10 ハセダ村
「そうか」
私の言葉におじさんが頷く。
「ハナさんは強いな。私ならとっくの昔に逃げ出してる。まあ悲しいかなこの辺じゃ逃げる場所もないけどな」
そう言ってにっと笑う。
「今から帰ったんじゃ遅くなる。今夜はここに泊まって明日の朝帰ろう」
私は頷いた。
「私はお土産を捕まえに行くけど、ハナさんはどうする? 外に出ると私がいないと戻れないから、ここに残るか一緒に来るかになるが」
「おみやげ?」
「森が深いし、人の手がほとんど入ってないから色んな動物がいるだろう。ハナさん探して山登ってる最中にもいくつか形跡があった。ハナさんが逃げ出したーって大騒ぎしてたから、手土産でも持って帰ってやらんとまた賑やかそうだ」
おじさんは、なんでもないような顔して笑っている。
「捕まえるのはムリだよ」
この山にいる動物は、隠れるのがとてつもなく上手か、恐ろしく凶暴かのどっちかしかいない。
山があるのに狩りや採取をあまりしないのは、危なすぎるからだ。
「できるできる」
おじさんは軽い。
でも確かに、おじさんはユメウサギをたくさん捕まえていた。村の人じゃたまたまケガしたウサギを見つけたときに、大喜びして捕まえるのがやっとぐらいのユメウサギを。
そう思えば、簡単そうに聞こえる。
「……私が付いて行ったらジャマになるから、私はここにいる」
狩りというのを見てみたい気持ちはあるけど、私のせいで捕まえられなかったら悲しい。
「邪魔になることはないぞ。こう見えても狩には自信があってな。ハナさんが騒いだぐらいで失敗するほど下手じゃないから安心してくれ。言っても、寒いし山道も厳しいから休んどきたいっていうなら、それで構わないが。多分、狩りなんてやったことないだろう?物は試しにやってみるのも楽しいぞ」
口では休んでいて構わないと言いながら、目は行こうと言っている気がする。
私も行ってみたい気はする。
ここでじーっと待つのも、色々考えてしまうだろうし。おじさんが大丈夫だと言うんだから大丈夫だとも思う。
そもそもよく考えてみれば、手ぶらで帰ったからどうだという話でもない。私が逃げ出して肝は冷えたかもしれないが、おじさんには既に返しきれないだけ色々してもらってる。おじさんが気をつかう必要はないと思う。
「じゃあ行く」
おじさんのすごいところだと思うのは、おじさんと話してると、大体のことは楽しく、上手くいくと思えるところだと思う。
危ないからダメだと言われて来た、山に入るぐらいなら畑を耕せと言われ続けて来て、初めての狩り。
しかも、おじさんがワクワクしてるのが分かるので、こっちも楽しみになってくる。
「そうか、よし、行くぞ」
私がうなずくと、おじさんはいい笑顔になって立ち上がった。
そして、部屋にある戸棚をガサガサと漁り始めた。
おじさん一人分ぐらいしかない戸棚から、どうなっているのか何着も服が出てくる。どれもこれも一目見るだけで作りがちゃんとしている高級品だとわかる。おじさんはその高級品を無造作に放り投げ、あーでもないこーでもないと言いながら、漁り続ける。
『女の子の服は少ないんだよなー』と言って取り出しては『色が悪い』と言ってポイ。
『こっちかなー』と言って取り出しては『飾りが大きすぎる』と言ってポイ。
放り投げられた服に、部屋を照らしている黄色く光る玉がふわふわと近づいていく。あの玉、動くんだ。
その後も『リボンがおかしい』とか、『パンツのシルエットが古い』とか、『合う帽子がない』とか、よくわからないことを言い続けることしばらく、『こんなもんだろう』と言って手を止める。
黒地に赤い模様が入ったズボン。ふわふわの飾りの白いシャツにはエリまである。ジャケットという分厚い生地の上着に、ブーツという頑丈な靴。キャップという帽子は、後ろ頭の部分に小さな結び目の飾りがついている。肌着も靴下も柔らかくて生地が分厚い。
「ハナさん、出かけるからそれに着替えて」
今着ている服でいいのでは?とたずねると、今着ているのは寝るときに着るためのパジャマという服で、外を出歩くものではないと言われた。村長の一番下の娘の結婚式のときの晴れ着よりもいい服な気がする。このパジャマを着て村を歩いたら、殴られて取り上げられると思う。
それはともかく、着替えろと渡されるけど、服の着方がわからない。私がいつも着ている服は、頭からずぼっとかぶって、腰のあたりを紐でギュッとしばれば完成だ。ズボンやシャツという服は、見たことも聞いたこともあるけれど着たことはない。
『着方がわからない』と素直に答えると、おじさんはまた空中に絵を描き始めた。
絵からは黒い光があふれる。黒いのに光っている。不気味だ。
バチバチーっと光ると、絵からきれいな女の人が現れた。私より少し年上だろうか。
頭に2本の大きな角が生えていて飾りのようにねじ曲がっている。
黒い服、黒いスカート、黒い手袋、黒い靴、黒い帽子。髪も瞳も全部真っ黒。
肌が真っ白で唇だけものすごく赤い。
「あれ?マチルダさん? ミレーズさんを呼んだつもりだったんだが?」
「ミレーズは忙しそうだったから、ワタシが代わりに来た」
マチルダさんと呼ばれた人は、感情がない声で答えた。感情がないのにものすごく耳になじむ不思議な声。
「ああ、そう。その子の着替えとか、片づけとか頼みたかったんだけど……マチルダさんに頼むのはさすがに申し訳ないな……」
黒い目が私を見る。服を抱えたままあとじさる。静かな人なのに迫力がある。
「大丈夫。ワタシがやるから、大丈夫。問題ない」
「そう? じゃあ、頼む。あっちの寝室で着替えてもらって」
おじさんが、ドアを指すと『わかった。ついて来い』といって腕を引っ張って連れていかれた。つかむ手がものすごく冷たかった。
パジャマを脱ぐと、『細すぎる』と言われた。
細い方ではあるけど、すぎることはないと思う。村の子は似たようなものだ。
「なんで、こんな野暮ったい服を? 狩りにでも行くのか?」
服を着せてもらいながら、マチルダさんに聞かれたので、『そうだ』と答える。すると『物好きだな』と言われた。
着替え終わると『ベドゥフの選ぶ服は質はいいが、趣味が固い』とかマチルダさんはぶつぶつ言いながら、パジャマを片付けてくれた。
途中、脱いだパジャマを広げてパチンと指を鳴らすと、しわがついて、涙とかでシミができていたパジャマが、ぱっときれいになった。ついでに私が寝たままになっていたふとんもきれいになった。『魔法だ…』私がびっくりしてつぶやくと、『こんなの魔法というほどじゃない』と言われた。
このパジャマはたたむんじゃなく、ハンガーというものに掛けておくらしい。たたんだ方がいい生地と、たたまない方がいい生地があって…と説明してくれたけど、私が最初に着ていた服を見て『ハナの着てた服なら丸めといても一緒』と言われた。
大きな部屋に戻ると、おじさんが待っていた。
『少し大きいな』と苦笑いされたけど、『よく似合ってる』とほめてくれた。
マチルダさんは『部屋は片づけとくから、行ってこい』と送り出してくれた。おじさんが『ありがとう』と言うと、『ベドゥフは今度、遊びに来てご飯をたくさん作って、パルデといっぱい遊べ』と言われていた。
ベドゥフというのは、おじさんのことだろうか? そんな名前じゃなかった気がする?
外に出ると、もうすぐ夕方ぐらいだった。今から山に入って大丈夫なんだろうか?
私がそわそわしていると、おじさんがまた空中に絵を描きだした。
白い光がぱちっとはじけると、緑色の透けるぐらい薄い布みたいのがふわふわ現れた。布ではないのは、空を飛んでいるからわかる。布みたいなのはふわふわしながら、おじさんの周りを漂っている。
「樹木の下位精霊・ウスカゲボシ。森を歩くときに、体にくっつけてると、自分の気配が森の息吹に紛れるんだ」
そう言うと、ウスカゲボシを私の首元にふわっと巻いてくれた。意味は分からないが、柔らかくて温かい。
「簡単に言うと、こいつをこうやって首に巻いとくと、話したり走ったりしても、森の獣に見つからなくなるんだ」
おじさんはウソみたいなことを言った。
二人で森の中を歩く。ウソみたいな話はウソじゃなかったようで、パキパキ枝を割ったり、大きな声で笑ったりしながら歩いているのに、目の前をユメウサギがぴょこぴょこ横切って行った。
動いてるユメウサギなんて初めて見た。しっぽをぴょこぴょこ動かしながらはねていく姿は、ものすごくかわいかった。
……食べたときはものすごくおいしかったけど。
『小さいのだと地味だから、やめとこう』とおじさんはユメウサギを無視していた。
しばらく登ると、「がさっ、ばきっ」と木が折れる大きな音が続けて起こる。
音にびっくりして固まる私を、おじさんがさっと抱き寄せる。
しばらくすると、巨大な熊が現れた。四つん這いのままでおじさんよりも高い。
黒い毛皮にお腹の周りだけ白い毛が生えている。そして何よりもその太い足。
森の危ない動物の筆頭・ハシラグマ。
草食で、人を食べたりはしないけれど、臆病で、怒りやすく、攻撃的な熊は、名前のもとになっているその太い前足を振り回しただけで、大人の5、6人はまとめて吹っ飛んでしまう。
「なんだ、熊か」
目の前にとんでもないのが現れたのに、おじさんはつまらなそうにつぶやいただけだった。私は怖くて、足が震えて、あごもカチカチなっているのに。
「大きな熊は、おいしくないからやめとこう。固いし、臭いし」
そう言うと、ひょいと私を担いで、ハシラグマの前をとことこ歩いていく。目の前を歩いているのに、熊は全く気にしない。ウスカゲボシってすごい……。でも怖いからやめてほしい。
それからしばらくすると、おじさんがふと手で私を止めた。
「いたな」
指を指した方に、大きな穴が空いていた。穴の入口は掘り返されていて、木の枝や小石が散らばっている。
そして、その枝や石が白く固められている。『ごくりっ』私は息を飲んで、小刻みに首を横に振る。
「あ、ああれは、ムリだよ、ダメ」
震える声で答える。
そう、あれば山で絶対に会っては行けない動物・アラシノシシの巣穴。
固まる性質のあるツバで巣穴の入口に枝や石をまとめて散らばせているのは、この巣穴に主がいる証拠。
「イノシシは旨いぞ」
おじさんはのんきだ。
「あ、あアラシノシシだよ、イノシシとは違う」
硬い爪、大きな牙、そして針のように尖った毛。大人2人分以上ある大きな体は、鳥が飛ぶより早く走り、岩を飛び越えて進む。しかも、休むことなく三日三晩走り続けることができる。
性格は凶暴。
見つかったら最後、ひき殺されるか、突き殺されるか、踏み殺されるか。アラシノシシに見つかった場合の決まりただ1つ、『山の奥へ命の限り走って逃げろ』。
これは、つまり、村に近づけずに死ねということだ。
「任せろ」
私の恐怖はどこ吹く風で、おじさんは気楽に巣穴に近づく。震えることしかできない私を置いて散らばる小枝の前に立つと、手を前に出して、ブツブツとしゃべる。
おじさんの手が紫色に光る。
出した手を軽く振るうと、その先から青い光が放たれ、巣穴の中に飛び込む。
『ずーーーん』
巣穴から重い音が響く。
「待ってなさい」
そう言って、ひょいひょい巣穴の中に入って行った。
泣きそうになりながら、震えることしばらく。
おじさんが入ったときと同じようにヒョイっと穴から出てくる。
「おじさんっ!!」
金縛りが解けたように駆け寄る。
「ただいま。なかなかいいのが穫れたぞ」
「―――!!」
おじさんが引きずっているものをて、私は固まった。
そこには巨大なアラシノシシが一頭。そして、一回り小さなアラシノシシが二頭いた。どこに持っていたのか、太いロープに繋がれた小さな台車に乗ってゴロゴロ運ばれている。
「生きてるっ!?」
アラシノシシの毛は、気が立つと逆立つ。逆立った毛皮にこすれると、人は簡単にすりおろされてしまう。そして、落ち着いてたり死んだりすると寝る。
この三頭の毛は全て逆立っている。
「いや、死んでる。死んでるけど、生きてる。ここじゃ血抜きができないからな」
おじさんの言うことは難しい……。
とにかく、こうして私の初めての狩りは無事に幕を閉じた。
納得行かない部分もあったけども。
惨敗で産廃で乾杯。
そんなクリスマス。
メリークリスマス!




