02 ハセダ村
翌朝、まだ夜の明けきらない早くから起きだした討伐者のおじさんは、村長にカワズミトカゲが住む川の方向を聞いた。
聞くとおじさんは一つうなずいて、地面にゴリゴリと絵を描き始めた。
村長の顔には、さっさと出て、さっさと討伐してこいと描いてあった。
絵が描き終わると、おじさんは何やら粉のようなものを絵の上に振りまいて、ぼそぼそと何かをしゃべった。
すると、地面に描かれた絵がぼやーっと光りだし、その光がどんどん強くなり、あたりを照らす。
村長も、それを遠巻きに取り囲む村の人も、全員不気味そうな顔をしていた。
おじさんが何かをしゃべるごとに光は強くなり、ついに光は柱となって空に昇った。
光が収まると、そこには大きな鳥がいた。
「……召喚術……?」
村一番の博識のおじさんがつぶやく。村の人たちはざわざわしている。
討伐者のおじさんは大きな鳥に何かを伝えると、大きな鳥は「ぴるぅーっ」と一声鳴いて、さっき聞いたカワズミトカゲが住む川の方へ飛び立っていった。大きな鳥の羽ばたきで、盛大な土煙が舞った。
「昼前には向かえるでしょう」
鳥の飛び立った方を見ながら、おじさんが答える。
村中から出ている、『早く行け』という声ならぬ声に答えるように。
「しばらく時間がありますから、お役に立てることがあれば手伝いますが?」
戸惑いを隠せない村長に、何も気にしていないように伝える。
「いや、ええ、あの……」
どうしていいかわからない村長の様子を見ると、おじさんは、遠くに自分を囲んでいる村人を見回す。
「体の調子が悪い方など、おられましたら治しますよ。残念ながら限界はありますが…」
低くきれいな声でそう告げるも、村の人たちは戸惑うばかりで、何も答えない。
中には、敵対の視線を向ける人までいる。
「あの子、あの子を診てもいいですか?」
おじさんは小屋の窓から覗き込んでいる私の方を指さした。
「ええ、ああ、はい。構いませんが」
村長がやっと答えた。
小屋の周りには人だかりができている。
村長も入ろうとしたが、おじさんが断った。
おじさんは、私の手の縄をほどくと、擦り切れたところがじくじくと赤く腫れている手を見る。
「痛いな。よく頑張ったな。すぐに良くなるぞ」
そう言って、昨日のように頭を撫でてくれる。
その後、おじさんは、びっしりと絵が描かれた手袋をはめて、目を閉じると、ぶつぶつと何かをしゃべる。
何を言っているのかさっぱりわからなかったけれど、おじさんがしゃべるたびに、おじさんの手のひらから緑色の光があふれる。
「!!!」
私はびっくりした。
手が光ったことにではなく、緑の光だったことに。
私が治癒術を使うときも、ぼんやりと緑に光る。
おじさんの光は、私のよりはるかにずっと強く光っていた。
光は、おじさんの手のひらから私の手に移り、そのまま体中を包んでいく。
光はお日様のように温かかった。
光が収まると、縄の痕も、体中の痛みもなくなっていた。
「もう少し待てよ」
おじさんはそう言うと、私の指を両手で包んだ。
私の指は毎日の畑仕事で、曲がったまま固まってしまっていた。
おじさんがまた何かをしゃべる。
今度の光は、全身ではなく、おじさんが包んだ両手だけを包んでいる。
光が収まると、おじさんは手を離した。
そこにはあかぎれの一つもない、まっすぐに指の伸びたきれいな手があった。
『おおーっ』
小屋の周りからどよめきが聞こえる。
「ちゃんと動くか?」
手を眺めて呆然としている私に、おじさんが尋ねる。
私はコクコクとうなずいて、手を握ったり開いたりした。
「良かったな」
おじさんは、私の頭を撫でて、優しい顔で言う。
「お父さんも!」
私は思わず叫んでいた。
「お父さんも治してください!」
「お父さん? お父さんもどこか悪いのか?」
「お父さんは、足が動かないんです。お父さんの足を治して! そうしたらまた畑仕事も出来るようになるから!」
おじさんの服を掴んで、私は泣きながら訴えていた。
「見てみよう。治せるかもしれない」
おじさんの声はどこまでも優しい。
「案内してくれるかい?」
おじさんは私を抱き上げると、小屋の外に出る。
人垣が割れる。
私の案内に従って、村の外れにある私の家に着く。
家とも呼べないほどに隙間だらけの家。
草を敷いただけの家の中に、お父さんがいた。
やせ細って、ぐったりとしている。
酷い匂いがする。
おじさんは、ためらわずに近づいて、お父さんに声をかける。
お父さんはうめくだけで何も答えられない。
分かってはいだけれど、誰もお父さんのめんどうを見てはくれなかったのだと思う。
お父さんも、もう全てを諦めているんだと思う。
おじさんは、私の方を見てにっこり笑うと、
「すぐに良くなる」
かすり傷でも見たぐらいの落ち着いた声で言うと、大きな荷物から、緑色のキラキラ光る水を取り出して、キレイな布を濡らすと、その布をお父さんの口に含ませた。
「ゆっくりでいいから、少し舐めて下さい」
お父さんが、ゆっくりと何度か顎を動かすのを眺めると、布を引き出す。
もう一度、緑色の水で濡らして口に含ませる。
それを3回繰り返す。
その後、部屋の中に木の枝のようなもので、ガリガリと絵を描き始めた。
描き終わると、お父さんをひょいっとその絵の上に動かす。そして、鳥が出てきたときのように、お父さんの上から粉の様なものを振りかけて、またブツブツとしゃべり始める。
やっぱり鳥のときのように絵が光り始める。
治癒術のときのように、緑色の光だった。
緑色の光がキラキラと渦を巻くように昇る。
お父さんが隠れるほど大きくなった渦が、最後に大きくたわんで消える。
その後、お父さんの足に手を当てると、またブツブツとしゃべる。
私の指が治ったときのように、お父さんの足を緑色の光が包む。
光が消えると、おじさんは、お父さんを抱き起こした。お父さんはキョトンとして、呆然としている。
「これを飲んで下さい」
最初に布を濡らした水を渡す。
「ゆっくりと」
わけが分からないまま、水を受け取り、言われるがままにその水を飲む。
「長い時間動かしてなかったようなので、動かし方を忘れてるかもしれませんが、すぐに思い出します。曲げ伸ばしから始めてゆっくり慣れて下さい」
「ハナ……。ハナ…。う、動くっ!動くぞっ!! 俺の体が動くぞ! ハナ、おい!」
お父さんは、きょろきょろと自分の体を確かめる。
「あ、あ、ああありがとうございます」
自分の体に奇跡が起こったと気づいたお父さんが、おじさんにしがみつくようにお礼を言った。
おじさんはその背中を優しく撫でる。
「辛かったでしょう」
『ありがとうございます、ありがとうございます』とお父さんはただただ繰り返す。
そんな姿を見ていて私も、やっとお父さんが救われたのだとわかった。
私はお礼を言うこともできないほどに泣きじゃくった。
おじさんは縋りつくお父さんをゆっくりと起こす。
「私はお礼を言われるほどのことはしていません。お二人がここまで頑張ってこられた、ただその努力が報われただけですよ」
おじさんはただ穏やかに答えると、立ち上がった。
「私はほかの方を見てきますので」
私とお父さんはただただ抱き合って泣いた。
おじさんは、そのまま静かに家を出て行った。
家の前では村人たちがおじさんを囲んで、我先にと訴えている声だけが聞こえた。
「残り短い時間です。せめて最後まで親子一緒に暮らせるようしてあげてください」
喧騒に怒号が混じる中、おじさんのそんな声が聞こえた。
村の人たちはすごい騒ぎで、あっちをこっちを誰を彼をと、おじさんに治療を頼んだらしい。
昼が過ぎたころ、朝に飛び立った大きな鳥が帰ってくると、おじさんはカワズミトカゲの討伐に向かうと言い、まだ治療してもらっていない村人たちは、うちがまだだと、おじさんを取り囲んで、大変な騒ぎだったらしい。
結局、帰ってきてから続きは見るからというおじさんに、『死んだら見れないじゃないか』と言い出す人まで現れて、自分の番は終わったから早くカワズミトカゲを退治して欲しい人との間でけんかになったらしい。
結局、村長が一喝して、おじさんは退治に向かった。
これは全部、後でおじさんに聞いた話だ。
『村長さんの家族は一番初めに治してたからな』とおじさんは笑っていた。
その間、私たちは親子でずーっと抱き合って泣いていた。
これまでの辛かったことに泣き、救われたことに泣き、この後訪れる別れに泣いた。
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