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善悪の天秤  作者: いての いぶし
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1.1 転生した勇者

 レイの意識は暗い漆黒の闇の中をさ迷っていた。斬首され死んだはずなのに、彼の意識は確かに存在していた。彼は、これが死というものなのだと悟った。天国に行くわけでも、地獄に行くわけでもなく、彼の意識はずっと、この暗闇の中をさ迷い続けていくのだろう。


 しかし、延々に続くかと思えた暗闇に異変がおきた。暗闇が少しずつ赤くなっていく。それは、レイには見覚えのある感覚だった。まるで朝日に照らされて瞼の裏側が赤くなるような、そんな感覚だ。もしかすと、このまま目を開けることができるのかもしれない。彼は思いきって目を開けてみた。


 視界が広がっていく。一番先に目に入ったのは空だ。そして、そこに被さる数本の木の枝と葉っぱ、そこから差し込んでくる日光の日差し。自分が仰向けに寝ていることも実感できた。


「ここは?」


 レイは身体を起こして周辺を見渡した。


 森の中にでもいるのかと思ったが、そうではないようだ。木々や草花があるのは分かるが、草木があるのは一部分でしかなく、あとは開けた広場のようになっている。そこでは数人の子供たちが遊んでいた。レイが寝ていた木製の長椅子も、地面に埋め込まれているようで、この空間の全てが人工的に作られたものだということが分かる。


 近くの石でできた看板には文字が書かれていた。知らないはずの字だったが、なぜかレイはそれを読むことができた。『西町中央公園』と確かに書かれていた。公園というものをレイは知らなかったが、おそらくこの場所をさす言葉なのだろう。


 自分は死刑になって死んだはずなのに、なぜか生きている。しかし、全く見覚えのない文化も文明も何もかもが異なる場所にいる。もしかすると、ここは死後の世界なのだろうか。


 そんなことをレイが考えていたとき、ふと背後から声をかけられた。


「お、いたいた! 探したぞ! なんで、公園のベンチなんかにいるんだよ」


 振り返ると、そこには眼鏡をかけた長髪のスーツ姿の男が立っていた。『眼鏡』も『スーツ』も知らないレイにとって、この男の姿は全く見慣れないものだった。


「な、なんですか? あなた?」


 レイの言葉に男は一瞬ポカンとした表情を見せると、すぐに捲し立ててきた。


「ーーはぁ!? 俺だよ、俺! お前の上司の馬場ばばだよ! 馬場!」


 馬場と名乗った男は戸惑った様子を見せたが、レイには全く面識がない。


「ば、馬場、さん?」


「おいおい、どうしたんだよ、藤本。ウケでも狙ってるのか?」


「ふ、ふじもと?」


「いやいや、藤本玲ふじもと れい、お前の名前だろうが!」


 馬場は呆れた様子で「財布をかせ」とレイのポケットから財布を取ると、その中から一枚のカードを抜き出した。


「ほら! お前の免許証! 写真付きであるだろ? 藤本玲って!」


 そこには確かに、レイの顔写真と『藤本玲』という名前が書き込まれていた。カードに写されているのは間違いなくレイ自身の姿だった。しかし、それは藤本玲という別の人間だ。自分と瓜二つ人間の顔が写真には写されていた。


 レイは改めて自分の姿を見直した。ヨレヨレの白いワイシャツにネクタイ、紺色のズボン、それはまさにスーツ姿だった。馬場と同じ姿をしている自分に驚きを隠すことができない。


「お、俺はいったい……」


 困惑するレイをよそに馬場は呆れた顔をしていた。


「さっきから、なんの冗談か分からないけど、これでわかったろ? お前は藤本玲って男で、俺はお前の上司なの!」


 いまいち状況を飲み込むことができないが、レイは自分が藤本玲であるという事実を受け入れる他ないようだ。馬場は『この話は終わり』と言わんばかりに手をパンと叩いた。


「ほら! つまんねぇボケかましてる暇ないんだよ! 行くぞ!」


 そう言って彼はレイの腕を引っ張った。


「え? 行くって、どこへ?」


「はぁ? 決まってるだろ? 法廷だよ! 法廷! これから裁判だろ?」


「ほ、ほうてい?」


 オウム返しをするレイに馬場は再び呆れ顔を見せると、いい加減にしろといった表情で言った。


「おいおい、勘弁してくれよ。仕事だよ! し・ご・と! 俺たち、弁護士だろ?」



 ★★★



 法廷では、ある刑事裁判が行われているところだった。注目度の高い裁判ではないのか、傍聴席の人の数は少ない。裁判官席には三人の裁判官が座り、その下の席には裁判書記官と裁判速記官が座っている。裁判官席と傍聴席は向かい合っており、傍聴席から見て右側のテーブルに検察官、左側のテーブルに弁護人がいる。中央の証言台には、弁護人側の事件の証人が立たされているところだ。


 レイは上司である馬場と共に弁護人の席に座り、裁判を見学していた。しかし、裁判という制度そのものを知らないレイにとっては、わけの分からない儀式が行われているようにしか見えない。


「では、弁護人、尋問をお願いします」


 裁判官席の中央に座っている裁判長はそう言って弁護人席を見る。


(じ、尋問? この馬場とかいう男に連れられて、俺はとんでもない所に来てしまったな)


 レイは目の前で繰り広げられる謎の儀式を前に、もはや困惑することしかできない。誰がどういった役割で、どのようなやり取りをしているかが分からなかった。なので『できれば見ているだけで終わってほしい』と心の中で願うしかなかった。


 レイは隣にいる馬場から肘で小突かれた。


「おい、証人尋問はお前の担当だろ?」


「ーーえ?」


「『え?』じゃねぇよ。事前の打ち合わせでそうなってたろ?」


(マジかよ。全然分からないよ……)


 『見ているだけで終わる』という都合の良い展開は訪れないようだ。しかし、レイは何をどうすればいいのか全く分からないので、ただ黙っているしかなかった。


 しばらく、とても空気の悪い沈黙が続く。あまりの沈黙に痺れを切らした裁判官は「べ、弁護人? 尋問をお願いします」と再度促したが、レイは沈黙を続けることしかできない。しかし、頭の中では何か策は無いのかと必死に模索していた。


 体調不良を装うなどレイに残された手段は色々とあった筈である。だが、咄嗟の判断を求められたとき、人間は簡単に最善の解を導き出すことができない。パニックになったレイは、とにかく頭に思い付いた言葉を叫んでいた。



「ふ、布団がふっとんだー!」



 よりにもよって、どうしてこんな言葉が出てきてしまったのだろうか。


 再び、訪れる沈黙。しかし、それは先程のものとは違い、とても冷たく重たい空気を纏っていた。傍聴席はドヨドヨとし始め、向かいにいる検察官はポカンとしている。レイの隣にいる馬場は真っ青になっていた。


「弁護人! 法廷を侮辱するつもりですか!」


 裁判長は顔を真っ赤にして怒鳴った。レイと馬場はその怒号に背筋をビクッとさせる。すかさず馬場は声を出した。


「た、大変失礼いたした! わ、私が代わりに尋問をさせていただきます!」


 馬場は大変焦っている様子だ。そして彼はレイを軽く睨み付け、尋問を再開したのだった。レイは縮こまったまま下を向いているしかなかった。



★★★



「おい! お前、今日おかしいぞ! どうしたんだよ!」


 裁判が閉廷され、法廷を出た瞬間に馬場はレイに詰め寄った。


「い、いや、その……」


「今日は俺がなんとかしたけどさ! お前一人だったら、おしまいだったぞ!」


 先ほどの裁判は馬場が全てを代行したため、なんとか事なきをえた。といっても、実際は藤本玲が担当するはずだった所を完璧に馬場が把握しているわけもなく、不明確な部分は多少誤魔化すしかなかった。なので、やや弁護側の心証を下げる結果となったのも事実である。


 裁判のことなど何も分からないレイも、馬場が自分の失態を辛くしてフォローしてくれていたことは察していた。しかし、裁判のことはもちろん、今の自分が置かれている状況すらも把握しきれていないレイは、ただただ謝ることしかできない。


「す、すみません……」


 下を向いて謝罪の言葉を溢すことしかできないレイを見て、馬場は心配そうに声をかける。


「藤本、なんか悩みでもあるのか? お前らしくないぞ?」


 今、自分の抱えている悩みをレイは馬場に打ち明けることはできなかった。もし仮にレイが『俺は藤本玲ではない別の人間なんだ』と言ったとすれば余計に拗れる展開が予想される。そのため、レイは言いたい本音を飲み込むしかなかったのだ。


 いつまでも無言で俯いているレイに馬場は困った表情をして首を傾げる。そして、諦めたように深くため息を吐いた。


「今日は俺、もう帰るからさ。お前、早く調子戻せよな?」


 馬場はレイの肩を軽く叩くと、そのまま裁判所の外へと去って行った。


 法廷前の廊下にレイは一人で立っていた。やっと一人になることができたと彼は内心で安堵しており、この機会に一度自分の状況を整理してみることにした。


(この世界には元々、藤本玲という男が生活をしていた。俺と顔が瓜二つで、身長も体格も何もかも一緒。そして「弁護士」という仕事をしている。その藤本玲という人間に、何故か俺の人格が乗り移ってしまったーーというところだろうか?)


 処刑されて死んだはずのレイの意識は、別の世界の別の人間の意識に乗り移った。全く信じられない不思議な話だが、もはやそう考えるしかなかった。


 レイは藤本玲という別の人間として、彼の生きていた世界とは違う別の世界での生活を送らなければならない。右も左も分からない別世界で、よくわからない人物として、よくわからない職業で生きていく。それはとても不安なことだ。


 でも、死んだはずのレイの意識は確かにここにある。たとえ藤本玲という人間の身体だったとしても、レイには生きているという実感があった。


「弁護士か……」


 彼は服の襟についている金色の弁護士バッジを触りながらつぶやいた。そのバッジは、ひまわりの花の形をしており、中央には天秤が描かれている。


 バッジを触る彼の顔は、どこか嬉しそうにも見えた。

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