Ⅱ.恋人とは
依頼主と待ち合わせをするために、3人はドリームポスト本部のロビーにいた。
この本部には仕分けされた夢手紙が集められ、配達する地区ごとにいくつかの扉の前に置かれる。
「あの扉が地上につながっているのかぁ……」
しぃが少し緊張した表情で扉を見つめた。
風太もはじめてその扉をくぐるときはすごく緊張していた、が、扉を抜けるとなんのことはない。
普通にそのまま地上の道路へとつながっているのだ。
今日こそは迷子にならないぞ---心に誓い、硬い表情をしている風太の前に一人の女性が現れた。
「大野ひかりさんですね」
白色のワンピースに薄い黄色のカーディガンを羽織ったその女性は、
とても肌が白く見た目年齢27歳といったところだった。
「--挨拶しろよ」
「あ!はい!…本日配達を担当させて頂きます。風太と申します」
「ひかりです。よろしくお願いしますね」
優しく微笑みながらその女性は赤色の印が刻まれた封筒を差し出した。
封筒に押される印の色は全てで3色ある。
ひかりが持つ封筒に刻まれている赤色の印は「交通事故など不慮の原因で天国へ来た証」
水色の印が刻まれているものは「病気で天国へ来た証」
また黄色の印が刻まれているものは「寿命を全うして天国へきた証」
赤色の印が刻まれた封筒の配達が最も重い仕事で、順に水色、黄色となる。
これは不慮の事故の場合、地上の人へ想いを伝える時間がほとんどなかったために、こう定められた。
風太が今まで配達してきた手紙は黄色の印が刻まれたものばかりだった。
「リーダー、あの…」
「お前にとっても大切な手紙になるんだ。依頼主の話をしっかり聞いて、その想いを配達するんだぞ」
ひかりさんは相変わらず柔らかく微笑んでいるが、風太、そして緊張がうつったらしいしぃの顔は強張っていた。
「こんな素敵なお仕事があるなんて知りませんでした。まぁ天国に来るまでは知らないで当然ですよね」
二人の表情を読みとってか、ひかりはおどけて笑った。
「とりあえず座ってお話をうかがいます」
黒羽がロビーにあるソファにひかりを案内した。
後につづいてひかりの目の前のソファに風太も腰掛ける。
しっかりこの人の気持ちを配達しなきゃ---配達使としての使命感を思い出し、風太はゆっくりと一つ息をはいて正面のひかりを見つめた。
「それではまずこちらに来た原因についてお話を聞かせて下さい」
「はい---」
ひかりは少し足元に目線を落として話し始めた。
「私は昨日こちらへやってきました。地上では看護士の仕事をしていたのですが、夜勤明けに運転をしていたところをトラックと衝突してしまったんです。本当に一瞬のことで、気づいたらもうこっちに……」
そこまで話をして自分が天国に来たのだという現実を再認識したのか、ひかりの目元が濡れ始めた。
「本当に一瞬だったんです。一瞬で私の存在はなくなってしまった…」
こちらに来た者ならば誰もが味わう感情---悲しみ、怒り、寂しさ、そして後悔。
「わかります。僕たちも同じです」
それは配達使である風太達も味わってきたものである。
しぃは自分と彼女をかぶせてしまったのか、話を聞いている間ずっとうつむいている。
黒羽はその気持ちを察するように彼の頭に手をのせた。
依頼主の話を聞きながら自分が泣いてしまっては配達使として一人前ではない、という考えを持っているリーダーもいるが、黒羽はそうではない。
同じ気持ちを抱いている、心の痛みを分かち合えるからこそ、配達使としてその人の想いを伝えることができると彼は考えていた。
「では、今度は夢手紙を送る相手の方について教えていただけますか?」
落ち着いてきたのか、涙が少しとまってきたひかりは今度は風太の目をしっかりと見て話をはじめた。
「想いを伝えたい相手は、私の恋人です」
風太は今まで黄色の印、つまり寿命を全うして天国に来た人の手紙ばかりを担当していた。
その人たちは大体が自分の子供宛に手紙を送っており、恋人が受け取り主、というのは風太は初めてだった。
「とても…とても大切な人だったんです」
風太には恋人という存在がいなかった。
家族に対する愛情は十二分に分かっていたが、恋人というものに対する感情がどういうものなのかほとんどわからなかった。
「その…相手の方についてお話して頂けますか?」
不安になった風太は少しでもその気持ちを感じ取りたくて、ひかりに話を聞かせてもらいたかった。
恋人という存在について。
「彼と私はメールを通して知り合いました。最初は普通に友達としてメール交換をしていたのですが……
彼、すごく心が大きい人でなんでも包み込んでくれたんです。私の仕事の話についても、友人関係の悩みについても。
とても親しい人にも相談できないことも彼には相談できて。同じように彼も人に言ったことがあまりない話を私にしてくれたりして。
メールだからかもしれませんけど……
私も彼がなんでも受けとめてくれたように、彼のことをすべて包み込みました。
本当にくだらないことから、真剣なことまで色々話したなぁ。まだ会ったこともないのにヤキモチやいて喧嘩もしたりして」
少し恥ずかしそうに笑いながらひかりは話をした。
窓の外を見ると夕暮れの空になっていて、グラデーションになったオレンジが辺り一面を染めていた。
この到底絵にはできないような空の色が風太は大好きだった。
地上にいるときもよく散歩に行っては眺め、目の色をオレンジに染めていた。
目の前に座るひかりは風太の視線の先に気づき、同じように目をオレンジ色にして話をつづけた。
「メールを始めて二ヶ月くらい経ったときにはじめて彼に会ったんです。
本当に素敵な人でした。最初は少し緊張もしたけど、すぐに打ち解けて!
私のことをすごく大切にしてくれて、私も彼を大切に思っていて。
その後もメールを続けて彼も一ヶ月に一回は会いに来てくれて。
すごく距離が離れていたのでメールばかりのコミュニケーションでしたけど……本当に愛し合っていたんです。」
「あの……」
風太がふと話に割って入った。
どうしてもひかりに聞きたいことがあったのだ。
「恋人というのは…家族より大切なものなのですか?」
率直な疑問だった。自分だったら恋人ではなくずっといた家族に手紙を送りたいと思うからだ。
ひかりも最初はその質問に少し驚いていたが、また夕日を見つめながら答えた。
「恋人は家族と同じくらい大切な存在なんですよ。比べられないんです。
確かに私と彼は会った回数も少ないし、家族に比べたら一緒に過ごした時間はとても短いです。
でも二人の間には何年も、何十年も一緒にいるような絆があるんです。本当に本当に大切な人なんです」
風太はそのひかりの言葉を聞いて、恋人という存在がどれほど大切なものなのか少しわかった気がした。
家族より過ごしている時間は短いのに、それでけ大切に思えるということは、ひかりはその相手のことを本当に愛しているのだな、と思った。
「恋人では、配達していただけないですか?」
ひかりが不安そうに尋ねる。
さっき自分がした質問はどれほど相手にとって失礼な言葉だったのか、風太はひかりの顔を見て気づいた。
「いえ!配達させて下さい!本当に大好きだったんですね」
ひかりが安堵の表情を浮かべ、少し顔を赤らめながら話を続けた。
「はい、とてもとても大好きでした。いえ、今も大好きです。
メールから始まった関係でしたが、私は誰にも負けないくらい彼を愛しています。
ただ…そのメールで始まったというところが今問題なんです」
「問題?」
窓の近くで話を聞いていた黒羽も、「問題」という言葉にこちらに歩み寄った。
「問題とは…」
「メールから始まった関係だったので、私は家族にも友達にも彼のことを話していなかったんです。
なんだか反対される気がしていて……だから私の周りの人は彼の存在を知らないんです」
「そうか…」
黒羽がそこまで話を聞いて暗い表情で頷いた。
同じように話を聞いていた風太としぃは一体何が「問題」なのかわからず、黒羽とひかりの顔を交互に見ている。
「わからないか?彼女の周りの人が彼の存在を知らないってことは、誰も彼の連絡先を知らないってことだ」
黒羽の言葉を聞いて二人はようやく「問題」が何かわかった。
「ってことは…ひかりさんの恋人はまだ…」
「はい…私が事故にあってこちらに来てしまったことを知らないんです」
窓の外からはオレンジ色が消え、漆黒の闇が広がっていた。
月明かりだけが明るく輝いていたが、ひかりの目に届くことはなかった。
「彼、きっとメール待ってるんです。いつもみたいに仕事が終わってメールが来るんじゃないかって…
きっと昨日連絡ができなかったから何かあったんじゃないか、とは思ってるだろうけど…」
ひかりはもう感情を抑えきれなくなり、顔を両手でおさえながら泣きじゃくった。
「携帯はきっと事故のときに壊れてしまいました。彼、絶対待ってます…
このまま私から連絡がいかなかったら、きっと私の気持ちがなくなったって勘違いしてしまう…
それだけは嫌なんです!もしかしたらこのままどこかで私が生きてると思っているほうが彼にとっては良いかもしれない。
新しく素敵な人と出会ってまた恋ができるかもしれない。でも彼が他の女性と一緒になるなんて考えてくない!
私の勝手な我がままかもしれないけど!ずっと彼の中に存在していたいんです……!」
最後のほうは泣き叫んでいて、はっきりとひかりが何を言っているのかはわからなかったが、
風太には恋人の存在が彼女にとってどれほど大切なものか十分に理解することができた。
そしてこれほど想える人に出会ったひかりをすごいとさえ感じていた。
「我がままなんかじゃないです。誰だって忘れてほしくない人はいます!
ひかりさんすごいです!そんなに想える人と出会えて……
その恋人だって絶対にひかりさんの気持ちが聞きたいはずです!」
思わずソファから立ち上がって大声をだしてしまった風太だったが、黒羽は彼をそのままじっと見ていた。
「絶対に本当の想い伝えましょう!是非配達させて下さい!」
ハンカチで涙をふきながらひかりは無理やり笑顔を作って、微笑んだ。
「よろしくお願いします」
黒羽は預かっていた赤い印の封筒を風太に差し出し、風太の目を見据えた。
「大切な仕事だ。準備するぞ!」
「はいっ!」
力がはいっていたのか風太より先にしぃが返事をした。
三人のやりとりが面白かったのか、風太の真剣な表情に安心を覚えたのか、
本部を後にするひかりの表情は大きい笑顔だった。
「0時ちょうど、扉がひらくぞ」