傭兵姫の子守唄
夢なのか記憶なのは定かではない。
赤ん坊の頃、私が眠る小さな寝台の柵から複雑な造りのおもちゃが吊るされていたのを覚えている。金色の細い棒に様々な飾りがぶら下がったものだった。私には、風に揺れる金細工の蝶々達が、まるで本物の金の蝶が羽ばたいているように見えていた。白く照る大粒の真珠や海のようなサファイア、森を映した緑のエメラルドがいくつもぶら下がり、ぷくぷくした小さな手を伸ばせば届きそうだった。優しい陽光を反射する宝石が眩しくて、チラチラと躍る光がとても美しいと、幼いながらもそう思っていた。見上げる天井には遥かな雲の上で神話の神々が戯れる見事な絵が描かれている。
寝台の隣から私を見下ろす男の子が手を差し伸べ、私はその指を掴もうと手を伸ばした。すると優しい女性が「もう眠る時間よ」と言って懐かしい子守唄を歌い始める。
ーーーー私の夢はいつもここで終わる。
「突撃ィーーッ!!!」
厳しい鉄製の兜の男の声が背後から聞こえた。途端に全員が構えた武器を眼前に翳し、息を吸う。
「行くぞ!!!」
土埃を噛みながら、私は率いている傭兵達に叫んで剣を掲げ、誰よりも先に一歩を踏み出した。
「オォーーー!!!!」
背後の男たちから野太い声が響く。背中が震える程の声量。私たちの目の前には山賊が斧を携えて待ち構えていた。
ここを死守しなければ、なけなしの財宝を投げ出して依頼してきた村の住民の命はない。山賊との争いは私たち傭兵が引き受けた。必ずこの戦いに勝ち抜いて、村を守る。私は覚悟と共に重い剣を振り切った。
鉄と鉄のかち合う激しい音が響き、衝撃に手が震える。皮と鉄製のグローブ越しにも伝わる振動に舌打ちしながらも私は尚一歩踏み込んだ。瞬間、頭を斧が掠めた。ギリギリで躱したが、私の兜は斧の切っ先で弾かれる。頭が揺れて、私は一歩距離を取った。ゆらゆらと視線が震え、瞬間の生の灯火の揺らぎを心で制する。わたしは死なない。だから落ち着け。脳震盪にはなっていない、わたしは一瞬パニックになっただけ。大丈夫。自分にそう言い聞かせ、小さく呼吸をして淀んだ酸素を肺に送り込んだ。
兜を失い、むき出しになった金色の長い髪が風に揺れる。男は私の顔を見てニヤリと笑った。
「小せえからガキかと思っていたが、女だったか。こいつはたまげた。するとおめえが有名な『紅蓮の傭兵姫』っつーことだな」
「お前のような男は、この私を見ると必ずそう言う。他に言うことはないのか?私は詩的な美しい褒め言葉を期待するのだが」
私は物心ついた頃には傭兵家業を営む夫婦の元にいた。私は捨て子らしい。実の娘ではないが、私はその2人を本当の両親のように大切に思っていた。2人も同じように思ってくれ、私を大切に育て、鍛えてくれた。2人の期待に応えるべく傭兵の一員として戦場を駆け巡っているうちに、赤い衣装に銅色の鎧を身につけた私は『紅蓮の傭兵姫』と呼ばれるようになっていた。
戦というものは守るべきものがあるからこそ士気が上がる。傭兵団の中で蝶よ花よと可愛がられる私が前線に出るからこそ、全員が私を守ろうと実力以上の力を発揮する。それを知っているから、私は誰よりも前に出る。
「姫!油断するな!」
「姫じゃない、アビゲイルだ。油断したつもりはない」
不意に飛んできた矢が、同い年の青年の剣に叩き折られた。
同じように傭兵に拾われて育った、幼馴染のフランが私の隣に並び、私を庇うように剣を奮った。
「私はいつもお前が守ってくれると知っているだけだ」
「はいはい、お供しますよって」
剣を構え直し、私は前を睨んだ。斧を構えた大男は私を舐めるように見つめていた。
「良いなぁ、女傭兵…お前のような見目の良い傭兵を捕虜にすりゃあ、親方も喜ぶ。俺の出世も間違いねえ。嫁にしてもいいし殺してその美しい首を村人どもに晒してもいい。なんなら3匹くらいガキを産んでから死んでもらってもいいな。ああ、親方が先か?」
「お前に『詩的な褒め言葉』を口にする知性を望むことには、些かの無理がありそうだ」
長い妄想を聞いて、はあ、と私は溜息を漏らした。
男はいつもこればかり。だから嫌い。男なんて信用ならない。会話する価値もない。
「フラン、15秒だ。何を賭ける?」
「賭けるかバカ!」
「夜飯はお前持ちだからな」
「勝手に始めるな!おいっ」
「カウント開始!」
私が駆け出すと、チッと舌打ちしながらフランが数を数え始める。
私は息を深く吸い、飛び上がって剣を叩き込んだ。
「いーち、にー、さーん」
カウントと共に剣戟が始まる。私の剣が斧を持つ男の手を切りつけた瞬間、男の顔が想定外の恐怖に歪んだ。
「ぬ、ぬぅ…ッ、何という力…!女の細腕の力では…ッ」
「っ!!終わりだッ」
「じゅーいち、じゅーにっ」
カウントが13になった瞬間男の兜ごと頭をかち割った。代わりに左腕に凄まじい痛み。男の斧の柄が左腕に激突し、感覚がなくなる。私の剣は男の額の半分まで刃がめり込む。鈍い感触が手に広がり、脳髄と血を撒き散らして男の身体が地面に傾いだ。
「来世で相見える時には私の美しさを喩えるに相応しい知性をつけていることを望む」
私は膝をついて絶命した大男の肩を蹴って剣を右手で引き抜いた。血やら何やらで汚れてしまった剣を確認する。やはり、あれほどの剣撃を繰り広げた後では凄まじく刃こぼれしており、もうこの剣は使えないと判断して向かってくる大男の手下らしき男に投擲した。見事に男の腹を貫いて地面に縫い付けたのを確認し、フランに向き直る。
「どうだ?13秒。夜飯は肉が良い」
「左腕大丈夫か?首にもきてそうだな。…そんな怪我して、平気な顔で言うなよ!その話は他の奴を助けてからだ!」
「誰に向かって言っている?使える剣を寄越せ。左腕はハンデだ」
地面に転がった自分の兜を拾い上げ、深く被った。フランが予備の剣を私に手渡す。私用に作られていない分、重い。仕方ない。
私は剣を持った右手を突き上げた。
「見よ!一番の大男は『紅蓮の傭兵姫』が討ち取った!勝機は我らにあり!」
大声で叫ぶと、戦場のあちこちから男の野太い声が呼応した。驚いて敗走に転じる敵が見える。大男を蹴ってみせると、さらに野太い声が敵味方から聞こえる。残酷ながらも最も味方を鼓舞し、敵を萎縮させる行いだ。
「姫に良い所見せろよ、野郎ども!」
「お前こそ姫に守られてるんじゃねーぞ、フラン」
「俺が姫守ってんだよふざけんな!」
フランの声に野太い声が答えた。私はくすりと笑い、悲鳴と雄叫びがこだまする戦場を走り抜ける。
「ふふ、仕方ない。ちょうど左腕が不自由になったところだ。左側は守られてやる、付いて来いフラン」
「このクソ姫…ッ」
フランが悪態をつきながらも私の左にぴたりと付いた。
「お前のそういうところは犬みたいで可愛いな。頼むよ幼馴染殿」
「なっ!ばっ、ばか言うな!」
フランは顔を真っ赤にしながら飛びかかってきた男を切り払った。私は陣形を崩すように男達に切り掛かり、私に続いてフランが突っ込む。私の左と背後を守り、負傷した仲間を庇った。
ーーーーーーーーーーーー
「クッソーーー、大食い姫めぇ…」
「はー、食べた食べた」
負傷者数名、死者はなし。上々の戦績を挙げた私は、約束通りフランの奢りで上等な肉を食べた。負傷で左腕の動かない私は薬草塗れになり、右目を負傷したフランは大きな包帯を顔に巻いている。戦闘終了後、無理をしすぎた私は泡を吹いて倒れてみんなを心配させたが、フランが大泣きで自分の怪我を顧みず、私を抱き上げて走り、医療班の母の元へ送り届けた時には、団員達全員の温かい視線を一身に受けていたらしい。
母の治療を受けてようやく目が覚め、泣き疲れて寝てしまったフランを叩いて起こし、無事な姿を見せるために食事に誘う。フランが泣きながら『好きなだけ食えよ!』と男気に溢れた発言をしたせいで、私は無理を押して食べた。
空になった財布を片手にフランは涙目だったが、明日には報酬が入るから大丈夫だろう。
「心配をかけたな」
「俺のこと庇って頭に一撃くらってたの、見えてた。…俺もっと強くなるから」
「なに、兜の防御力を過信した私が悪いんだ。あんなに凹むと思っていなかった」
「そういうときは無理せずに素直に倒れてくれても良いんだ、姫。俺たちちゃんと守るから」
「私は倒れてはならないだろう」
目の前が真っ白になって、ふらふらになりながらも最後まで無理をして立ち向かった。それがどれほど苦しくても、私は立ち上がっているだけで仲間を勇気付けられるのだから。
「それに私はお前に姫なんて呼んでほしくないのだが」
「アビゲイルって呼んだら他の連中が『フランの癖に生意気だ』って怒るんだよ」
「他の連中など気にしなくて良い」
うーん、と伸びをして、長い金色の髪をばさりと後ろに払った。村に唯一の宿屋の入り口の前まで歩きながら、フランに微笑みかけた。
「お前は私の唯一の幼馴染なんだ、気安く名前で呼んで当然だろう?」
「へーへー、お姫様のおっしゃる通り。その言葉の硬さが無くなればもうちょっと取っ付きやすくなるのにな」
「お前は威厳を付けろ。…それにしても騒がしいな。山賊が退いたからといっても、物流が回復するには早すぎるだろう」
村の騒めきはもはや喧騒のようだった。所定の報酬が支払われた以上、我々は明日にもここを引き払うが、また何か問題でも起こっているのだろうか。
そして、過ぎ去る村人のほとんど全員が私の顔を見ては信じられないものを見るような顔をする。
「…昨日からずっと顔を見られる。ああこの美しさが憎い。村人たちは私をこの村に引き止めたいのだろう。強く美しい傭兵姫だからそう思われてもしかたのないことだ。罪だな」
「いつにも増して妄想が酷いな、アビゲイル。ほんの一瞬でも恥ずかしくはならないのか?俺はいつもお前のその手の発言は、戦場以外だと聞いてるだけで逃げ出したくなる」
「なぜ戦場では良いのか?」
「なんかこう、そのナルシストっぷりが頼もしい」
フランは真顔で言い切る。だが私が美しいのは確固たる事実であるし、戦場で頼りになるのは努力をしているからだ。
「それはそれとして、アビゲイルみたいな髪と目はすごいニュースになっているらしいからな」
フランは私の顔を覗き込んだ。フランは最新の新聞をバサリと開いて読み耽る。
「何が?私の髪は金糸の如く輝き麗しく、瞳はアメジストよりも美しい紫だが」
「共感性羞恥っていうらしいぜ、これ。一昨日、15年前に3歳だった王女様を攫った犯人が捕まったらしいんだが、その時王女様は殺さずに孤児として誰かに託した、と証言したらしい。誰に預けたか、とかは全く覚えていないらしいんだけど…」
「それが?」
「鈍いなー、アビゲイル。それってつまり、拐われた王女様はまだ生きている可能性があるってことだぜ。それも自分が王女様だとは気付かずに」
フランが宿屋の玄関を開く。中には何人もの傭兵に混じって立派な服装の役人がいた。
私とフランに役人が気付くと、さっと私たちの進路を塞いだ。
「アビゲイル・タナー殿とお見受けする」
「間違いなく私だが」
役人が私に膝を折った。私に上等な羊皮紙を開き、中の文字を見せる。それは召喚状だった。
「アビゲイル・タナー。推定18歳、何者かから傭兵団団長夫妻に預けられる。それ以前の記録はなし。容姿は明るい金の髪、透けるような薄い紫の瞳。情報に相違なしだな?」
「容姿は見ての通りの美しさではあるが…それが何か」
私が聞き返すと、役人は羊皮紙を再度差し出した。
「失礼致しました。我らがエメライン王女殿下、王令により我らは殿下をお迎えにあがりました」
「…………は?」
時が止まった。
フランは新聞を放り投げ、気まずそうにこっそり私に耳打ちした。
「容姿とかだいたい18歳だとか孤児だとか、そのあたり姫ってば実は王女様だったっぽいよねって話をしてたんだよな…」
「そんなわけがあるか。お前でも当てはまるぞ」
「姫には俺が金髪紫眼の女の子に見えてるってことな…ぐぅぅ!!」
「お前如きがこの私の美しい姿と同じに見えるわけがないだろう、弁えろ」
「ギブっ!!姫!!ギブっ!!」
そっと私に囁いたフランに怒鳴りつけ、首根っこを掴んで投げた。フランは地面に倒れ伏し、私に踏みつけられて呻く。
私は跪いたままの役人に手を差し伸べた。咳払いをすると、役人は首を傾げながら私の手を握った。
「あの、失礼だが私はこの通り粗野な傭兵であり、王女様ではありません。お帰りください」
「それを決めるのは貴女ではなく、王様です」
またぐいぐいと召喚状が押し付けられた。私はそこに書かれた文字を目で追いかけていく。文字は両親から教えられていたこともあり、抵抗なく文面を声に出して読んだ。
「お、王命にて…推定18歳前後の金髪に紫眼の孤児の娘は…王城にて王と謁見を行い…王女の証を示せ…?」
「左様でございます」
「証なんて…わたしはただの傭兵だと言っているではありませんか。…お父様、お母様からも言ってください」
団長である父と、それを支える強い母に縋り付くと、2人は首を振った。
「王命には逆らえんよ。確かにワシはお前がどこの誰かを知らん。流れの男に渡された幼児がお前だ。姫だったのかもしれん。その頃のお前は余程怖い目にあったのか、言葉を忘れておったゆえ何も聞き出せなかったしな…しかし、今のお前を見るに、これほど傭兵業の似合う女が王女にはなりえんだろうから、暫く遊んでくるつもりで城へ行って来なさい」
「そ、そんな…」
父は渋い顔で頷き、母は朗らかに手を振った。
「お母さん、アビゲイルが大金稼いで帰ってきてくれたらそれだけで満足」
「ちょちょっ!団長!姫がいなくなったら士気に関わります!」
「その間の活動資金については国で負担してくれるらしいからな。当分休みだよ、休み」
フランが抵抗すると、父はほら、と背後の金塊の山を指差した。
「えっ、休み…」
「暫く旅でもして来い、フラン」
「旅…」
フランの目が遠くを見つめた。
「海…水平線…」
「これほど美しい幼馴染より見たことないただの海とは嘆かわしいな、フランよ」
前々から旅に出たい、海に行きたいと言っていたフランがその誘惑に抗うとは思えなかった。私が溜息を吐き出すも、フランは明後日の方向を見た。
「私のような候補者は他にもいるのでしょうか」
「山ほどおります」
役人は当然のようにそう答えた。
「違うと分かれば直ぐにお返ししますので」
「…承知した、逆らって反逆者扱いされるのは最も損をする結末だと判断する」
私は渋々頷き、役人に言われるがまま馬車に乗り込んだ。
「姫ー!早く帰って来いよォ!」
「待ってっからなぁ!」
仲間の傭兵達が外まで追いかけてきてそう叫んだ。馬車が走り出した瞬間、宿からフランが飛び出し、走って追いかける。
「アビゲイル!3ヶ月以内に帰ってきたら飯奢る!それ以上かかったらお前持ちだ!死ぬほど食わせろ!全員分だぞ!」
「乗った。お前が負けたら私の推薦図書も読め」
「乗った!」
私は馬車の窓から身を乗り出して答え、フランはサムズアップで了承した。
ーーーーーーーーーーーー
そして3ヶ月が経った。
一様に明るい金髪、薄い紫の瞳を持った推定18歳の孤児が、妃に本当の娘の如く甘えていた。
「おかあさま〜、ここ、とっても懐かしく感じますわ〜、エメラインはここを覚えております!ほらここに…やっぱり!昔と同じですわ、この花とても懐かしい」
「わたくしも覚えていましてよ!」
「もちろん私も!ああ!お母様、またアイリスの花が見たいですう〜」
3ヶ月前までは同じような見た目の娘が18人もいた。しかし共に生活を送る中で、金髪だった髪は鬘だったとか、目を紫にしようと目に絵の具を入れて失明する事件が発生したり、そもそも孤児ではないことがわかったり、と次々と脱落者が発生した。今では私も含め4人にまで絞られたのだが、この光景は3ヶ月前から全く変わっていない。
全員がエメラインとしてここで生活していたという記憶を、お妃様に披露しているのだ。全員の記憶が奇妙なほど一致しているのだが。
「貴女はどうかしら?」
「全く記憶にございません」
私は頭を下げてそう言った。
お妃様がなにかを持ってきたり、どこかへ連れて行って「覚えているかしら?」と訊ねるたびに私は素直に覚えていないと答えるが、一向に選考漏れする気配がない。全て覚えているという他の王女候補たちとはまるで態度が違うのだが。
「こんなところにいつまでもいても、何かを思い出すことはありません。知らないのですから」
私はそう毒付いた。
3ヶ月という月日は、私にはあまりにも長かった。王女ではないと言っているのに、これからのためだからと面白くない淑女教育を受けさせられ、王や妃からの息がつまる問答を日が暮れるまで。そして候補者同士の馬鹿馬鹿しい足の引っ張り合い、信じがたい嫌がらせ。そもそもドレスが嫌い。こんな生活はうんざりだ。
「貴女は正直者ね」
「私はいつも嘘を吐きません。失礼します」
私は踵を返した。
長いドレスの裾を蹴り上げながら廊下を歩き、歩きにくいピンヒールのパンプスを蹴りとともに足先から飛ばした。パンプスは勢いよく廊下の隅へと消えた。
与えられた広い自室に入り、ドレスの背中のボタンを外していく。なんて外しにくい衣装なんだ。こんなの一分一秒を争う傭兵の世界では許されない。なんとか脱ぎ捨てて、窮屈なコルセットを外してようやく深呼吸。そして最後に綺麗に結い上げられた巻髪を解いた。馬鹿馬鹿しい服に無駄に手間暇のかかった髪型なんて耐えられない。
本当に何もかもが馬鹿馬鹿しい。飾り立てられても、私は私だ。アビゲイルだ。私は傭兵だ。王女ではない。ここにエメライン王女はいない。この王女然とした格好はアビゲイルの美しさを損なっている。私は傭兵だからこそ美しい。
城にいる女なら絶対に履かないパンツにブラウスを合わせる普段着に着替え終わると私は息を吐き出した。
「帰りたい…」
親やフランを思い出しては辛くなる。帰りたくてたまらない。大人しくしていたがもう我慢の限界だ。
「アビゲイル様」
「ああ、どうぞ」
扉がノックされた。私の言葉に合わせて扉が開かれ、入ってきた侍女がギョッとした顔で私を見る。
「また脱いでしまわれたのですね」
私は自分にはこの格好の方が似合っていると思うが、侍女はそう思わないらしい。責めるような目線から目を背ける。
「夕食は別にしてほしいと伝えてくれ」
「そうは参りません」
「ではこの格好でも認めてくれ。あのコルセットでは食事もままならない」
「淑女とはそういうものです」
「嫌だ、もう我慢ならない。明日は教育を受けない。私はどう考えても王女ではない!」
ひざ下までのブーツに足を突っ込み、私はイライラしながら剣を腰に下げた。
「陛下の前では帯剣禁止です」
「…すまない、貴女に怒っても仕方がないのに。許してくれ」
私は激昂したことを侍女に詫び、剣を外して寝台の隣に立てかけた。八つ当たりなんて最も美しくない。侍女は小さく頷いただけだったが、それは謝罪を受け入れるということだと私は受け取った。
「だが、いつになったら解放してもらえるのだろうか?」
「私からはお答えいたしかねます」
「…そうか。陛下はもう誰が本物か分かっていらっしゃるのか?」
「お答えいたしかねます」
「それもそうか」
私はそれっきり黙って、彼女の後ろを付いていった。
夕食は王様、お妃様、そして王子と同席し、そこで王女としてのマナーを披露することになっている。他の孤児たちはどうやらマナーをどこかでしっかり学んできたらしく、すでにどこにだしても恥ずかしくない出来なのだが、私は違う。
「また恥ずかしい格好」
くすくすと王女候補達が笑った。ドレスを着ないだけで笑われるのはもう慣れた。でも馬鹿馬鹿しくて着ていられない。ドレスなんて着なくても一番美しいのはこの私だ。あの華奢すぎる作りでは、筋肉に力を込めればボタンが飛ぶのもいただけない。
「野蛮な傭兵だという噂は本当なのではありませんこと?」
「人を殺したり、街を破壊したとか」
「略奪をするならず者だと聞きましたわ!そういう方が王女なはずがありませんわ」
私は黙って席に着いた。
忍笑いをしていた王女候補達は、まるで告げ口のようにそう言い募る。
「マナーもお分かりにならないようですし」
私の格好を一瞥し、王女候補は嘲笑った。
「確かに私は傭兵です。それを隠すつもりはありません。良識ある傭兵団として誇りを持っておりますので、我々は戦いはしますが略奪のような無秩序な行動はいたしませぬ。そのような輩は私が直々に処罰します」
私が冷静に答えるとヒッ、と小さく悲鳴が上がった。私はぐるりと彼女らを見回す。
「しかし、貴女方はどこでこのような上流階級のマナーを身につけたのですか。私の知る一般庶民の所作とは随分勝手が違いますのに、誰も戸惑いませんから」
私は王女候補の一人に向かってそう尋ねた。王子が面白そうに身を乗り出し、王女候補は一瞬たじろぐ。
「こっ、このくらい、王女ならできて当然ですわ!」
「王女は一人しかいないのに、私以外の皆様方はまるで生来のものとばかり、礼儀作法を弁えていらっしゃる。なんとも不思議。ご教授頂けますかな」
「何が言いたいのよっ!」
「純粋に不思議だっただけです。孤児だがどこかの貴族に囲われて教育されていたのではないか、とか」
私は全員を見まわした。一人一人を鋭い目つきで睨みつける。
王女候補達は顔色をさっと青くさせた。
「それじゃあ君は、彼女達は本物ではない、自分こそが本物だと?」
明るい金髪に紫の瞳をした、私ほどではないが常人から見れば十分以上に美しい王子が私にそう問いかけた。私は首を横に振り、目を伏せる。
「いいえ。私は先ほど指摘された通り野蛮な傭兵業の娘です。王女ではありません」
「王女ではない証明は?」
「王女である証明ができないことが証明です」
「だが君の生い立ちや容姿は王女の条件に合致する。顔立ちも若い頃の父そっくりだ。その鬱陶しい性格も似ている。王女である証明ができないということは、王女ではないという証明もできないということだろう」
王子がそう言うと、王女候補達が気色ばんだ。
「し、しかし!彼女はいかなる記憶も持ち合わせていないと言うのですよ?!」
「攫われた当時はたったの3歳、何も覚えていなくても仕方ないとは思わないか?」
「私たちの記憶が嘘だと仰るのですか!」
「全員が同じ思い出があるなんて、嘘臭いに決まっているだろうが」
王子がそう吐き捨てると、王女候補達の表情は強張る。王子は全員を一瞥し、同じように儚げな美少女である王女候補たちを鼻で笑った。
「殿下は私を行方知れずのエメライン王女だとお考えなのですか」
「君をそうじゃないと言い切るほどの証拠もない、彼女たちを本物だと言い切る証拠もない。それ以上でもそれ以下でもない」
「確定要素がないからこの選考を終了することもできないと、そういうことですね」
「俺は誰も妹ではないことを望むがな。妹は死んだのだ」
王子はそう言い捨てて、席を立った。
私は何事もなかったかのように食事を始めた。王女候補たちは一様に顔を青くし、全く食事に手をつけない。彼女たちの視線は私に注がれていた。
完全に敵に回したようだった。
王妃は何も言わずただ黙って成り行きを見守っていた。
出された食事を完食したのはわたしだけだった。食べられる時にもりもり食べるのは当たり前のことだし、城の食事は居心地はともかく味は最高だ。出された量以上に要求するのはマナー違反だと初日にこっぴどく叱られたから、おかわりは我慢する。ともすれば運動不足になる今の環境では食べ過ぎも良くない。私の計算された曲線美が崩れる。
その夜、私の部屋には鮮血が降り注いだ。
差し向けられた刺客を拷問する前に殺してしまったのは腕の鈍った私の落ち度だが、自分の命には変えられない。どの王女候補の差し金か、あるいは王子やその他の貴族によるものか、今の私には判断材料がない。
「アビゲイル様!ご無事ですか!」
「ああ、問題ない。済まないが水と布を貰えるだろうか。…出してくれていたドレスを汚してしまった」
「ご無事で何よりです。見張りの兵は殺されておりましたから…ドレスは交換致します」
侍女は部屋の中の惨状を見てふらついた。年若い女性に見せられるような光景ではない。私がそれなりに苦戦を強いられるほど強い相手だった。腕やら爪先といった肉片が部屋に散らばっている。まさか腕を落としてもナイフを咥えて立ち向かってくるとは思わなかった。あんなに覚悟の決まった男を私は知らない。傭兵は自分の命が最優先だ。
私は剣を片手に握ったまま、侍女の背を押して部屋の外へ連れ出した。
「あんな強そうな男を…」
侍女の手が震えた。
「私は戦士だ。このくらいの奇襲は慣れている」
「ですが貴女はじょ、女性、です。それどころか、この国の姫様かもしれないのですよ…?」
「問題ない、王女ではなくただの美麗な戦士なのだから」
私はそう言って、侍女の肩を突き放した。
「そう自分に言い聞かせねば、こんなこと…耐えられないのでしょう」
「女性らしく怖がっていたら今ここに転がっているのは彼ではなく私だっただろうな。さぞ美しい死体だっただろうに」
侍女は震えながら私に向けてそう言った。私は苦笑しながら返す。こんなふうに育ってきたのに今更何を耐えられないのか。私はただ、教えられた通りにしただけだ。私は強くて美しい、そしてそんな自分が大好きだ。何も知らない人に非難される筋合いはない。私の生き方は私が決める。
バタバタと複数の足音が響き、松明の灯りが廊下を満たす。寝間着のままの王子と、王女候補たち、そして兵士が複数名慌ててこちらへ向かってくるところだった。
「彼女の手当てを!」
「不要です。これは返り血です」
王子が叫んだ瞬間、私は静かにそう答えた。実際私は怪我はしていない。
「中に侵入した男の死体があります。申し訳ない、実力不足で尋問の前に殺してしまいましたが」
「それなら男の持ち物を見れば何かわかるかもしれない」
「恐れながら、警戒されていたのか、暗殺道具以外は何も持っておりませんでした。ナイフと毒を少し。少し変わった形状のナイフだったので、出所を洗えば何かわかるかもしれません。私の記憶が正しければ、西方の国で使われているものです。しかし毒の方は独特の色と粘り方から北の国のものと見て間違いありません。自殺用に仕入れたのでしょう。西の国で北の国とも取引のある組織といえば限られます」
「…流石だな」
王子が顎を撫でた。私は自分の部屋の扉を開く。王女候補たちが血を見て貧血を起こし、侍女が慌てて介抱に向かった。王子は戦争で慣れているのか、私の部屋に入り、冷静に刺客の顔を見つめ、ナイフを回収した。
「ふむ」
「何かわかりますか」
「こいつは有名な殺し屋だ。これ程の男を…」
「この程度であれば問題ありません」
「俺より強そうだな、お前」
「はい。私は強く美しいことで名を馳せた紅蓮の傭兵姫。手合わせ頂ければ確認可能かと」
「妹かもしれない女とやり合う趣味はない」
王子は咳払いをした。
「お前が妹でなければ模擬戦をしても良いが、ムカつくから顔に一撃入れてやる」
「ご要望いただき光栄ですが、この美しさを損なうのは死よりも辛く、顔を狙った攻撃は許容せず、その場合に限り私は王子であろうと容赦なくぶち殺しますので」
「気持ち悪いなお前」
「失礼しました」
私は謝り、一歩下がった。
「悪魔よ…!剣なんて握って、男を殺したわ…!なんて恐ろしいの!」
王女候補の一人がそう叫んだ。
「人殺しよ!」
呼応するように他の王女たちが騒ぎ出す。侍女が止めようとしても全く聞かない。騒ぎを聞きつけ、侍従たちまでもが廊下に集まり始めた。
「何を言われても答えるな。俺の後ろにいろ」
「はっ、承知致しました」
王子に低い声で指示をされ、私は小声で答えた。剣と王子に手渡されたナイフを両手にぶら下げ、私は王子の後ろで目を伏せる。
「そもそもこの刺客たちも彼女が引き入れたのではなくて?!私たちを殺して自分が王女に成り代わろうとしているのだわ!」
「そうよ、そうとしか考えられないわ」
王女候補たちが喚く。
「彼女の部屋にも刺客が差し向けられたのにか?彼女の部屋の前には見張りが首を切られ、隣の部屋で控えているはずの侍女も何らかの用事で連れ出されているほどの念の入れ方だったのにか?」
「自作自演でしょう!」
「ではあの刺客は何故死んでいる」
「か、彼女が殺したのでしょう」
「彼女が引き入れたのではなかったのか?」
王子の言葉に王女候補達は言い返すことはなかった。
「殿下、失礼する」
「な」
私は王子を押し退けて、風を切る音と一緒に飛んできたナイフを剣で打ち払う。こちらが代わりに暗殺者のナイフを投擲。ギャァ!と派手な悲鳴が聞こえた。剣を片手に持ったまま声のする方へ走る。勢いそのまま、肩にナイフが刺さったままの黒衣の男を膝で蹴り倒し、首を足で踏みつけた。
「助かったよ。1人でも生け捕りにできれば面目が立つ。その毒は使わせん」
毒の瓶を取り出した手を剣で貫く。男は悲鳴を上げ、痛みで失神した。私は男の懐を探る。手練れは荷物を持っていなかったのに対し、彼は手紙を持っていた。押された封蝋の模様は、王女候補のうちの1人の後援をしている貴族のものだった。あとは刺客が口を割れば犯人が確定するだろう。
慌てて王子達と兵士達が私を追いかけ、取り囲む。
「殺したのか?」
「いいえ。治療してやれば大丈夫です。頼んで良いか?」
王子に答え、兵士に男を引き渡す。王女達は最早恐怖で動くこともできないらしい。
少なくとも王族から差し向けられた刺客ではないことが分かった以上、王子は信用できる。私は回収した手紙を王子にさりげなく手渡した。王子はそれをちらりと見て、頷く。
「…茶番を終わらせねばならないな」
王子は不安気に怯える王女候補たちを見回した。
「他にも暗殺者が潜んでいるやもしれぬ。今日は集まって休もう。アビゲイル殿がいるから大丈夫だ。安心せよ」
王子の言葉で、寝間着のまま全員がサロンへ避難することとなった。王女候補達は血の気が失せて蒼白状態のまま黙り込んでいた。私は欠伸を零して、鞘に収めた剣を抱き抱えて座ったまま眠っていいものか悩んでいた。正直全然寝られるが、どうもこの部屋の空気を真面目に読むと寝てはならないらしい。暗殺者が出れば殺気で目が覚めるが、王女候補達の視線が痛い。
そしてよくよく聞けば、王女候補たちそれぞれ全員の部屋に刺客が送り込まれたらしい。しかしいずれも見張りに見つかると逃げ出したとのことだった。踏み込まれたのは私の部屋だけだったし、追撃を確実に私を狙っていた。少し照準がズレて王子に当たるところであったが。
明らかに私だけが狙われていた。
そして、私以外の王女全員が刺客に狙われて困ったのお母さまお父さまーを後々やるつもりのようだった。
「皆さん、大丈夫でしたか?」
そこに寝間着のままの王妃が王子に伴われてゆったりとした足取りで現れ、私たちを見回してそう言った。
「アビゲイル殿の部屋へ手練れの刺客が送り込まれましたが、自力で撃退していましたよ、母上」
「まあ、勇ましいわね、アビゲイルさん」
王子が欠伸を噛み殺しながらそう言うと、王妃は微笑んだ。
「眠れないかと思って、子守唄を歌いに来たのよ」
「母上、寝台もないのにどうやって眠れと」
「あら、それは考えていなかったわ…でも、歌を聞くだけで心は落ち着くはずよ」
はあ、と王子は溜息を吐き出した。私は背中を椅子に預けたまま、ぼうっと宙を眺める。このまま徹夜でも構わないが、ほかの王女候補達はそういうわけにもいかないだろう。
蒼白のまま虚空を見つめる王女候補達を見渡し、王妃は微笑んで桃色の唇を開いた。
唇から漏れ出したのは、嫋やかで優しい旋律だった。高い声よりも低い音を、緩やかなテンポで落ち着く声。
(懐かしい)
この声、この音楽。
聞いたことがある。
私は王妃の歌に合わせて、小さく鼻歌を漏らした。
他の王女候補達は落ち着いたのかうとうととし始め、やがて全員がソファや椅子の上で目を閉じた。私だけが妙な興奮状態で寝付けず、王妃を見つめていた。
「アビゲイルさんはこれでは眠れないかしら」
「その、…その曲、有名なものでしょうか…?」
「これは私が作った歌なのだけど、外では歌ったことがないから有名とは言い難いわね」
「そ、うでしたか…」
私の勘違いだろうか。
私は首を傾げ、目をこすった。
「アビゲイルさん、お見せしたいものがあるの。付いてきてくださるかしら」
「はい、もちろんです」
立ち上がり、妃が歩く後ろをゆっくりと歩いていく。血で汚れた靴が足跡を残した。
王妃の足は、王族の部屋へと向かっていた。王子の部屋を通り過ぎ、最初に「昔のあなたの部屋よ」と通された部屋も過ぎていく。
廊下の端の部屋に、私は通された。
そこには小さな赤ちゃん用の寝台と、その寝台に据え付けられた金色の飾りが月の光に照らされていた。天井には神話の神々が描かれている。
「金」
目の前が激しくチカチカした。
明転、暗転を繰り返し、私は膝から崩れ落ちる。
金の細い棒からつりさがる真珠にサファイア、エメラルド。風に揺れて月の光を優しく反射し、私の瞳を光が撃ち抜いた。見上げた光景はあの日のまま。
ああ、覚えている。
私は、ここを、この部屋を、この光景を確かに覚えている。
ここで誰かが私に手を差し伸べてくれた。誰かが私に子守唄を歌った。
覚えている。
私は昔ここにいた。ここで眠っていた。
私はここにいた。
「ああ…嘘だ…有り得ない…こんなことがあって良いはずがない…私は傭兵…『紅蓮の傭兵姫』なのに…」
涙が込み上げて、私は息を詰まらせた。
覚えている。ここがどこだか知っている。
「前に見せた部屋や庭園は全て、貴女が居なくなってから模様替えしたのよ。だから貴女が知っているはずがないの。知らないと言った貴女が正解なのよ」
「そんな、ならどうして」
「貴女が指摘した通り、彼女達は貴族に差し向けられた娘だから、無下にできなかったの。もう少し泳がせたかったけれど、暗殺者を差し向けるなんて。許せないわね」
王妃はくすくす笑った。
私は呼吸を整えて、王妃の手を借りて起き上がる。足が震えて仕方ない。王妃に椅子に座るように勧められ、私は浅く腰掛けた。
「おかえりなさい、エメライン」
「おかあさま…とお呼びしても宜しいのでしょうか、この私が…信じられない…ここを覚えていることも、私の出自も…傭兵として生きていたのに…」
傭兵の娘が、この国の母を、おかあさまと呼んでも良いのだろうか。
「もちろんそう呼んでくれると嬉しいわ」
「お母様、お母様…!」
私は信じられない気持ちのまま、そう呼んだ。口に出して仕舞えば、それはしっくりきた。
なにもかも信じられないまま、私は泣いた。
泣き疲れてお母様と2人で眠りに落ちた。私は久しぶりにぐっすりと眠り、朝になってすぐに謁見に呼ばれた。
私は母に言われるがまま、美しいドレスに着替えた。母が昔着ていたドレスを仕立て直した一級品のものだった。
そして母のエスコートで、私は謁見の間へ向かった。
固く閉ざされた扉の前で、私は緊張していた。隣で微笑むお母様に、私は緊張を隠せないまま微笑み返す。
「貴女のお父様とお兄様に会うだけよ、家族として」
「ですが、私は…」
「難しいのは解るわ。お母様に任せなさい」
「はい」
私は俯いて、息を吸った。
「エメライン王女でございます!」
侍従が謁見の間に向かって大きな声で叫び、扉が開かれる。
謁見の間には、既に身支度を整えた王女候補達がおり、王子も座していた。王女候補達は目を見開いて私を見つめていた。
「陛下、私たちの娘を連れて参りました。エメライン、挨拶を」
お母様が優雅に礼をし、私を紹介した。私は緊張しながら、練習した通りスカートを摘む。
「お、おとう、さま、エメラインでございます。長く城を空け、一市民として、私は外の世界を見て参りました。この経験をお父様の、そしてこの国のために役立てて参ります」
「よく無事で戻った。美しいエメライン、長くお前を探し出せなかったこと、大変申し訳なく思う。これからは父として、家族として、お前を守ろう」
父は両手を広げて迎えてくれた。
私はまた泣き出しそうになりながら、頭を下げる。兄の王子は一度素っ気なく頷いただけだった。
卒倒しそうなほど真っ青になっている王女候補達に、母は微笑んだ。
「ごめんなさいね、みなさん。昨日分かってしまったの。そういうことなの」
「わ、わたしは」
1人が震える声を振り絞る。
「わたしは、覚えているのですよ…?王女だった、記憶…お伝えした通り、わたしは、」
「部屋の玩具や庭の花を?」
「はい…」
母は殊更優しく微笑んだ。
「あれはエメラインが連れ去られてから全て取り替えたのよ。本当のエメラインなら覚えているはずがないの」
「そんな…!聞いていた話と違……あ」
王女候補は息を飲んだ。
全員が顔を見合わせていた。
「みんな同じように私が貴族にばらまいた嘘の記憶を覚えているんだもの、笑ってしまいそうだったわ」
王妃の心底意地の悪い笑顔に、全員が卒倒しそうになっていた。
「私たちの15年の苦しみを貴方たちは踏み躙ろうとしたのよ。許されることだと思っているの?」
王妃の目の笑っていない笑顔に、1人が腰を抜かした。他の王女候補は二歩、三歩と後退り、ついにはくるりと後ろを向いて走って去って行った。それを見るや否や、腰を抜かした候補以外は同じように我先にと走り去って行った。
「追いかけなくて結構よ。どうせ差し向けた貴族が生かしちゃおかないわ」
王妃は冷酷にそう言い、追いかけようとした兵士を制した。
腰を抜かした令嬢は今や卒倒しそうになっており、兵士達に取り囲まれて両腕を拘束された。
茶番のようなエメライン帰還の謁見が終わり、私たち家族は改めて大きな部屋で、全員が居心地の良いソファに座って話しを始めた。
私が傭兵として育ったこと。
傭兵団を心から愛していること。
王族に馴染めるとは思っていないこと。
両親は私の傭兵としての所業に顔を顰めはしたものの、咎めるでもなく、傭兵団を国の兵士の一団として迎えることを提案した。
姫が率いる特別な部隊としての提案であった。
それは紛れもなく名誉であったし、今までと然程変わらない活躍も約束された。そして何より、莫大な報酬が見込めるものだった。さらに、私が戦場に出ることを許されているということも大きな利点だった。
後々知ることとなるが、国王の跡を継ぐ兄に戦争の才がなく、その穴を埋める形で私は都合が良かったらしい。政治を兄に、戦争を妹に。完璧な役割分担だった。
「で、誰が本当に死ぬほどお前の奢りで飯食わせろって言ったか?」
「私の幼馴染のフランというやつかな」
「言ってねえだろ。帰ってこいって言っただけだ」
「期日をほんの数日過ぎたのでな」
私は迎えに来た、やけに日焼けしたフランをにこにこと見つめた。
呼び寄せた団員達には城のシェフを総出で調理にあたらせ、普段以上に贅沢な食事を提供している最中だ。育ての両親には、これまで育ててくれた恩を感謝し、相応の金塊が王から贈られた。
幼馴染のフランは何もかも別枠だ。十分食事を摂ったと判断したところで別室に連れ込んで甘いケーキをご馳走した。フランは素直にもぐもぐと口に詰め込んだ上で、私のドレス姿をジロジロ眺める。
「……びっくりしたけど似合ってるよ、アビゲイル。…違うか、エメライン姫」
「詩的な表現には程遠い。本を読め。私の美しさを讃えるにその表現は弱すぎる。そして、お前にはエメラインではなくアビゲイルと呼んでほしい」
私は過去一番優しい笑顔を浮かべた。
「お願いがある。しかし断るなら王命とする。それでも断ったら殺す」
「こんな理不尽があってたまるか」
私が浮かべられる限りの清らかな笑顔を浮かべ、フランは顔色を悪くしていく。断らせるつもりはない。
「私の執事になってくれ」
「嫌だ。あ、やべ、殺される」
「そういうことだ。お前はこれから私の執事だ。お前しか頼れん。頼む。私に他に頼れる友達がいると思うか?断るなよ。一番信用できるのは共に育ってきたお前しかいないのだから」
「執事なんか誰でもいいだろ」
「そういうわけにもいかない。お前が居ない人生など退屈で退屈で辛抱できん。そしてこれから周りには確実に相性の悪い『お綺麗なお貴族様』しかいないんだ。メンタルが終わる。お前にケアしてもらうしかない」
「俺もダメそうなんだけど」
断られたら孤独に死ぬ可能性が高い。何を言われてもフランは側に置いておく。お貴族様ばかりの生活を耐え切るには道連れが必要だ。
「失礼します」
「ああ、待っていた」
ヘアキャップで髪を隠した侍女が部屋に入る。むすっとむくれた顔の侍女は、紫の瞳でフランを値踏みするように上から下まで睨め付ける。
「これが?」
彼女は腕を組んでフランを格下と結論づけた。
「あぁ?」
ところでフランは私に踏みつけられているからこそ温厚に見えるが本当のところはとんでもなく乱暴な男である。立ち上がって侍女を見下ろしたところで、私はフランのシャツを引っ張って椅子に座らせた。侍女はびくりと震えて私の後ろに引っ込む。
「フラン、こちらはフィリア。私の侍女兼影武者。フィリア、こちらはフラン、私の幼馴染で執事だ」
私は2人をお互いに紹介した。2人は威嚇しながら見つめ合う。
フィリアは見ての通り、あの日腰を抜かした姫候補のうちの1人だった。殺させるには可哀想だから影武者として引き取った。フィリアはそれ以来、一応上司として敬ってくれてはいるし、礼儀作法を教えてくれる貴重な存在である。さらに影武者も勤められる優秀な人材だ。社交界には彼女を差し出す。
フィリアはフィリアで、彼女を育ててきた貴族の家に帰ることはできない。殺されるのが目に見えているからだ。さらにその家こそがあの日暗殺を企てた家であり、これから罪を糾弾されて家ごと潰れていくだろう。フィリアはそれを理解していて、私に仕えるほうが余程生き残れると考えた上で侍女を引き受けた。
「……今すぐとは言わないから、ゆくゆく仲良くしてくれ」
私は睨み合う2人を眺めて諦めたように笑った。