隠者の竜5
ーうまれかわりの存在になど、そうそう出会えるものではないー
竜が案内してくれた洞穴は、思いの外快適だった。
襲撃に気を張る必要もなく、ゆっくりと眠れた男は、朝日を浴びながら川辺へと向かった。
既にそこで水を飲んでいる先客に、一瞬足が止まったが、すぐに歩みを再開して先客のもとへと
近づく。
「おはよう。」
先客の竜にそう言って、男は川の水で顔を洗う。
自分の隣で、平然と顔を洗い肩にかけていた布で水滴を拭う男を、竜はじっと見ていた。
「何だ?」
竜の気配を感じ、男は顔を拭きながら聞く。
「人間にそうやって挨拶をされるとは、随分と久しぶりのことでな。何とも奇妙な気分だ」
「竜同士では挨拶はしないのか?」
「するが・・。俺はあまり誰とも顔を合わさないようにしているからな。挨拶というもの自体が久しぶりだな」
「そうなのか」
顔を拭き終えた布をまた肩にかけ、男は言った。
「竜も人も、いろんな奴がいるもんだな」
ードラゴンにもいろんなタイプがいるのねー
「どうした?」
一瞬よぎった小さな記憶。それに気を取られていた竜は、男の声で、我に返る。
「いや。」
時間なら腐るほどある。男は一日の時間の大半を、竜と話すことに費やした。
他に話せる相手がいなかったというのもあるが、なぜか
竜のことが知りたかった。
初めて見る伝説上の生き物。どんな風に寝て起きて食べて暮らしているのか知りたい。
単なる知的好奇心なだけかもしれない。
しかし
竜と話して過ごす時間は、男の人生の中で一番楽しく、安らぐ時間になっていた。
竜もまた、男と話すことが日課になって、楽しく感じていることを自覚しており、
そこに自嘲を感じながらも男に会うことを止められなかった。
そしてある日、男が問うた。
「ここは、一体どこなんだ」
目の前の川の水面に反射する陽の光を眺めながら、男は言った。
「ここは、見た目は俺が最初に迷い込んだ場所と同じだ。だけど、あの場所じゃない。
同じようで、違う。ここは、俺がいた世界とは、違う。ここはお前が、竜がいる世界なのか?」
男の問いかけに、竜は少し黙って、しかしすぐにゆっくりと口を開いた。
「そうだ。正確に言えば、ここは、狭間。お前がいた世界と、俺がいる世界の間だ」
「狭間・・・」
「ああ。俺は、自分のいた世界が嫌になって極力寄りつかないようにしている。だからほとんどの時間を
この狭間で過ごす。基本、狭間には、人も竜もいないからな」
「俺は、なぜ・・・ここに来ることができたんだ?」
「おそらく、強く願ったのではないか?お前がいた世界ではかなわぬような、何かを」
竜に会ってみたいものだ。
そう思ってみた。まさかそれが。世界を超えるほどの力強さを持っていたとは。
自分自身でも驚く。それほど、あの時の俺は全てが嫌になっていたのか。
「世界は本当は、薄い一枚の布で仕切られているだけのようなものだ。そのことに気づきもしない
から、永遠にその仕切りを破ることができないだけでな。だがたまに、人の、生き物の、強い想いに
反応して、仕切りが外れることがある。そうしてやって来る者たちが暮らしている場所もある」
「お前の世界にも、人間はいるのか?」
思わず声を大きくして、男は聞いた。
それに静かにうなずく、竜。
「ああ、いる。お前がいた世界ほど多くはないが。お前のように世界を超えてやって来た者、
それより前から、世界が同じであった頃から代々暮らす者、がな」
「世界が・・同じ?」
「そうだ。」
竜は、空を仰いだ。そこから香ってくる風の匂いは、まだこの目が見えていた頃と変わらない。
空の色は、どうなのだろう。そして、隣にいる男は、一体どんな姿をしているのだろう。
目を閉じてしまってから、そんな風に思ったことすらなかったのに。
竜はそんな自分の心境に、不思議さは感じるが不快なものは感じないので、またそのことについても
驚きながら、話し始めた。
まだ竜が人と一緒にいた時のこと。
世界が別れる前のことを。