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あのあと、お父様と話し合い婚約を受けることを決めたわたくしだったのですが。
お父様はまだ渋っていらして、王家との間で婚約を仮決定することにしたそうです。
向こう1年ほど様子を見て問題なければ決定とのことですが、わたくしも殿下ももうすぐ数えで16になりますから、あまり悠長なことも言ってられないのですけどね。
そうして始まった学院生活は特段の問題はありませんでした。基本としては淑女教育過程を受けている貴族子女としては上位の成績を維持出来そうだと感じましたし、選択科目として受けられる魔法関連の授業などは実技のない座学を受けておりますので問題もありません。
それでも、アークス侯爵家の令嬢、同い年のサラシャ様からは色々と嫌味を云われてはおります。
アークス侯爵家はガドラン殿下を推していた派閥なのでしょうね。ガドラン殿下からはどの家が第3王子派閥であるとの言及はありませんでしたが、わたくしを排して娘を妃に迎えさせることを考えていたならば、然も有りなんといったところでしょうか。
「あら、ルーミアン様、ごきげんよう。この前わたくし、実技の授業で新しい魔法を覚えましたの。ルーミアン様はどうでして」
そんなことを出会い頭に仰有ってくるサラシャ様だけれど、お隣にいる寄り子の伯爵令嬢はニヤニヤしてますが、後ろにいる子爵令嬢だったと思われる方は顔を青くされてますよ。
「サラシャ様、ノーブル侯爵令嬢は魔法は使えませんでしたから、聞いてはいけませんわ」
ニヤニヤしたまま、嬉しそうに忠言めいたことを言う伯爵令嬢に子爵令嬢の顔はさらに青くなっていきますね。少し面白くなってしまいます。
「そうでしたわね。魔力ばかりあって、魔道具すら、魔力を流し込むと壊れてしまうのでしょう。なんのための魔力なのかしらね」
子爵令嬢の子は後ろで必死に頭を下げておりますね。寄り親の令嬢に侍っているものの、発言することは許されてないのかしら。
「ガードナー子爵家のご令嬢だったかしら、そんなに顔を青くされなくとも、ノーブル侯爵家はこの程度の戯れ言に付き合ったりしないわ」
そう言うとほっとしたのか、ひとつ息を吐いた子爵令嬢にお二人の視線が向き、それを感じて、またオロオロと子爵令嬢の方は顔色を変えております。
「寄り子の方を苛めてはいけないわ。そうね、魔道具と言うと教会の水晶も壊したことがあったわ。あれからお父様は教会への寄付を増額なさったの。お父様には申し訳ないのだけれど、教会には感謝されておりますのよ」
いまいち、論点のズレたことを言ったわたくしにお二人は返す言葉を探してらっしゃるようね。
「あーそう、魔力を流し込むことは出来るのよ、わたくし。知ってまして、人間にも魔力を流し込むことが出来ますの。魔力譲渡で枯渇した魔力の補填などを行うそうですわね」
「えぇ、知ってますわ。それがどうかしまして」
サラシャ様はそんなことは皆習うことじゃないといった風情で問い返してきましたが。
「わたくし、魔道具も壊してしまうでしょ。魔力が多すぎて加減が下手なのね。ねぇ、もし人間に流し込んだら、どうなるのかしらね」
そう言いながら、わたくしは握手を求めるように手を差し出しましたの。
わたくしの手を見てお二人とも真っ青になっておられます。
「よ、よくわかりませんわね。あぁ、次の授業に遅れますわ。では、呼び止めて申し訳ありませんでしたわね。失礼しますわ」
サラシャ様は矢継ぎ早に仰有って去っていかれました。そのあとを伯爵令嬢も失礼しますわとついて行きますが、子爵令嬢の方だけはありがとうございましたと低頭してから去っていかれました。
苦労しているのね。
サラシャ様ほどではないにしろ、魔法が使えないことを影で皮肉る者はいるようですが、同格の家柄なら兎も角、下位の方はわたくしの目に入るところでは口を閉ざしています。
ですが、影口なんてものは誰かが告げ口してくれるものです。影口に乗じて優越感に浸るため、真にわたくしを思って、思惑はそれぞれでしょうが、誰それがこんなことを言ってましたわなんてことは耳に入ってくるものなのです。
いちいちそんなことに係っては仕方ありませんから、たいしたことではありませんわと流してしまいますが、舐められたままでは貴族の子女として失格ですからね。父が投資する商会の関係者を通じて、彼らの家との交流を控えて貰いましょうか。
あれ以来、サラシャ様は遠巻きにわたくしを見るだけで近寄っては来なくなりました。
そんなに怖がらなくても、ただの冗談でしたのに。
ただ、本当に人体に魔力を流し込むとどうなるかは分からないんですの。
魔法が使えないかわりに、せっかくの魔力。せめて魔道具だけでもと色々と試しましたが、どれも壊れてしまったのです。
なのである程度は硬度のある鉱石に魔力を流し込んでコントロールする訓練をしたのですが、どの鉱石も灰のように崩れてしまって、そこでほんの少しの興味で庭に咲いていたラナンキュラスへと魔力を流し込んでみたんです。
凄かったですわ。
毒々しいまでの緑へと変貌した葉が伸び上がる茎に無数に繁り始めたかと思うと、極彩色の花が一気に花開き、そして爆散するように散りました。
たまたま近くで見てしまった我が家の執事と侍女がこの世の終わりでも見たような顔をしていたのを覚えてます。
以後、生体への魔力の流し込みはお父様とお兄様からきつく禁止されました。
概ね、問題なく過ぎている学院生活ですが、2つほど大きな出来事が御座いました。
ひとつはわたくしに直接関わること、ひとつは間接的に関わると同時に、また、この学院やひいては国全体的にも関わることです。
わたくしがこの学院に在籍することが決まって、魔道研究のエキスパートであるアドラ伯爵家の現当主の令息であるゲルト アドラ魔道講師と繋がりが出来たことが、ひとつめの大変な出来事でした。
アドラ伯爵家と我がノーブル侯爵家は敵対関係ではありませんが、アドラ伯爵家はアークス侯爵家の寄り子ですから、接点を持つのは困難でしたし、何より若くして魔道研究で数々の論文を発表した天才は学院でも多忙を極めておりますから、わたくしの家庭教師に一時的にでも来てもらうことは、打診することすら憚られたわけです。
学院に在籍したとはいえ、わたくし自身はもう半ば諦めてもおりましたし、高名な学者様をわたくしの不出来に付き合わせるのもと思っていたのですが、座学の授業のあと、アドラ先生のほうからお声掛けいただいたのでした。
「期待させて、実は駄目だったでは申し訳ないのだが、私が視たところ、ルーミアン嬢は魔法を使える筈だと思うのだ」
そう言われて、研究のためにも協力して欲しいと頭を下げられては断れませんし、何より、わたくしにはメリットしかない話ですから、お受けしたんです。
「知っているかもしれないが、私には『魔道視』という固有魔法、というか、体質のようなものがある。意識して『視る』ことで対象の魔力回路やその流れの正常、異常の検知や魔法現象などの解析が出来る」
アドラ先生に与えられた研究室のなか、簡易的な応接セットに座るわたくしに助手の方が淹れてくださったお茶をすすめながら、アドラ先生は話しだしました。
「えぇ、もちろん存じ上げておりますわ。むしろ、学院に在籍して知らない方はいないかと、その固有魔法と類希れな知能を持って、数々の発見や魔道科学の発展を実現した天才魔道師ですもの」
「恵まれた能力のおかげで、別に天才ではないんですけどね。結論から話すと、ルーミアン嬢の魔力回路は正常で、流れも滞りないんですね。そして、魔力の流れは正確で、むしろ正確過ぎるくらいです」
魔力回路については体内で発生した魔力を循環させ、全身を活性化させることや、魔法の行使のために使われていると教わりましたが。
「正確過ぎることが問題なんですの」
「問題ではありませんが、その精度ははっきり言えば人間を含めた地上の生物には不可能でしょう。例えば、超常の存在、神やそれに仕える使徒ならば可能かもしれませんが」
いきなり、体内のことを神のような存在と同等と例えられても混乱しかしません。
「どういうことでしょうか」
「恐らくは、その人間離れというか、亜人のなかでも魔力に優れる種すら超越した魔力そのものが加護のようなものなんだと思うんです」
「加護ですの」
「嬢は怪我や病気をされたことは無いんでは」
そう訊かれると確かにわたくしは怪我や病気をしておりません。蝶よ花よと大切に育てられたとはいえ、怪我をしかけたり、実際に怪我を負っておかしくない場面はありましたが、不思議と怪我はしなかったのです。病気については健康体で患ったことはないのですが。
「確かにありませんでしたわね。それが」
「怪我や病気がやはりありませんか。それは膨大な魔力が正確な流れで循環し、結界とルーミアン嬢に限定した常時発動の治癒を行っているからだと思われます。そもそも、人の身で宿していては自滅するのが当然な魔力を持っていること自体、加護であると考えなければ説明がつきません」
なるほどと思う反面、だとすれば。
「わたくしは常時発動の固有魔法を行使していることになりますわ」
「えぇ、ですから加護なのです。本人の意思とは関係なく、膨大な魔力とそれによるルーミアン嬢の保護を担っている。ですが、そのことがルーミアン嬢がご自身の意思で魔法を使うことを困難にしているようですね」
加護を授かっているにも拘わらず、魔法が使えないなんてあるんでしょうか。
わたくしがどうにも話を呑み込めないでいると、アドラ先生は推測ではありますがと前置いてから、わたくしが魔法を使えない理由を語りだしました。
「嬢に加護を与えた存在はわかりません。我が国の主神カルモダス様や、ノーブル領に縁の深い女神シュレネティー様の他、精霊や古の霊獣など、候補はキリが無いですから、ただ、そうした超常の存在というのは加減が下手なこともあるのです」
「加減が下手ですか」
「そうですね、庭にいる蟻が角砂糖の欠片でも運んでいるとして、一生懸命に運ぶ姿に、少しばかり力を貸してあげようと、持っている力のごく一部を譲渡したとしましょう」
「蟻さんに力を譲渡できる能力がわたくしにあるとして、ということですわね、わかりましたわ」
「えぇ、そうです。嬢としてはほんの僅かに力を譲渡したつもり、角砂糖を数個軽々と持ち上げる程度の何てことない力を譲渡したとして、しかし、それは蟻にとっては身に余る力な訳です」
「なるほど、確かにそれはとんでもない力ですわね、蟻さんにとっては」
角砂糖を何個も軽々と背負って歩いていく蟻さんを想像してほのぼのしましたが、現実に同じ人間で考えれば、数百キロはくだらない荷物を肩に軽々と担いでいるようなものですものね。
「勿論、そんなことをすれば身体が持ちませんから、結果的に身体を保護するために、身体を強化してあげたりと、色々と追加していくことになりますね」
「わたくしに加護をくださった方もそうだということですの」
「あくまでも推測ですよ。嬢を護りたい、怪我や病気をしないで健やかに育って欲しいと、魔力を譲渡したのかもしれません。魔力を多く持てば、それだけ怪我や病気をしにくくなります」
「魔力回路によって循環した魔力で身体が活性化するからですね」
「えぇ、そうです。ですが、嬢に施された魔力は、本人にとってはたいした量ではなかったのでしょうが、人の身には余りあるものだった。なので、正確な魔力の流れを可能にし、常時発動する治癒も後付けされたのかと、恐らくは魔力譲渡した存在と、この後付けの存在は親しい関係の別の存在ではないかと」
「どういうことでしょう」
「嬢に何らかの理由で魔力譲渡をした存在がいて、そのことに気付いたか、知っていた存在が譲渡された魔力量では嬢の身が破滅すると咄嗟にフォローしたのではと、譲渡されている魔力の過剰さと、たいして、緻密な魔力操作と常時発動の治癒術式の精度は相入れない感じがしましてね、どうにもチグハグなもので」
確かに先生の推測が正しいとすれば、その可能性も高そうな気がしました。
「ですけれど、なら、わたくしはやっぱり魔法は使えないんではなくて」
これまでの説明を聞いていて、結論はそうなってしまうように思うのですが。
「今のままでは難しいと思いますね。嬢は魔力が高過ぎるために弁の機能が追い付いていないのです」
「弁ですの」
「えぇ、魔力を放出するさいや、体内で魔術を構築するさいも、必要な魔力を弁のようなものを使い調整するんですが、嬢は循環する魔力が多すぎるために弁の機能不全に陥っているようです。これは体内循環する魔力に身体が自壊しないように後付け加護を行った存在も気付かなかったようですね」
「申し訳ありませんが、いまいちよくわかりませんわ」
折角のお話ですが、そもそも弁の機能というのも魔力に弁があることを初めて知ったくらいでよくわかりません。
「いやいや、便宜上、魔力弁と呼んでいるものも、私が見つけて、まだ浸透していない考えですから、理解できなくて当然ですよ。まぁ、例えるなら、菅を通して水を運んでいて、必要な量を分岐させた所から蛇口で放出させているとして、菅が自壊してしまうほどの高圧で大量の水が流れ込んでしまったら、蛇口も壊れてしまいますよね。流れてくる量にたいして、菅の強化、分岐点などの強化はされていたものの、蛇口に関しては使う用途、使用量の違いで強化されてなかったんですね。言うなれば、普段から広大な農業用水の溜池を埋めるレベルの排水量で水を使っている方が、家庭用の汲み上げ井戸の蛇口の排水量を理解していなかったといったところですか、分かりにくいですね」
苦笑いされている先生ですが、何とか理解できました。
「つまり、膨大な魔力で当たり前のように高階層の魔法を使う存在には低位の魔法に必要な魔力量や、それに対応する魔力弁でしたか、その機能への理解がそもそもなかったということですわね」
「そういうことですね。嬢の魔力弁は機能不全に陥っていますが、壊れた訳ではないようです。これは加護により常時治癒が発動しているためですかね。なので、流れ込む魔力を外部的に抑えてしまえばと」
「どういうことでしょうか」
「魔力封じの魔道具がありますよね。本来は魔力を完全に封じて、魔法行使を不可能にするものですが、嬢の場合は魔力が膨大過ぎて、恐らくは封じることは出来ませんが、その性能の範囲で魔力を抑えることは出来ると思います。これをアンクレットやブレスレット、ネックレスとして身に付けて、魔力弁周辺の魔力だけでも抑えることが出来れば魔法を使えるかもしれません」
「放出量が多すぎて、弁が機能しないのなら、外付けの弁を足してあげればということですか」
「安易な考えですが、可能性があるならと」
そう仰有って傍らに置いてあった木箱をわたくしの前に置いた先生は。
「高位令嬢がつけるには相応しくないものかと思いますが、嬢の魔力に耐えられるだけの素材を使い自作したものですので、試しに着けてみてください」
そう仰有って箱を開けられました。
中にはブレスレット、アンクレット、ネックレスと
入っていて、どれも可愛いらしく品のあるデザインをしています。
「先生はジュエリーデザイナーや職人も出来るのですね」
「お世辞はやめてください」
「本心ですわ、それに仰有っていることが事実なら、相当に高級な素材が使われているのではなくて、父に話して、報酬はお支払いたしますわ」
「勝手に作ったものですから、お気になさらず、取り敢えず着けてみてください」
わたくしはお付きの侍女に頼んで、着けて貰いました。
「もう大丈夫ですわ」
わたくしが身に付けるあいだ、後ろを向いてくださった先生に声をかけます。
「あー、では早速、灯の魔法を試してみましょうか。以前、魔力試験で魔力を放出すること、術式を詠唱し、魔力を変換することに問題はなく、過供給される魔力で魔法にならないだけのようだと見ていますから、恐らくはこれで魔法が使えるはずです」
魔力試験は入学前に行った各種試験のひとつですわね。結局はこの試験では魔力量以外は落第点だったようですが、その他の試験が高得点だったことで、無事に入学出来ました。
先生も助手の方も、わたくしの侍女や護衛も不安そうに見ていますが、可愛いらしいデザインのブレスレットを先生が真剣に悩まれて作ったのかと思うと、何故かすこし可笑しくなってしまって。
「火よ灯れ」
自然と口についた詠唱。何万回も唱えても、涙し、涙も枯れて、それでも何ももたらしてはくれなかった。絶望だけをわたくしに与えた言の葉は、この日ようやっと実を結んだようですわ、わたくしという一人の生徒のために労を惜しまない男性のお陰で。
「お嬢様、点いてます。火が……火が点いてますっ」
興奮した侍女が泣きながらわたくしを祝福してくれています。
「ありがとう、アン」
なぜでしょうか、わたくしも目から涙が溢れて止まりませんの。
先生は安堵されたように大きく息を吐いたあと、ただ優しい顔でわたくしたちを見守って下さっていました。