05.多種多様からの分類
『大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って』
耳元に流れてきたのは、落ち着いた張りのある声。
誠実さを感じさせる男性の声だ。
「どうです? この確固たる安心感——まるで、賢者の図書館を案内されているようだとお感じになりませんか? 冬の冷たさのようにピンと張りのあるこの声——ここに冷静さを兼ね備えた声を、わたくし共は冬声クールと名付けました」
アンナが優しく操作石をなでると、イヤーカフの画像が声の分類表に切り替わった。
冬声クール、の表示が色づき、「信頼」「誠実」「説得力」などと、その特徴が表記される。
「次は『秋声セクシー』、女性の声でお送りしますわ——『大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って』」
アンナの操作に合わせて、深みある艶声が再生された。
耳に染み入るような色気に、思わず背筋がぞくりとなる。
先程の男性声と全く同じセリフにも関わらず、今度はまるで女性の寝室へと誘われているかのようだ。
あたしは、客席を覆う感嘆のため息に小さく微笑んだ。
「面白いとお思いになりませんか? 声質だけで、この効果——。わたくし共が声に価値を見出したのは、その時々の場面において、より効果的に声を利用することで、相乗効果が得られるのではないかと考えたからですの。それぞれの声に季節の名を冠したのは……親から子へ、時代を超えて今ここに再生される声と、太古から脈々と受け継がれてきた自然の力との重なりを感じたからですわ」
……大嘘である。
四季に分けるのは、前世のパーソナルカラー診断なるものの真似だと言っていた。アンナ曰く「その方が覚えやすそうだし、大体、色も声も一緒でしょ」と。
……全然違う。
お前本当、いつか怒られるぞ!
しかしアンナは、あたしが幾らたしなめてもどこ吹く風だ。さすが、一度一生涯終えている女の厚かましさは桁が違う。
「次は、続けて女性の声を聞いてみましょうか。『夏声エレガント』をどうぞ——『大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って』」
なっ、ちょ、ちょ……っと待て!!
これ、あたしの声なんですけど!?
動揺でビクリと揺らした体は、幸なことに誰にも気づかれなかったようだ。
あああもう、心臓に悪い……!
確かこれは、プレゼン内容をざっくり確認した際、「エリカも女公爵モードで言ってみて」なんて言われて調子に乗って読み上げた声のはず。
録音されてたのか……法整備の甘い世界、怖っ。
あたしはアンナに、やってくれたなと恨めしい視線を送った。
すると彼女はわずかに振り向き、あたしだけに見える角度で口パクをしてみせた。
『サプラーイズ!』
いやいやいやいや! 全然笑えねえぞオイ!
険しいあたしの視線をかわし、アンナは聴衆に向かって訴える。
「『夏声エレガント』は、高潔で神々しい、張りのある透き通った声です。まるで女神に、神の庭へと誘われるかのようでしょう? 口演もこの声で行えば、まるでご神託のように聞こえること請け合いです」
ちょ、インチキ教祖みたいに言うのやめてー!
焦るあたしの胸中とは裏腹に、次の『夏色フレッシュ』が再生された。
同じ夏属性でもテイストが違うとここまで変わるということをご体感ください、とかなんとか言うアンナの言葉に、あたしは慌てて意識を集中する。
『『大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って』』
ハキハキ明るい男性声だ。
元気ではつらつとした感じで、透明感があって、確かに夏のフレッシュなイメージ……でもそこじゃなくて。
セリフが、多重音声で聞こえたような気がする。
なんだか自然と眉根が寄った。
こういうの昔、聞いた覚えあるんだけど。
説明が欲しくてアンナに再び視線を送るが、今度は振り向いてくれない。
くそう! 絶対気づいてるはずなのに!
「どんどん参りましょう。次は『春声ナチュラル』。優しさの中に甘さを持つ、癒し系の声ですわ」
『大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って』
またもや男性声だ。
耳に馴染みやすい、優しい癒し声。でもしっかりと甘さを含んで……乙女ゴコロを狙い撃ち☆初デートのエスコート、って感じかな。
ていうか、間違いない。これ海外乙女の敵、ナイジェル先輩じゃん。
相変わらず素敵なお声で……じゃない。
となると、さっきの多重音声はやっぱり伯爵家の双子兄弟、フレリオとシュリオなのだろう。
声変わりしても、天使の無邪気さが垣間見える……っていうか、まだ二人でつるんでるなんて。
大丈夫?
「次は『秋声ゴージャス』です。貫禄があって穏やかで、深みを感じる声ですわ」
『大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って』
おおう、重低音が腹にくる。
なんていうのかな……老成した落ち着き。絶対的な安心感。
この声にこのセリフだと、まるで自分だけの護衛士に守られている感じがする。
ていうか、この重低音。間違いない、騎士団長息子のゴールト様だ。
そこに気づいて思い返してみると、一番最初の冬声クールは宰相の孫、クリス様だろう。
今でも眼鏡は銀縁だろうか。
どうしよう、片眼鏡とかになってたら……ますます萌えるんですけど。
しかし、そうなると、秋声セクシーの女性は誰だったんだろう?
それらしき人物に思い当たらなくて考え込んでいる間に、アンナが『冬声パワフル』を紹介した。
一本芯の通った力強い声、餡の入ったパンの人みたいに、勇気凛々している声だ。
『大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って』
うん、危機一発で助かったーって感じする。安心感ある。
いわゆる主人公声だ。つまりあれだ、パウエル王子に違いない。
あれから全く接点ないけれど、声を聞く限りでは元気そうでなによりだ。
「パワーと熱意が感じられますでしょう? リーダーにふさわしい、朗々たるこの声は、一瞬で民衆の心をつかむことでしょう——」
アンナはそう言うが、彼はすでに王太子ではない。
残念ながら、あたしともアンナとも結ばれることのなかった彼は、未だ新しいお相手も見つからぬまま。
そうこうしているうちに弟王子が先に結婚して男児を設けたため、そちらに王位継承権を譲ってしまったのだ。
つまり、民衆の心などつかむ機会がない。
それどころか、女心すら掴めていない。
パワフルなリーダー声、意味ないじゃん!
あたしは心の内で盛大な突っ込みを入れつつ、アンナの手腕に感心した。
つまりあれだ、アンナは今回のデモンストレーションに当たって、サンプルの声をイケ☆パラの主要人物から集めたのだ。
そりゃそうだ、声に重点を置いたゲームだったんだもの、多種多様ないい声が揃っているに決まっている。
イケメンボイスと銘打ちながら、何気にあたしたち女性登場人物の声も良かった事は、今更ながらに気づいたことだけれど。
しかしここに来て、懐かしの生徒会メンバー再集結とは。
こっちが本当のサプライズじゃん。
やりやがったなこの女!
あたしは、にやけ面を隠しつつ、嬉しいような憎たらしいような思いでアンナを見つめた。
学生時代はふわふわの巻髪にしていたピンクブロンドも、今は目立たない低い位置で、慎ましやかなシニョンにまとめられている。
その後ろ姿に、これまでの年月を思った。
「さあ、最後は『春声カジュアル』、身近な親しみやすい声ですわ。こちらは僭越ながら、今この場で、わたくしが述べさせて頂きます。生で聞くとまた違ったニュアンスが生まれることを、どうぞ体感なさってくださいまし。では、参ります——大丈夫です、どうぞこちらへ。さあ、この手を取って……」
アンナの声は、優しく会場に響いた。
彼女の持つ大きな拡声石と、客人たちの耳元の、小さな声玉。
二つを通して響いたその声は、体に、頭に、深く染み渡る。
彼女の伸ばした手に手を重ね、あの琥珀色の瞳を覗き込んで、微笑んであげたくなるようなこの心地——うんうんそっか、大丈夫ならサインしちゃおうかなあ、支援でも契約でも幾らでも——って、危なっ!
危うく催眠商法もどきに引っかかりそうになったやないかい。
あたしは小さく息を吐き、心を落ち着かせる。
アンナがパンパンと手をたたき、ふらふらと揺れる客席の意識を引き戻した。
「どうです? 多くの方々が、声の魅力を認識されたのではないでしょうか。この小さなイヤーカフタイプで観劇の声色をお好みに変え、より深く楽しむのもよし、わたくし共のカウンセリングで、ご自身の声属性を知って磨きを掛けるもよし、職業や爵位に合った声の発声を学ぶもよし。わたくし共は、お客様の暮らしがより良くなるよう、声の分野をサポートさせて頂きます。わたくし共、良声企画社を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします——」
そう言ってアンナは、優雅に一礼した。
次話でラストです