表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エンジュ  作者: PK23
6/21

06

 結局家に帰りついたのは夜半過ぎだった。大人たちの歓談中、キリは果物の砂糖煮を舐めて大人しくしていたが、ムトウを寮に送ってから帰途についたのもあり、馬車の中ですっかり眠ってしまった。起こすのも気の毒なので、迎えに出たキリ付きの従僕の手を断り、そのまま抱いて私の部屋へ入る。エンジュもさすがに寝てしまっているだろうかと考えたそのとき、細い笛の音が聞こえた。

 楽しむための曲ではなく、ただ、か細く男を呼ぶ音色だ。車の音や、主人の帰宅を受けた邸内の慌しさを聞いたのだろうか。音は私の気に障るのを恐れるようにしてすぐ消えた。みだりに家人と口を利くこともままならないカグワトが、気軽に使いを立たせるわけにもいかないのだ。それでも、自分がまだ起きて、待っていたことだけ伝えたかったのだろう。哀れに思った。

 キリの衣服を緩めて寝台に横たえると、素早く部屋着に着替えて北の屋に向かう。


 廊下を渡って北へ入ると案の定、エンジュの部屋には細い灯りが点いていた。特に足音をひそめもしなかったが、部屋の戸口に立ってもエンジュは気付かなかった。窓際に置かれた長椅子に、つまらなそうに肘をついて庭を眺めている。また、そんな端近にと小言が喉まで出掛かったが、今日はもう叱り過ぎだし、そんなことをしにここまで来たのでもない。

「エンジュ」

 低い声で呼びかけると、細い肩がひくりと動いて振りかえった。

「ハンユ……」

 信じられないようなものを見るような目で私を見られて、一瞬、馬鹿げた事をしてしまったかと後悔しかけた。真夜中だ、エンジュももう寝るところだったのかもしれない。

「何を見ていた」

 しかし部屋を出て行くかわりに、エンジュの隣に腰を掛けた。

「月を、ハンユ。廓にいた頃は良く見てた。ずっと小さい頃。お茶を挽いてた姐さんたちと。母は忙しい人だったから、おれはいつも夜は一人だった。廓の夜は騒がしくて、でもとても遠かった……おれはいつも一人で」

「エンジュ。寂しがらせてすまなかった、そんな思いをさせるために呼んだわけではないのにな」

 エンジュを引き寄せ、腰を抱いて膝にのせた。キリより大分重いが、中身はそうは変わらない。そうすると、甘えたように抱き付いて頬をすり寄せてくるところも同じだ。

「でも、今日は来てくれたから」

「そうだな」

 懐から箱を取り出してエンジュの膝に置いてやる。

「開けてご覧」

「何? 」

「大した物じゃない」

 エンジュは大人しく包みを開ける。中にはちょうど手の中に握りこめる大きさの桃色石英が入っていた。つるりとした兎の彫刻が施されている。高価なものではないが、色は綺麗だ。と、思う。それで選んだのだ。キリもまあいいだろうと合格点をくれた。

「可愛い。何? 」

「握り石といって、近頃王宮内の女官の間で流行っているそうだ。それを握って寝るとよく眠れるそうだよ」

 店員の受け売りをそのまま伝える。エンジュは石を握ったり、月明かりに透かしたりしてためすがめつ眺めている。

「ひんやりしてる。女の人って火照りやすいことあるから、こういうのがいいんだろうね……」

 また、失敗したのだろうか。綺麗だからいいと思ったのだが、女性の間で流行っているという部分を深く考えなかった。エンジュには必要無いものだったろうか?

 私の表情に気付いたのだろう、エンジュは笑った。

「ありがとう、ハンユ、嬉しい」

 また気を使わせてしまったようだ。エンジュはいつも、私が何か贈り物をすると少し暗い表情になる。

「エンジュ。気に入らないようならはっきり言ってくれて構わないんだ。私はいつも、あまり趣味が良くないようだし、気のきいたものを選んでもやれないし」

「ううん、違う。あの、ね、ハンユ」

「うん」

「おれは、もう廓の芸妓じゃないんだから、こうたびたび会うたびに、何か貢ぐみたいにして高価なものをくれなくてもいいんだよ」

 エンジュは言った。

「――そうか」

「そうだよ」

 やはり、エンジュには迷惑だったのだろうか。要りもしないものばかりを贈られて。考えてみても、私の送る宝飾品やら高価な小物など、趣味に合わなければ煩わしいだけだ。

 しかし私は無粋な人間で、十八で初めて許婚に逃げられて以来十余年、今まで他に好意を込めて贈り物をするようなことは殆どなかった。どういったものが相手を喜ばせるのかさっぱり判らないし、相談できる相手もいない。一人いるにはいるが――死んでもそれはしたくない。

 少し気分が落ちこんだが、それをエンジュに悟らせたくは無かった。また気を使わせてしまう。腰を抱いて向き直らせて言ってやる。

「今夜は一緒に寝ようか、エンジュ」

「本当に?」

 エンジュはこちらが面食らうほど喜んだ。こんなに嬉しそうなのは、ここに受け入れてから初めての事じゃないかと思うほどだ。と言っても、エンジュが来たのはつい最近だ。まだ半年経っていない。

「ハンユ、じゃあ、お話して。キリにしてるみたいに。王宮の話とか、昔の話とか」

 キリが寝る前によくしてやっている御伽噺のことを聞いているのだろう。なんだ、まだ、まるきりの子供じゃないかと、改めて思い知らされる。こんなに喜ぶと判っていたら、もっと前からしてやるんだった。


***


 自分では話の上手いほうだと思ったことは無いが、子供たちはみんな物語を聞くのが好きだ。キリもそうだし、リンホアもそうだった。昔話から王国の歴史、本を買ってやるより喜ぶのが不思議だ。考えながらいきつもどりつする聞き苦しい話より、流麗な文章を読むほうがよほどためになるはずだと、私などは思うのだが。


 エンジュが私の仕事の内容を聞きたがったので、仕えている王太子殿下の話をする。こんな機会でもなければなかなかしない話だ。

 私の今の役は中将クラス、王太子付き親衛隊隊長兼東方将軍補、或いは代理と言ったところだ。東方将軍である父は今半隠居の体だから、有事の際には実質上私が現場の指揮権を握ることになる。もっとも、将軍府には優秀な軍人が揃っているので日常の訓練や整備等に関しては私も無役同然だ。

 王太子ティドは十三歳で、半月後には堅信式を迎える。シュクラの堅信式は男子の成人式と言ったところの意味を兼ねた華やかな式典だ。シュクラの神殿に改めて信仰と忠誠を誓って祝福を下され、一人前の男として認められるための儀式だ。母親と一緒に住んでいた男子なら、父親と同じ棟に住むようになるか、或いは別棟を貰うし、武家の子供なら従卒として軍に入ることを許される。家によっては早速嫁取りをすることもあるだろう。

 王太子に関しては、王都の東南にあるシュクラの本神殿まで出向いての堅信式になる。これは正式な立太子を兼ねてもいるから、これから半月、親衛隊長として警備の指揮を取る私は忙しくなる。エンジュにも今まで以上に寂しい思いをさせるかもしれないが、夜は出来るだけ帰って来ようし、そうしたら必ず一番にここへ顔を見せにくるから、と約束した。エンジュはもう夢うつつのようだ。

「おれ、それしなかった……」

 とエンジュが眠たそうに私の胸に擦り寄る。

「何? 」

「けんしんしき……」

 廓の子供に堅信式は無いだろう。神殿側が許すまい。それでも、父がきちんと後見人となっていれば受けられたかもしれないが、エンジュを引き取ったのは去年、エンジュが16になったばかりの年だ。シュクラのきちんとした家の子供ならば誰でも通る道を、あの父の為に経験できなかったのが哀れだった。それまで家のおまけとして扱われていた子供が、初めて一人前の人間として認められ、主役となる晴れがましい席だ。

「エンジュはカグワトの、誓約の儀式を私としただろう、それでいいんだ」

 リンホアも、十三の年に私と儀式を行なって、カグワトとなった。

「そっか……」

「もういいからおやすみ」

「ん」

 眠る前の一瞬、エンジュが目を上げてこちらを見た。つりあがり気味の双眸に、刀で刻んだようにくっきりした二重。瞳の色は高い空の青、金の縁が虹彩をぐるりと取り巻いている。何か珍しい宝石のようだ。見惚れる間もなく、すぐに白い瞼が覆って見えなくなった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ