文月
職場で飛来物の損害の車の事案を担当した時だった。
中年の女性の契約者だった。
急ぎの案件だと連絡をよこしたくせに、なかなか電話に出ない。
定時も近く、社内が少しバタバタとしていた時のことだった。
「お車の保険でお世話になっておりますー!千葉と申しますー!」
「はあー?」
「お車の保険でお世話になっておりますー!千葉ですー!」
「今運転中なのよ。全然聞こえない。」
「お急ぎと伺いましたー!私どもあと40分で営業終了となりますー!電話が難しいとのことであれば、メールでのご対応も可能です!いかがいたしましょうかー?」けっこうな大声だ。聞こえているのだろうか。
「メールとか…分かんない。あーもう今車止めるから…」
何だかヒステリックなおばさんだ。嫌な予感がした。
車を止めたというおばさんと話をする。
「お車のご使用目的を伺っても宜しいですか?」
あれ?この人、土日にしか使わないっていう契約だ。
なのに、飛び石の被害を受けたのは平日の朝5時だという。
何か変だな。
そう思い、慎重に聞こう、そう思ってした質問だった。
まあ、怪しくなくてもしなきゃいけない質問なのだけど。
「通勤で使ってたら、何かこう、トラックが来て石が飛んできたって感じで。」
「通勤で使われていたのですね。月に何日ほど通勤で使われていますか?」
「…え、え、何で。ほぼ毎日。」
「恐れながら、水原様のご契約ですとレジャーでのお使いとのことになっています。通勤でほぼ毎日ご使用であれば、契約内容の変更が必要で御座います。契約部門から直接水原様に連絡がありますが、申し訳御座いませんが、ご対応をお願い申し上げます。」
「契約部門からって、いつ?」
「今日はあと30分で営業時間終了ですので、明日以降になります。」
「保険料変わるの?…どのぐらい?」
「契約部門と直接お話して頂いて、いくら変わるのかが分かります。…なので今すぐのお答えが出来かねます。」
「…」
「お車のご損害のこと、もう少し掘り下げて伺っても宜しいでしょうか。」
「失礼ですけど。」
「はい。」ヤバいな。おばさん怒ってる。
「保険の案内、初めたてですよね。不快です。」
その後も、おばさんは何か言っていた気がする。
私はひたすら「申し訳御座いません」と繰り返した。
焦りが止まらない。時間だけが過ぎていく。
定時にダッシュする、そんな金曜日を夢見ていただけだ。
私にどうしろって言うんだ。
こんなの、何度目だろう。
いつになったら私はうろたえなくなるのだろう。
いつになったら私はこんな馬鹿みたいに、
本当にこんな風に馬鹿みたいに傷付かなくなるのだろう。
自分が格好悪いと思った。情けなかった。
家に帰って首をくくる方法をググったりしていた。
飼っているうさぎが足をダンと鳴らした。
そうだ。私にはうさぎがいる。死ねないや。
死ぬのが怖いから口実を探していただけかもしれない。
東京都こころといのちのほっとナビ
何度か電話をかけてみる。
女性が電話に出て、今はどんな状況かと訊いてきた。
「自分を恥ずかしい人間だと思っています。」
「まあ…!」女性は小さい声で驚きの声を上げた。
「自分を社会になじめない底辺の人間だと思っています。仕事もできないそんな自分は、生きているだけで資源の無駄だと思います。」
「そんな…次から次へとご自分に対してひどいことを仰るのですね。」
女性は心底びっくりしたようだった。
そんな風にして散々な金曜日が過ぎていった。
数時間前に、レンからいつものように連絡が来ていたが、私は返さずに寝てしまったのだ。