながらも断れずに受け取る後輩の様子が思い浮かぶ。
三十代後半独身の男から急なお守りのプレゼントはさぞ嫌かろう。お守りという神様的なものを無下に捨てるというのも気がひけるだろうから、扱いに困りそうで「ざまぁみろ」と思う。
まぁ事故に遭って欲しくないのは本心なので、これに懲りて安全運転してくれればとは思うが、こんな物じゃきっと変わらないだろう。
私と一緒で何もしていない時間がむず痒くなるタイプなんだろう。
同じタイプとは言え、1分1秒が惜しいと思って生きてそうな彼と1分1秒でもゆったりとしていた私では生き方が全く違うだろうが。
しかし、それだけ意欲があるのになぜ私みたいなのがいる会社に彼が来たのかはよく分からない。長年勤めてきた自分の会社を貶めるのも申し訳ないが、少人数で形成された本当に小さな会社である。
少数精鋭であればカッコが付いただろうが私のようなのがかなりを占める会社だ。ちなみに社長も私の部類に入っている。酒を飲めば話が合うことこの上ない。
私の部類と言っても、仕事をしないと言う訳ではない。そんなのが社長であればすでに会社が潰れているだろう。仕事をするが現場に満足して無理しない人間というのが我々であった。
だから彼のような人生に意欲的な人間が入社すると言うのはかなり珍しいように思えた。
ちゃんと下調べをしなかったか、社長の口車に乗せられたか一体どっちだろうか。
面接を担当したのは社長であるため、その時に彼の心を掴む何かがあったのかもしれない。それか上に行くための踏み台にでもしようとしているのか。
単純な会社の規模で言えば私のいる会社なんて階段の一段目くらいに位置しているんじゃないかと思う。ちょっとした段差くらいのイメージだ。
そこから上に登るのはあまりにも容易いだろうから、ここで成功体験と現場体験を同時に得ようとしているのかもしれない。
それでさらに移動中には本を聴いて知識まで得ようとしているのだから、強欲である。ただの想像でしかないのだが。
そう考えればウチの社長を始め、私もそうだが厳しく指導するような人間はいない。それなりしっかり仕事をしてくれれば、多少のミスはお咎め無し。
お守りを渡して嫌がらせしようとする中年がいる事以外はかなり好き勝手に出来る職場のようにも思えた。
どんなキャリアプランを考えているのか分からないが、我々を踏み台にして登った先でぬるま湯に慣れた心で急に熱湯に浸かって逃げ出す事がないか心配だが。
「あ、先輩! まだ外回り中ですか?」
噂をすれば後輩である。自転車に乗って私に近づいた彼はスピードを落とし降りると、私の隣で自転車を押しながら歩く。急いでいない所を見ると営業からの帰りなのだろう。私は会社付近を回っている為に、会社に戻る人間と出会いやすく、今日は後輩とバッティングしたようであった。
ただ頭の中で浮かべていた相手に出会えたなんて、ロマンチックな恋愛小説のようだと後輩に包み隠さず話したら嫌な顔をしそうで愉快だ。
今度、酒の席で肩に手を回しながら言ってやろうかと企んでいると。
「あれ? 今日はイヤホンしてないっすね」
そう、今日はいつも耳につけているイヤホンをつけていない。だから音楽も聞けないし聴く読書も出来ない。やる事がないからお前の事を考えていた。と言ったらどんな顔をするだろうか。
「昨日、ついに壊れてな。騙し騙し使ってたんだけどついに何の音も聞こえなくなったんだよ」
さっき壊れたイヤホンをポケットから出してプラプラと後輩に見せつける。
「今どきコードのイヤホン使ってるんすか? 今はコードレスの時代ですよ」
と、ポケットから取り出した小さな白い箱を開けると、イヤホンの先端部分のみの機械が現れた。
「いいんだよ俺はこれで、ウォークマンの時からこのスタイルなんだよ」
本当はコードが鬱陶しいと思っていたため少し良いコードレスイヤホンを奮発して買おうと思っていたが、後輩の言い方に腹が立ったので意地を張ってしまった。
「……ウォークマン?」
「……まぁいいよ。考えとくよコードレス」
ウォークマンは比較的新しい機種だと思ったのだが、もう伝わらない時代という事に衝撃を受けて、彼の「今どき」という言葉を受け入れる事にした。時代は変わるんだから昔堅気な頑固親父だっていなくなるだろうと思って。
「というかお前もイヤホンしてないんだな」
取り出した箱の中にしっかり一組入っていたのを思い出して問う。
「先輩が注意したんじゃないですか。危ないからって」
「え、お前そんな注意聞くような奴なの?」
「俺を何だと思ってるんです?」
つい本音が漏れてしまったが本当に意外な事であった。
「まぁ危ないですからね。事故って人怪我させて耳にはイヤホンしてました、しかも、会社の外回り中に、ってなったら俺だけの責任じゃ留まりませんし。先輩に言われて反省しましたよ」
「ホーン」
と間の抜けた相槌を打つ。なんかごめんと心の中で謝る。
「今度飲みに行こな。奢ってやるから」
「え、何ですか急に」
と怪訝な表情を浮かべる。
「こんだけ暑いから飲みたくもなるだろ。なんなら今日でも良いぞ」
「えー今日ですか?」
露骨に嫌そうな顔をした後輩を見て少し満足する。
「じゃあいつでも良いよ。考えて置いてくれ」
「了解っす。じゃあ、先に会社戻ってますね」
と、自転車に飛び乗る後輩に「お疲れ」と声を掛けると会釈した彼は自転車を漕いで会社の方へと駆けて行った。
「イヤホンしてないなら安全祈願じゃなくてもいいか」
と独りごちる。それなら成功を祈って金運上昇とか仕事運向上とかが良いだろうか。いや、もっと嫌がらせするなら恋愛成就かも。
相変わらず垂れてくる汗を拭う。
この暑さの中で飲むビールは最高だろうなと、今度後輩と飲むだろうビールの味を想像して喉を鳴らした。
今回は暑すぎたので書いてみました!




