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正さの選択

残り350日!16日目!

 見納めとなる中学校を振り返る。所々、風化して壁の色が剥げている無機質な校舎が佇む。塗装が剥げているとはいえ、入学した三年前からそれ程変わっている訳ではなさそうで、四捨五入すればほとんど同じように見える。


 僕と同じで、この多感な時期である中学三年間で何か劇的に自分を変える出来事はなかった気がする。多少は身長が伸びたり、知識が増えたり、学校生活して年月が経てば当然として蓄積されていく変化以外、小学校に通っていた時とあまり変わらない気がした。


 校舎と同じく四捨五入すれば何も変わっていない。次の位を上げるに至らない程の変化しかしていない。


 ただそれは小学生の頃にすでにある程度の人格形成が済んでいたからとも言える。小学校高学年の頃から周囲よりもずっと達観している自覚はあった。それは親の、特に母親の教育の賜物であるように思える。


 母親は常に厳しく僕を指導した。正しい生き方、マナー、道徳、時には小学生には難しいような内容の事柄も母は懇切丁寧に諭してくれた。


 けしてヒステリーを起こす訳でもなく、間違いを犯す僕に正しさを教える母に対して僕は何も言い返す事が出来なかった。幼い頃から教育を受けた僕は小学生ながら理解していた、理解させられた。母の絶対的な正しさを。


 母の教育はただ極論を僕に押し付けるようなやり方はしなかった。これが絶対的に正しい、と、そんな教育のやり方であればきっと僕は反抗していた。押さえつけられる事に反発して、母の言う事を聞かなかったと思う。


 押さえつけるどころか母は物事に寛容であった。他人には他人の正しさがあり、自分には自分の正しさがあると教え込まれてきた。ただその中で人として持つべき絶対的な正義を叩きこまれた。


 人を殴らない、悪口を言わない、好き嫌いしない、約束は守るなど、人として当たり前の事を当たり前にするように僕は教えられてきた。よくある話ではあるが、小学生低学年の頃に僕がクラスメイトの男の子に悪口を言われて、腹が立ち喧嘩になった事があった。


 その時に母は僕を叱った。自分の悪口を言われて腹が立つのは仕方がないと思う。でもだからと言ってその人を殴るのは良い事かと僕に聞いた。怒鳴っている訳でもないのに母の視線が自分を刺すようで痛く感じ、たまらず「悪い事」と答えると母は頷いた。


 そして説教の時はいつもそうして僕が「悪い事」をしたと自覚させた後に母は僕に何をすれば正しかったのかを考えさせ選ばせるのだった。


 「言い返す」「それはどう言い返すの? 悪口? それを言うのは良い事? 悪い事?」「悪い事」「じゃあ、なんて言い返すの?」「えっと……」「じゃあ、正しく言い返せないならどうするべきだと思う?」「……分からない」「大人に頼るのよ。お母さんでも先生にでも。大人はその場合どう対処すればいいか知っているから。少なくともあなた達よりも。だからより上手く対処できる人に頼るのも一つの正しさよ」


 それが母の提案した僕に対する正しさの選択肢の一つだった。他にも、「気にしない」「見返す」「悪口を言った相手と友好になる」と色々な正しさの選択肢を教えてくれた。


 そうやって僕が悪い事をする度に正しさを選択させられてきた僕は中学に入学する頃には自分という芯が形成されていたのだと思う。


 だからこの三年間で僕が劇的に変わる事がほとんどなかったのだと思う。ある程度の事柄に対して、自分にとっての正しい選択をする事が出来た為、行動にブレる事がなかった。


 ありとあらゆる正しさの選択肢を母に教えられてきた為、あらゆる場面において自分の判断で正しいと思える選択を取る事も出来た。


 自分の正義が確立しているから迷いなく行動する事ができ、間違っていると言う不安もほとんど無い為、自信を持つ事も出来た。


 特別に目立つ生徒ではなかったが、問題行動もなく優秀な生徒であると周囲から認識されていたと思う。


 そうあれたのも母のおかげであるように思えた。


 ただ自分で敷いてきた正しさのレールを振り返ると山も谷もないなんとも平坦な道を走ってきた気がする。


 その景色は整頓されていて綺麗なようにも見えるがとても殺風景にも見える。


 自分の選んできた正しさが間違っているとは思えなかったが、なんだか寂しいようにも思えた。


 この道で本当に正しかったのだろうかと、今まで自信を持って選んできた自分の正しさに卒業してから迷いが生じる。


 きっと、これも母の言う選択肢の一つという事なのだろう。


 正しさを選んできた結果の一つがこの正しい結果の一つになるのだ。問題のない優秀な生徒として卒業した。それが僕の選んできた正さの結果という事だ。


 何も悪い事はない。やはり選んできたものは間違いではなかったと思えた。


 しかし、この先もずっと敷いて行くレールの先を想像するとずっと走りやすそうな平坦な道がずっと先まで続いているのが見えてくる。


 その安全で喉かな光景の想像に僕は身震いするのだった。


今回は「はげる」「四捨五入」「見納め」の三つの単語からお話を書きました!

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