幕間 ある霊獣と神様のお話
アルスラント王国の西の端に位置する広大な森には霊獣と呼ばれる森の主、神狼の一族が棲んでいた。
神狼たちのなかでも最も旧くから森に棲む古の獣たちの王はため息をついて憂鬱そうに目の前の一柱の神を見ていた。
「ウェルリンゲン、そなたがそこまで面倒そうな顔をしているのも珍しいな」
獸王ウェルリンゲンにたいし、無垢な少女のようであり、それでいて妖艶な色も持つ女神が可笑しそうに話しかける。
「儂がこの森に鎮座して、そのまわりの人らの国は幾度となく入れ替わったがの、異界の魔女がなにやらやらかしておるようだ。今、この森を領内としている人らの王族とは、一応の盟約がある。かつて、儂の仔らを救った英雄の興した国だ。その恩義に報いてやる機会なんだが」
「異界の魔女というと、東の森に棲んでる偏屈かしら。東隣の国から聖女として召喚されていたのに、魔女として追放されたのよね」
「あー、その魔女が何を思ったのか、同郷の魂をこの世界に持ち込みおった。産まれて来るはずの赤子の魂を取り出して入れ換えてな」
それを聞いた女神シュレネティーは憤る。
「この世界に無理やり連れられて、精神を病んだのか酷い妄想を繰り広げていましたが、その上、自身も拉致された被害者だというに魂を連れ去り、本来の在るべき魂を抜き出して入れ換えるなど、赦されることではありませんよ。抜き出された魂は」
「儂が保護しておる」
そう言うと獸王の首元にある玉の中で光が揺らいだ。
「それは良かった。ですが、何時までもそうしている訳にもいきませんわね。魔女には何処かで相応の罰を与えるとして、あぁ、悲しいことですが、死産となってしまうお子がいるようですわ」
「胎の中で既に死んでいるのか、だとすれば胎児には既に魂がない空の状態、都合が良いと言っては亡くなった子にも親にも申し訳ないが、在るべきところに戻れん以上はこれが最善か」
「見ればとても美しく善良な魂のようです。加護を与えてあげましょう。もし、この魂が生き延びていると魔女が知れば危害を加えるやもしれませんし」
そう言うと、女神は自らの魔力を触媒も介さずに直接、魂へと投じ始めた。
焦ったのは獸王だ。
あまりの憤り、魔女からの攻撃への不安、魂の清廉さへの愛着と様々な感情で、元々、人間臭い感情が強い女神が勢い余ってしまうのは仕方なかったが、それにしても触媒をおかずに加護を直接与えるなど、魂が消滅してもおかしくない。
というか、加減というものを知らないか、知っていても忘却の彼方に置き去りにするような女神だ。案の定、あり得ない量の魔力を譲渡している。
女神からすれば、大した量ではなく、ややもすれば、こんなんじゃ、魔女に対抗できないかしら、でも人間にそこまでの魔力を与えても不味いのよね、私ってば、ちゃんとしてるっ、なんて思ってもいるのだ。
異界の魔女はやらかしていることの犯罪具合と倫理観がヤバいが、女神のほうは無自覚の天然ぶりが天元突破している。
獸王は仕方なく、魂へと自身も加護を与えてフォローしたが、如何せん人間とは形態が異なる上に、そもそもやっぱり神である獸王もまた、加減が下手くそだったのは否めなかった。
一応の擁護をするならば、獸王は触媒を用意し、対象の能力や適性を見極めた上で加護を与えるなら、問題なく「全う」な加護を与える事が出来るのだ。
間違っても反転して「呪い」のようになるものなど与えることはない。あくまでも女神のやらかしに即応するために、諸々の準備が出来なかっただけだ。
こうして、本来は下町の娘として産まれる魂は、ある侯爵家の死産となる筈だった肉体へと移ったのだった。