不変のもの
私になろうで生き抜こうという気は有るのか
時々問いかけつつなんちゃって本格風味ハイファンタジーです、どうぞ
「あのさっ! 俺に頼み事するのは良いんだけどっ! 毎回薪割りさせないでくれっ!」
そう言いながらも青年は思い切り斧を振り下ろして薪を割る。腰の入った一撃が的確に目前の木を真っ二つにしていく。
彼は名をヤヒトという。名前からも分かる通り黒髪に昏い黒の瞳が特徴的な青年で、母親方が極東の出身では有るが生まれ育ちはこのシュラウフェンに違いなかった。
首筋の汗を手で拭う。うなじで括った短い髪束が暑いようだ。
「でもトートさんも力弱いですし、私だって大変なんですもの」
「俺は雑用ですかね」
「ヤヒトだから頼んでいるのですよ?」
飾り気のない笑顔にヤヒトが固まる。トートにして「人前で笑ってはいけない」と言わしめた輝くようなそれには、相手を魅了してしまう恐ろしい何かが有った。
元よりリリィは見目が人形のように精緻で、年を追うごとにあどけなさが姿を消しては純粋な美しさに磨きをかけていっている。
見惚れていたのを言えば笑われると思ったのだろう、目線を薪に無理やり釘付けにした。
「お前も悪い女になったもんだ」
「私は嘘なんてついていないわ、ヤヒト」
心外だったのか不満そうに眉をひそめるリリィに、彼は小さく「反則」のレッテルを押す。
薪を割る音が数度響いて、ヤヒトが小さく息をついた頃だろうか。見計らったようにリリィが少しばつの悪そうな顔で尋ねる。
「…………まだ、私は唆されたと皆さんは仰っしゃりますか?」
「うちの両親は元からそんな事考えてもなかったが、お前の養親は酷いな。大方お前に渡されっ放しの遺産が目当てなんじゃないか」
その言葉に目が曇る。彼は手を止めて斧を木に立てかけると、少し目線を下ろしてリリィを真っ直ぐと見つめる。
彼がこういう態度をとる時は大抵物申したい時だ。リリィは少しだけ身構える。
「お前が選んだ道だ、お前以外が止める道理はない。確かにあの人の風評は悪いが、だからといって今の生活が壊れちまう程じゃないから気にするなよ」
リリィは彼を心配させまいとしたのか、ちょっと弱々しく笑い返した。
――それに、お前はどうにも出来ないよ。
およそ八年ほど前にリリィはトートの元に向かったが、その時に一度街が総出でリリィを返すよう交渉しに来たことが有った。
彼女は家から出されていなかったのだが、連れてこられたヤヒトは覚えている。トートは銃を向けられ、農具を構えられ、畏れるような視線を浴びるように受けていた。
逆に言えばリリィが連れてこられなかった理由も彼には予想がついてしまった。だから、分かるからこそトートという存在を信用している。
――とはいえ、今じゃあリリィに言われたい放題のだらしない父親みたいなんだけどさ。
途方に暮れながら目が出たばかりの家庭菜園(というか墓地菜園)の若芽と、何だか枯れたような笑顔で話すトートを見る。
「っていうかさ、あの人は本当に植物と会話するのか? 傍から見たら頭がおかしい人だぞ、アレ」
「失礼な事を言わないの! 私だって喋れますからね!」
冗談だろ、とヤヒトが引きつった笑顔になる。
――疑いはしないが、どんどん変な子になってる。
思えば知り合った頃から彼女はちょっと変わっては居た。彼はこのサリエラで生まれたのだが、七歳まではリリィの実親の居た首都ベルリナに住んでいた。
リリィとはこの時に知り合っている。生まれた頃から両親が仲の良かった二人は幼馴染というより兄妹のようでも有り、首都から離れるときにはリリィが抱きついて泣きじゃくるのに困ったものだ。
当時のリリィは彼の父親の鍛冶を見て妙に詳しくなっていたりしていた。
「まあ昔とあまり変わんないな」
「ヤヒトだって昔と変わらず剣馬鹿のくせに!」
リリィが仕返しと言わんばかりに言い返すと、彼の黒真珠の瞳がめらめらと燃えだした。
「お前は鍛冶の良さが分かってない! 自然から鉱石を取ってきて、それを純粋な金属に仕立てて、それを人が振るうに値する武器にする! シュテルネさんだって意義のあることだって言ってたんだからな!?」
「シュテルネさん?」
リリィが凄く胡散臭そうに彼を見る。露骨にしまったと言わんばかりに慄いている。
息のかかる距離まで彼女の整った顔が突きつけられる。
「誰ですか、その人」
「だ、誰だって良いだろ」
「女性ですね」
「だとしたら何か駄目なのかよ!? リリィは何で怒ってるんだ!?」
拗ねたように紅玉の瞳が細められる。何故か悔しそうに唇を軽く噛んで目を潤ませてくるのでヤヒトは当惑してしまう。
以前からそうだ。ちょっと違う女の子と喋っているとヤヒトは問い詰められる、しかも理由を聞いても大抵はっきりとは答えてくれないのだ。
「綺麗な人なんですね?」
「は? まさか妬いてるの?」
「ち、違いますからね!」
弾けたように首を振りながら違う違うと主張してくるさまが面白くて、ついつい彼はにやにやとしてしまう。
亜麻色の長髪が駄々をこねるのにつられてふわりと揺れる。顔立ちだけでなく髪質まで良いのだから、ヤヒトには何らかの恩寵を神から受けているようにしか見えない。
「別にどっか行ったりしないよ」
「そうじゃないです! ヤヒトが良い女性を見つけてこないから心配してるんですよ! 別に寂しいとそういうのじゃありませんからね!」
「だからどこも行かないって。大体、あの人には剣を教わってる」
半泣きで問い詰めている最中に飛んできた言葉に、目を点にすると呆けた顔で彼を見る。
しばらくすると今度は怒ったような顔で詰め寄られる。
「本当にそれだけかしら!?」
「お、おう。軍事に関わる仕事とかしてた時期があるらしくって、俺が気に入ったとかで教えてもらってるんだよ」
じぃ、とヤヒトの目を真剣に見つめると、息を吐きながら腰に手を当てて叱りつけるような口調が飛んでくる。
「私が認めなければヤヒトは渡しませんからね!」
「お前は妹か何かかよ…………」
実際、ベルリナに居た頃は「お兄ちゃん」と呼ばれていた時期もあるのでヤヒトはくすりと笑ってしまう。
それが何か機嫌を損ねたのか、リリィの追求が激しさを増す。
「やっぱり。そんなこと言って狙ってるんでしょう」
「いや違うから」
「…………ヴィンストラムさん」
トートは一つの墓を名残惜しそうに笑って見つめていた。
それは数多くの出自も定かでなくなった墓石の中で、とりわけ寂れたもの。形自体も良くなければ、年月による風化も最も激しい。大きさこそ大きいから、まるで最も偉大なものの墓のようには見えていた。
彼はすぐに目を閉じると、墓の前に片手を置く。
「最近、面白い娘が来たのは見てるのかな。リリィと言うのだけど、きらきらした眼が貴方にとても似ている可愛らしい娘なんだ」
六百年も生きれば、八年前なんてごく最近と言えてしまう。
それがどんな人物であったのか、一体誰なのか、そもそもトートとどういう関係なのかを知るものは今となっては居ない。
彼自身が語らないから、リリィは勝手に「初恋の人」とでも考えている。
暫くすると彼は目を開けて、墓に刻まれた文字を見る。今の言語体系とは若干異なっているのか、彼にしかその文字は読めそうにもない。
「もうあんな事は繰り返させません。貴方にそれだけは誓います――――――――もうそれしか、オレは貴方に何も返せないから」
唱えるように呟くと、ゆっくりと彼は立ち上がる。
噛みしめるように墓石を見つめては、軽く砂埃を払うと諦めたように踵を返そうとする。
風が吹く。何処からか今はもう思い出せないその声が聞こえたような気がした。
『少年、また泣いているのか?』
目を見開くと、驚いた顔で目の前の少女を見つめた。違う、彼女は似ているだけだ。
トートがあまりに驚いた様子で振り向いたからだろう、彼女は瞳をころころとさせて不安そうに尋ねる。
「だ、大丈夫ですか…………嗚咽が聞こえてきたのですけど…………」
後ろから駆け寄ってきたヤヒトも彼の顔を見るなり、少し眉を上げていつもより表情が崩れる。彼は基本的にトートに対してはある程度険しい表情をしているから、これは相当なことだというのが分かる。
――ああ、駄目だな。何百年も長生きしてるくせに情けないだろうね。
誤魔化すように目を細める。潤んだ赤い瞳は誰にも見えることはなかった。
「何でもないよ。昔の事を思い出してただけなんだけど、聞き違いじゃないかな?」
「いや、アンタ絶対に」
「聞き間違い、じゃないかな?」
人の原初の威嚇行為は笑顔にこそ有ると最近唱えている学者が居るらしい。
そんな事をふと思い出したヤヒトはそれから目線を逸らすと話も逸らしていった。
「という訳で、運命というのは一般の人達より私は明確に捉えている」
椅子に座ったヤヒトとリリィを見やると感心したように頷く。
部屋の中はリリィの掃除の賜物と言うべきか、土と木の根で壁が出来ている割には土埃も少ない。木の根から生えた透明な実の中心では、橙の炎のような光が灯っている。
それが幾つも部屋に散らばって明かりの代わりを果たしていた。
「じゃあヤヒト、運命について軽く論じてみて」
「俺かよ。ええっと、だから物事の必然性ってやつだろ? 物は下に落ちる、手で物を持つと重い、とかみたいな当然のことを当然たらしめる力の度合い」
面倒そうな表情をしながらすらすらと答えてみせたヤヒトに、音のない拍手がトートから送られる。
何だか子供扱いされているような気分に顔をしかめていたヤヒトを放置しながら、トートはそれを元に話をどんどんと進めていく。
「その通り。これは未来に対しても働いている、つまり日頃遭遇する事態も運命で形作られたものを沿っているだけ――――――ということ」
トートが定めた運命とは、簡単に言えば事象の連結の部品である。
占術や護符はこれを操る。占術は時に読み取るし、もしくは未来をある程度決定してしまうことも有る。
というより、使う本人たちも「確認した未来」しか知らない。元々在る形を読み取っただけなのか、自分達の都合よく干渉した結果を見ているのかは大半の場合、分かっていないのだ。
能動的なのが占術であるならば受動的なのが護符。護符は「特定の物事」を避けるように運命を、言ってしまえば捻じ曲げてしまう道具となる。
「というか俺はこんなの知っててどうするんだよ」
ヤヒトが不満げに尋ねる。彼は魔法にはあまり興味がない、そもそもトートが何故教えたがるのかもはっきりと聞かされていなかった。
「いざという時に役に立つかもしれないからね」
「まあ、無駄じゃないから良いんだけどさ」
煙に巻かれたような感じに違和感は有ったが、取り敢えず大人しくする。
リリィが尋ねる。
「では、運命に逆らうのは不可能なのでしょうか?」
「いや? 運命だって得意不得意が有ってね、例えば物が下に落ちる――――みたいな「法則」にまでなってるものはともかく、未来なんてそんなはっきりと力で固定できてないよ」
意外と頼りない概念だよね、と肩をすくめてみせる。
「過去は決定されてるから運命がとても強く働く、だから一般的に時間遡行は不可能。出来ても多大な代償が必要だと言われてるよ」
「なるほど、「私達にとっての事実」と言い切れるなら、それは運命が働いていると?」
小難しいね、と笑う。
事実として明確なほど力が働いているのは事実だろう。過去は確固たる事実となっているから、運命はしっかりと固定している。
現在は動く当人たちが介入の余地がある。
ならば未来は、恐らく繋ぎ止めが緩すぎて幾らでも変更の利くものであるはずだ。
「一説では「大衆が事実と認識するほど、数が増え認識が確固たるものとなるほど、運命は強くなる」とも言うらしい」
だが、とトートが少し言いよどむ。
「それは人間の自己中心的な視点だ。魔法は使い手によって原理が異なるから、そういう認識の話とかに持ち込みたいのは分かるけど実際は分からない」
あ、そうだ。とトートが手を叩いて部屋の外へ飛び出す。
リリィとヤヒトが「また始まった」と思いつつ他愛ない雑談を始める。彼は基本的に教える時に思いつきで喋っていて、こうやって思いつきで飛び出したりすることも多く有った。
暫く待っていると、彼は分厚い本を自分の背丈ぐらいまで抱えて持ってくると、リリィ達の前の机にどんと置く。
「この本の下が過去、上が未来だと思えばいいよ。下に行くほど積み重なった物と一緒に動かすから重くて、上は本の数が減るから軽く動かせるよね? こういう感じ、積み重ねるものなんだ」
「なるほど、やっぱりアンタは思いつきで喋ってる割には分かりやすい」
ヤヒトが腕を組みながら褒めているのか貶しているのかわからない物言いをしたからか、トートはうーんと不満そうな顔でヤヒトを見つめる。
「手厳しい教え子だなあ」
「そりゃあんまり興味ないからな、教えてもらってること抜きで喋ってるとこういう評価になるさ」
「それにしても優しくしておくれよ」
何言ってるんだアンタ、と言わんばかりのヤヒトの視線にトートは大きく溜息をついた。