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2章 血と目の契約


「それは気の毒な事に、ふふ」


「笑い事じゃない‥‥」


「あ、ごめんなさい」


 そこに佇んでいたのは正しく死神だった―――周りの風の音など気にも留められない、比較対象にもならない程の美声を響き渡らせる黒の麗人。伸びる影さえ震え上がる程美しいシルエットを浮き上がらせるその人は、恐ろしく、冷酷に、朗らかに、さざめくように笑んでいる。


 マトイにスマホで嘆いた結果、放課後は時間があるから直接話せるとの事だったので、幽霊に会いに行く覚悟で指定された場所に訪れた。


 そこで事の顛末を説明し終えた時、やはり涼やかで無情な笑みを向けられる。


「ここ、昼なのに誰も来ないんだな‥‥」


 呼び出された場所は本校舎の屋上、ソーラーパネルやタービンが集まった場所。


 日が強いと嫌だと思ったが、広い屋根がある休憩所で意外と快適だった。


 放課後が始まった直後に足を運んだというのに、既にマトイがベンチに座っていた。不審と思いつつ真向かいに座ったが、改めて左隣に座り直してきた。


「これから徐々に暑くなるから、もう使えなくなるでしょうね。でも内緒話には都合が良い。便利って、思いません?」


 首を横に軽く傾けて、笑顔で聞いてくる。


 その時—――長い黒髪を風が靡かせ、髪の香りに包まれた。


 整い過ぎた無駄な物が一切ない顔立ちに目を逸らせず、吸い込まれそうな黒真珠の如き瞳からも目を離せない。手に取れば、瞬く間に霧となって消えてしまいそうな雰囲気を湛えているというのに、その内側には、何か別の物を抱えていた。


「—――えっと、昨日送った件なんだけど」


「はい、あれですね。不良グループの排除の仕事」


 髪の香りに惹かれたのを誤魔化す為、急いで質問に入った所、いつのまにか持っていた封筒から何枚かの書類を取り出し見せてくれた。その中でも1番上の紙は、受けると決めた時の書類そのものだった。


「私が調べた所によると、受付さんの話は恐らく事実。ほら不良グループのそれぞれ名前とか諸々の個人情報が記載されてるから」


「こんなに調べて放置してたのか、本部と法務科は―――」


 2枚目には住所や年齢、氏名に家族関係、親の仕事などなどを調べ上げられていた。しかも具体的に、どの不良グループに所属している事も記載されている。


 所属していたグループは、多くの事件を起こし、関わっていたようだ。


 同級生を脅し現金を奪う。未購入の店の商品を破損させて、それを咎めた店員への暴行。これは疑いとしてだが、夜中歩いていた一般人を襲撃し、意識不明、昏睡状態にまで追い込むという事件の参考人として何人かが挙げられていた。


「この名前とか前の大臣の名前だろう。孫とかか?」


「あ、よくわかりましたね。折角驚かそうと思ったのに、ふふ‥‥まぁ正確にはこの人の大伯父が元大臣ですね」


「警察が動かなかったのは、そういう事か。まだ飼い犬がのさばってるなんて――」


 軽い気持ち聞いたつもりだったのに、的中してしまった。


 メディアやSNSで名付けられたあだ名は、忖度強制大臣—――大伯父が大伯父なら本人も本人、血筋とは抗えないようだ。


「それで俺に払われる筈の報酬はどこに行った。せめて経費だけでも欲しいんだけど。基本的に依頼を全うすれば、報酬は全額振り込まれ筈だろう?」


 勿論完全に失敗した場合支払われない時もあるが、それでも途中までの報告を行い、どこまで依頼を終わらせたか証明出来れば、何分の一かは払われる。


「あなたが聞いてる通り、本報酬はそもそも存在していません。だから残念だけど諦めた方がいいかも。仮に本部へクレームを入れても相手にされないでしょうね。大きな仕事の一部を任されて感謝しろって言われかねないって所。ふふふ‥‥」


「相変わらず―――良い性格してるな‥‥頼もしいよ」


「ありがとう、嬉しいわ――」


 落ち込んでいる顔を見て、マトイは更に楽しそうに笑いかけてくる。


 だが差し迫った問題として食費にバイクのメンテナンス代と家賃、事実として財政は危険水準に達しているのは、間違いない。


「どうにか経費だけでも、もっと言えばメンテナンス代が必要なんだが、だけどその感じだと無理か‥‥」


「残念ながら」


 仕事の割に報酬はそれなりだったので、受けてみたら案の定だった。


 だけど、同時に違和感も覚えた。


「聞いてくれ―――あいつら、待ち構えてたみたいに武装してたんだ」


「向こうに話がバレていた?」


 面白半分だったマトイが真剣な表情で聞き返した。もしオーダーの仕事が外に知られているとしたら大事だからだ。


「まぁ、武装って言ってもバットと、多分人を刺した事もないし、そもそも扱い方すらわかってないバタフライナイフ。見てるこっちがヒヤヒヤした―――日常的に抗争があったのかもな。流石に俺達みたいなのが来るとは思わなかったみたいで、最初こそ粋がってたけど制服に気づいて、オーダーって言ったら逃げ出したから」


『オーダー』。それが自分達の呼び名だった。


 新たな秩序維持機構として立件できない犯罪、延いては今まで立件されずに終わった権力者、行政側の悪事を暴き逮捕する。それが元々の目的として制定された法の元造り出された組織。


「それは仕方ないでしょうね。だって、子供達は―――ただの不良だったのでしょう?こちらは日常的に、オーダーとしてこれを使っているのだし」


 そう言いながらブレザーの側面下、左足近くを指で叩く。


「けれど、想像以上に彼らは癒着していたのね」


「‥‥マトイもそう思うか?」


「当然でしょう?だって一時いちじきの警察かれらは、権力者の献金ぜいきん目当てに犯罪の揉み消しを率先していたのだから。ふふ、まさか犬の発見までしてくれるなんて―――オーダーとしての役割を、いつの間にか果たしていたようですね。私‥‥あなたを誇りに思います♪」


「ありがと‥‥嬉しいよ。警察やつらに捕まらなくて良かった‥‥」


 政権や大企業、中には宗教団体等の組織にとって邪魔な存在を、警察が違法な取り調べ、不法な逮捕をも行っていた。それどころか政権関係者、議員の収賄、個人的な利益の為に施行された悪法などの、犯罪の見逃しが日常的に起こっていた。だが、それらが暴露され政権を解体した時、新しく創設された一機関がオーダーだった—―――だからオーダーの味方はオーダーだけ。


「ふふ‥‥少し前の大規模調査で警察官僚達までも逮捕したのが、自分達以外を支持した一般人を見捨ててしまう程に、腹に据えかねていたようですね」


「まぁ‥‥警察組織内の犯罪を取り締まる事も目的のひとつだし、警察から嫌われてるのは当然だよな。それに今残ってるのは、オーダー発足時に散々逮捕だ立件だされた奴らの残党―――お陰で俺達は民間の傭兵に近くなってるんだから」


「ええ、目に見えての犯罪者は消えてしまった―――隠れた犯罪者を逮捕する為に私達には、特別な経験と知識が必要。だから、この学校で特殊な学科を履修し、将来の監視者とならないといけない。その一環として一般の犯罪や事件の防止に関わって、実績と経験を積んでいる。嫌われているって、便利ですよね」


 当然、危険な仕事や犯罪に巻き込まれる可能性がある為、銃規制の一部を撤廃しオーダーの人間には―――帯銃と帯剣が義務付けられていた。


「で、悪いんだけど‥‥何か仕事はないか?勿論そっち以外の仕事で。報酬は手伝った結果って所で‥‥」


 報酬も経費も落ちないとわかった。なら次の目的、そもそも金を目当てにした依頼だ、この依頼以上に割りの良い仕事があれば、それを受けたい。


 マトイに聞きたかった話は―――実はこっちがメインであった。


「ふふ‥‥残念。こちらの仕事だったら、あなたにして欲しい仕事が幾つもあるのに。本当に移籍して来ませんか?」


「そっちのじゃなくて良いから!普通の仕事で何かないかって、顔が広いだろう!」


 息がこちらの唇に当たる距離まで顔を近づけた後、肩に頭を置いてしなだれて来た。一瞬の隙を突かれ、逃げられないよう左足の上に右足を乗せて絡ませてくる。


 マトイは学生としては捜査科—―――だが実際は法務科のプロ。


「私の所に来れば、あのバイクを毎日整備して貰えるし、報酬が今の3倍近くになりますよ」


「いいから!将来的にもないし、今もいいから!もしなるんだったら正道な方法でなるから!」


 本来、法務科の所属に学生にはなれない。少なくとも高等部を卒業し、オーダーの学科のある大学を優秀な成績、そして多くの事件や、試験を受ければ所属出来るエリート中のエリートに許される部署。


「ふふ、謙虚ですね‥‥。もし自分では能力が足りないと思っているなら、それは勘違いです。あなたは優秀なオーダーの一員ですから。少なくとも私の正体を会ったその日に見抜く、なんて事を出来る人まずいませんよ?自信を持って、大丈夫私とあなたなら立派に務めを果たせます」


 最後に、両手を握って笑顔で褒めてくる。


 頭が混乱してきた。マトイはただただ純粋な笑顔のままだ。何も隠し事のない純白な少女像を目に焼き付けてくる。そんな彼女が足を絡ませるという大人の女性の交流をして、籠絡しようとしてくる。


 あまりにもギャップがあり過ぎて手を振り解けず、顔を見つめてしまう。


「どこを見ているのですか?私の顔が、そんなに好き?」


 逃げ場がない。不味い、これは不味い―――精神を律しなければ頷きそうになっている自分がいると、本能が訴えかけてくる。


 法務科はオーダーの中で逮捕や立件を、特に行っている。


 対象を無力化し制圧が完了次第、捕縛や護送を要請される科でもある。そして場合によっては、独自に犯罪や疑いを捜査し必要とあらば全ての人を、誰であれ裁判所の許可なしで逮捕出来る特権がある。


 つまりオーダーの中にいるのに―――オーダーも含めてありとあらゆる組織への特権的な捜査が許される―――超超法規的秩序機構。


 発足当時は旧政権の人間は勿論、官僚、それらの家族、関わりのあった企業、警察に検察の人間まで多くの人を逮捕、9割を立件し有罪判決を取った、もっとも嫌われ、最も危険な仕事をしている科である。


「大丈夫です、あなたは無謀な仕事をさせられる鉄砲玉のような扱いを受けるのでは?と考えているのでしょう。そんな事は私が許しません。あなたの全てを私が責任を持って管理します。‥‥あなたはずっと私といれば良い‥‥どうですか?いい話では?」


 遂には完全に足の上に乗って、肩に頭を置いて耳元で囁いてきた。


 耳がこそばゆくて首の神経が揺れ動いてしまうのに、マトイを降ろせない。


「今あなたに手を貸して欲しい仕事があるのです。それはきっと――――あなたの為になる事ですよ。勿論収入にもなります」


「ち、ちなみに‥‥どんな仕事?」


「私の問いに―――はい、と言ってくれれば、お教えしますが?」


 先手を打たれた。内容によっては向いてないから無理、と逃げる気だったが。


 逃げ場はマトイによって無くされ、もう前に進むしか無くなった―――だが、どうにか突破口を開く。


「知っての通り、この目は治療出来る人は限られてる。少なくとも、ネガイしか俺の目の面倒をみてくれる人を知らない。そっちは、日本中、場合によっては世界中を飛び回る筈だ。俺に言ってるのだから、何かしらの策でネガイのいるこの地区に定期的に戻すつもりだろうが、俺は目の治療をしてもらわないと―――数日で非戦力になる。飛行機に乗ったら行き帰りだけで目の治療が必要になる。法務科の人数が少ないのは知ってるけど、誘うなら他の奴にしてくれ」


 自分の命を人質にマトイの甘言から逃れようとする。


 自分で呼び出しといて、この仕事は嫌だから他のはないか?と言っている自分は、オーダーにとって情けない存在だろう。


 だが、それで自分の寿命をすり減らすわけにはいかない。法務科はオーダー内で随一の行方不明者が出る部署で、毎年の人員整理の度に何人か構成員がいなくなっているような組織。


 秩序の人として、行方不明者が毎年毎年大人数出るなんてあってはいけない事だ。だが法務科は、それを一切改めない。


 人知れず、世のため人のため秩序のため命を賭して任務を遂行している、と言えばまだ聞こえは良いが―――死んでるのか生きてるのかわからない行方不明者が毎年多く出るような科になんて行きたくない。


「ふふ、私がそんな穴だらけな策で話していると?」


 握っている左手を離してマトイ自身の顎につけて、ニヤリと笑った。


「あなたの目は強者を求めている。そうですね?」


「そうかもな」


「困ったものですね。殺し合いに慣れないと目に血と心臓の主導権を握られて殺されてしまうなんて。しかもそれが、自分より格上じゃないといけないなんて、そんなに死にたいの?」


 数少ない、『この目』の異常性を知っているマトイの狙いは、『目の餌』だった。


 この両方の目は血を求める。しかも厄介な事に強欲で殺し合いが長くされないと、血を操って俺を狂わしてくる。ネガイに頼った理由がそれだった。


「でも、私ならあなたの求めている存在を用意できますよ。あなたの目が満足するまで、ずっと‥‥。知っていますか、意外とあなたのような方って少なくないんですよ?」


 今はネガイのお陰で目をある程度コントロール出来ているが、それは本来の方法ではないらしい。本来の方法は自力で目を使いこなし、目を完全に制御する事。


 それをする為には――――死ぬ思いで目を使い、短期間で掌握するしかない。


「敵を用意してやるから、そっちの実働隊になれって事か?」


 法務科は、行方不明がよく出る。


 法務科は、それを改善せよとオーダー本部から勧告されているが、決してそれを改めてようとしない。それだけ危険な仕事がある―――改められない程の存在と日常的に相対しているからだ。


 単純に考えると、オーダーが対処する存在とは、自分達と同じような武力を持つ事が許されている存在。反社会的勢力を抜けば、行政機関の一つ、警察や自衛隊。


 オーダーはその特性上、警察などのオーダー以外の国家の治安を維持する行政機関と争う事がある。当然だ、警察内部の犯罪の疑いを捜査して、刑事や行政裁判を起こす事も、オーダーの目的の一つだからだ。


 捜査される側も。調べられて痛い腹なら全力を以て排除する。


 実際、警察がオーダーの人間に逆恨みの元、発砲した事件も昨今珍しくない。


「だけど目に見えて行政機関と争うって事は、もうそうそうないだろう?精々がこの捜査状を受け取るだ受け取らないだの、水掛け論程度なんじゃないか?」


「そうですね。確かにそういった別の行政機関とのやり取りはつまらないわね。アイツら暇だからって時間ばかりとってなかなか返事をしないの、私達は決して暇ではないのに」


 オーダーがその権力を行使するには、真っ当な手続きに手続きを重ねる、適正な手続きが必要になる。法務科は、例外的にある程度は自由な権利行使が許されてはいるが―――――尚も法の元で多くのくびきがかけられている。


 無法は良くない。


 と、成立したオーダーは誰よりも法を遵守しなければならない。銃や刀剣という直接的な殺傷能力を持っている武器の携帯が許されているのだから、それらを持つ者の立場として責任が重くならざるおえない。


 そんなオーダーが法を守らなければ、オーダーの必要性や意味が無くなる。


 ―――ほら、やっぱり、法なんて無駄じゃないか。


 そう言われた時、オーダーは無価値となってしまう。だからこそオーダーは何よりも法を守る事を求められる。


「だから今回、あなたにお願いしたい事はパブリックエネミーの対処となります」


「パブリックエネミー‥‥。ぼかした言い方だな。つまりはテロリストか」


「そして、この依頼はしっかりと依頼の形式、白紙委任状になります」


「堂々と言うなよ‥‥立場上、それはいいのか?」


「この依頼を全うする為なら全ての科延いてはオーダーの省庁の名の下、あらゆる法があなたの味方になります。いつもあなたや私が受けている依頼と同じ、何も問題はありません」


 マトイは俺の目の力が欲しい、俺は目の餌が欲しい。


 きっとマトイの言っている依頼は、命の危険がある内容なのだろう。


 確かに俺は目を完全に制御するため、一人でも多くのツワモノを目の餌にする必要がある。それはただ遠くから眺めているのでは意味がない。そのツワモノと死闘を演じ、血の巡りを覚えて目の起動をなんの弊害もなく終え、心臓の鼓動を自由に行えるようにならないと意味がない。


「知っての通り、強い人間がどこにでもいるわけがない。あなたには依頼を通して、あなたの目にとって都合が良い相手を教え続けます。そうすれば、あなたはここから出られる。それは私にとっても都合が良い事、利害は一致しているのでは?だから今すぐ――――ネガイさんに、会いに行って目の拘束を解けと言いませんか?」


 血を求めるこの目は、ネガイに頼るまで自力で止められる範囲にいなかった。


 だから俺は、ネガイと契約して目の調整と治療という名の元で、目を自力で扱えるレベルまで下げる楔くさびを、打ち込んでもらっている。


 それはマトイの言う通り、目の拘束とも言える。


 確かに、目を使いこなせれば、ここに長くいる必要はなくなる。マトイや他の生徒と同じように長期間、外に出られる―――――出来る訳がない。


「悪いけどそれは出来ない」


 一瞬で空気が変わった―――、


「何故ですか?理由を聞いても?」


 笑顔が完全に消えた。無表情の日本人形のように見える。


 足の上に乗っている体の感触や体温は何も変わらない、気温も変わらないのに。


「何か問題でも?あなたは自分の目の為、私は自分の都合の為。何も問題ないのでは?」


 手を顎から外し、自然な動作でブレザーから取り出した拳銃ジェリコ491、通称ベビーイーグルの銃口を、こちらのブレザーのボタンとボタンの間に差し込んで体の上から肝臓を狙ってきた。


 ベビーイーグルと肌の間にはオーダー標準装備の防弾シャツ一枚となった。


 背筋が凍りつく――――撃たれても死にはしないだろうが、この距離では激痛は免れない。


 痛みで気絶すれば良いのだが――――決してそれだけでは終わらないだろう。


「あなたを決して死なせない。あなたのためにも言っているのに‥‥理解出来ない?」


 喉元に鋭い氷柱を突きつけられている。


 今も感じている氷柱の正体は、マトイの視線だった。視線だけで、首の血管が凍り付き、頭を背ける隙すら与えない。ただの視線に、縫い止められている。


 片方で手を握り、もう片方では銃で脅す。両方取れと、命じていた。


 選択肢など与えない―――自身の中の答えに、頷く以外《《許さない》と。


「—―――武力で脅すのは追い詰められている証拠だ。それに俺はもう契約を済ませてる。既に契約した依頼の方が優先される、これはオーダーの常識だ」


 話を聞いていると、悪くないと思った。


 だけど、それは出来ない。


「今は、ネガイと契約してる。ネガイを外に連れ出さないといけない。それを破って俺だけ自由になるなんて出来ない―――俺は、一度交わしたした契約は向こうが破るまで続けるって決めてる。ふたりで交わした約束がある」


「撃たない―――もしかして、そう思ってる?」


「撃たれるのは避けたいけど、好きにしろ―――構わない。力で全てねじ伏せて言うことを聞かせるやり口は、俺の趣味じゃない」


 何より――――俺がいなくなってあの部屋に、一人でいるネガイを想像したら、苦しくなった。撃たれるよりも恐ろしい光景を垣間見てしまった。


 握られている手を振り払い、足の上にいるマトイの膝の下と背中に腕を回して立ち上がる。


 依然として銃口は向けたままだが、視線は上となり、こちらが見下ろす形となる。


「俺達は秩序の人なんだ。可能性がある限り契約は守り、それを武力で邪魔するなら‥‥マトイ、お前にオーダーを宣言する事になる」


「—―――」


 ここで撃たれたらマトイを落とす事になる、その時は甘んじてその痛みを受けてもらう。


 ベビーイーグルは可愛い名前が付いているが.40S&W弾を撃てる。


 マトイのジェリコ491がそれを撃てるのか、ここからはわからないが―――少なくともこの距離で受ければ、浅達性II度熱傷以上の火傷。また、しばらくの間は血反吐と血尿が止まらなくなる。けれど、それだけだ。


「だから俺はお前の提案を受けられない。悪いが法務科の仕事は受けられない」


「死なないと高を括っていますね。私が撃つだけで終わらせると考えてる訳じゃあ、ありませんよね?」


 マトイの目の奥が深くなる。底知れぬ闇から覗き込まれている気分となった。


 それでもと目を合わせ続ける。


 目を逸らしたら容赦なく撃たれると本能で感じた。何より――――マトイの目から視線を離せなかった。


「いいでしょう。オーダーの本懐を述べられた以上、私が今出来る事はありません。そこまで言うのならあなたの覚悟見させて貰いますね。私からの誘いを断ったのですから、きっとそれなりのプランがあっての事でしょう」


 回答理由に納得したのか、ブレザーに差し込まれていたベビーイーグルを抜き自分のホルスターに戻し、冷気を感じる視線をやめて、試し遊ぶような子供の顔となる。


 法務科への誘いは阻止できた。だが――――断りはしたが、俺には仕事がいる。


「あー、それで仕事は?」


「締まらない‥‥。そんなに金欠なの?金銭を女性に強請るなんて―――やっぱり、あなたはダメですね。相変わらず仕方ない人‥‥」


 眉間に手を当てて、頭を振ったかと思うと、指の隙間から強い非難の目を向けてくる。


「それとこれとは話が違う。そもそもの目的は仕事で、誘ってきたのはそっちだ。勝手に誘って勝手にガッカリしてるのはそっちの都合だろが、もし銃口を向けて申し訳ないって感情があるなら‥‥」


「全くありません。オーダー内で撃つ撃たれるなんて日常では?前にあなたを撃った時もありましたし、今更何を感じろと?」


 前々から思っていたが、この底知れぬ目には良心というものが欠如している。オーダーなのだから、真っ当な良心など邪魔になるかもしれないから、敢えて考えていない人間がいるのは普通ではあったが、マトイのそれは―――真正だった。


「そろそろ降ろして貰えませんか?」


 持ち上げたままだったのを思い出し、同じように左隣に座らせる。


 軽かった―――武装や装備を加味しても、それでも驚くほど簡単に持ち上がった。


「女性を許可もなく持ち上げて、あまつさえ金銭を要求なんて。紳士のやる事ではないですね。オーダーとして、もう少し大人の男性の作法を身につけては?いずれ法務科に来るのですから、公務として最低限の仕草が求められる時もありますよ」


 自分は銃を突きつけて脅しておいて、この言い草だった。反省のはの字もない――――そもそも悪事をしたという気もないのであろう。


「人聞きの悪い事言うなよ。金銭の要求なんかしてないだろ。仕事を紹介をして貰いたかっただけだ。それに、いずれでも法務科には行かない。しっかりと俺は―――この寿命の分を生きるつもりだ」


「こちらに来れば天寿を全う出来ますよ?」


「そりゃ天寿を全う出来るだろうな。任務の度に天寿を全うするかもしれないからだろう」


「大義や多くの人々、引いてはオーダーの存続のために人生を捧げられるって素敵ではないですか?」


 目を閉じて、シスターが祈るように両手の指を絡めて言ってくる。


 傍目にはとても神聖な雰囲気を纏うが、その祈りの矛先からは限りなく血生臭いものを感じる。


「それで、仕事は紹介してくれるのか?」


「私の誘いを断ったのですから、紹介なんてすると思うの?」


 つまらないと言わんばかりに、マトイは席から立って休憩所から離れていく。散々脅しておいてこれだった。もう興味がないらしい。


「マトイ‥‥」


 後ろ姿をまじまじと見てしまう。


 まだ16歳の彼女は法務科に所属して、恐らくだが多くの任務や依頼を片付けているはずなのに、抱えた時にも思ったが、本当に細い。


 病的なまで細い訳ではない、むしろ年相応の体型と体重なのだろう。


 だが、そんなどこにでもいそうな彼女は、明日にはもう会えないかもしれない。


 任務によって命を落とし、今年か来年の書類には行方不明として明記されているかもしれない。


「聞いて、いいか?」


「ん?まだ何か?」


 去って行く背中に声を掛けて、振り返らせる。


 考えてしまった。彼女がもしいなくなって行方不明者扱いになった時、後悔してしまうのではないかと。何故あの時断ったのかと。


「その仕事は別の科と合同で出来ないのか?」


「ふふ‥‥そうですね。他言無用と約束するなら、出来ると思いますよ」


 待ってましたとばかりに、笑ってきた。まるでそう言うと、予想していたような言い方で――――そんなにも自分は単純なのだろうか。


「その仕事は、しっかりと経費と報酬が出るんだろうな?」


「ええ、勿論。何でしたら準備代も貰えますよ」


「それはいい。装備維持費を先払いしてくれるなんて、今俺が求めていた仕事だ」


 楽しそうに上品に手を口に当てて、いつものマトイで笑っている。


 自分で言っておいてなんて、下手な芝居だと思った。


 でもこれが精一杯の譲歩でもあった。法務科のためじゃなく金のために働く―――ある意味において、金の繋がりは、理由として最も健全な関係なのかもしれない。


「それで?どんな仕事なんだ、捕縛か?捜査か?制圧か?」


 下手な芝居を見せてしまい、笑われて辛かったので、急いでマトイに仕事内容を聞いてみた。だがマトイはその問いを手で制してくる。


「こちらの仕事にはいくつかのルールがあります。ここでの説明はそれに反します」


 当然の話だった。今現在運営されているあらゆる機関に、嫌われている法務科の仕事だ、人目につかない場所で説明や話し合いが行われるのは、当然だった。


「わかった、そっちのやり方に従う。俺はどこに行けばいい?」


「近いうちに連絡しますね。じゃあまた」


「—―――え?待った‥‥それだけ?」


「ええ、それだけですよ。まだ何か?」


 こちらの慌て方が面白いのか、また口元を手で抑えながら笑っていた。


 本来、怒りが沸く所だが、金が絡むと立場が弱くなる現状が我ながら情けない。実際、俺は整備費用のために食費を減らすような財力なのだ。


 法務科の銭を当てにするしかない。


「準備代でしたら後で、私宛に費用を書面で送って下さい。翌日にでも振り込んでおくので」


 それを聞いて一安心だが、費用だけでなく報酬としての収入も必要だった。


「近い内っていつ‥‥ごろになりますか?」


 私宛に、という事は一時的にでもマトイが費用を立て替えてくれるという事だと気付き、へりくだった言葉で聞いてみる。そんな態度が彼女のツボを更にくすぐったのか、手で口と腹部を抑えて腰を曲げながら笑い続ける。


 ひとしきり笑った後―――まだ治らないのか、肩で息をしていた。


「私を殺す気?あなたに‥‥笑いのセンスがあると思いませんでした‥‥」


「笑わせてやったんだ、教えてくれ」


「近いうちに。大丈夫そんなに遅くならないと思います。あなたの都合に合わされるから」


 どうにかそれだけを絞り出し、本当にもう何も言う事は無いと言わんばかりに、踵を返して屋上の出入り口に向かって行った。


 どういう意味だと自問自答をしてしまう。こちらの都合に合わされるとは、装備が整った時に連絡しろという事なのだろうか。


 ただ―――近いうちと言っても、あの様子では長期の仕事の様子だった。尚更、今の時間にどうにか小金を稼がないとならない。


「それと最後に――――あなたに言っておきたい事があります」


 スカートを翻し髪を搔き上げる。次は、何をされるかと身構えるが、親愛の証として銃は抜かない。


 さっきマトイは「都合に合わされる」と言った。それは俺が相応しいか試されるという事ではないか?もしそうなら―――ここで来るか。


 目で、腕や足の動きを追って彼女が今取り得る攻撃のパターンを読む。


 だが、妙だ。腕に力が入ってない。


 髪をかき上げた手を、自身の蕾のような淡い色の唇、その端を撫で上げる。


「お姫様だっこって悪くないのね‥‥。」


 ―――求めていた返答とは違った。

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