03 ハセダ村
昼過ぎに出て行ったおじさんは、その日の夜は帰ってこなかった。
次の日の朝になっても帰って来ず、村は騒然としていた。
「あいつが討伐に失敗したら、冬に間に合わんぞ」
「なんであんな頼りないヤツを寄こしたんだ」
「うちの嫁の腰をまだ治してもらってないんだ」
「まだあの甘い玉を食べてない」
「うちには病人がいなかったから、損をしている」
「もっと役に立つ力があるんじゃないのか?」
「村長のところで飯を食ったらしい。あれだけ色々できそうなのに飯をたかるとは厚かましいやつだ」
「まぁ刺し違えていいから、トカゲだけは倒してくれ」
などなど、私は聞きたくなかったので聞こえないふりをした。
私は、おじさんが無事に帰ってくれることだけを心配していた。
お父さんは、次の日には立ち上がれるようになった。
膝の曲げ伸ばしがまだぎこちないとは言っていたけど、痛みは全くないから、すぐ歩けようにもなりそうだとまた泣いていた。
それを見て私もまた泣いた。
その日の夕方、おじさんは帰ってきた。ぼろぼろの外套に、大きな荷物。
その荷物の上に、さらに大きなものを背負っていた。
「おい、帰ってきたぞ!」
「やっとか!」
「ちゃんとやってきたんだろうな?」
おじさんは村の中心の広場に来ると、荷物の上から背負っていた巨大なものを降ろした。
頭だけで私ぐらいの大きさがある巨大なトカゲだった。
しかも二匹もいた。
巨大なトカゲと、それに輪をかけて巨大なトカゲ。
トカゲは二匹とも口と手足を縛られていた。
「おい、あれ、生きているんじゃないのか?」
誰かが言うと、集まっていた村の人たちはまた騒ぎ出した。
「心配ありません。死んではいませんが、生きてもいません。口を縛ってるのは、牙が当たると危ないからです」
パニックになって石でも投げつけそうな村の人たちに向かっておじさんが伝える。
意味は分からなかったけれど、おじさんが大丈夫だというのだから大丈夫なのだろう。
「な、なんできちんと処分してこないんで?」
村長が恐る恐る尋ねる。
「カワズミトカゲは、協会に売りますので。キレイなままの方が値がいいんです」
「売るんで?」
売れる、と聞いて村がまたざわめく。
「ええ。カワズミトカゲの素材は貴重なんです」
「……いくらほどに?」
「どうでしょう。思ったより大きかったので、1匹で金貨で15枚ほどにはなるかと思いますが」
「!!!!」
金貨15枚と聞いて村がまたざわめく。
2匹で30枚。
とんでもない大金だ。
村人が一生で使うお金が金貨一枚もないだろう。
「しかし、依頼が間に合ってよかったです」
村の雰囲気が険悪に変わったことに気づかないふりをして、おじさんが言う。
「つがいでした。このままだと子どもが生まれていたでしょう。そうなると、川だけじゃ餌が足りない。この村まで襲われていたところでした。腹に卵があります」
「!!??」
そう言って、大きなほうのトカゲの腹を指さす。
巨大なトカゲの腹は、大きく膨らんでいた。
「……そうですか。間に合ってよかった。いや、ほんとによかったです」
村長は、どうでもよかったといった風に答える。それよりも言いたいことがあるが、どう切り出したものかという風だった。
「ただ、今年の漁は難しいと思います」
ただ続く言葉に、村長の顔色が変わる。
「どういうことだ? カワズミトカゲは退治したんだろう!?」
おじさんの服をつかんで、詰め寄る。
「産卵を控えるとカワズミトカゲの食欲は底なしです。この大型がつがいで住み着いたというだけで、あの大きさの川では食い尽くされるのは時間の問題でした。それが産卵です。腹の大きさを見るに、卵を抱えてから一月は経っている。おそらく、この村の一冬を賄うほどの魚は残ってないでしょう」
「―――!!」
「な、何を……!?」
村にこれまでにない衝撃が走る。
「何をのんきにそんなことを!? おい、お前どうにかしろ!? 何のためにわざわざ呼んだと思ってるんだ!?」
村人からも、「どうにかしろ」「ふざけるな」と罵声が飛ぶ。
怒鳴られても、ののしられてもおじさんは、ただじっと聞いていた。
村長は胸倉をつかんで、どうにかしろとおじさんをゆすり続けている。
「そのトカゲは食えんのか!?」
「食えません。カワズミトカゲの肉には毒があります。毒抜きの方法もありますが、ここでは必要なものが何もない」
囲まれたおじさんは、「お前が来るの遅かったせいだ、なんとかしろ」と怒鳴られ続けている。
「ただ、卵は食えます。今から卵を取り出しますから」
おじさんがそう言うと、「早くしろ」と詰め寄る。
「やりますから場所を開けてください」
おじさんはの言葉はどこまでも穏やかで、揺るがない。
開けてくれと、何度か言って巨大なトカゲの周りを開けさせる。
腹の大きな方のトカゲを横倒しにして、腹の下に布を敷く。
そして腰に刺した剣を抜くと、それで切れるのかというぐらい優しく剣先で横向きに撫でる。
撫でた後が一息遅れて、開く。
すると、その奥から白い玉がこぼれ落ちる。
ぽろぽろぽろぽろと、いくつもいくつもこぼれ落ちて、敷いた布の上に広がっていく。
止まると、今度は、さっきの縦向きに撫でる。
また遅れて開くと、玉がこぼれ落ちてくる。
それも止まると、最後に傷口に手を入れて玉を掻き出す。
布にこぼれた玉は両手じゃ数えきれないほどあった。
「もうしまいか?」
村長が近寄る。目が殺気立っている。
「もっとあるんじゃないのか? そっちのは?」
腹を開いていない、もう一匹を指して言う。
「60ほどあります。これで全部です。もう一匹は雄なので卵はありません」
「ふざけるな!? これっぽっちじゃ冬は越せんぞ!?」
「暖めると孵ってしまいますので、井戸水にでもつけてください。孵っても生きられる温度になるまでは、卵のまま生き続けますので、腐ることはありません」
怒る村長には答えず、おじさんが言う。
「十分ではないかもしれませんが、足しにはなります」
村の人たちは、「お前のせいだ、なんとかしろ!」とまた怒鳴り声をあげる。
「とりあえず、この卵は村長さんに預けます。どうするかはお任せします。冬が来るまでにできることは手伝いますので、今日は一度解散して、今日は休ませてください。私もさすがに疲れています」
「お前を泊める場所も、お前に食わすものもない。自分で何とかしろ。この村が冬を越せる方法を死ぬ気で考えろ!」
村長はそう吐き捨てると、『ほらもう今日は解散だ!』と村人を解散させた。手には一抱えもあるカワズミトカゲの卵を持って。
後に残ったのは、巨大なトカゲと、おじさんと私。
私と目が合うと、おじさんはふっと優しく笑う。
「体は大丈夫か?」
「だ、大丈夫。あの、昨日はありがとうございまいた。あ、あの、よければ、うちに泊まる? 屋根はあるから」
「ありがたい。実は困ってたんだ」
おじさんはそう言って笑った。