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7章 美の血園

「最後の食事はいかがでしたか?」


 寒々しかった。床の大理石も壁の壁画も天井も柱すらも全て無色か白に統一されている。ここは―――謁見の間だった。


 中央を真っ直ぐに鮮やかな赤の絨毯が引かれている。どういう訳か、今も踏み付けている絨毯が動脈を想像させた。だけど、これは俺の目に異常があるのか、この部屋全体が全てぼやけている。霞がかかっている気もした。


「もう少し塩が欲しかった」


「シオ?」


 聞き返してきたのは、赤い玉座に座った女性。


 顔は見えなかった。何故だかわからないが、口元を晒した赤い仮面を被っていた。


「シオ、ですか――――ああ、塩ですか!!ふふ、私は食事という高度な文化を楽しむ事が出来ないので、羨ましく思っていたんですよ」


 彼女の後ろも赤いカーテンで隠されていた。彼女の周りだけが赤いので、尚更彼女は特別な存在だと、克明に訴えかけているようだった。


「ここには食べ物はないのか?」


「まぁ、必要ないですから」


 自分の事だというのに、まるで他人事、興味すらないと言わんばかりだった。


「俺は‥‥どうなったか、知ってる?」


「気になりますか?ふふふ‥‥」


「質問で質問を返すのは如何なものかと?」


「あ、そうですね。ふふ、その通りですね」


 上品な笑い方だった。彼女が笑う度に髪が揺れ、髪を飾っている金や宝石と思われる物が煌びやかに輝く―――そこでようやく違和感、髪の色に気が付いた。


 彼女が動く度に水紋のような寒色系の色が輝き、どこか鉱物の結晶や宇宙の色を思わせる髪色をしているのだとわかった。


「まさか私の方が先に叱られるとは、思いませんでした」


 少し幼さを感じる声だ。赤いドレスを身に纏っているので大人びて見えていたが、もしかしたらそこまで年齢差はないのかもしれない。


「では、お答えしますね。あなたは今無事に眠っています。大丈夫です、ちゃんと目が覚めますよ」


 目が覚める。そう言ってこそくれたが、目を塞がれていたとはいえ、確実に死に直結するレベルの血を奪われ、全ての内蔵を潰された。


 だからもう目覚めないと思っている。信じていい言葉なのだろうか。


「ただ、あなたは‥‥そうですね。あなた達の秤で言う所の1000ml程奪われたので、くすっ、顔が真っ白でしたよ」


「何が面白いんですか―――それで、どのくらいで目が覚めますか?」


「んー、私が満足したら、ですかね」


 強めに問い質したというのに、まるで意にも介さない。


「そう、ですか‥‥」


 ここはどこだ?、という質問をする気が起きない。そんな事を聞いても意味がない――もう興味もわかない。ただただ、付き合い切れない。


 気が付いた時には、自然と敬語になってしまっていた。高貴な出自なのか知らないが、そういった態度を取らねばならない、と本能と理性の左右が命令してきた。


 仮面を被っているのも自分が高貴だと理解しているからだろうか。親しくもない、一般の平民には顔も見せないという考えなのだろう。


「はい、満足したらですよ―――実は、あなたには常々言っておきたい事がありました。少しだけはしたない事も言うでしょうが、我慢して下さいね」


 玉座から立ち上がって、意気揚々と真っ赤なヒールで同じ位置に歩んできた。


「覚悟は良いですか?」


「その前に、少し足を上げ過ぎでは?」


「そこは‥‥私も慣れないので‥‥。うん、今度から練習しておきましょう!」


 仮面越しだが顔の白い肌に赤みを差しているのがわかる。そこで『仮面の方』は気取られない為、気丈な態度で構わずに押し通してきた。


「まず第1に―――あなたは弱過ぎる、何故ですか?」


 と、仰られた。


 やはりここは見た目通り声が反響してくるので、「あなたは弱過ぎる」が耳に何度も届く。そう言われて何も感じない訳ではない。


 だが、顔色こそ見えないが、言い終わった後に腰を曲げ顔を窺ってくる姿に、心底心配してくれているのだとわかった。


「あなたは三つもの遺物を取り込んでいる。それなのに何故?もっと力を引き出してもいいのに」


 訝しむような、心配するような声を出しながら、後ろ手に目線を外さずに周りをゆっくりと回り始めた。


「それは俺の体が追いつかないから、俺には‥‥この目も心臓も過ぎた物らしいです‥‥」


 右目を閉じて瞼の上から触る。遺物の意味はわからないが、きっとこの目と心臓の事なのだろう―――これを自由自在に使えれば彼女達の隣にいられる、そうわかっている。でも、今の俺では、全力の動きのネガイの縮地に全く敵わない。


 もしネガイと敵対したら、一瞬で絶命する。


「それは変ですね。だって、その為に私がここに火を与えたのに」


「え‥‥」


 仮面の方が俺の左胸、心臓の上に手を押し付けていた。今さっきまで後ろにいた筈だ。気配だって見失ってなかった。なのに――――、


「失礼しますね」


 また心臓を握られた。だがマトイの比ではない。完全に手が体にめり込んだ。


「ほら、ほらほら。あるじゃないですか?なぜ、これを使わないの?これを使えばもう少し」


 非現実的な光景に、身体が反応出来ない。だというのに痛みや苦しみは確実に脳髄を掴み取っていた。それだけではない―――心臓に神経があるかどうかなんて知らないが、遠慮なしに心臓を握って離してを繰り返しているのがわかる。


 立っていられない。だけど心臓を掴まれているから倒れるこそさえ出来ない。


「ん?どうしました。顔色が‥‥?」


 不思議そうな声で聞いてくる、だけどこの状況で会話なんて出来る訳がない―――混乱を無視して、早くやめさせようと腕を掴むと、『仮面の方』は軽く悲鳴をあげて腕を体から急いで引き抜いた。


 線が切れ、跪くように絨毯に膝を突く。四つん這いで耐え忍ぶが、狂ってしまう不快感に、未だ抜け出せなでいた。


 肺が言う事を聞かない、息が整わない、肺が膨らまわない。喉だけで空気を通した所で我に返り、急いで自分で自分の左胸を手を当てて確認するが―――何もない。


「大丈夫ですか?でもあなたも悪いんですよ、急に腕を掴むなんて‥‥マナーがなってません」


 『仮面の方』は、おかしいのはこちらだと言うように、心配そうに、しゃがんで頭に手を乗せてくる。まるで罪悪感など持ち合わせていないのが、声でわかった。


 ただ肩を叩いた程度の感覚でしかない。


「今後‥‥心臓を、急に握ってはいけません‥‥」


「え、私、何か不躾な事を‥‥?」


 本当にわかってない―――いや、そもそも何故、この人を人だと思ったのか。


「人の体にとって心臓、ここの臓器は‥‥何にも代え難い存在です。二度と許可もなしに、触らないように‥‥」


 右手で左胸を抑えながら、零れ出そうな心臓に耐えながら立ち上がる。見た目こそ人だが、この人は、あまりにも人から逸脱していた。


「そ、それは申し訳ありませんでした!今後気をつけ、二度とないようにします!こちらをどうぞっ!」


 手を上げて何かを呼ぶような動作をした。後ろに誰かいるのか?と思ったが、振動は床からやって来た。


 絨毯下の大理石がせり上がり、絨毯ごと持ち上げられ丸いベットの形となった。


「こちらで休んで下さい。私も色々と初めてで舞い上がっていたようです」


「あ、ありがとうございます」


「いいえ、ごめんなさい。私ももっとあなたの事を知っておくべきでした」


 『仮面の方』の足元もせり上がり、肘掛け付きの椅子に姿を変えそのまま座る。


「では続けますね。でも寝ないで下さい、あなたはよく眠ると知っていますので」


 決して曲がらない人だった。


 そしてよくよく俺はベット、更に言えば睡眠に縁があるらしい。


 この―――恐らくは夢の世界でもベットの上なのだから‥‥眠くなってきた。もうここで、何もかも夢であったと思い込み、微睡んでしまおうか、


「第2にです。あなたは人を恐れ過ぎです。特にあの二人はそんなに怖いですか?」


 そんな事は許さないと――――『仮面の方』は、ただの言葉で心を抉ってきた。


「だったら、どうしろと。俺に何を信じろと?ネガイもマトイも‥‥俺を」


 あのふたりの間に、一体どのような取り決めがあったのか、想像もできない。想像することさえしたくない―――あの殺し方に、意味などそもそもあったのだろうか。


「怖かったですか?あの二人は」


 目を閉じると、今も思い出す。


 マトイの手が、身体の中を切り裂いた。ネガイの手よって血を奪われ、眼球を砕かれた。好きだった手が、今はただただ恐ろしい。


「ネガイ、マトイ―――」


 体から何かが―――口元に上がってきた。


 急いで跳ね起きて口元を抑えて飲み込もうとするが、留まる事を知らない汚物が喉にせり上がってくる。考えないように、もう思い出さないようにと頭に念じるが、その度に鮮明に頭に浮かび上がる。


 二人に取り押さえられて二人に殺された。あっさりと、作業みたいになんの感慨もなさそうに。単調に―――感情などない、うるさいから黙らせた。静かにさせる為に殺した――――舌と歯を越えてしまえば、何もかもが噴き出てしまう。


「ごめんなさい。ここには水も無いので、でも吐く事は出来ます」


 銀で出来た痰壷のような物がベットの枕元に出現した。初対面の人の前で吐く姿を見せるのは憚れるが、もう止まらない。


 急いで掴みとり抱えて全て吐き捨てる。声を抑えられない、恥も外部も捨てて泣きながら吐いてしまう。


「俺は‥‥俺の所為なのか。なんで俺なんだよ‥‥。ネガイ‥‥マトイ、なんで、殺した‥‥お前達は―――特別だったのに‥‥」


 次使えば死ぬと言われても、きっと求められれば目を使ってしまう。俺はあの二人が―――だった。死ぬのは怖い、でもあの二人がいなくなるのは死ぬよりも怖い。


 だけど、今は何よりもあの二人が怖い。


 またあのやり方で殺されると思うと、もう会えなかった。


「‥‥第3に行く前に、あなたは、まだあの二人を、人間が好きですか?」


「わからない。俺は、もう―――」


 何も考えたくない、考えられない。俺の体はまだ生きているらしいが、心は死んでしまった。もうここで眠ってしまいたい。


 目が覚めて、俺はあの二人とどう顔を合わせればいい。また俺はあの二人に殺されるのか?—―――嫌だ。あんな殺され方、もう目で追う事さえ出来ない。


「第3に‥‥あなたはどうなりたいですか?」


「もう、どうでもいい‥‥目を眠らせるも支配するも、もうどうでもいい。ネガイにもマトイには、もう会えない―――ここで眠り続けます‥‥」


 吐くものがなくなり、壺を元の場所に置いたら吸い込まれるように消えていく。吐き疲れてしまい、急激な無気力感が襲ってくる。立ち上がる気さえ起きない。


「聞き方を変えます。あなたは知りたくないですか?」


 『仮面の方』が立ち上がって、赤いハンカチを渡してきた。一瞬迷ったが、上半身を起こして受け取ったハンカチで口元を拭う。


「何についてですか‥‥」


 ネガイとマトイの行動か?あの布の正体か?もう何も考えたくない。


「もうただの夢でいいんです。何も知らなければよかった―――期待しなければ良かった―――ただの人形止まりで、良かったのに‥‥」


 汚してしまったハンカチを、どこへ投げ捨てようか、そう考えていた時だった。


「これって‥‥」


 手に持っているハンカチが、目の前で溶けるように糸の一本一本がほつれて空気に消えていく。たった数秒の事だった。ついさっきまで手に持っていたハンカチが完全に消えた。跡形もなく。


「驚きましたか?これは魔に連なる力と呼ばれています」


「これは、あなた以外にも?」


「はい、私どころか、この力を行使する方々にとっては、基本中の基本です。これは元々は―――話すと長いので割愛しますが、間違いなく今のは人の術。これの扱いは、人間の方が長けていると思います」


 無自覚か自覚わからないが、この人は自分で私は人間ではないと言った。


 このベットとといい、椅子といい、何よりあの髪で人間ではないと嫌でも判断が出来た。何故この人は俺にこんな事を教えるのか?


 手を見つめてみる。今あった筈のハンカチの特性は―――マトイの言葉を信じるならば、あの布と同じだ。


 この人は何を知っている?俺に何を伝えようとしている?


「あなたは誰ですか?」


 疑問に思って当然の事柄。今の今まで何故聞かなかったのかと、我ながら不思議に思った質問、それを『仮面の方』に投げかけた。


「やっと聞いてくれましたね」


 途端、視界せかいが広がった。


「今あなたは自分以外の、ここでいう私に興味を示してくれました。ほら見てください霧が晴れていきませんか?」


 ぼやけていた謁見の間がハッキリと見えてくる。白一色の無機質な装飾だと思っていたが―――それは大いに違った。


「ふふん、悪くないでしょう?この場所は私の趣味でもあるのですよ♪」


 金や銀に白金が柱と壁を飾り、壁画を浮かび上がる。壁画には鮮やかな岩絵の具や宝石を散りばめられ、星に見立てて夜空が描かれていた。


 壁画近くに並び立つ石像群が荘厳であり、悠然と佇む。けれど、決して自分こそが謁見の間の主ではないと謳っているいるようだった。自らの主たる仮面の麗人の非尋常さを際立たせる、整い過ぎた調度品類が視界を覆い尽くした。


 そして絨毯も赤一色ではあるが金の糸で豪華に縁取りをされ、中央で等間隔に紋章のような刺繍が施され———床の大理石も、乳白色に見事に磨き上げられた菱形のブロック状。それぞれの繋ぎ目には、黒鉄で格子状に描かれ敷き詰められている。


「これは‥‥綺麗だ」


 心からの感想だった。どれ一つとっても人間業とは思えない至宝の数々。ただの人間の輪廻では永遠に触れられない――――真に捧げられた芸術達。


「ありがとうございます。でも1番は‥‥上を見て」


 言われるままに見上げた時、息を呑んでしまった。


 天井には宇宙があった。ただシャンデリアが下がった天井ではない、確かにそこには宇宙があった。


「私が、あらゆるソラを巡って手に入れた宝石を使って宇宙を表現しています。これが私の空です」


「だけど、あれは一体—―――本当に星が‥‥」


 天井の星々が衛星のように回り、彗星の如く流れていく。更に星々の奥にはどこまでも青くて黒い深宇宙が見える。


「宝石は特別な力を込めるのに最適な触媒です。あれらの力を借りて私はソラを作っています」


 完全に目を奪われた。


 ずっと眺めていれば天井に吸い込まれそうになる、だというのに目を逸らせない。


 自然とベットに寝転んで、この宇宙の全てを見てしまいたくなった。


「一つ一つでは大した事は無いのですが、私はあの宝石に宿っている力を血流に見立てて力を循環させています」


 一体幾つの輝石を使っているのか―――人間では決して観測も出来ない深宇宙の星々。それどころか今も輝く銀河も星雲も全て散りばめられた宝石だった。


 間違いなく砕いてなんていない、全て結晶の状態だ。


 千や億の宝石の数で河や雲を表現するなど、人間では不可能な手法だ。


「星々が己が光を地球に届かせるには、1番近い恒星でも大体1600日は時間が必要です。光は私と違ってのんびりなので、こうやって自分で宇宙を作り出すのが1番合理的ですね。お気に召しましたか?」


「はい‥‥。これは‥‥見た事がない」


 完全にソラに呑み込まれた、これは見ていい物なのか?もしかしたら俺は、もう人間の芸術では物足りなくなる程の存在と接触してしまったのではないか?自力でソラを作るなんて、誰でも思いつくだろうが―――実際にそれを行える者なんていない。


 これだけの空間を飾る宝石など、誰も用意すら出来ない。


「よかった‥‥。心配だったんですよ、あなたが一向に私にも興味を持たなくて。あのままではあなたは消えていました。ここはうつろいやすい場所にある気泡のようなもの。心を失った者はどんな存在にも観測されないので、どこまでも薄くなっていって最後には私でも視認できなくなります」


 人間離れした言葉だった。


 自分の頭では一部しか理解出来ないが、その一部が何より重要だった。


「じゃあ、ここがぼやけてたんじゃなくて‥‥」


「はい、あなたが薄かったのです。気づきませんでしたか?」


 後から言われると恐ろしい話だった。いや、意識が変わったのだろう。


 このベットで眠り続けたいと思っていたさっきまでなら、それを聞いても受け入れて消える事を望んだだろう。


 だけど、聞いてしまった今は――――消えるのが怖くて仕方ない。


「俺は、まだ消えません」


 仮面の方がハンカチで教えてくれた事を思い出す。そして布の事も。


「やっとあなたの顔を真っ直ぐに見れますね。これでちゃんとお話しが出来ます。でも座ったままでいいですよ。あなたの細部を私は見ていたいので」


「‥‥わかりました」


 やはり人間とは思えない。


 それを受け入れている自分がいるが、仕方ない。


 目の前に『この方』がいるのだ。納得するしないの問題ではない、受け入れるしかない。致命的な銃弾を受けて、「俺は納得しない」なんて言ってる奴はいない。


 仮面の方は、本当に細部まで見たいようでまたグルグルと周りを歩き始めた。


「ふむふむ、やっぱり石像よりも実物の方が何倍も参考になりますね」


 顔や身体をじろじろと見てくる。正直言って不気味だ、ただこの人のお陰で俺はここにいるらしいので、やめろとも言えない。


「あの‥‥何の参考にするつもりですか?」


「あ、そうですね‥‥まずはそれらと同じ石像にしてみますか。今まで集めてきたものより身体は小さいですけど――――やりがいのある創作です」


 褒められてるのか、慰められてるのか、だけど悪意などない純粋な好奇心といった感じだった。ここはそんなにつまらないのだろうか?


「よし、よく覚えました」


 好きなだけ見て満足されたらしく、頷きながら両手で何も無い空間を撫でる。


「あれらも、ご自分で造られたのですか?」


 壁に沿うように並べてある石像群を眺めてみる。ローマ時代の流れを汲んだものなのか、布で風を表現したものから裸像も置いてある。


 見た目こそ壮観だが、芸術というものに明るくない自分では目のやり場に困る。


「そうですよ。最初は私も気に入った物をここに持って来ようかと思ったのですが、人間にとって急に物が無くなるという現象は困りますものね」


「それは‥‥立派な志ですね」


 ここに置いてある石像群はどれも軽く1tはあろうかという重厚感だ。それを一人で石材を削っているだけではなく、持ってこようと思えるという事だった。


「あ、そうだ、あなたに聞きたい事があります。人間を模したああいった像は、わざと首とか腕とか捥ぐのが正しいのですか?今まで見てきたものは大半がそうでしたので」


 ぱちん、と手を叩いて朗らかに聞いてくる。もしかして、ここの石像の欠損は自分で作り出したのだろうか。


「—――胸像と首像以外だと、あれらの欠損は経年劣化や輸送中の事故とかの不作為の結果なので、敢えて真似をする必要は無いかと」


「そうなのですか。知りませんでした、ふふ、聞けてよかった。私一人ではわからないので」


 石像の話なのにどこか狂気めいた事で楽しそうにしている。


 だがこの人にとっては、本当に疑問に思っていた事なのだろう。試しに視線を石像群に向けると、中の一つに―――周りと比べて小さい像があった。


「ん?どうしました?この像が気になりますか?」


「いえ、そういう訳じゃ‥‥」


「気に入りましたか?いいですよ、よく見せてあげます」


 仮面の方が手を挙げた瞬間、その像がひとりでに滑るように迫ってきた。


 色がただの石膏や石ではない。全体は半透明の白だが、白い筋が入っていて若干桃色も含まれているので艶めかしく見える。


 何より少し幼さを持った首の無い裸婦像だった。身体だけ見ると心臓が早鐘を打つが、身体がリアルなのに首が無いから血の気が引いてしまう。


「別にそんなつもりじゃなくて」


「違うのですか?でもあなたの目はこれを追っていましたよ。実はこれ、私のこの身体を模したものなんですよ。私自身、これはいいい出来だと思っていて、ほら腕の長さとか、腿の太さとか努力して測りました!」


 自身の胸元に手を置いて語った。仮面越しに自信が滲み出ているのがわかる。


 それと同時に、足を上げる高さは気にしてるのにスカートを上げて足を見せてくれた。血管が通って無いのかと思う程に怖いぐらい白い、傷一つない石像のような肌だった。


「あ、ごめんなさい‥‥お見苦しいものを見せてしまって」


 自分の格好を自覚したのか急いで足を隠してくる。そして石像も元の場所に戻してしまう。


「今あなたの心臓が急激に跳ね上がりました。血が足りない状況で心拍の上げ下げは最低限で避けるべきでしたね‥‥。ごめんなさい。」


「い、いいえ。見苦しいなんて‥‥そのここでの心臓の鼓動って現実の俺の身体にも?」


「はい、ここでの精神的な負荷はあなた本来の肉体にも負担をかける事になります」


 危なかった。もしここで消えていたら、死んでいたのか。本当に。


 そんな血の気が引いていく顔を、愛おしい物でも眺めるように口元だけで柔和な表情を造り出した。


「ふふ、あなたの心臓は見ていて飽きませんね。あの二人に会う度に、私の事を意識してからも楽しそうに動いています」


「俺の心臓が透けて見えているんですか?」


「え?そうですよ。じゃないと石像が作れないじゃないですか、可笑しな事を言いますね」


「あのじゃあ、この服も‥‥」


「透けて見てましたよ。さっきあなたを観察した時もあなたの全部を見ました。その時も鼓動が早かったですね。でも1番は天井を見た時で、2番目は石像を紹介した後、私の身体を見ている時でした―――ふふ、あなたも人間と同じで生殖年齢として適齢期なのですね」


 この純粋な方は、容赦なくいっそ残酷な程図星を突いてくる。


「そろそろ時間ですね。これ以上は夜更かしです」


 時計などここには無いのに天井を見てそんな事を言った。


 もしかして星の巡りを時計代わりに、いやこれこそが本来の時の測り方なのか。仮面の方はベットの側面に背中を向けながら座り、頭を撫でてくる。


「ふふ、こういう方法で眠りに誘うなんて初めてです。撫で方はこうでいいですか?ちょっとしたお願いなら聞きますよ」


「‥‥目に手を当てて下さい」


 普段の癖が咄嗟に出てしまった。ベットに寝転んだ状態だった所為だ。


「まぁ‥‥うふふ、想像以上に甘えん坊ですね。この感情はなんと言うのでしょう―――でもその前に、さっき怒られたので。今度は謝っておきます。ごめんなさい、出来るだけ痛くしませんから」


 数秒間だけ塞がれた目から手を離し、左胸に手を当てて、そのまま心臓を握る。


 身体より先に目で異常性を受けてしまい、脳が命令するより先に身体が跳ねてしまった。だがこの感覚は―――、


「気持ちいいですか?良かった。ではゆっくり続けますね」


 心臓を撫でられている。


 血の巡りを決して邪魔しない優しい手つき、さっきの遠慮が無いやり方とは違う。


「悪くないようですね。目的とは違いますが。いいでしょう、ちょっとだけ‥‥引っ掻きますね」


 血管が集まっている表面を爪で傷つけてくる、痛みなんて感じない――だけど、引っ掻いた跡から血が漏れ出している。


 錯覚ではなかった、心臓の表面が薄く爪で奪われていく。


 あと、もう少しで大量の血が溢れる穴が開きそうなのに、それ以上は傷をつけてくれない。


「どうですか?でも癖にならないで下さいね。自分で心臓を抉り出してはいけませんから」


 心臓に繋がる血管、大動脈を指で弄ばれていた。


 楽器の弦を弾くように爪弾かれる、繰り返されるたびに脳が震える。今後一生感じる事のない快楽に違いない。頭が狂いそうだ―――でも、死ぬかもしれない快楽に心が溶かされていく。


「はい、いい感じですね。その顔、絵にしたいです。ではそろそろ貫きますね」


 ――――冷たい指きばだった。人差し指で、左心室と右心室を貫かれた。


「あ、これが‥‥大丈夫ですよ。いくら汚しても構いません――ふふ、濡れてますね」


 躊躇もなく貫いた心臓から手を離した時、腕を引き寄せてしまう。収まりがつかなかった。もっと心臓を握っていて欲しいと願って、求めていた。


「いけませんよ。私は謝ったのにあなただけ確認もしないで掴むなんて。待って下さいね、すぐ掴みますから」


 腕を振り払うわずに、手の平を天井に向ける。


「ちょっと熱いかもしれませんけど、きっと気持ちいいですよ。また汚してしまいますね」


 どんな姿をしている?どうでもいい。どれだけ醜悪で悍ましい姿をしているか?欲望のまま仮面の方の手を求めている。痛みと快楽、絶頂と死を同時に求めていた。


 仮面の方越しに天井を眺める、先ほどの比ではなく空が青く輝き、星々はそれぞれ違う色で燃え―――星々の一つ一つがベットに向かって落下してきた。


「綺麗ですよね。あなたに相応しいものはどれだと思いますか?」


 落下してきた宝石群がベットを囲みドーム状に止まる。宝石で出来た檻のようだった。


「ん?あ、そうですね。腕はもう一本ありますね。人の腕は大変ですけど、これが良いのですよね」


 隣で少女のように座り、残りの右腕で心臓をまた握ってくれた。


 薄い皮で覆われた器官を、手で握って熱を伝えてくれる。苦しめるように、弄ぶように―――快楽を約束するように、頂きに導いてくれる。


「これぐらいはどうですか?さっきと同じぐらいの強さです。ふふ、あなたの反応がいいので私も楽しいです」


 この方の気の迷いで俺は死ぬ。少しの手違いで、俺は殺される。この優しい人の手によって楽しく命を奪われる。


 最初のうちは肩が震えていたのに、もう止まっていた。


 こんな優しい殺し方なら、このまま眠ってしまいたい。


「眠ってしまいますか?勿体ないですよ。これから、今までの比ではない快楽をあげるのに――――うん、決まったこれが良い」


 宝石の檻から一つの星が流れ、『仮面の方』の手のひらに収まった。選んだ宝石は見た事もない、心臓のような大きさだった。


「これは私が初めて手に入れた宝石です。見て下さい、これをあなたに使います。これで遺物達も使いこなせると思いますよ。何と言っても、私があなたの為に選んだ、あなたの初めてで、私の初めてなんです。きっとお役に立ちます」


 その宝石を見たことがない。宝石というにはあまりにも原始的な形だった。


 ほとんど原石に近いのに―――目を魅かれる。色は青と黒が混ざったような、仮面の方が創り出した宇宙を纏めたような色合いだった。


 右手を抜いて見下ろしてくる。早く、早くと望んでしまう。


「では入れますね。しっかりと私に見せて下さいね」


 一瞬だった。宝石をさっき開けた心臓の穴に押し込まれた。


「あは、その顔見た事ないです。ほらもっと見せて」


 興奮した口の端を吊り上げて髪を揺らしている―――髪が青く、黒く輝く。嘲笑うような声のまま、宝石を入れられた心臓を容赦なく揺すり、押して、掴んでくる――――熱い、痛い、このまま続けて欲しい。


「これ以上の我慢は可哀想ですし、何より私が我慢出来ませんね。ふふ、これで‥‥最後です」


 仮面の方の腕の動きで何をされるのかわかった。そして予想通りに――潰された。


 宝石ごと、俺の――――肺が命令を聞かない、喉元から何かが迫り上がってくる。


「少しだけ拒絶反応がありますね。あなたはこんなにも素直なのに」


 喉から噴き出そうになった時だった、寸前でそれらが元の内臓に戻されていく―――時間が戻されていく。潰されたはずの心臓が彼女の手の中でその形を取り戻していく。


 暖かい、こんなに心臓は気持ちいいのか。


 宝石の檻が回る。このベットこそが太陽系の中心だと言うように。


「これでおしまい。どうでした?ふふ、聞くまでもないですね―――」


 仮面で表情が読めない。そのせいで彼女がどんな顔をしているのか想像出来ない。


 優しい女神のような笑顔なのか、それとも獲物を見つけた捕食者の笑みなのか、まるでわからない。そもそも、こちら側の感性で計れる物などではなかった。


「眠いですか?私の目的は果たされましたが、まだ眠ってはいけません。伝えたい事があります」


 また頭を撫でてくれた。いつのまにか赤いビロードのような織物をかけられていた。やはり俺にはわからない上、説明されてもわからない―――このヒトは、人間という存在や、俺とも次元が違うヒューマノイド。


「まずは着替えましょうね。そのままでは寝苦しいですから」


 被せてあるビロードに手を入れて服を脱がしてくれる。病院着や下着を奪われ、ビロードしか身を隠すものがなくなってしまう。だけど、気恥ずかしさなど感じない。


 そんなものを感じられるほど、この方を同列だとは思えない。


「いいですか?よく聞いて下さい。あなたは何も知らなさ過ぎる、だからまずはあの布の正体を知って。あれはあなたの常識では追いつけない場所にいます、存在も理由も。もし何も知らないままにまた巡り合ってしまっては、あなたは今度こそ目が覚めなくなってしまう」


 声が出ない。何故こんな事を教えてくれるのか?あの布が心臓を奪うのか?という質問をしたいというのに――――口の形を歪ませる、今はこれが限界だった。


「どうして、ですか?あなたは特別だから、ではどうですか。そんな事聞いてはいけませんよ。—―――いい反応‥‥そう、これで混じり合うのですね」


 注意しながらビロードに包まれた体に触れてくる。仕置きのつもりなのだろうか―――温かくて滑らかな手で、体の局部を撫で続けてくる。


「もうすぐお別れですね。ではあなたに一つ試練を与えます。なぜあなたは殺されたのか、どうしてあんな殺し方だったのか、それを調べて下さい」


 この人の言うように布の正体がこの数日の真相の一つに繋がっている、そう感じた。だが試練として俺の殺し方を調べる、その意味が俺にはまだわからない。


「そして、あの二人を大切に想っているのなら、その心を捨てないで下さい。死が想いを別つとも、人への想いは消えません」


 誰も理解出来ないだろう。誰もが狂ってると言って、突き放すだろう。何故、まだその想いを捨てないのか、何故、未だ狂っていられるのかと、だが―――――、


「俺は—――俺は、まだ人間を愛していたい‥‥」


「それでいいのです。あなたが人間ではなかったとしても―――どうか忘れないで。全てを、命すら奪われても、あなたには残るものがある。あなたの隣にいる人達はそれに惹かれている」


 表情なんて見えない。ただ星の様に輝く髪だけが、うつろう。


「最後に聞きたい事はありますか?でもなんでも聞いてはいけませんよ、本来私があなたと話す事は違反なので」


 あの布やこの人の正体を聞くと思ったのか、そんな事を言ってくる。


 でも、俺はまだ足りなかった。


「なんですか?声にも出ないなら考えるだけでいいですよ」


 そんな人が最後の言葉を真剣に拾おうとしてくる。美しい髪に美しい声で。


 吐き出す空気や肺など、既にない―――だけど、この体が溶けていく感覚から起き上がる気には、まだなれない―――だから、血を吐き出しながら、求める。


「癖になってしまいましたか?では、その心はここに置いていってもらいます」


 ビロードを掻き分けて再度、俺を握ってくれる。このまま永遠に握って欲しい。でも、もう目覚めないといけない。


「いい顔。ますますあなたに何かあげたくなります。起きたら、それなりの品を用意しておきますね」


 仮面の方が心臓を握ったままで立ち上がった―――引き抜かれる心臓を追いかけて、ベットの上で膝立ちとなる。引き上げられた所為で、体に掛けられているビロードが滑り落ちる。心臓が千切れる、血管が切れる。苦しい―――でも足りない。


「聞いて下さい。あの二人に追いつくには二人の後ろばかり見るのではなく、もっと周りを見て下さい。あなたの味方を探して」


 そう諭してくれる。無自覚に残酷で、己が欲望を満たす為、体を奪い取ってくる。


「あな、たは―――」


「まぁ、私も‥‥!それはまだお応え出来ません。ふふ、でも覚悟して下さい。あなたはこれで‥‥私の物」


 この反応を予期していなかった。けれど、褒美なのか更に強く握ってくれる。


 握力はそのままに、引き上げていた心臓をゆっくりと下ろし、ベットに寝かせる。


「さぁ、これで本当に最後‥‥。またお会いしましょうね」


 そこで三度目の死を体験した。


 知らなかった―――美しくて好きな人に優しく殺されるのは、こんなにも。

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