頭の中の選択肢
残り313日!53日目!
――やり方が古いって……
ミスをした女性新入社員を怒鳴りつけている上司のがなり声を聞きながら、自分の仕事の手を止めずに僕はそう思う。
今回、彼女がしたミスは些細なモノで、後で一言だけ注意する程度で構わないくらいのミスであった。
それにも関わらず、上司は過去の彼女が犯したミスまで話に持ち出し始め、回想シーンを挟んでテコ入れするアニメ放送くらい余計な話を増やし説教をグダグダと長引かせていた。
説教の最後の方は上司も落ち着いて話をしていたが、結局、何について怒られていたのか新入社員の彼女の中で整理が出来たのだろうかと考えてしまう。
仕事に戻れという、一五分の説教が終わる上司の命令を聞いた彼女は自分のデスクへと言われた通りに戻って行く。
ただ僕が感心したのは、反省するように顔をしかめつつも、彼女は泣く事なく上司の説教を面と向かって受けていた事である。
「はい」「はい」「そうです」「悪い事だと思います」「はい」「直したいです」「はい」「いえ、そんなことはありません」「はい」「そうです」「はい」「はい」
なんて相槌を上司の説教の合間に挟んでいた。これがまた真剣な表情で気持ちのいい相槌であるため、これが原因で上司の説教も調子よく饒舌になっているのではないかと思う程であった。
何なら上司の怒りが落ち着いてきたと見た彼女は「前も言ってた○○ですよね」「あれはこうするべきでしたか?」など、簡単な相槌だけでなく上司の話をさらに盛り上げるような相槌まで打っていた。
本来なら一言で終わる注意を説教にしたのは上司であるように思えたが、その説教を15分に渡る長々とした説教に変えたのは彼女であるように思えた。
天然でやっているのか、何か狙いがあっての事なのか僕には分からなかったが、わざわざ説教を長引かせたい理由も分からない。
僕も新入社員だった頃は上司から怒鳴られていたが、早く終わってくれと願いながら、ミスした後ろめたさと上司への恐怖で辛うじて振り絞るか細い返事しか出す事が出来なかった。
今では仕事にも慣れ怒られる頻度は減ったが、それでもミスをすると飛んでくる怒声に緊張しながら働いている。新入社員の頃よりもずっとマシではあるが、いつも心に緊張感を持ちながら仕事に取り組んでいる。
上司の怒声が職場に緊張感をもたらしていると言えば聞こえはいいが、働く身としてはストレスが溜まる職場であった。
新入社員がウチに配属されると聞いてご愁傷様と心の中で憐れんだ事を覚えている。上司は女性だからと言って甘くもしないし、ミスはミスとして怒鳴りつける。それで何人も配属先を変えてくれと異動願いを出したか分からない。
今回の新入社員、つまり先程上司から説教を受けていた彼女もすぐに堪えて異動してしまうと思っていた。それでいいと思うし、こんな上司からは早く逃げてくれと心から願っていた。
が、実際に配属された彼女は今までの新入社員と例に漏れずミスをして上司に怒鳴られても、彼女は毅然とした態度で説教を受けるのだった。
僕よりもずっと物怖じせずに上司に受け答えしていた。それは新入社員時代の僕ではなく、今の僕と比べてもそうであった。未だに新入社員時代がトラウマで僕は上司に対してビクビクと接しているというのに。
ただ、物応じしないからと言って彼女がとても優秀という訳でもなかった。それどころか傍から見れば、その真逆である仕事が出来ない人間に彼女は映っていただろう。
上司に説教される量が尋常ではなく彼女は多かった。
初めは新入社員だから仕方ないと思っていたが、僕が新入社員の頃は週に3回くらい怒鳴られていた所、彼女はほとんど毎日のように上司から説教されていた。ある日は午前に説教を受け、午後にはおかわりを貰う事もあった。
小さなものから大きなものまで様々なミスをする彼女は、何かをする度に上司から説教をされており、そしてあの態度である。
それで最近は上司の説教のラインナップに「お前は返事ばかり一人前だな」が追加されていた。それについては正直、僕も同意する所ではあった。
毎日のように説教されているため、上司と彼女の仲はさぞ険悪だろうと思っていたが、説教中でなければ意外と普通に、どころか僕よりもずっと仲良く仕事をしているように見えた。
お互い本当にどう思っているかは分からなかったが、少なくとも上司に関しては彼女の事を悪く思っていないように思えた。説教中はあれだけ目を血走らせているのに。
それでも僕とは全くしない日常会話を彼女と日頃やりとりしている所をみると、やはり上司側は彼女を嫌っている訳ではなさそうだった。
説教する頻度と相手への好感は上司にとってまた別であるようだった。
ただ、彼女の方が上司をどう思っているのかは僕には分からなかった。全ての感情が表情に出やすい上司とは違い、彼女はとにかく真面目そうな表情で何でも受け答えするからであった。
上司とする日常会話の中で上司が言う冗談に笑って返すくらいの愛嬌をみせるとはいえ、それくらいの愛嬌は社会人としての処世術の範疇であるようにも思えた。
彼女についてはどれも分からない事だらけである。
分からないと言えば、あれだけ毎日上司から説教されている彼女がどんどん色んな仕事に手を出しているという事だった。
言われた事をしっかり出来るようになってから次の仕事を覚えればいいのにと思う。そのせいで、頭の中でゴチャゴチャになって毎日のミスに繋がっていると思うのだが、彼女は変えようとしなかった。
そう思っても僕から何かを言うつもりもなく、ただ黙々と自分の業務を行い、彼女の育成は上司にほとんど丸投げしていた。そういう意味ではこの中で一番卑怯なのは僕なのかもしれなかった。
「私は破滅願望があるのかもしれません」
そう彼女に打ち明けられたのは夏に開かれた会社の飲み会の席であった。
彼女がこんな話をしてきたと言うのも同じ部署という事で、お互いに乾杯をしながら飲みの席の勢いで、怖い上司から沢山説教されているけど大丈夫なのかと聞いた事が始まりだった。
そうすると彼女がこんな事を言った。
「説教が多いのは私のせいなんですよ」
それは、ミスばかりする自分のせいで説教されているから、上司が怒鳴るのは悪くないと言った意味であると理解したが、その後に先程の返答を受けて、意味合いが違うようだと思った。
「いえ、破滅願望はカッコよく言い過ぎですかね。んー逆張り思考? ギャンブル脳? なんかその辺りだと思います」
「ごめんよく分からない……」
破滅願望がカッコいい言葉である事を含めて彼女が言っている事はよく分からない。
「私、わざと説教されに行くところがあるんですよ。勿論、説教されたい訳ではないんですよ? でも頭の中で選択肢が現れるんです。RPGみたいに○○を「する」「しない」みたいな。もっと複雑な時もあるんですけど。まぁ簡単に言うとそんな選択肢です」
僕は手に持った生ビールを一口飲んで「はぁ」と気の抜けた返事をする。まだ話はよく見えない。
「それで、間違いなく「する」を選んだ方がいいのは頭では分かるんですけど、でも頭の中で別の選択肢が出てるって事は、「いいえ」を選んだ方が正解の可能性もあるかもしれないって思っているって事なんです。その場合私はついつい「いいえ」を選んでしまうんです、どうですか? 伝わってますかね?」
彼女は僕の読解力の無さを煽っている訳ではなく、自分でもよく分からない事を言っている自覚があるらしく、もう一度「うーん」と考え始める。
「そうですね、世界の半分をお前にくれてやるって魔王から甘い言葉で誘われたら普通は「いいえ」を選択するじゃないですか? でも私は「はい」を選んだ世界が気になって「はい」を選択しちゃうんです」
そう言われてみれば分からない気持ちではない。あの甘美な誘いは絶対に「はい」を選んではいけない事は分かる。でも、選んだらどうなるか見たくなる気持ちは分かる。
「つまり、上司に怒られるって分かっていながらミスをしてるって事?」
「いえ、流石に100%怒られる場合は選択肢すら出て来ないです。さっきは分かりやすく「はい」「いいえ」で言いましたけど、選択肢は私のこれから取るべき行動が書いてあって、頭じゃこっちを選ぶべきと分かっていても、もう一つの選択肢が正解の可能性を捨て切れずに選んでしまうって事です」
毎回その選択のおかげで必要より多く説教をする羽目になる上司からすれば迷惑な話である。哀れに思う対象が一気に上司へと向けられる。
「でも一度間違った選択肢を選べば、次は正解の道を選べますから、間違った方を選んだとしても全く無駄にはなりませんし」
確かに、世界の半分を貰う問いに「はい」と答えた後は「いいえ」以外に選択をする事はなくなる。
「でも、それにしてはミスが多い気がするけど。同じミスも何度もしているし」
言った後で、意地の悪い先輩の小言になってしまったと反省をする。何かフォローを言おうとする前に彼女が答える。
「すみません……選択肢関係なく私の不注意のミスもあって……。それに言い訳になるんですが、同じように見えて違う選択肢を選んでる事もあるんです。本来こっちだろうけど、もしかしたらこの場合だけは別のルートやセリフが隠されてるのでは⁉ みたいな。いえ、すみません……迷惑かけているのは分かっているんです。本当にすみません……」
と、本気で申し訳なさそうに謝る彼女を見て、説教するつもりも責めるつもりなかった僕は慌てて弁解する。
「いやごめん! 僕は大丈夫だから! 全然迷惑だと思ってないし、責めている訳でもなくて!」
それはそれでどうかと思わなくもないが、ここは必死のフォローを優先した。
「僕は仕事で何もして上げてないから、迷惑を掛けているとしたら……」
と上司の方を見る。同年代くらいの役員達と盛り上がって酒を交わしている姿が映る。彼女もその視線には気付いたようで
「それはそうですね……どれだけ迷惑掛けても色んな事を教えてくれるのでありがたいです」
と殊勝な事を言う。正直、話し掛けて見たのは彼女が上司をどう思っているのか聞き出したいという理由が一番大きかった。普段、面倒を見ていない分、上司への愚痴があるならここで爆発させてやろうと思っていた。
しかし、予想とは違い、それ程、彼女は上司に鬱憤は溜まっていないようだった。まぁ、彼女の選択肢の話を聞けば責任の矢印は自分に向くのも分かる気がした。
「私も別に怒られたい訳ではないんで、本気で怒られるのを避けたい時は、出来るだけ怒られないだろう選択肢を選ぶんですが、そういう時に限って間違っていたり、そもそも、選択肢全てバットエンドに繋がっていたり……そんな時は流石に落ち込みます」
それはよくある事だと思う。自分も何度も経験してきていた。
「でも、私の学校の先生も言ってましたけど、痛みがある方が人は物事を覚えやすいそうなんで、仕事を覚えるのも怒鳴られた方が早くなるのかなって……嫌ですけど、本当に怒鳴られるのは怖いんですけど、でもポジティブに考えたら、ね?」
「ね?」と言われてもだが、それならもっと怒られない選択肢を選べばいいのにと思うのだが彼女にはそれが出来ないらしい。
ただ、彼女の言う仕事覚えが良くなると言うのは本当にそうかもしれないと思った。実際、彼女はこの夏までにかなりのスピードで仕事を覚えている。
怒られる回数も少し減ったように思えるが、それは選択肢を選びつくしたという事なのかもしれない。
怒られているから優秀ではないと思っていたが、既に新入社員時代の自分よりもずっと優秀であった。
ミスを多くするから、説教ばかりされているから、と傍から見ていれば全く優秀そうに見えないが、本人の話を聞けばその印象は「上手く上司を利用している優秀な後輩」に変わる。
どれだけ説教しても上司と彼女が険悪な雰囲気にならなかった事を思えば、もしかすると上司も彼女の優秀さに気付いて目を掛けていたのかもしれない。
だからこそ、見放す事なく毎日でも説教をし続けたのかもしれない、と彼女が内心で考えている事を聞いて改めて考える。それでも
「怒鳴るのは辞めて欲しいよな……」
「はい、もうやり方が古いですよね……」
と、僕らは苦い顔をしながら笑う。
僕も彼女も上司にきつく怒鳴られ、しんどい思いをしてきたが、その分成長が出来たという思いもある。しかし、これからやってくる新時代の若者に通用するかどうかは分からない。
古いやり方を捨てきれない上司がこれからどんなルートを辿っていくのか、僕は三人称視点でこれからを観ていくのであった。
今回はオフィス系の小説を読んだので会社の話を書いてみました!




