32 スイスズメの街
「ハルベルトと言います」
ハルベルトさんは、胸に手を当てて少し頭を下げた。
「ハナ…だよ」
「ハナさん、とお呼びしてもよろしいですか?」
私はうなずいた。
「ハナさんはどちらからいらしたんですか?」
「ハセダ村」
ハルベルトさんはキョトンとした顔をして、何かを探すように、上を見た。
一緒に上を見る。
クモの巣があった。
「……すみません。分からないですね」
そう言えばマディさんも、聞いたことがなかった。
「えーっと……なんとか……かんとか?」
「それじゃあ、もっと分からないですよ」
ハルベルトさんが笑う。
おじさんが何か言ってた。なんだっけ?
「えーっと……なんとかヌレクチ?」
「ヌレクチ?」
「ヌレクチ? ヌレフチ?」
「ヌレフチ?」
2人で首をひねる。
「……忘れた。おじさんに聞けば分かると思う」
「ハハッ。ハナさんは面白い方ですね」
2人で笑った。
「それにしても、『おじさん』ってラルディラン様ですよね?」
「そう。おじさん」
「ラルディラン様をおじさんとお呼びする方と初めてお会いしました」
「そうなの?」
「ええ。ラルディラン様は高名な方ですから。先程のドゥンガさん」
毛むくじゃらのでかい人か。
「あの方も相当な実力者ですが、それ以上に暴れん坊の聞かん坊なんです。でも、ラルディラン様の名前を聞いただけで、この通りです」
机の上のお金を指さす。
ふーん…。
「でも、おじさん、顔が知れてるから大丈夫って言ってたけど、街に入れなかった」
あの時はおもしろかった。
思い出しても笑える。
馬に乗ったまま、番の人のところを『ご苦労様』って通り過ぎようとしたら、ガシャンて剣で通せんぼされた。『誰だ?』って。
おじさんがものすごくビックリしてた。
おもしろい。
「えっ街? 街ってこの街ですか?」
「うん」
「!!」
ハルベルトさんはおどろいて固まってしまった。
「ラルディラン様を誰何するなんて……まあラルディラン様はお気になさらないか」
ハルベルトさんは、1人でブツブツ言って1人で納得した。
「家に帰ってからアメネさんに怒られてた。ラルディラン家の当主がはずかしい!って」
「ラルディラン様を叱れる方もアメネ様の他におられないでしょうね」
また2人で笑う。
「あ、そう言えば」
名前で思い出す。
「おじさんってラルディラン・バルエって言うんだよね?」
「? そうですよ」
「でも、村に来たとき名前が違ったの。なんだったか忘れたけど」
「名前が違う……ああ!」
ハルベルトさんがうなずく。
「それは騙り名ですよ」
「カタリナ?」
「ええ。偽物の名前です」
「にせもの?なんで?」
「勝手に名前を使われないようにするためです」
柔らかく笑う。
「ラルディラン様のことは知らなくても、少し関わるとあの方の凄さは大体知られます。すると、勝手に名前を使って得をしようと考える不届き者が出てくるかもしれない」
「得?」
「そうですね…例えば、金をくれればラルディラン様と会わせてやるぞ、とか」
「ああそうか! 家を直してもらえるとか、道をキレイにしてくれるとか、畑でたくさん野菜がとれるようにしてくれるとか、荒れたところをでっかいキレイな畑にしてくれるとか、おじさん便利だもんね」
「便利……というか、そんなことしておられたんですね……」
「うん。村の家とか畑とか、すごかった。ひょいひょーいってしたら、ピカピカーって」
「どれも、魔法使いと言えどもひょいひょいでできる話じゃないんですが、流石はラルディラン様か」
苦笑いしながら、感心している。
「ちょっと想像以上でしたが、そんなことを頼んでやるからって勝手に名前を使われると困るので、違う名前を使うんですよ。それを騙り名と言います」
「へぇー」
なるほど?
「でも、マチルダさんは違う名前で呼んでた」
優しい声のマチルダさん。
「マジェリカさんですか?」
「違う。マチルダさん。私より少し年上っぽくて、真っ黒くてお人形さんみたいな人。着替えるの手伝ってくれた」
「存じ上げない方ですが…どこかの使用人ですかね?」
「分かんない」
「そのマチルダさんが何と?」
「えーっとね……」
なんだっけ?
「えーっと……ヘトン?違う」
真っ白い肌と、真っ赤なくちびるのマチルダさん。
「べドゥフ! そうそう。ベドゥフって呼んでた」
「ベドゥフ…? ベドゥフぅっ!?」
ハルベルトさんはガタッとイスから立ち上がって驚く。
「ほ、ほほ、本当にその名で呼んだんですか!? そのマチルダさんという方は!?」
「うん」
ものすごく慌てている。
「そ、そうですか…」
考え込んでしまった。
「……ベドゥフって何?」
「あ、ああ。ベドゥフというのは、ラルディラン様の真名です」
「マナ?」
「術理の真理に至った者だけに与えられる名、それか真名です」
「??」
「ふふ。あ、すみません。ハナさんは魔導師はご存知ですか?」
「マドウシ! 聞いた! すごい人だって」
「そうです! 魔法を使う者が目指す極致、それが魔導師です。真名というのは、その魔導師と認められた証です」
「………」
えーっと?
「おじさんは、魔導師ってこと?」
ハルベルトさんが、大きくゆっくりとうなずく。
「ラルディラン・バルエは、歴史上ただ1人、火、水、風、土の基礎属性4種、その全てで真理に辿り着いた方です」
「はぇー……?」
首をかしげる私に苦笑いするハルベルトさん。
だってわからないんだもの。
「うーん、そうですねぇ……。普通、才能があると言われる人が生まれてから死ぬまで魔法の勉強だけをし続けても、一属性の魔導師にすらなれません」
「えっ?」
「なれないんです。それを、4種類です。歴史上、2種類の属性で魔導師になったと言われる存在ですら、カレノン神話に出てくる大賢者・アラハム様ぐらいです」
「神話……おとぎ話ってこと?」
「ええと…いや、おとぎ話というと問題があるんですが……まぁ、本当にいたのかはっきりしない人ではあります」
ほっぺたをかきながら苦笑いされる。
「全ての魔法使いの憧れ、至高術士、魔法を極めし者、はく…」
「極めし者は言い過ぎだな」
「あ、おじさん」
「ラルディラン様!」
声の方を振り向くと、苦笑いを浮かべたおじさんがこっちに歩いて来た。
「大きな声で騒いでるヤツがいると思ったら、ルー坊か。でかくなったな。元気か?」
「お久しぶりです。しかし、ルー坊は止めて下さい。もう17です。ドゥンガさんと言い、誰も彼も」
「ハハハ。ルー坊ももう17か。早いな。でも私も40になったからな。年の差は変わってないぞ。だからまだルー坊だ」
「その理屈じゃ死ぬまでルー坊じゃないですか!」
「ハナさん、待たせたな」
「大丈夫。ハルベルトさんのお話がおもしろかった」
怒るハルベルトさんを無視して、私に話しかける。
「お、そうか。ありがとう」
「いえ。お礼を言われるほどのことはしてません」
「いや、助かったよ」
「それよりも、極めし者と呼ばれているのは事実です」
「人よりちょっと得意なのはそうだが。基礎属性だけだぞ? 空間魔法も、治癒術も、操魂魔法もまだまだだし。他にも新しい体系は間違いなくある。まだまだだろ?」
『なあ?』と聞かれる。
「うん、それならまだまだいっぱいある」
「ほら。未来の魔導師がそう言ってる」
「おじさんはまだまだ」
ハハハハハと2人で笑う。
ハルベルトさんは変な顔をしている。
「ラルディラン様は謙遜が過ぎます」
「ハハ。まあ、そう難しい顔をするな。潜れ潜るほど終わりが遠くなるんだ」
「私には分かりません」
「拗ねるな拗ねるな。それはそうと、これはどうしたんだ?」
おじさんが机の上のお金を指す。
お金の横には緑のが……緑のが!?
「泡が消えてる!?」
モコモコしてたのに、白っぽい緑の水になっている!
「ああ、時間が経ちすぎたんだな」
飲んでみる。
「おいしいけど……おいしくない」
悲しい。
「ハハハハハ! ハナさんは面白い方ですね、ほんとに!」
ハルベルトさんに笑われてしまった。
なんだかおもしろくて、いっしょに笑った。




