エアホッケーバー
残り320日!46日目!
「なにここ……?」
急遽、連れて来られた場所に青年は戸惑いを覚える。
店内は薄暗く、シャツにベストというバーテンダー衣装の30代後半程であろう男のバーテンダーがグラスを拭く姿が様になっており、その横で優雅に泳ぐ熱帯魚の水槽がキラキラと光って雰囲気の良いバーに思えた。
だが、それはバーカウンターのみに目をやれば、の話である。
「エアホッケーバーだって」
さも当然のように一緒にいた女性が答える。
聞き慣れない語彙を理解しようと青年は無理矢理に頭の中に突っ込んでみると、確かにそのバーはそれ以上の名称はないように思えた。
雰囲気のあるバーカウンターから少し店内の中心に目を向けてしまえば、眩くライトアップされた場所が目に入り、オシャレなバーとはあまりに不釣り合いな2台のエアホッケー台がドンと置いてあるのである。
その一台を使い、男二人が向き合って楽しそうにエアホッケーをプレイしている姿があった。
エアホッケーの弾が壁にあたりカツン、カツンと鳴る音やホッケー台から流れる音楽や、ゴールが入った瞬間の電子音などバーの雰囲気をこわしているのではないかと思えてくる。
「神崎さん、来たよー」
と、女性の方が慣れた調子でマスターらしき人がいるカウンターの方へ向かって行く。
「いらっしゃい……おや、今日はお友達と一緒ですか?」
と、グラスを拭く手を止め落ち着いた喋り方をする神崎と呼ばれたマスターは女性の奥からついて来た青年を見つけると聞いた。
「そう、是非ここをオススメしたくて」
「ありがとうございます」と神崎は答えると、青年の方へ視線を向け。
「初めまして、この店のマスターをやっております神崎です。どうぞ楽しんでいってください」
と、軽いお辞儀をする神崎に青年は会釈で返す。身長が高く、それでいて姿勢が正しく、所作や立ち振る舞いが綺麗な神崎の美しい姿に同性である青年も見惚れてしまう程である。
こんな人がどうしてこんな奇妙なバーを経営しているのか改めて疑問に感じたが、会って間もない関係でそれを口にするのは失礼だと思い青年は言葉にしなかった。
「お飲み物はどうされますか?」
「私はオレンジジュース、それと今日は神崎さんに勝たせてもらうわ」
と、不敵な笑みで宣戦する女性に、フッと柔らかな笑みを見せた神崎は
「いいでしょう、やるからには本気ですよ」
と、受けて立った。急な展開に置いてきぼりをくらった青年はポカンとそのやり取りを見ているだけであった。
「君はどうされますか?」
「え! 俺ですか⁉ いや、俺はここに来たのは初めてですし……」
と、しどろもどろになっていると
「そうですね、申し訳ありません。ここにメニューがありますのでそこからご注文ください。彼女のお友達でしたら未成年ですかね、お酒は提供できませんのでこちらのソフトドリンクからご注文ください」
メニューを指示されてようやく、神崎とエアホッケーで対決するのではなく、飲み物の注文を聞かれていたという事に気付いた青年は「えっと、えっと」と焦りながら、結局、女性と同じオレンジジュースを頼んだ。
「かしこまりました」
と言うと神崎は二人分のドリンクの準備を始める。
「君は挑戦しなくて良かったの?」
「そもそもどういう挑戦なのか分からないんだよ。ここに来たの初めてなんだから」
「エアホッケーのバーなんだからエアホッケー勝負に決まってるでしょ」
「いや、まぁそうなんだろうけど」
「マスターから取った点数によって景品があって、一点とればゲーム代無料、3点からドリンク無料、5点以上でご飯が無料になるわ」
7点先取のゲームであるエアホッケー。その内の何点分取れたかで景品が貰えるようである。
「勝ったらじゃないんだな、えらく気前のいいマスターだな」
と思った事を口にした青年に女性は溜息を吐く。
「分かってないわね。エアホッケーの店を開いてマスターしているのよ、つまり――最強なのよ」
いたって真剣な表情で話す女性に青年は複雑な気持ちになる。エアホッケーの最強ってなんだよ。だから何だと言うのだ、と。
「お待たせしました」
と、一般的なグラスよりも細長いグラスに入れられたオレンジジュースが二つ置かれた。
女性は出されたオレンジジュースを一気に飲み干してしまい神崎に言う。
「さぁ、神崎さんやりましょう!」
「ふふ、相変わらずせっかちですね、では少しお待ちください」
そう言うと神崎はカウンターを出てフロアの見回りに行った。自分に用事のある客がいないか見に行ったようである。
「そういえばマスターに買ったら何か貰えるの?」
5点以上がご飯無料なのは聞いたが、勝った場合の話はしていなかった事を思い出す青年。一か月ドリンク無料とかだろうと予想していた青年に思いがけない答えが返ってくる。
「店よ」
「――は?」
とんでもない聞き間違いかと思い聞き返す青年だが、そこに神崎が戻ってきた。
「すみませんお待たせしました。それではやりましょうか」
と、変わらず柔らかい笑みを浮かべながらホッケー台のある中心に手のひらで誘導する。
「神崎さんは勝負にこの店のオーナー権を賭けてるのよ、まぁ私は別にそれには興味ないけど」
言いながら女性は、「よっしゃ! やったりますか!」と元気にホッケー台へと向かって行く。
神崎は動くには窮屈そうなベストとネクタイを脱ぎ、準備をする。
マスターである神崎がエアホッケー台についた事で他の数人いた客たちがワッと盛り上がりを見せた。
挑戦者である女性の方が、台にゲーム代を入れてゲームが始まろうとしていた。
他の客たちが中心にあるホッケー台ではなく別の場所に視線をやっている事に気付き青年もそこに目をやると、大きなモニターに台の様子が上から映し出されており、プレイの状況が見える様になっていた。
それに、よく見れば、小さなモニターがそこら中にちらほら置いてあり、そこからも様子を見る事が出来た。
これだけの準備に、この店のエアホッケーに対する熱意が伝わってくるようであった。
お金を入れた代から電子音が鳴り響く。試合開始の合図である。
青年は近くの小さなモニターを見ながら出されたオレンジジュースを一口飲んだ。少し苦みの強い大人の味が口の中に広がった。
『7―3』
神崎の勝ちを、そして彼女の負けを示すように点数表示版が点滅している。
周囲からは歓声が上がり興奮状態となっていた。
「マスター俺とも勝負しよう」
なんて声が聞こえてくるぐらいであった。
女生と神崎がスポーツマンのように握手すると、女性の方が青年の元へ帰ってきた。
「だぁー負けたぁー!」
心底悔しそうに椅子に座る女性に「お疲れ様」と青年は声を掛ける。
「強すぎるわ、あの人、3点を取るのがやっとだったわ」
と、未だ興奮状態なのか女性の声は少し大きい。しかし、対照的に青年は静かである。
「どうだった?」
「凄かった」
小学生のような回答をする青年に一言いおうとする女性は、彼の視線の先を見て辞める。
青年が齧り付くように見ている先には試合を映すモニターがあった。
そこでは女性に続き、周りで歓声を上げていた男の客が神崎に挑戦している様子が映し出されていた。
一点につき何回もラリーが続いていた神崎と女性との勝負と違い、ほとんど5ラリー以内に点が入る。勿論、全て、神崎の得点である。
結局、『7―0』で勝負が終わり、女生との勝負の半分も時間が掛からなかった。
熱にあてられたのか、次々に神崎に挑むがことごとく1点も取れずに負けて行った。
「どう、全然気前よくなんてないでしょ?」
と、青年の心を読んだように女性は問い掛ける。
「そうだね、全然、勝てる気がしない」
と、弱々しい発言をするがその表情は裏腹に明るい笑顔が浮かべられている。
「行ってくる」
青年は何かに発起され立ち上がり、「神崎さん」とマスターの名前を呼ぶ。女性はその後ろ姿を楽し気に眺めていた。
『0―7』結果は他の客達と変わらない点数。内容は他の客よりももっと酷い内容だった。ラリーと呼べる打ち合いはなかったうえに、かすりさえしない時もあった。
しかし、青年は熱く燃えるような思いが心の底から湧き上がってくるのだった
今回は「発起」「宣戦」「熱帯魚」の三つの単語からお話を書きました!




