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エンジュ  作者: PK23
19/21

19 来客3

「閣下。よろしいですか」

「キユか」

 廊下から聞こえたのは私の副官のキユの声だ。どうして誰も彼も簡単に主人の寝室まで素通りして来るのか。この家の警備と取次ぎは一体どうなっているんだ? 姿の見えない部屋付きの従僕に腹を立てながらも慌てて制止する。

「待て、そこで用を言え」

「できません、閣下。内密の話しです。お許しを」

「では、そこで五まで数えろ」

 キユが生真面目に数を数え始めるのも上の空に、戸惑って立ち上がりかけたエンジュの手をつかんで寝台の上に引っ張り上げた。エンジュは驚いたようだったがすぐに悟って、天蓋の垂れ布の留紐を解いた。垂れ布は二重になっていて、外側の方は光や人目を遮る為に厚くて重い綾で出来ている。

「閣下、数えました」

「入れ」

 エンジュが垂れ布の影に逃げ込んだのと同時に、見慣れた姿が戸をくぐって現れた。キユは白兵戦を得意とする頑丈な猛者だが、無骨に見えて目端が利くし、上背のある割に優雅な動きをする。寝台の近くには寄らず、部屋の中央に立って軍人風の礼をした。余計な見舞いや挨拶は省いて早速本題に入る。

「報告すべきことが二つ御座います」

「殿下ならばここにおいでだぞ」

 先回りして言ってやると、キユの眉がひくりと痙攣した。私の足元、垂れ布の影でエンジュも震える。驚いたのだろう。覗こうとしたので、目線で窘めた。エンジュは大人しく再び薄暗がりに身を沈めた。

 観念したのか殿下が衝立の向こうから出て来る。それを見てキユはそっと溜息をついた。彼は東宮内舎の警備責任者だから、殿下には振り回され慣れている。なりに合わず親切な男だから、担当外の心労まで背負い込むことも少なくない。東宮付きの女官長にでも泣きつかれて、代りに報告に来たのだろう。

「そんなところではないかとは案じておりました。女官には言って伏させてありますが、早めにお帰り下さい」

 キユの言葉に、殿下は応えた様子も無い。

「そなたの報告が終わればそうしよう。急用で参ったのであろう、申せ」

 退室する積もりは端から無いようだ。キユがこちらを伺うのに私も頷いて

「構わん。報告しろ」

 先を促した。

「では、先にお目に掛けたい者がおりますので、失礼してこちらへ」

 キユが、戸口の方へ向かって合図すると、廊下に控えていたのだろう、女が一人入室した。

 俯いているので顔は判らない。豊かな黒髪を細かく編んで、まとめて大きく結っている。サワンの婦人の装いだ。ゆったりした地味な着物を着けているが、妊娠しているのは見てわかった。知らないので判断がつかないが、恐らく臨月に近いのではないだろうか。脇には五歳ほどの子供も連れている。同じく黒髪で、恐らく彼女の息子だろう。

 女は淑やかに膝を折り、一礼して顔を上げた。

「お久しぶりでございます、ハンユ様」

「アユーシどの? 」

 絶句した。十年以上前に一度会ったきりのあの頃からよりも大人びているが、小さな卵型の顔、印象的な瞳は確かに私の婚約者だった女のものだった。

「これは――お久しぶりです、このような場所で失礼を」

 どうして、と訊ねるよりも先に、ただ習慣的に、貴婦人に寝室で面会する非礼を詫びる言葉が口に出た。

「いいえ。事情はうかがっておりますから」

 彼女は落ち着き払って私の詫びを受け流す。

「キユ、一体どういうことだ」

「こちらのご婦人は、今朝早く、弟御――ギタンに付き添われて将軍府へ参りました。先の王太子殿下の暗殺未遂の件に関して、重要な情報を提供できるが、閣下に直接にしか話せないと申しますので、お休みのところを失礼を承知で連れて参りました」

 キユは淡々と報告する。殿下の言によると、暗殺未遂事件に関してはまだ殆どのものが知らぬはずだ。それを何故彼女が、と改めてアユーシを見なおすと、彼女が後を引き取った。

「わたくし、王太子殿下を狙った犯人を存じております。御役に立てるかと存じ、参りました」

 はっきりと言った。

「先日、ハンユ様を害したのは、わたくしの夫だと思います。けれど、それは本意では無かったと信じております」


+++

 

 アユーシは語り始めた。

 十年前、彼女は家出してからしばらく、乳母のところへ身を寄せていたという。彼女は母親を幼い頃に亡くしているので、その実家とも疎遠になっており、他に頼るところも無かったからだ。

 始めは、ほんの少しの間だけ、身を隠して父親を心配させ、自分の言い分を通そうとした小さな我侭にすぎなかったのが、予想以上の大事になってしまった。ヨウ氏の当主であった父が、娘を勘当してしまったのだ。ヨウ氏にしてみれば、そうでもしなければ我が家に対しても世間に対しても、面目が立たないところだからだ。しかし、シュクラにおいて、家の繋がりからの追放とは、聞こえ以上に過酷な刑罰だ。結婚もできず、祭事には参加できず、死んでも葬式も出ない。保証人がないから職業にもつけず、家も借りられず、掛買いもできないから、実質財産を持つことも出来ない。ましてや若い女性だ。秘密裡に拾ってくれる親族があればまだいいが、あの頃は、兄弟たちも独立しておらず、母の実家と連絡が無ければ、とりなしてくれる親戚も無かったろう。

 彼女が行方不明になったと聞いて、ヨウ氏の怒りがそれほどまでとは思わないでも、想像さえすればその困窮も察することが出来たはずだ。それを思うと慙愧に耐えない。ヨウ氏も、例え本心は娘を愛していても、将軍家に憚ってそのような処置を取らざるをえなかったのだろう。わたしがヨウ氏に取りなすべきだったのだ。未熟な自分が恥ずかしかった。

 そんな私の物思いとは無関係に、アユーシの物語は続く。

「それで、ちょうど乳母の娘がお嫁に行くことが決まっていましたから、妹だということにして付き添ってサワンへ出ました。シュクラほど人の出自にうるさくはないところですから、働き口が捜せるかもしれないと思ったのです」

 エンジュがしたのと同じ判断だ。シュクラでは、家からはみ出してしまえば後は苦界に身を沈めるか、それも出来なければいっそ外国へ逃げるより他に身の振り方が無い。


 サワンに逃れた彼女は、しばらくはその乳母の娘の嫁ぎ先で、家事の手伝いなどをしていた。そのうち、他に奉公のくちを世話してくれる人があって、どこかの貴婦人の小間使いとして雇われたという。彼女のような良家の婦人が、小間使いなどして人に使われるなど、筆舌に尽くし難い思いもあったろうと思うが、彼女はあっさりと笑うだけだ。

「いいえ、つらいことはありませんでしたわ、ハンユ様。奥様には随分可愛がっていただきましたし、そう長くは勤めませんでした。すぐに結婚致しましたから」

 彼女の身の上話はいよいよ本題に入る。

 夫となった男は、硝石、硝安を扱う職人だった。サワンの南のほうには硝石の産出地がある。それを仕入れて肥料や火薬に加工するのだ。例えば、川で発破を仕掛けて魚を捕る漁法は、シュクラでは法で禁じられているが、サワンでは黙認されているらしい。そういった罠などを工夫して作るのでよく知られていた、腕の良い職人だという。職人といっても、彼女の話から察するに、自身も作業場には出るものの、割合裕福な、工場主か実業家のようなものだったようだ。

「それは――、ひょっとして、馬を驚かしたあの閃光は」

 思い当たって思わず口にすると、アユーシは頷いた。

「詳しくは存じませんが、もし、ハンユ様にお心当たりがあるのならば、きっとそれは夫の仕事でしょう。夫は頼まれて様々な火薬を工夫して、大きな音や光で敵を脅かす爆弾なども作っていました。扱いが難しく、高価になりすぎるので、実際に戦で使えはしませんでしたが……」

「失礼だが、そのような職人に過ぎない御夫君がどうしてこのような件に関わったとお考えなのですか」

 私が問うと、彼女は詳しいいきさつを語り始めた。

「あるとき、夫の工房にお武家様が訪れたのです。私は夫と雇い人の為に、家で昼食を作って届けるのが日課でしたが、そこへちょうど居合せたのです」

 身形から言って士分の高い、おそらく王宮詰めの身分らしく見えたという。彼女の夫は、もともと軍のために試薬を献上したり、王宮との取引があったので、鎧の飾りなどに見覚えが合ったのだ。

「話しはすぐにまとまったようで、夫が申すにはしばらく外国に出ることになったと。常に無いことですから当然不安に思いました。私は――その頃、ちょうど――二人目の子を身ごもった事がわかったばかりで」

 言いにくそうに言葉を濁す。異性に、まして一度は許婚だった私に、女性の体の特別な状態について告げるのは、確かに羞恥を伴うことだが、敢えて自分の置かれていた立場を訴えたかったのだろう。

「それからもしばらく、夫は色々工夫して、爆薬を実験していたようで、その音が住居の方まで良く聞こえて参りました。そのうちに、家の周りでよく知らないひとを見かけるようになりました。身のこなしから見ても武家のようで、うちを見張っているようなのです。夫に訴えても気にするなと言うばかりで、何か隠し事をしているようでした。私は夫が心配で、昼食やお茶など届けるため頻繁に工房の方へ出入りしましたが、お武家の出入りが絶えませんでした」

 アユーシは一旦息を継いで、また続けた。

「初めは、何が狙いなのかも良くわからなかったのです、ただ、私の出身がシュクラであることだけは知られていましたから、夫の客にはそのことについて色々訊かれることも多かった。はじめは、私が出自を偽っていることを察して探りを入れているのかとも思い、不安に思いましたが、どうもそれが目的ではないようでした。シュクラの言葉で話しかけたり、私のシュクラなまりを真似したりするので、最初は異邦人であるためにからかわれているのかと腹を立てもしたのですが、今から思うとあれは練習をしていたのでしょう。自分たちの言葉がシュクラの人間にどの程度通じるものか試していたのだと思います。私のことは全く警戒していないようでした。あの人たちに取って、私は夫の付属物、お茶を運ぶ為にいるだけの、動きの鈍い妊婦にすぎませんもの」

 思いがけなく痛烈な口調で吐き捨てる。彼女ももとは良家の出だ、粗略に扱われるのは心外だったのだろう。

「誰かを暗殺する手筈を整えているのだと、すぐにわかったわけではないのです、けれどシュクラに関わる、それも王族の誰かに関することだとは薄々察することが出来ました。言葉の端々や――世間話のようにして訊ねられる事柄から。訊かれると言っても些細なことです。王家の神事に一般の国民はどの程度関わるのか、とか――つまり、どの道で行列を見物するのかとか、休み処は毎年決まっているものなのかとか……。王族の評判や、素行に関する噂話などもあれこれ聞きますの。他にも色々と――サワンの厳しいお武家様がそんな興味本位の噂話をしたがるなんて、おかしな感じがしましたわ。決定的だったのは、夫が、従わなければ私と子供を殺す、と脅されているのに気付いたことです」

「なんということだ――」

 思わずあげた声に、アユーシは励まされたように続けた。

「そう、夫は恐喝されていたのです。私――恥ずかしいことですが、夫が心配で、彼の文箱を勝手にあさって書類を盗み読みしました。私は、出自を偽って字も読めないふりをしていましたが、シュクラの文字もサワンの文字も読めますし、書けるのです。夫は何も言わないで居ましたが、仕事が終わっても自分が帰れないかもしれないことを予期して、財産を整理し、遺される家族のことを友人に頼む内容の遺書まで書いていたのです。いいわけがましい人ではありませんが、他に取る道を択べなかったことを仄めかしていました。そうですわ、夫は正直な、働き者の職人に過ぎないのに、何か危険で、表ざたにも出来ないような仕事に手を汚すよう、強制されていたのです、それも妻と子を人質に! 家の周りで見た男たちは、夫や、私たち家族が逃げ出さないように見張っていたのだと悟りました。理由はわからないけれどともかく大きな仕事だというのはわかりました。けれども、夫には何も言えなかった。夫は私が気付いていないと思っているのです、私の目の前でなされる陰険なほのめかしに耐えながら、私にそれを気づかせまいと懸命に気を配っていました。ええ、知らないふりをするしかありませんでした。気付いていることを悟れば、夫が困った立場に陥ることが判っていました。頭脳など無い女のふりをしているしかなかったのです」

「それで、王太子殿下の暗殺のことを知ったのは――」

「はっきりと知ったのは、シュクラに参ってからです、殿下の御名や王族に関わることだとは、察していました、何か重大事だとしか存じませんでした。夫が旅立ってから私、監視の目が緩んだことを感じました。私は身重の身ですし、子供を抱えてもいます。稼業もありましたし、私自身、何も知らないとも油断していたのでしょう。私、逃げることを決意しました。私たち家族が枷となって夫の行動を縛るような事態は避けたかったのです。私が懸念しているような大事が起これば、夫は必ず口封じに殺されてしまうに違いないからです」

 アユーシは厳しい口ぶりできっぱりと言い切った。さすがにヨウ氏の家のものだけはある雄雄しさだった。その、サワンの監視役たちが殊更に無能だったわけではないだろう。このたおやかな女性のどこにこのような激しい決心を見つけることができるだろうか。

「サワンを逃げ出した手管をここでくだくだしく申し上げるつもりはございません。土地も財産もかなぐり捨てて逃げてまいりました。ようやくシュクラに辿り着いたものの、夫がどこに潜んでいるかは判らないし、連絡のとりようもありません。下手に動いて逆に夫の身が危うくなっても困ります。路銀も尽き、恥を忍んで実家に頼るほかなかったのです。それが二日前のことでした。そこで初めて――ギタンに、弟に、王太子殿下の暗殺未遂事件があったことを聞いて、そこで初めて合点がいったのです」

 私の表情を見て、アユーシが慌ててとりなすように言葉を継ぐ。

「弟を、お叱りにならないで下さいませ、私が、先に今までにあったことを色々と話し、その上で、弟がそれは王太子殿下の暗殺についての話しじゃないかと申したのです。私に、彼らとの会話を逐一繰り返させました。私、覚えている限りの会話を繰り返し、夫の遺書や、工場に残っていた書簡を見せましたわ。彼らは王族の神事に非常に興味を示していました。二人で知恵を寄せ合って、彼らが殿下の――王太子殿下の堅信式の折りに、何か事を起こすのではという結論に達したのです」

「それは、確かですか」

 私は驚いて問い質した。

「わかりません、わかりません――ただ、そうではないかと。私と、ギタンとで考えたことです。本当にその式で事が成されるのかは知らないのです。申し訳ありません、ハンユ様。でも――本当にその式で。そんなことが行われて、もし成功してしまったら。夫は万に一つも生きては帰れないでしょう。そんなことになったら――私」

 アユーシは耐えきれなくなったのだろう、感極まって泣き出した。












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