なぜ夢というのか
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なぜ将来の目標や、なりたい自分の事を「夢」と言うのだろうかと、中学生ながら疑問に思った。
その時、改めて「夢」という単語を調べた事があった。何だか色々な意味が書かれていたが、要は現実ではない事を意味していると思った。
夢があると言うのは、とても尊く素晴らしいモノだと幼い頃から教えられてきたはずなのに、それが現実にならないモノであると知った時はなんて価値観を教えられたんだと憤った。
憤ったがよくよく考えてみれば僕が幼い頃に持っていた夢はアニメの世界に入りたいや、仮面ライダーになりたいとか、文字通り夢のような話だった気がする。
じゃあ、最近よく口にしているプロサッカー選手になりたいと言う思いも夢なのだろうか?
将来の自分を想像するとカッコよく大舞台でゴールを決めている自分が思い浮かぶが、でも確かにこれは夢かもしれないと思った。
今の僕にはまだ夢としか言いようがないのだと。現実ではない事を夢だと言うのであれば、確かに僕はプロサッカー選手ではなかった。つまり現時点においてやはり夢なのだ。
現実にならないのではなく、まだ現実ではないから夢と呼ばれているのだと思った。
ならば夢を持つ事はやはり素晴らしい事なんだろう。夢を持つ事を説いた大人達は現実にはなっていない夢のような話を実現させようと努力する事の大切さ教えてくれていたのだと思った。
なら実現する為にも僕は頑張る必要があるのだとこれまで以上に努力をする事を誓った。
そんなキラキラした夢を忘れて、宝くじ当たらないかなとか、面倒な上司が死んでくれないかなとか、汚い夢を持つようになったのはいつ頃からだろうか。
夢から覚めるとはよく言ったもので、プロを目指していた俺の夢は現実となった。叶ったのではなく、諦める事で現実になったのだ。
毎日練習する中で少しずつ意識を揺さぶられるようにしてある日、夢から覚めてしまった。俺はプロになれないと思った瞬間に、子供の頃から描いていた夢は夢ではなくなり、叶わない現実となった。
それからと言うもの、俺の中での夢は酷く矮小なものになった気がする。小さすぎてそれが夢なのかと思うような大した事ない夢ばかり見るようになった。
でもある日、気付く。そのどれも夢である事に。現実ではないのだ。プロサッカー選手なんて不相応な夢ではないのに、どれ一つとして叶いはしなかった。
それはそうかもしれない。叶う努力なんてしていないのだから。棚から牡丹餅を願っていつまでも口を開けて待っている人間にどうして夢が叶えられるのかと言う話である。
夢とは現実ではないこと。
だから現実にする為に皆んな頑張るなんて考えを綺麗事だとは思わない。そうやって成功する人間はきっと沢山いるのだから。ただ自分がその一人になれなかっただけで。
もう夢を叶える為に何かをする気力は自分にはない。
だから最近は運任せ、神任せな事しか夢だと思わないようにした。
後は出来る現実か出来ない現実のどちらかしかない。
明日は宝くじの当選発表の日である。もし一等が当たったらどうしようかと考える。まずは仕事を辞めて、好きな本を買って、旅行に行って……。
湧き上がる極楽の妄想の中で、夢があるって本当にいい事だなと心底思うのであった。
今回は夢について書いてみました1




